第二話 マタギの爺さんと貴族令嬢
ストレス展開はここまで。ちょっと長くなってしまいましたが、次回からはのんびりスローライフの始まりなので、お付き合いください。
生まれは大正、東北の山村。マタギの家に生まれた鉄次は、祖父や父、兄たちがそうしてきたように、物心つく頃には山を遊び場に成長した。年頃になると、頭領の祖父にマタギとして生きる術を教えられて育ったものだ。
二度の大戦をくぐり抜け、熊を追って生きてきた。
戦争で父と兄を亡くし、祖父の後を継いで頭領にまで成った。
戦場の記憶はあまり思い出したくもないものだが、マタギとして、山を駆け、熊を撃ち、それだけで生きていけた時代は、鉄次にとって懐かしくも誇らしい日々でもあった。
しかし――世が平和になり、どんどんと経済が、社会が発展していくに連れて、マタギがそれだけで生きていくことは難しくなっていった。
かつては高く売れていたテンやバンドウの毛皮は、売れなくなった。
万能薬としてどこに持っていっても重宝されていた熊胆も、どこも買ってくれなくなった。 マタギはそのほとんどが廃業するか、農業や林業などとの兼業になった。鉄次も例に漏れず、農業との二足草鞋でなくば生活がなりたたくなったものだ。
それでも、鉄次の人生は、おおむね幸福なものだったと言って良い。
子宝にも恵まれ、孫の顔どころか、ひ孫の顔も見ることができた。生来健康体で、九十を過ぎても毎日山に入っていたが、流石に年には勝てなかったのだろう。百十歳の誕生日、家族に囲まれ、畳の上で穏やかに息を引き取った。
百十年、というのは、とても長い時間だ。
少なくとも、十七歳のフランチェスカにとっては途方もない時間に思える。その人生の全てを思い出せるわけではない。そもそも晩年の鉄次自身、昔の記憶などところどころおぼろげだった程なのだから。
だが不思議と、山に入って熊やカモシカを追っていた頃の記憶は鮮明だった。
きっと、それが鉄次の魂に深く深く刻まれた記憶だったのだろう。
己の生業に、それほどに誇りを持っていた男を、フランチェスカはどうしようもなく羨ましく思った。
つい先日まで、まったく知らなかった国の――いや、世界の。
片田舎の老人が、己の前世である、などと。そうそう信じられることでもない。なんせ、フランチェスカは、少なくとも十七年、淑女として生きてきたのだから。
しかしこれはきっと【輪廻転生】というものだろう、と。鉄次の記憶が、そう言っていた。彼の世界の宗教では、魂は生まれては死んでを繰り返していくものなのだという。
生まれ変わる先は、人間であったり、動物であったり、虫であったりするそうだ。
であれば、まったく違う世界で、貴族の令嬢として生まれ変わることもあるのかもしれない。
鉄次ならば、これは奇怪なこともあったものだと笑い飛ばしただろう。
孫やひ孫が好きな、漫画やらゲームやらのようだと感心しただろう。
けれど、フランチェスカにはまるで笑えない。
何故と言って――鉄次の記憶をなぞるほどに、今の己が惨めに思えて仕方ないのだから。
フランチェスカ・シトロンは、ライオネル王国の三大公爵家、シトロン家の長女として生まれた。唯一の嫡女として大切にされていたのは、フランチェスカが十二の頃までだ。
子どもが十になると神殿で受ける花開きの儀式がある。女神に無事十まで成長したことを報告し、感謝を捧げ、魔力の有無を判定して貰う大切な日だ。思えば、フランチェスカにとってこの儀式で神聖力を授かった頃が、最も幸福であったのかもしれない。
ライオネル王国は創世の女神プレミアーナへの信仰が強く根付いていた。女神を祀る神殿と王家は密接な関係にあり、その理由として聖女伝説がある。
女神プレミアーナが、世界が危機に瀕した時、その慈悲により加護を授けた乙女。それが聖女だ。
かつて強力な力をもった魔王によって人々が苦しめられていた時、聖女が現れ、魔を祓った。その聖女の末裔がライオネル王家だと云われている。
遙か昔の事だから、真偽の程は定かではないけれど、ライオネル王国ではそう信じられてきた。それだけに、神聖力……女神の魔法を扱える力を授かることは、大変な栄誉であるのだ。
女神の魔法は、魔法使いたちの使う魔法とは原理がことなり、祈りによって発現する。最も代表的なのは治癒魔法と浄化魔法だ。他にも他者の力を増幅する支援魔法と、自己強化の魔法がある。
このうち、治癒魔法と浄化……魔を祓う力だけは、神聖魔法でしか使えない。
フランチェスカもこの頃は、いずれ自分も治癒魔法が使えるようになるのだと信じていたし、両親をはじめ、親戚など周囲の人々もそれを期待していた。とても強い神聖力だと、大神官様に太鼓判を押されていたのだからなおさらだ。
しかし風向きが変わったのは、十二歳の冬、母が流行り病で亡くなってしまってからだ。もともと仕事を理由に屋敷に居着かなかった父は、母の喪が明けるやすぐに新しい母を連れて来た。フランチェスカとふたつしか違わない、異母妹、マーガレットとともに。
当初は継母の連れ子だと教えられていたのだが、実際には違った。マーガレットも花開きの儀式で神聖力を授かり、その時父は彼女を実子であると認めたのだ。
