09 歩み寄りの夜
「ごめん」
俯いたまま、呟くように言ったのはシェリーである。
穴があったら入りたい、とでも言わんばかりにやや大柄な身体を小さくして、ケントに背中を向けていた。
「いえ、こちらこそすみませんでした……エルフ族の方にそんな風習があるなんて知らずに」
「う、ううん、あの、ケントは悪くないの。私が勝手に突っ走っちゃって……そうよね、たしかセプトパールにはエルフはいないっていうし、ケントがエルフのこと知らないのなんて当然だよね……。それにその、ケントは亡くなった奥さんのことまだ愛してるって言ってたのに、私自分勝手なことばっかり言って……」
はぁ、と何度目かわからないくらいのため息をついて、ますますシェリーは猫背になる。
「あのねケント、私……落ちこぼれなの」
「シェリーさんが? 落ちこぼれとはどういうことですか?」
全身の力が抜けたかのように、ぼふ、とベッドに仰向けに横たわったシェリーの目には、うっすらと涙が溜まっている。
「私ね、魔法もろくに使えないし、錬金術だって回復薬も作れない。エルフなのに弓なんて使ったこともなければ、1人で森に入ったら確実に迷子になっちゃうくらい方向音痴なの」
シェリーは、あまり大きくない声で独白を始める。
陽が傾き始めたせいか、ガラス張りの窓からは淡いオレンジ色の光が差し込み、ガラスに描かれたシェリーのはにかんだような笑顔を照らしている。
「故郷でも落ちこぼれって言われて、見返してやろうって錬金術協会にもなんとか入って……200年以上頑張ってきたの。でもダメで」
「200年!? あ、あの……女性に年齢を聞くのは失礼かとは思いますが、シェリーさんは今何歳なんです?」
「え? そうなの? セプトパールじゃ女に歳を聞けないの? 変わってるのね。私は今381歳よ」
さらっと、何のためらいもなく答えると、シェリーは軽く肩を竦める。
「まぁエルフとしてはその……一応オトナで、子どもがいても不思議じゃない歳っていうか、まぁその……端的に言えば、行き遅れっていうか……」
照れくさそうな、それでいて何か痛みをこらえるような複雑そうな顔で、シェリーは俯いた。
「エルフにとって重ねた年輪は誇りなんだけど……ま、私はほら、あんまり胸を張れるような立派なエルフじゃないから」
ケントはじっとシェリーの顔に見入っていた。
控えめに言っても端正で整った顔立ちで、ケントから見ればどれだけ低い評価をしても美人であることは変わらない。長い髪は腰まで届こうかというくらいで、普段は三つ編みにしているがその編み込みも整っていて美しい。
「私ね、惚れっぽいっていうか……自分でもね、チョロい女だって自覚はあるの。今までに男で何度も痛い目みたしさ? 騙されたこととか、お金盗まれた事もあってさ? そのたびに男なんて懲り懲りだって思うの。でもね、10年もすればまた同じこと繰り返しちゃう。バカな女なんだよね」
「シェリーさんはバカな女なんかじゃありませんよ。馬車で僕に親切にしてくれましたし、それにドルマ王都でも――」
「それだってね? ……ホントは下心なのよ。一目惚れっていうのかな、なんていうかこう……優しそうで良いなって思ったの。それに話し方も優しそうだったし、あぁ真面目そうな男だなって、優しくて誠実なオトコなんじゃないかなーって。で、実際ケントは優しいし、真面目だし、それにすごく頭もいいし……何なのよもう、惚れちゃうでしょ、そんなの……言っとくけど、ケントがエルフの里にきたらモテモテよ? ただでさえ男日照りが何百年も続いてるし、オトコってだけで間違いなく引っ張りだこよ。それで優しくて真面目で誠実で……ってもう、エルフ女の5人に3人は結婚迫ってくるよ」
「…………シェリーさん……あの、僕はそんな」
