第2章 魔女の目覚め⑥
「間違いありません。主人です」
武雄の顔を確認した真由美が、涙交じりの声で告げた。
電車の下敷きになっただけなので、顔は損傷していなかった。
少し青白いところを除けば、今にも起き出してきそうに見えた。
「お気の毒です」
藤岡の慰めを聞いた途端、真由美は泣き崩れた。
スマホに執着していてもいい。
ご飯の時に会話をしなくてもいい。
だから、起きて。
憎まれ口を利いて。
真由美は、心の中で叫び声をあげた。
「ご主人が自殺するような動機に、なにか心当たりはありますか?」
真由美が落ち着くのを待って、藤岡が尋ねた。
もうひとりの刑事が、メモを取る態勢をしている。
「いいえ。私たち、まだ結婚して三ヶ月なんです。もし、主人が自殺したとしたら、なんで自殺なんてしたのか、思いもよりません」
昨夜の喧嘩のことは、真由美は言わなかった。
そんなことで自殺なんかする夫ではないと思っていたのもあるが、もしそれが原因だとしたら、真由美には耐えきれなかったからだ。
「そうですか」
藤岡が、小さく頷いた。
「最近、ご主人になにか変ったところはありませんでしたか?」
「いいえ、とくには…」
首を振りかけた真由美が、ハッとした顔をした。
「どうしました?」
「そういえば、ここ数日、携帯、いいえ、スマホだったかしら。を、異常なくらい触ってました。まるで、なにかに憑りつかれたみたいに。それに、少し怒りっぽくなっていました。わたしが、会社でなにかあったのかと尋ねても、主人は別にと、ぶっきらぼうな返事を返すだけでしたけど」
真由美の言葉を聞いて、藤岡の目が鋭くなった。
メモを取っていたもうひとりの刑事が顔を上げ、藤岡と目を合わせた。
二人が、厳しい顔をして頷き合う。
「先輩、これで、うちの管内だけで八件目ですね」
真由美が帰ってから、メモを取っていた高橋が、ため息交じりに話しかけた。
「そうだな。電車への飛び込みが三人で、歩道橋からが二人、それに、車道に飛び出して轢かれたのが三人」
藤岡が、指を折りながら、数えていった。
「だがな、それだけじゃないぞ。死にはしなかったが、突然、車道に飛び出した奴が、わかっているだけで八人はいる。わずか、一ヶ月の間にだ」
「そうですね。そのいずれもが、直前までスマホをいじっていたのが確認されています」
「目撃者の証言が、判で押したように同じだ。みんな、まるで夢遊病者のように、ふらふらと自分から飛び込んでいったとな」
「それに、飛び込む数日前から、異常にスマホに執着し、怒りっぽくなる点も共通してますね」
「ああ、そうだ。しかも、うちの管内だけじゃない。昨日も、新宿でも同じことがあった。ここ最近、全国で同じようなケースが多発している」
「偶然とは思えませんね」
こんなことが全国で立て続けに起こっては、刑事でなくても、偶然と思う者はいないだろう。
「電磁波の影響かもしれませんよ。携帯やパソコンの電磁波が人体に及ぼす影響は、まだはっきりと解明されてませんから」
偶然ではないと思っていても、若い高橋には、動機や方法が皆目見当がつかないため、犯罪と決めつけることはできないようだ。
「そうだな」
藤岡が頷いてみせた。
しかし、高橋の意見に同調していないことは、藤岡の顔を見れば明らかだった。
「安易に断定するべきではないのはわかっているが、俺は、違うと思う。これは、悪意を持った無差別殺人に違いない。そうでなければ、テロさ」
警察というものは、明らかな証拠がない限り、犯罪として断定することはしない。
たとえ、限りなく黒だと思っていてもだ。
藤岡は、同じ警察の高橋だからこそ、本音を口に出したのだ。
「でも、だとしたら、誰が、どういった目的で、どうやってるんですかね」
高橋は、電磁波の線を捨てきれないようだ。
「そんなことは、俺にもわからんよ」
粘る高橋に、藤岡が苦い顔で答えた。
「とにかく、署に戻って報告だ」
これ以上話しをしていてもらちがあかないと思ったのか、藤岡は話しを打ち切るようにそう言って、高橋の肩を軽く叩いて歩き出した。
「わかりました」
高橋も頷くほかはなく、素直に藤岡の後に続いた。
口には出さなかったが、藤岡は、これは、ほんの序章に過ぎないという予感がしていた。
これから、自分では想像もしえないような、とんでもないことが起きる。
それは、予感というより、確信に近かった。




