第六話 できることはあるかしら。
「兄ちゃん、助けで! 母ちゃんがっ」
涙声でアッシュに縋り付いたのは、十にもならないほどの女の子だった。全身雪まみれで、吹雪の中を必死に歩いてきたのだろう。ラカン村の子どもらしく、アッシュの知り合いであるようだった。
「アンナ、マルタおばさんがどうしたの」
「やっ、山に、獲物獲りにいっだども、怪我してもうて……。それからえらい熱さ出ちまっただよ……っ」
「怪我? どこに、どのくらいの……。いや、いいや行った方がはやいか。準備するからちょっと待ってて」
アッシュはそう言うや、部屋に戻って布の鞄に小瓶や薬草を一杯に詰めて戻ってきた。ほんの数十秒の早業だ。真っ黒なローブの上に、さらに真っ黒な外套を羽織っている。
「ちょっと出かけてくる。吹雪いてて危ないから家からでないで」
「あ、あの、わたくし……」
一緒について行きたかったが、アッシュはフランチェスカの返事も聞かず、少女を伴って飛び出していってしまった。
玄関先に残されたフランチェスカは呆然と、小さくなっていく背中を見送るしかない。
戸口に立って気付いたが、アッシュの家は高台にあるようで、なだらかな下り坂が村落へと続いているようだった。吹雪のせいであまりよく見えないが、ぽつぽつと煙突の突き出た屋根が見える。
この家は、村の外れにあるようだ。
ぶるっと寒さに身震いをして、家の中に戻って扉を閉める。追いかけようにも、フランチェスカの手持ちの服はあの防寒仕様のないドレスだけ。この借り物の寝間着で出歩くわけにもいかない。
とはいえ、ひとりきりで家に取り残されて、手持ちぶさたになってしまった。
(どうしましょう……。せめて何か、アッシュが戻ってくるまでにできることはあるかしら)
ぐるりと家の中を見回す。雑然としているが、勝手にものを捨てるわけにはいかない。掃き掃除や拭き掃除くらいなら、やっても問題ないだろうか。
部屋の隅の螺旋階段を降りると地下室があり、そこに掃除用具などもしまわれていたので、引っ張り出して居間を掃除する。私室や、入ったことのない部屋は遠慮した。勝手に触るのはまずかろうと思ったからだ。
それほど広いわけでもない居間の掃除はすぐに終わってしまい、道具を片付けながら地下室を検分する。貯蔵庫も兼ねているらしく、芋や瓶詰め野菜など、いくらかの食料はあったが、十分とはとても言えない。どう見ても、数日分にも満たない程度しか備蓄がないのだ。特に、肉類は壊滅的だ。
他にあるものと言えば、焚きつけに使うのか、それとも何か用途があってとってあったのか、藁の束や木材が転がっているくらいか。縄や斧、鉈といった外仕事に必要な道具も纏めて壁際に吊されている。
これらの道具は埃を被っていたので、ここしばらくは使われていないのは間違いないだろう。
くう、と腹の虫が鳴き出したところで、一階に戻る。竈のまわりに水桶や食器棚、食料棚もあったが、そちらもほんの少しの野菜や干し肉がある程度だ。やはり、食料に余裕はないようだった。
何か調理して待っていようか。いや、しかし勝手に食料を使うのは。いっそ山に猟にでも行こうか。考えを巡らせているうち、アッシュが戻ってきた。出がけに布鞄に詰め込んで行った小瓶や薬草類はなくなっていて、代わりにライ麦パンとチーズを持ち帰っている。
事情を聞けば、あの女の子、アンナの父に薬のお礼として貰ったのだそうだ。
「この村、医者どころか薬師もいないんだよ。神殿もないから神官もいない。僕は一応、ポーションくらいは作れるからさ。怪我人とか病人が出たらポーションや薬湯を渡してるんだ。で、代わりに食料を分けてもらってる。この家も村長からそれで借りてるし」
「そうだったのですね。マルタさんでしたか、その方は?」
「足の傷は初級ポーションでふさがったし、熱冷ましの薬湯も飲ませたから、大丈夫だと思うよ」
大きな怪我や重い病気の場合、初級ポーションでは間に合わないこともあるが、多少の怪我や病気なら、十分回復する。神聖力による治癒を受けるのは、重篤な患者ばかりだ。とはいえ、本来初級であってもポーションだって高価なもので、通常庶民が世話になるのは薬師のつくる熱冷ましや傷薬がほとんどだろう。
アッシュはこともなげに言っているが、村長が家を一軒アッシュに貸したというのも理解できる。住まいを提供して、食料を分けるだけで初級ポーションがもらえるのなら、このような辺境の村人にとってありがたいことこの上なかろう。
なんせ初級ポーションは、街で売れば一本金貨三枚はするのだ。少なくとも、ライオネル王国ではそうだった。
「そうですか。それは良かったです」
「ごめん、お腹すいたよね。ご飯にしよう。……まあ、ろくなものないんだけど」
「あの、よろしければ、わたくしに作らせていただけますか?」
「え、君が?」
「はい、お任せください」
アッシュはフランチェスカに料理などできるのかと訝しげであったが、雪に濡れて身体が冷え切っていたので、任せてみることにしてくれたようだった。
風呂に入ってくると言われて、少し驚く。なんとこの家には、風呂があるのだ。ライオネル王国では平民の家に風呂があるというのは非常に珍しい。後でフランチェスカも入っていいと言われて、とても嬉しかった。
厚意に酬いるためにも、まずは料理だ。ふたりとも、朝からお茶しか飲んでいない。もうすっかり昼どきだから、腹も減るというものだ。
芋とにんじん、蕪があったので、乾し肉と牛乳も加えてミルクスープを作った。もちろん、このような料理をしたことなど、フランチェスカはない。けれど前世のマタギの記憶が、料理の手際も覚えていた。今世で実践するのは初めてであったが、包丁も記憶よりたどたどしくはあったが扱えた。練習すれば、鉄次と同じくらいには手際も良くなるだろう。
マタギは、山から授かった獲物を自分で捌き、料理する。だから鉄次はよく炊事をしていたものだ。
とはいえ、味噌や醤油、塩や酢、みりんといった日本食の調味料ばかりを使っていたので、洋風の料理は詳しくはない。フランチェスカがこれまで食べてきたものを思い浮かべれば、だいたいどういった味付けや処理をしていたのかは予想できたが。
(いずれにしても、食材も調味料も少ないわ。どうしたものかしら)
ライ麦パンとチーズを切り分け、チーズは火であぶって蕩けさせてからパンへとのせてみる。これだけでもなかなか美味しそうだが、やっぱり肉も野菜も乏しい。
(やっぱり、そうね……そうしましょう)
フランチェスカは決意した。
自分にできることで、少しでも恩返しをせねばならない。家から追放され、身分もなくし、所持金もない。そんな自分にできることは……。
――そう、まずは、山に入る準備からだ。




