第四話 命の恩人は魔法使い
二度目の目覚めは、随分とすっきりしたものだった。
あれほど高かった熱はすっかりと下がって、身体も軽くなっている。
ベッドの上で起き上がって、ぐっとのびをした。窓から外の様子を確認してみれば、どうやらもう朝のようだ。
少年の姿は部屋の中になかった。ベッドの横の椅子にはブランケットが乱雑にかけられていて、暖炉の火はほとんど消えかけている。道理で寒いわけだ。暖炉横の棚に薪があったように思うが、もう一本も残っていない。
薄い寝間着一枚では辛い寒さだ。記憶の中の鉄次は、マタギらしく寒さに強かったけれど、前世の記憶を思い出したからといって、寒さへの耐性まで得られるというわけではないようだった。
申し訳ないとは思いつつ、ブランケットを借りて部屋から出てみる。扉一枚隔てた向こうは、居間のようだった。扉の右手には、竈を兼ねた大きな暖炉があって、暖炉を挟んでもう一枚扉があった。少年の私室の小さな暖炉が部屋の隅にあったのは、居間の暖炉と煙突を共有しているからなのだろう。暖炉の火はほとんど熾き火になっていて、家中が朝の空気に冷え冷えとしている。
暖炉の前には大きめのテーブルと、ベンチがふたつ。そのベンチに、毛布を全身に巻き付けた少年が横になっていた。
テーブルの向こうには、壁際に三人掛けのソファーがひとつ。薬品のようなものがつまった瓶がたくさん並んだ棚がひとつ。右手側が玄関のようで、しっかりとした扉の足下にマットが敷かれている。左手の壁沿いにも扉がひとつ。それから、部屋の隅に螺旋階段がひとつあった。どうやら二階と、地下にも部屋があるらしい。窓から見える外は、相変わらず吹雪いている。
フランチェスカはそっと少年に近づいた。彼がこんなところで寝ているのは、己に寝床を譲ったからに他ならないのだ。このままでは風邪を引いてしまうかもしれない。
「あの……」
「ん……? ふぁ、わっ!」
そうっと声をかけたつもりだったが、随分と驚かせてしまったらしい。ベンチの上でとびあがった少年は、そのままドタンと転げ落ちてしまったのだった。
***
ふわりと鼻孔をくすぐるお茶の香りは、フランチェスカには馴染みのないものだった。数種類のハーブをブレンドしたものらしく、花の甘い香りのあとに、すっきりとした後味が残る。
「……美味しい」
「えぁ、よ、良かった……。あの、お、おかわりも、あるから」
「まぁ、本当にご親切に……。このたびは危ないところを助けていただき、本当にありがとうございます。わたくしはフランチェスカ……と申します」
シトロン、と家名まで名乗りかけて、なんとかこらえた。シトロン公爵家からも、既に追放された身である。適当な偽名を考えるべきかとも思ったが、命の恩人に嘘をつくのは躊躇われた。
「いや、えっと、別に大したことはしてないから、気にしないで」
「そうはいきません。このご恩は必ずお返しいたします。それで、あの、貴方のお名前は……?」
「えっ? あ、ああ。僕はアッシュ。アッシュ・クルーガー。魔法使いで……魔塔の魔法使いだから! もぐりじゃないからね、あ、怪しい研究とかしてないから!」
魔塔の魔法使い。
と、いうと……。
「まぁ。それではアッシュ様は、優秀な魔法使いでいらっしゃるのですね」
隣国コンステラ帝国のことは、王太子妃教育の中で相応に勉強してきた。女神の魔法を尊ぶライオネル王国とは事なり、帝国は魔法大国と言える。多くの魔法使いを宮廷が召し抱えているが、国から独立した魔法使いの研究機関も存在していた。魔塔、と呼ばれるその研究機関は、宮廷魔法使い以上の実力をもった者達が集う場所であると聞いている。
「えっ、いや……。まあ、そこそこ……?」
「ですが、魔塔は帝都の郊外にあるのでは……? こちらは……アッシュ様のご自宅でしょうか?」
「このあたり魔力濃度が高くて、珍しい薬草が多いから、研究の為に滞在しているんだよ。それより、そのアッシュ様っていうの、やめてくれない?」
「左様ですか。失礼いたしました。殿方に馴れ馴れしかったですわね、クルーガー様と」
「そうじゃなくて! 様とか、いらないから! 君、貴族だろう!?」
「まあ、何故それを!?」
フランチェスカは驚いた。アッシュは人と話すのが苦手なのか、常に居心地が悪そうにしてはいるが、フランチェスカに対して敬語をつかったりことさら丁寧に接したりはしていなかった。だから、貴族だとは気付かれていないのかと思っていたのだ。
この十七年の記憶の中で接したことのある平民といえば、使用人階級の者か、慈善事業で携わった孤児院や救貧院の者達ばかりだ。
そんな必要はないとどれほど言っても、彼らは常にフランチェスカに平身低頭していたものだ。アッシュのように砕けた言葉遣いで話しかけられたことはない。
「何故も何も。あんな上等の絹で仕立てたドレスに宝飾品を身につけてて、その立ち振る舞いで、解らないわけないよ。あっ、ぼ、僕も一応、一代限りだけど、爵位あるからっ。不敬とか言われても困るよ、苦手なんだ、敬語とか貴族の言い回し……」
「まぁ」
再度、フランチェスカは驚いた。
己の身分については、言われてみればあの姿で村娘とは思われないだろうと納得したので、それについてではない。アッシュが貴族の子弟だと言われても、さほど驚きはしなかったろう。驚いたのは、一代爵位を持っているということにだ。
コンステラ帝国において、一代限りの爵位というと、なんらかの大きな功績をたてた者に叙爵される男爵位がある。魔法大国の帝国では、魔法研究で大きな成果を上げた者がその対象となるのだ。アッシュはどう見てもフランチェスカと同じくらいの年頃のようだし、話し方や所作からして、貴族家の出身ではないだろう。それなのに、一代爵位を持っているということは、この若さで皇帝に認められる程の功績を立てたということに他ならない。
「本当に優秀な方なのですね」
「えぇ……。や、やめてくれよ、と、塔じゃたいしたことじゃ……っ」
感心しきりのフランチェスカのきらきらとした眼差しに、アッシュはよほど照れくさいのかあっというまに耳や首まで真っ赤になってしまった。




