第2章 魔女の目覚め⓸
東京郊外のマンションに住む、木田武雄と真由美夫妻は、リビングで夕食を摂っていた。
まだ新婚三ヶ月だというのに、武雄は妻の真由美に見向きもしないで、無言でスマホと向き合いながら、時々思い出したように箸を口に運んでいる。
付き合っている頃から武雄はよくスマホをいじっていたが、ここ最近は、特に酷くなった。
以前は、真由美との時間を大切にしてくれ、食事の時は共に語り合ってくれていたのだが、数週間から様子が変わってきた。
特にここ一週間というもの、依存症かと思うほど異常にスマホに執着し、トイレに行くときも手放さず、寝る間も削って、ずっとスマホと睨めっこしている。
風呂も、毎日入っていたのが、二日に一度になった。
それも真由美が口うるさく言ってやっと入るのだが、カラスの行水のように、ものの五分と入っていない。
洗面台にスマホを置いて、服を気ながらでも睨めっこしている有様だ。
何かのゲームに嵌っているのかと真由美が尋ねてみると、トゥルーフレンズと、一言ぶっきらぼうな答えが返ってきただけだった。
真由美は機械ものが苦手で、スマホにもあまり興味がない。
スマホとガラケーの違いもわからない真由美だから、トゥルーフレンズと言われても、なんのことかさっぱりわからなかった。
だが、それ以上訊くことはしなかった。
聞いても、理解できないと思ったからだ。
「臨時ニュースです。今夜七時頃、帰宅時間帯で混雑する新宿駅で、若い女性の飛び込みがありました」
スマホに魅入る夫に真由美がため息をついたとき、点けていたテレビのバラエティー番組が、臨時ニュースに切り替わった。
「目撃者の話しによりますと、その女性は、うっとりとした顔をして、電車が到着する直前にホームに飛び込んだとのことです。また、飛び込む直前まで、まるで何かに取り憑りつかれたように、スマートフォンに熱中してそうです」
真由美が、夫の武雄を見た。
アナウンサーの声が耳に入っているのかいないのか、武雄は相変わらずスマホと睨めっこしている。
夕飯は半分も減っていない。
「今月に入ってから、新宿駅だけでも、これで五人目となり、詳しい数字はわかっていませんが、全国各地でもホームからの飛び込みが頻発している模様です。それらの全員が、直前までスマートフォンに熱中していたことがわかっており……」
「また、飛び込みだって」
真由美が、武雄に話しかけた。
武雄は、スマホから目を離さず、「ふーん」と気のない返事をした。
「あなた、ご飯のときくらい、携帯をいじるのやめなさいよ」
真由美が、思い余って注意する。
「これは、携帯じゃなくてスマホだよ」
武雄は、顔も上げずに、小馬鹿にした返事を返すのみだ。
右手は、軽快に画面をタップしている。
「どっちでもいいでしょ。ねえ、わたしたち、まだ新婚なのよ。ご飯のときくらい、顔を見て、話しをしながら食べようよ」
半ばムッとし、半ば哀願するような口調で、真由美が言った。
武雄が、スマホ越に、凄まじい目付で、真由美を睨みつけてきた。
「うるせえな。そんなに暇だったら、おまえもスマホを持てばいいだろ。大体な、俺と話しがしたいんだったら、いい加減、スマホと携帯の違いくらい覚えろよ」
さも鬱陶しそうに、武雄が答える。
「まあ、機械オンチのおまえには無理だろうがな」
最後に、憎まれ口を叩く。
「あなた、わたしと携帯と、どっちが大事なの」
今や、真由美の声は、怒りで震えている。
「なに、くだらんえこと言ってんだよ。うぜえったらありゃしねえ。それにな、さきも言ったろ。これは携帯じゃなくてスマホだよ。ス・マ・ホ」
武雄が怒鳴り声を上げながら、箸を投げ出して立ち上がった。
「どこへ行くの?」
「寝室だよ」
「でも、まだご飯の途中じゃない」
「おまえが、あんまりうざいんで、食う気なんかなくしちまったよ」
武雄は、捨て台詞を残して、荒々しくリビングから出ていってしまった。
武雄が出ていってから、真由美は悔しさと情けなさのあまり、涙が溢れてきた。
そのまま、暫く、嗚咽を漏らしていた。
数分後、少し落ち着いた真由美は、「どうして、こんなことになってしまったの」と、ポツリと呟いた。
いくらスマホ大好き人間だとはいえ、ちゃんと分別を保っていた夫が、ここ最近、異常なほど執着し、まるで人が変わったかのように、怒りっぽくなってしまった。
ゆうべ、真由美は心配のあまり、会社でなにかあったのかと、武雄に訊いてみたが、「なにもねえよ」と、ぶっきらぼうな言葉が返ってきただけだった。
もしかしたら、これが夫の本性かもしれない。
結婚して三ヶ月、徐々に本性が現れ始めているのかもしれないと思ったが、真由美は、それを認めたくはなかった。
真由美が寝室に行くと、武雄は既にふて寝していた。
手には、しっかりとスマホを握り締めていた。
翌日の朝、真由美が目覚めると、もう武雄の姿はなかった。
いつもなら、ぎりぎりまで寝ていて、朝食を掻き込んで慌ただしく出ていくのだが、昨晩は早くからふて寝していたため、朝早く目を覚ましたものと思われた。
真由美は、自分と顔を合わせるのがバツが悪かったのだろうと思い込もうとしたが、どうしても、自分と顔を合わせるのが鬱陶しいかったのではないかとという思いが、頭をもたげてくる。
そう思うと、また真由美の目から、涙が溢れてきた。