「わかってる。ケントにはそのつもりもないし、今でも奥さんのこと愛してるのはわかってる。……でもさ、期待しちゃうじゃん……男に騙されてばっかで、50年以上恋人もいない、チョロいバカなエルフ女だったらさ、ケントみたいな男がいたら、どうしたって勘違いしちゃうじゃん……私じゃなくったって、惚れちゃうわよ……」
「僕は戦う事もできないし、金持ちでもありません。華やかな人間でもなければ、面白みもないと思いますが」
「そんな事無い! 私は男にそんなもの求めてない!」
突然シェリーが身体を起こし、ケントに顔を近づける。
「あの、さっきゴメン、その、無理やりキスとか……あ、セプトパールでは無理やりキスしたら死刑、とか……無い?」
「い、いえ、あの、驚きはしましたが……僕も、そういうことは妻と死に別れてから随分と久しぶりだったもので。まぁ減るものでもありませんし、気にしないでください」
「……ほら、そういうとこだよケント……私、真面目で優しくて、誠実で穏やかな男が良い……もうヤだ、もう騙されたり、捨てられたりしたくない……幸せになりたいよ……」
ぽろ、とシェリーの目尻から涙がこぼれ落ちる。
女性経験が非常に乏しいケントにとって、女の涙などというものは『どうしたら良いのかわからない』最たるものだ。
「ねぇケント」
「はい、なんですかシェリーさん?」
「……明日からも、私と一緒にパーティ組んでくれる?」
「もちろんです。『宵闇の光明』の光明はシェリーさんなんですから、いてくれないと困ります」
「え? 私てっきり、光明はケントだと思ってた……私がその、ダメな落ちこぼれエルフの宵闇で、私に手を差し伸べてくれたのが光明のケントっていう感じで」
「お互いがお互いにとっての光明、ということですね。それで良いと思います」
穏やかなケントの笑みは、何とかして踏みとどまっていたシェリーの涙腺を崩壊させるのに十分すぎるほど温かいものだった。
少し早めの夕食を済ませた後、ケントとシェリーは宿の1階にある食堂で、話を続けていた。
特にシェリーは、ケントの90年とは比較にもならない381年もの経験がある分、ケントにとってはいくら聞いても聞き飽きないものであった。
故郷のエルフの村のこと、両親のこと、幼馴染のこと、そして村を出て働いている今のこと。
少しばかり酒が入ったせいもあって、シェリーは饒舌だった。ケントはにこやかな、穏やかな笑みを浮かべて頷きながら、ときおり優しい相槌を打ちながら話に耳を傾ける。
「――でさ、私のお母さんは父の第8夫人だったんだけど、全部で奥さんが29人いるの。私は真ん中よりちょっと上くらいだったんだけど、31人姉妹の11番目だったの」
「すごいんですね、大家族じゃないですか」
「そうよね、エルフでも結構大家族だったの。妹たちは村に残った子もいるし、外に出た子もいるし……妹たちもお姉ちゃんたちも、みんな元気かなぁ、今頃どうしてるかなぁ」
ケントはなぜか少し嬉しそうに微笑んで、ワインに良く似たブドウジュースを一口飲み込む。
「どれくらいかなぁ、もう私60年くらい里帰りしてないけど、まぁ60年程度じゃ何も変わんないしね。それに里帰りするたびに『結婚はまだか』『婿はいないのか』ってうるさくて」
「あははは、そこはどの世界でも同じですね。結婚したら結婚したで、今度は子供はまだか、2人目は、とせっつかれますよ」
「そうみたい! 一番上の姉なんてもうそれでブチギレて、姪ちゃん連れて帰ってきちゃったの! ……そう言えばさ、ケントって奥さんがいたんでしょ? ……その……子供は?」
申し訳無さそうなシェリーに、ケントは悲しげな笑みを浮かべて首を横に振った。
沙織と不妊治療に取り組んだ時、不妊治療は保険適用されなかったため、慎ましい暮らしをしていた健人達にはあまりにも負担が大き過ぎた。
