第4章 孤高の女豹④
「やり過ぎだ」
ターニャの上官のニコルが、咎める視線をターニャに向けた。
白髪で紳士然とした風貌だが、鋭い眼光が、只者ではないことを物語っている。
「やり方は、わたしに任すと言ったでしょ」
ターニャはいたって涼しい顔で、平然と答えた。
「確かに、言った。だが、あそこまでやらなくてもよかろう。もし奴らが、我が国の仕業だと知ったら、このロシアで、テロが起こるかもしれないなんだぞ」
ニコルは、鋭い眼光でターニャを睨みつけている。
「わたしを、ハイエナ共の餌にしたから、無事に人質を救出できたんでしょ」
ターニャは、ニコルの視線を平気で受け流して、涼しい顔を崩さない。
「快く承諾しておきながら、何を言う」
反抗的なターニャの態度に腹を立てたのか、ニコルの眼光がますます鋭くなった。
「よく言うわね」
ターニャが、鼻で笑う。
「そもそも、あの作戦は、わたしが囮になる前提で立てられたものでしょ。わたしが断っていたら、どうするつもりだったの」
どうも、ターニャには帰属意識が薄いようだ。
規律の厳しいザスローン部隊に属していながら、ちっとも上官を敬っている気配がない。
「それは… まあ、君の言う通りだが」
痛いところを突かれて、ニコルが言葉に詰まった。
「しかし、あそこまでやらなくてもよかろう」
さきほどまでの、咎める視線は消え、苦々しい顔をした。
「命を張るのはわたしなのよ」
ターニャの目が、すっと細くなった。
「言っておくけど、わたしを飼いならそうとはしないことね。気に入らなければ、いつでも組織を抜けてやる」
ニコルの眉が、ピクリと動いた。
信じられないというように、かすかに首を振る。
「そんなことをすれば、死が待っているだけだ」
ターニャが、フンと鼻で笑う。
「わたしが死ぬまでに、組織の人間が、何人減るかしら」
言ったターニャは、ぞっとするような笑みを浮かべている。
これまでニコルは、ターニャが笑ったのを見たことがない。
いつも、能面のように無表情だった。
ターニャの笑みを見て、ニコルの背中に戦慄が走った。
自分の部下だから頼もしく思うだけだったが、もし、敵に回せば、、これほど恐ろしい存在はない。
ニコルは、今、そのことをまざまざと思い知らされた。
これまで、ニコルは、ターニャに数々のミッションを命じてきた。
そのほとんどが、組織の優秀な人間が何人掛かっても成し遂げられなかったものだ。
それを、ターニャ一人で、いともあっさりと片付けてきた。
ターニャは、獰猛な上に、狡猾で、生まれ持ってのハンターだった。
今回も、並みのエージェントならば、いくら命があっても足りないところを、つまらなそうな顔をして戻ってきた。
ターニャの言う通り、彼女が本気になれば、組織は壊滅的な打撃を受けることになるだろう。
ターニャの力をよく知っているニコルは、ターニャの言葉を否定することができない。
ニコルの肌に、粟が生じた。
「ターニャ、君は祖国を、このロシアを愛しているんだろう。だから、祖国のために組織に入り、祖国のために戦っているんじゃないのか」
ニコルが身を乗り出して、半ば宥めるように言った。
その口調には、微かに阿るような響きもこもっている。
「フン」
またもや、ターニャが鼻で笑う。
「あなたは、わたしの生い立ちを知ってるでしょ。それで、よく、そんなことが言えたものね」
ターニャを発掘して、組織に迎えたのは、他ならぬニコルだ。
ターニャの生い立ちは、わかり過ぎるくらいわかっている。
しかし、今更、ターニャがそれを持ち出してくるとは、ニコルには予想外だった。