ライオネル王国は一夫一妻制で、妾を持つことは公的に認められていない。けれど政略結婚の多い貴族の中には、こっそりと愛人を囲うものは少なくなかった。とはいえ、不道徳な行いと後ろ指を指される行為であるのには間違いなく、本当は父も隠したかったはずだ。
しかし妻を長年裏切っていた事実が詳らかになることより、二人もの神聖力を授かった娘たちの父であるという名誉の方が、重要だったのだろう。フランチェスカの母が既に亡くなっていたのも大きかった。
父にとって、政略結婚で仕方なく一緒になった母よりも、長年の恋人であったリリアナと、リリアナとの娘であるマーガレットの方が可愛かったというのもあったのかもしれない。自分には冷淡な父が、継母と異母妹には甘やかな顔で接するのだから、どんなに鈍くとも察するというものだ。
こうしてフランチェスカは父と、継母と、腹違いの妹と暮らすことになり、当然の成り行きとして家庭内は新たに公爵夫人となった継母と、妹を中心に回っていくことになった。マーガレットが早々に治癒魔法を習得したものだから、いつまでも自己の身体強化しか使えないフランチェスカの肩身はいっそう狭くなったものだ。
父にとって、フランチェスカは目の上のたんこぶだった前妻と良く似た娘で、疎ましい存在だったのだろう。それでも、先代公爵が取り付けた王家との婚約と、大したことはできずとも神聖力を授かっている、という二つの要素から、最低限面倒を見るといった態度だった。継母がフランチェスカに何かにつけて辛く当たっても、体罰を加えても、常に見て見ぬ振り。いつの間にか使用人もほとんど入れ替わっていて、使用人達にも軽んじられ、無視されるようになったのもすぐだった。
瞬く間に家の中で居場所を失ったフランチェスカにとって、王宮に王太子妃教育に通っていた時間はかけがえのないものだった。
レイモンドとの婚約が整ったのは、フランチェスカが四つの頃である。それから厳しい教育を受ける合間に、レイモンドや、将来彼の側近となるだろう高位貴族の子息たちと交流を深めていたはずなのに。
育んだはずの絆は、いつの間に消えてしまったのだろうか。
十四歳で王立学院の門をくぐった頃は、婚約者や友人達との間に、亀裂など見当たらなかった。思い返せば十六歳の春、異母妹が王立学院に入ってから、だんだんと皆の態度が変わっていったのではなかったか。
――妹にもっと優しくしたらどうだい。
……そんなことを、レイモンドに言われるようになった時に、もっと注意しておくべきだったのではないか。
友人達がよそよそしくなったように感じたとき、きちんと話を聞いていれば。
卒業後、半年の準備期間をおいて王太子妃となるはずだったフランチェスカは、この頃多忙を極めていた。妃教育の大詰めを向かえるなか、父に代わって領地経営にも携わっていたため、ろくに休息も取れぬほどに忙殺され、周囲を気にかける余裕などなかったのだ。
もしかすると、その隙をついて、マーガレットが何か働きかけたのかもしれない。
自分の方が王太子妃にふさわしい。レイモンド様の婚約者を替わりたい。
マーガレットが最初にそう言い出したのは、数年前のことだった。そんなこと、できるわけがないでしょう、と言い諭したら、随分と機嫌を損ねられたのをよく覚えている。けれどいくらマーガレットを溺愛している父にも、王家との婚約を勝手に挿げ替えることなどできるわけもなく、困った顔でマーガレットを説得し、諦めさせたはずだったのだけれど。
あの子は、諦めきれなかったのかもしれない。
レイモンドが婚約破棄の理由にした罪は、フランチェスカには身に覚えのないものだった。それが己の所行ということになっているのなら、そう仕向けた者がいるはずだ。……それが誰であるかなんて、心当たりはひとりしかいない。
半分しか血が繋がっていないとはいえ、実の妹に嵌められたのだと思えば悲しい。
父にも見捨てられたのだと思えば、なおのこと。
けれど何よりも辛いのは、婚約者や幼馴染みたちに、あっさりと見放されたことだ。
フランチェスカの無実を、誰にも信じてもらえなかったことが。
積み重ねた努力が、全て無為になったことが――悔しくて、悲しかった。
もしも。
もしも母が生きていれば、こんなことにはならなかったのだろうか。
フランチェスカに治癒の魔法が扱えたら、あっさりと父に見捨てられなかったかもしれない。
苦しい息の下で、詮無いことばかり考える。
どうやら熱が出ているようで、身体が燃えるように熱くて仕方が無かった。あれほどの薄着で雪山をさまよっていたのだから、当然の結果であるけれど……。
食料もなく、燃料も確保できていない。そんな状況で体調を崩してしまっては、生き延びることはできないのではないか。
そんな不安に捕まりそうになった時だ。
ひやりと冷たい何かが額に触れ、柔らかな声がふってきた。
「大丈夫、もう大丈夫だよ。ここは安全だから。ほら、薬を飲んで――寝て起きたら、きっと熱も下がるから」
知らない声だ。
だけれど、敵意を感じない、優しい声だった。
朦朧とした意識の中で、何かが唇に触れたのに気付く。冷たい水が口の中に流れ込んできた。こくりこくりと飲み干せば、誰かがほっと溜息をついたようで――。
そうして再び意識はまどろみ、次に目が覚めた時、フランチェスカは見覚えのない部屋の中にいたのだった。