結局、体外受精などは試そうとも思えず、子供を諦めよう、2人で生きていこうと決めたのは、妻沙織が40歳になったときのことだ。
「そっか……じゃあケントは、まだ子供いないんだ……」
「はい。ですが……どうなんでしょう、僕に父親というものが務まるか、自信はありません」
「世の中の男って皆そうなんじゃない? 父親やったことがある人でもないと、自信なんて持ちようがないもの。エルフの父親なんてねぇ、ひどいのよ? 私なんて父の顔覚えてないもの!」
「えっ? あの、シェリーさんのお父様は、亡くなられたとか……?」
「違う違う! 生きてるの! えっとね、確か第22夫人だったかな? 特にお気に入りの夫人のとこに入り浸り。私に会いに来たことなんて、母から聞いた話じゃ2回か3回みたい。エルフの男としては優秀かもしれないけど、父親としてはクソよクソ」
けらけらと明るく笑うシェリーの表情に、昼間のような思い詰めたような気配はない。
「だからかなぁ……私さ、村を出るまで男を見たことがホントに全然なくって、村出てすぐに出会った男に一目惚れしちゃって……そっからかなぁ、私が幼馴染から『ダメ男製造機』とか言われ始めたのって」
「ダメ男、製造機? ですか?」
「そ。とにかくコロッと騙されちゃうの。困ってると助けたくなるし、お金が必要って言ったら出したくなっちゃうし……」
「なるほど、それは確かに」
思わずケントも即答して頷いてしまった。
「私ってさ、男を見る目がないの。それは自覚してるの。だから慎重になれ、勘違いするな、って言い聞かせてるんだけど……惚れちゃったらしょうがないじゃん? ねぇ?」
「ま、まぁ……それはそうかもしれませんね」
「でも、私はまだマシな方かもしれない。こうして、ケントみたいな真面目で、優しくて、誠実で、穏やかな人とパーティ組めたしさ?」
「わかりませんよ? 僕も本当は不真面目で悪どくて、シェリーさんに良からぬ欲望をもって近づいてるかもしれませんよ?」
「それでも良い。ううん、そうなってくれれば良い」
シェリーは細い腕を伸ばし、ケントの手に自らの手のひらをそっと重ねる。
「お金目当てでも良い、カラダが目当てでも良い。私を愛してくれるなら」
しばらくじっとシェリーと見つめ合っていたケントは、ふぅ、とひとつため息をつく。
「私、一度で良いから……ちゃんと愛されたい……」
「シェリーさん、もっとご自分を大事にしてあげてください。僕は確かに、エルフ族の皆さんのことをよく知りません。僕が考える常識と、エルフ族の常識は大きく離れているとも思います。ですが」
ケントは少し力を入れて、シェリーの大きめの手を握り帰す。
「シェリーさんのことは、もっと知りたいと思います。そんな相手が自分を粗末にしていては、僕も悲しいです」
「ケント…………私、待つから……ケントが、奥さんの事忘れないでも、私のこと愛してくれるまで、ちゃんと待つから」
少しだけ困ったような笑みを浮かべ、ケントは小さく頷く。
「だからケントも、私がケントの事を想ってるっていうことだけは、覚えておいて」
「はい、しっかりと覚えておきます」
しばしじっと見つめ合ったあと、シェリーは『うん、良し』と呟いて立ち上がる。
「じゃあケント、私先に休むね。ゴメン、今日ちょっと疲れちゃった。明日は商会長の家に行かなきゃだし、朝からガラス板用意するから」
「はい。おやすみなさい、シェリーさん」
「おやすみ、ケント」
テーブルに1人残されたケントは、ゴブレットに残されたブドウジュースをぐいっとあおると、上を向いて大きく深呼吸。
そして、誰にも理解できない言葉で呟いた。
「沙織さん、僕を許してくれますか……」
その問いに答えるものは誰もいない。
しばらく席でひとり佇んでいたケントは、会計を済ませて静かに部屋へと戻っていった。




