第3章 赤い守り神④
深夜、横浜の埠頭に、一隻の黒いゴムボートが音もなく接岸した。
乗っているのは、二人の東洋系の男である。
ボートは、沖合を航行しているカナダ船籍のタンカーから密かに降ろされ、静かに波を漕いでやってきだ。
船外機を取り付けてあるが、万一の時の逃走用のためらしい。
ボートが接岸すると、倉庫の陰にひっそりと隠れるようにして停まっていた黒塗りのベンツが、エンジン音をたてずに滑り出した。
ベンツを認めると、ボートから屈強な体付きの男が降り立った。
短く刈った髪に、頬の切り傷。
劉だ。
劉は、国際指名手配されている。
一般的には知られていないが、世界の数ヶ国で起こったマフィアと闇社会との抗争事件や、某国における政府高官の暗殺事件などの首謀者と目されていた。
そのため航空機は使用できず、ヘリで海上のタンカーまで行き、そこから日本領海に入ったのだ。
劉が降りると、ボートは来る時と同様、音もなく沖合へと引き返していった。
劉は、悠々とした態度で、ベンツの後部座席に乗り込んだ。
ベンツが、静かに発進する。
運転しているのは黄という男で、地下室で劉の凄まじさをまざまざと見せつけられた一人だ。
劉より一足早く日本に来て、下工作を行っていた。
黄がバックミラーを見る度に、劉の顔が目に映る。
劉は腕を組み、じっと前方を見ている。
瞬きは、ほとんどしない。
なんの感情もない死人のような目が、自分を観察しているような気がして、黄は居心地が悪そうに、何度も尻をもぞもぞとさせた。
「尾けられてるぞ」
埠頭を離れて十分ほどした頃、抑揚のない声で、劉がぼそりと言った。
劉の声は、錆びれた金属のようにざらついており、少しかん高かった。
聞く者を不快にさせずにはおかない、一度聞いたら忘れられない声だ。
黄が、バックミラーを見た。
暫く後ろに注意を払っていると、確かに、気になる車が一台いた。
最初は気付かなかったが、よく見ると、間に数台挟んではいるが、巧みにこの車を尾けているように思える。
「確かめろ」
黄が確認したのを見計らったように、劉が命令する。
黄は不自然に見えないように、何度かスピードを上げたり落としたりして、その車の反応を窺った。
目星を付けた車は、間に何台か挟みながら、スピードを合わせている。
間違いない。あの車は、自分たちを尾けている。
そう確信した黄は、劉の勘の鋭さに舌を巻いた。
運転している自分が気付いていなかったのに、後部座席からバックミラーを覗いただけで気付いたのだ。
あの死人のような目は、一体どこまで見透かしているのだろう。
あまりの薄気味悪さに、黄の背筋が凍った。
「どうしますか?」
震えそうになる声を抑えて、バックミラー越しに尋ねる。
劉が無言で、首を掻き切る仕草をした。
「どこにしますか?」
バックミラーで劉の仕草を確認した黄が、再度尋ねる。
「任せる」
「わかりました」
劉は、無駄な言葉を一切口にしない。
劉の許で仕事をする以上、端的な言葉から意図を汲み取らなければ、へたをすれば粛清されかねない。
そのとこは、組織から厳重に言われている。
事実、劉の意図を汲み取れず、聞き返した仲間が、地下室で瞬殺されている。
黄は、人気のない工場地帯へと車首を向けた。
こういった場合も想定して、黄は、埠頭からアジトまでの道を徹底的に調査していた。
この辺は、景気の良い時は二十四時間体制でフル操業するくらい活気があった工場群だが、不景気の今は、工場も夕方には停止し、真夜中ともなれば、人を見かけることなどほとんどない。
もちろん、走っている車もない。
つけているのが何者かはわからないが、この辺にアジトがあると思うだろうという思惑と、この辺ならば人気がないので、劉の仕事がやり易かろうという判断で、黄はここを選んだ。
黄がバックミラーで確認すると、ヘッドライトの明かりは見えなかった。
「よく見ろ」
さすがに、車も走っていないこの辺では、尾行がばれると思って諦めたのかと思ったとき、心を見透かしたように、抑揚のない劉の声がした。
黄が、目を凝らしてバックミラーを見る。
劉の言った通り、ライトを消した車のシルエットが確認できた。
彼は、人間ではない。
黄は、薄気味悪さを通り越して、恐怖を覚えた。




