第八話 今世、初めての狩り。
翌日、未明。
国外追放される前からの日課である、女神への朝の祈りを済ませてから、フランチェスカはひとり、山へと入った。
アッシュの家はアルブラン山脈に連なるブレモー山の麓に位置している。多くの尾根が折りたたまれるようにしてなるブレモー山は、故郷の……前世の故郷の山とよく似ていた。地形ばかりではない。植生もまた似ている。これはフランチェスカにとっては大変ありがたいことだった。
アッシュから借りた革靴に手製のカンジキをくくりつけ、ローブの上から藁で作った蓑を纏った。腰紐には地下貯蔵庫にあったナイフとロープ、縄で編んだ網をぶら下げる。背中に斧をくくりつけ、途中で拾ったナナカマドの枝を手に、雪山を進む。
夜も明けきらない早朝で、初めて歩く山の中であったが、不安も何もなかった。
一定の速度で歩きながら、フランチェスカの目は注意深く周囲を観察している。
マタギは、地図を必要としない。
そして、山の中で迷うことも、めったにない。
土地の起伏、岩の形、木々の生え方、葉の密集具合、枝振り、遠くに見える野山の形、吹きつける風の流れ。
それら全てを見て、感じて、覚え、頭の中で独自の地図を作り出していく。
フランチェスカの中の老マタギの経験は、きちんと引き継がれているのを感じた。
真白な雪原の中、獲物の痕跡を発見し、唇の端が持ち上がる。
腰にくくりつけていたワラダを取り出し、勢いよく宙に放った。ピュウ、と鋭く猛禽類の羽音に似た音が響く。
これは、鉄次が野ウサギを追い立てるのに良く使っていた、マタギの猟具だ。
直径は四、五十センチ程度で、見た目は円形の鍋敷きに似ている。藁や葡萄の蔓をドーナツ状に編み、真ん中に竹やナラの枝を通して固定し、持ち手を伸ばしたものだ。かつては、鉄砲の弾を撃ち尽くしたときに、山にある材料でさっさと拵えるものだった。
鉄次の子どものころは、近所の子どもとどちらがよりはやくワラダを作れるか、競ったりしたこともある。
このワラダを放り投げると、鷹や鳶の羽音に似た音を発することができ、野ウサギを驚かせ、追い立てることができるのだ。
予測通り、雪原に同化していた白い毛皮のウサギが何羽か、大慌てで巣穴に飛び込んでいく。
マタギにとって野ウサギは、とても馴染みのある獲物だった。マタギと言えば熊撃ちだと思われがちだし、実際、熊は特別な獲物ではある。だが野ウサギもまた、罠や鉄砲でよく獲っていた。
ウサギは、熊と同じく捨てるところがない。
肉も骨も内臓も全て食べられるし、毛皮はもちろん防寒具や小物に加工し使える。フランチェスカの記憶においても、ウサギ肉を食する機会は多かったし、白ウサギの毛皮のコートや帽子は貴族にも人気だ。
肉は食えて、皮は売れる。
鉄次が最も多く狩った獲物も、ウサギだった。
マタギの子どもは、くくり罠など、比較的簡単な罠を山にしかけて、獲物を獲る方法を学ぶものだ。鉄砲で初めて狙う獲物も、ウサギが多い。
なにせ、可愛らしい外見ではあるものの、野ウサギというのは農家にとって立派な害獣なのだ。果樹の新芽を食い荒らし、畑を荒し、と鬱陶しいことこの上ない。――とはいえ、それも鉄次が若い頃の話で、晩年には野生のウサギは随分と数を減らしてしまっていたのだが……この山では、獲物に困ることはなさそうだった。
雪原の中、白く色を変えた毛皮のウサギは見つけにくい。
それを猛禽類の羽音に似た音で脅かし、泡を食って巣穴めがけて逃げ出したところを追い詰め、捉える。
実に単純な猟法だが、非力なフランチェスカにも有効なものだ。
そうして見つけた巣穴に身体強化をかけた腕を突っ込み、暴れるウサギの首を折る。
――今世で、初めて己の手で為した殺生だった。




