第8章 とぼけた男④
今にも引き金を引こうとした緒方の手首に、桜井の手刀が浴びせられた。
握った拳銃が、床に落ちる。
桜井はそれを拾い上げると、自分の腰に収めた。
「おまえは、口を出すな」
緒方の腹に、桜井が拳を打ち付けた。
緒方が、小さな呻き声を上げて蹲る。
「なかなか言うじゃないか。だがな、我々を舐めてもらっちゃ困る。いいか、杉村。これは、お遊びじゃないんだ。おまえがなんと言おうと、俺は、日本の平和を守る。杉村、おまえの知っていることは、どんなことをしても吐いてもらう。痛い目に遭いたくなければ、今のうちに、大人しく白状するんだな」
桜井が、これまでにない迫力を、悟に向けた。
だが、悟は、平然としているどころか、満面に侮蔑の笑みさえ浮かべている。
「まるで、ヤクザの台詞やな。痛い目って、なんやねん。殴るか拷問か知らんが、時代錯誤もはなはなしいで。今は、科学の時代や。自白剤とかあるやろ。そんなんやから、日本は舐められるんや。まったく、情けないわ。遊びやないって? 笑かしてくれるやんか。言うとくけどな、あんたらのやってることこそ、カレンと比べると、遊びと同じやで」
桜井が、小さなため息をつく。
「なぜ、カレンみたいな女が、日本人を、それもただの民間人を好きになったのか、ずっと不思議に思っていたんだ。なにか裏があるんじゃないかと疑っていたよ。でもな、今、なんとなくわかった気がしたよ」
そう言って、桜井が興味深そうに悟を見た。
「しかしな、おまえも知ってると思うが、今、東京には、ロシアの諜報機関と、赤い金貨という犯罪組織の、それぞれ最強と謳われている人物が潜入している。それに、カレンだろ。これを偶然と思うほど、我々も馬鹿じゃないんでね。放っておいたら、東京は大変なことになる。だから、我々に協力してくれないか」
「桜井さん。なにも、そんな奴に頭を下げることはありません。わたしが、なんとしてでも吐かしてみせます」
緒方が憎悪の目で悟を睨みながら、怒りに任せて声を荒げた。
いかなる時でも冷静沈着に行動するように訓練されてきたレンジャーにしては、少し頂けない。
ここでも、桜井は違和感を覚えた。
「痛みつけて吐かそうたって、無駄だ。この男は、一筋縄ではいかんよ」
感じた違和感をおくびにも出さず、桜井が落ち着いた声で、緒方を制止する。
「その通りよ。サトルは、拷問くらいで音をあげないわ」
桜井の言葉に続いて、女の声がした。
「そんなん、勝手に決めるなや。俺は、痛いのには、めっちゃ弱いんやで。って、カレンやないか」
少し興奮していた悟は、声音では気付かなかったが、声の主に目を向けて驚いた。
悟が目を向けた先には、カレンが腕を組んで立っていた。
背中には、大きなバッグを袈裟懸けに背負っている。
笑みを浮かべているが、目は笑っていない。
ぞっとするような冷たい目で、桜井と緒方を見据えている。
桜井が素早く拳銃を引き抜いて、カレンに銃口を向けた。
一拍遅れて、緒方も桜井に倣う。
さきほど取り上げられた拳銃とは別に、もう一丁隠し持っていたようだ。
それをちらりと横目で見た桜井の違和感は、ますます膨れ上がった。
が、今は緒方に構っている場合ではない。
「どうしてここが?」
油断なく銃口を向けながら、桜井は落ち着いた口調で尋ねた。
「まあ、そんなことはどうでもいいか。いいところに飛び込んできてくれた。大人しく、両手を上げてもらおうか」
二人に銃口を向けられても、カレンは腕を組んだまま、不敵な笑みを浮かべている。
「桜井さん、チャンスです。カレンを殺ってしまいましょう。カレンが死ねば、こいつも喋る気になるでしょう。
緒方は、勝った気になっている。
「あら、あんた達に、私が殺れると思ってるの? お馬鹿さんね」
銃口を向けられているというのに、カレンは小馬鹿にした口調でからかった。
明らかに、二人を挑発している。
「この野郎」
緒方が、易々とカレンの挑発に乗った。
引金に掛けた指に力を入れようとした瞬間、一発の銃声が轟いた。
桜井と緒方の拳銃が弾け飛ぶ。
二人が痺れた右手首を押えながら、呆然とした顔でカレンを見る。
緒方が撃とうした瞬間、カレンは組んでいた腕を解き、電光石火の早業で腰から銃を抜くと同時に、二人の銃を撃ち飛ばしたのだ。
あまりの早撃ちに、銃声は一発にしか聞こえなかった。
「相手を撃つときはね、黙って撃ちなさい。一瞬の遅れが、命取りになるのよ」
カレンの短い講釈の間に、悟が二人の落とした銃を拾い上げる。
「ちょっと、これ持ってて」
拳銃を拾い終わった悟に、カレンが背中に掛けていたバッグを渡した。
「重たっ!」
手に持った瞬間、あまりの重さに、悟が取り落としそうになった。
「よう、こんな重たいの、平気で担いでたな。一体、なにを詰め込んでるんや」
「宝箱よ」
そう答えて、カレンが緒方の間に立つ。
「サトルを殴った代償は、高くつくわよ」
カレンの目からは、凄まじい殺気が放たれている。




