第15章 天使と悪魔④
カレンが、悟の言葉に肩を竦めた頃、志保が最後のキーを押した。
深々と椅子に背をもたせ掛け、瞑目する。
人類が終焉を迎えるまで、あと48時間。
もう、後戻りはできない。
志保は、このウィルスに対するワクチンなど作っていない。
赤い金貨と違い、お金を儲けることなんて考えていないからだ。
これを止めるとするなら、志保の目の前にあるコンピューターを破壊するしかない。
電源を抜いても、内臓している特殊なバッテリーで、48時間後には自動的に再起動し、10分は稼働する。
それだけあれば、全世界にウィルスをばら撒くには十分だ。
トロイの木馬型といわれる、ある時期が来れば作動するウィルスを仕掛けることもできた。
そうすれば、今、ここにあるコンピューターを壊されても、防ぎようがない。
それをしなかったのは、天国に行ったであろう瑞穂が、志保の肩に手を置いていたからだ。
悪魔に変貌した志保の中に、瑞穂という天使が宿っていた。
志保は、自分はミュータントではないかと思っている。
人類を滅ぼすために、自然が、地球が生み出したミュータント。
どんな高度な知識を有しているハッカーでさえ、志保のコンピューターの技能の前では、子供同然だ。
ただ、そんな地球も、志保に一片の良心を与えていた。
それが、瑞穂だ。
瑞穂が生きている限り、志保の悪魔が目覚めることはなかった。
瑞穂が死んで、一時は良心を失い、悪魔に身をやつしたものの、今また瑞穂という良心が、志保の行く手を遮っている。
もう一人、自分の邪魔をするかもしれない人物がいた。
志保は、自分の邪魔をするであろう世界の三凶について、徹底的に調べていた。
劉については、記録は抹消されていたものの、掘り尽くせば出てきた。
劉は志保の護衛役だったが、瑞穂の復讐を誓う志保にとっては、最初から邪魔者だった。
ターニャも、過去の経歴を巧妙に組織が隠ぺいしてはいたが、志保の手に掛かっては、なんなく過去を知ることができた。
ただ一人、カレンだけがわからない。
徹底的に調べても、ごくありふれた経歴しか出てこなかった。
その経歴によれば、ごく普通の家庭に生まれ、ごく普通の学生生活を送っている。
それを信じるならば、CIAに入った途端、変貌したということになる。
志保には、そんなことは、とても信じられなかった。
これまで普通の生活をしていた者が、突然、優秀な暗殺者になりうるはずがない。
組織が改竄していたのなら、劉やターニャと同様、志保は掘り当てていただろう。
それが、どんなに手を尽くしても掘り当てられないということは、カレンも志保と同等の技術を持っているということになる。
もし、カレンが、自分同様ミュータントだとすれば、これは手強い。
カレンは、殺しのテクニックにも秀でているのだ。
そういった意味では、カレンは自分以上だということになる。
もう一人、志保が気になる人物がいた。
それは、悟だ。
カレンが結婚した人間として、一応調べてみた。
二流の大学を卒業して、三流の商社に入社した。
志保が気になったのは、悟の記録に空白の期間があったからだ。
悟の父親も商社マンだった。
悟が中学一年の時、アメリカに転勤になり、家族共々移住している。
そこから、悟が帰国する高校三年までの記録が、どこを探してもみつからなかった。
悟には、二つ年下の妹がいた。
両親と、その妹の記録が、渡米後ふっつりと消えていた。
日本でもアメリカでも死亡届けは出ていないので、記録上は健在といえるが、渡米後間もなくから、医療記録も出入国記録もない。
なのに、現在は日本で働いていることになっている。
もし、志保を止める人間がいるとすれば、この二人だろう。
志保は、瑞穂の良心と、二人に対する好奇心から、自分の居場所を特定できる微かな穴を開けていた。




