第2章 魔女の目覚め➄
夜の十一時過ぎ、真由美はじりじりしながら、夫の帰りを待っていた。
いつもならば七時には帰ってくるはずの武雄が、まだ帰ってこない。
残業で遅くなるときは、必ず連絡をしてくる。
武雄は人付き合いが良い方ではないので、急に飲みが入ったとは考えられなかった。
また、そういったときでも、連絡は入れてくるはずだ。
真由美はふと、昨晩の臨時ニュースを思い出した。
まさか、武雄が?
いや、そんなことがあるはずはない。
電車に飛び込んだ人がみなスマホに熱中していたのは、単なる偶然の一致だ。
だいいち、武雄に自殺する動機なんてあるはずがない。
まだゆうべのことを怒っていて、家に帰りたくないと思い、どこかで時間を潰しているのだろう。
きっとそうだ。
真由美は必至で、頭に浮かんだ不安を打ち消そうとした。
その時、真由美の不安が具現化したように、固定電話が鳴った。
武雄からの連絡かと思ったが、直ぐに違うことに気付いた。
武雄ならば、携帯にかけてくるか、メールで連絡してくるはずだ。
機械オンチながら、真由美も携帯を持っているので、固定電話が鳴ることなど、滅多にない。
固定電話にかけてくるのは、どちらかの両親か、なにかの勧誘くらいのものだ。
この時間に、両方の親がかけてくるなんてことは、よほどのことがない限り、考えにくい。
ましてや、勧誘なんてあるはずもない。
真由美は、不吉な予感を胸に抱きながら、受話器を取った。
「ハイ」と言った真由美の耳に、「木田さんのお宅ですか?」と、低い男の声が聞こえてきた。
「そうですけど」
真由美の不安は、ますます膨らんでゆく。
「わたし、S署の藤岡と申します」
警察と聞いて、真由美の動悸が激しくなった。
「大変お気の毒ですが、ご主人の武雄さんが亡くなられました」
事務的な口調で、藤岡と名乗った男が告げた。
真由美は衝撃で、受話器を落としそうになった。
頭の中が真っ白になり、なにも言葉が出てこない。
藤岡の声すら、耳に入らな入らなくなってしまった。
「もしもし、もしもし、奥さん、聞いてますか?」
電話の向こうで、藤岡が呼びかけている。
「そんな… なにかの間違いではないでしょうか」
執拗な藤岡の呼びかけに、我に返った真由美は、震える声で、呻くように言った。
「所持していた免許証で、ご主人と確認できました」
「あ、あの、主人は、その、どうして亡くなったんでしょうか?」
気が動転していてしどろもどろになりながらも、真由美は武雄の死因を尋ねた。
警察から連絡があったということは、なにか事件に巻き込まれたのだろうか?
元気だった夫が急に死んでしまうだなんて、真由美には到底受け入れることができなかった。
「詳しいことは捜査中ですが、ホームから電車に飛び込んだものと思われます」
「飛び込み?」
真由美が、かん高い声を上げた。
まさか、自殺?
ゆうべ、いくら怒っていたとはいえ、あんなことくらいで自殺するとは思えない。
もしかして、飛び込みの話題から喧嘩なったので、自分への当てつけに、発作的に飛び込んだのだろうか?
一瞬そう思ったが、直ぐにあり得ないと打ち消した。
「ええ。帰宅途中の最寄駅で、電車に飛び込んだようです。目撃者の証言では、スマホに夢中になっていたご主人が、電車が到着する直前、うっとりとした顔でふらふらとホームの端に行き、そのまま飛び込んだそうです」
静かな口調だが、藤岡の声は、容赦なく真由美の耳に響いた。
「主人は、今どこに?」
咳き込むように、真由美が問う。
「橋本総合病院です」
「わかりました。直ぐに伺います」
真由美は電話を切ると、財布だけを手に取り、タクシーを拾うべく、急いで家を出た。
気が動転しているせいか、鍵を掛けるのも忘れていた。