第8章 とぼけた男③
「東京見物や」
怯えも緊張も混じっていない声で、悟が答える。
「きさま、ふざけるのもいい加減にしろ」
どこまでも人を食った悟の態度に、緒方が堪忍袋の緒を切り、凄みを利かせて怒鳴った。
が、悟は臆することなく、平然と言い放った。
「俺とカレンは夫婦や。旅行に出かけて何が悪い。あんたら、内調か公安の人間か知らんが、いきなり人に銃を突き付けて拉致っておいて、何を偉そうに言うてんねん」
「きさま」
緒方が一歩出るのを、桜井が手で制した。
「なあ、杉村さんよ」
緒方の肩を掴んで脇にどかした桜井が、悟と向き合った。
「東京で、一体、何が起こってるんだ。あんたも日本人だろ、素直に話しちゃくれないか」
口調は柔らかだが、桜井の目からは言い知れぬ迫力が滲み出ていた。
これにも、悟はなんら動じない。
「だから、旅行に来たと言ってるやんか」
「あんた、そんなにカレンが怖いのか」
「カレンが、怖い?」
「あんたの噂は聞いてるよ。なぜかカレンに気に入られたあんたは、カレンに銃を突き付けられて、自分と一緒になるか、ここで死ぬか選べと、迫られたらしいな。それで、死ぬのが怖くって、カレンと一緒になったってな」
桜井の口調には、半分揶揄が込められていた。
「軟弱な奴だ。俺だったら、潔く死を選ぶがな」
緒方は、嫌悪感を露わにしている。
レンジャーで鍛えられた緒方には、到底許せないことなのだろう。
「確かに、カレンは怖いな」
緒方には一瞥もくれず、悟は悪びれもせず答えた。
「我々に協力してくれれば、あんたを、カレンの目の届かないところに匿ってやろう」
「なんなら、始末してやってもいいぞ」
悟が、緒方の顔をまじまじと見た。
どうやら、冗談で言っているのではなさそうだ。
緒方の顔には、自信が満ち溢れている。
「カレンを始末するやて? あんた、カレンがどういう女かわかってるんか?」
「ふん、CIAのトップシークレットの破壊工作員と言ったところて、所詮、女だろ。どうせ、色仕掛けなんかで、成績を上げていたに違いない」
緒方の言葉に、悟が声を立てて笑った。
ひとしきり笑った後、緒方に軽蔑の目を向ける。
「無知って、怖いな。カレンに掛かれば、あんたなんか瞬殺されるで。お遊びの相手にもならへんわ」
言った途端、緒方の拳が悟の頬を捉えた。
悟が吹っ飛ぶ。
「アメリカのスパイとつるんでいる奴が、偉そうな口を叩くんじゃない、この、売国奴が」
緒方が、鬼のような形相で怒鳴った。
悟ごときに侮辱されたのが、よほど頭にきたのだろう。
唇から滴る血を袖口で拭いながら、悟が起き上がる。
凄まじい形相で自分を睨んでいる緒方の目をものともせず、悟が一気にまくし立てた。
「売国奴? よう言うわ。今の政治家の方が、よっぽど売国奴やないか。自己保身のために、アメリカや中国に尻尾を振っとんのは、どいつらや。綺麗事ばかり言いよるけど、結局は口だけで、実際はアメリカの言いなりで、中国のなすがままやないか。国を守ろうっちゅう意識の欠片も見えへんし、日本人の誇りなんて、微塵も感じられへんわ。あいつらは、自分が助かるためやったら、喜んで国を売り渡すやろ。マスコミにしてもそうや。よう歴史も調べへんくせして、よその国の非難を受け入れて、自分の国の批判ばっかりしとるやないか。俺みたいな、か弱い民間人を苛めとる暇があったら、そんな連中をどやしつけたったらどやねん。その方が、よっぽど日本のためになるやろ。おまえらも、そんなことはようわかってるはずや。権力が怖いんか、上からの圧力かは知らんが、そういうアホを野放しにしとるあんたらこそ、売国奴と違うんか。それにな、あんたらがどう思ってるか知らんが、俺はカレンを裏切る気もないし、別れたいとも思っとらんわ」
一気にまくしたててから、切れた口の中に溜まった血を、唾と共に緒方の足許に吐き捨てた。
のんびり屋の悟にしては、珍しいことだ。
滅多に怒りの感情を表すことのない悟だが、よほど緒方に嫌悪感を抱いたとみえる。
「きさま、もう許せん」
緒方が拳銃を引き抜き、悟に銃口を向けた。




