05 針の穴から覗いた世界
「ねぇケント、コレ何?」
二日酔いのせいか、やたらと頭が痛そうな顔で眉間にシワを寄せているシェリーが、早朝のケントの部屋で見慣れない箱をジロジロと睨みつけている。
やたら目つきが悪いのは、見慣れないものが目の前にあるからだけではなく、単純に二日酔いの頭痛と吐き気が原因だ。
「シェリーさん、そんなことより具合は大丈夫なんですか? 顔色がすごいことになってますが」
「あぁ、うん、大丈夫……ってごめん、ちょっと」
うぷっ、と実に嫌な音の直後、シェリーはどこかへと全速力で走っていく。
ケントは静かに1階へと降りていき、女将にジョッキいっぱいに水を入れて貰ってから部屋へと戻る。
しばらく待っていると、青白い顔色のシェリーが口元をおさえながらフラフラと部屋へ戻ってきた。
「ごめん、ケント……昨日やけ酒が過ぎちゃった……」
「そうみたいですね。どうぞ、水を」
「あぁ、うん……ありがと……」
「この分では、ガラスの加工はまた明日にしたほうが良さそうですね」
苦笑を浮かべたケントがシェリーをベッドに寝かせて、自身は硬い木の椅子に腰掛ける。
「ちょっと先に試したいことがあるんですが、昨日お話していた『色が変わる聖水』を頂けますか? 出来ればまだ色が変わっていないものをお願いしたいんです」
「あぁ、昨日言ってたアレね。はいコレ」
シェリーがカバンから取り出したのは、茶色いガラス瓶に入った液体だ。
「これに入れた状態なら、強い日の光に晒したりしなければ大丈夫みたい。……ねぇケント、そんなの何に使うの? あなたひょっとして何かに呪われてるとか?」
「呪いですか? いいえ、特にそんなことは無いと思いますが」
「だってそれ、一応聖水だよ? もし呪われたりしてるんなら神殿に行けば解呪して貰えると思うけど」
「いえ、大丈夫です。この聖水、ひょっとしたらですが……僕の考えが正しければ、すごいことになるかもしれません」
ケントはゆっくり立ち上がり、窓を閉めて部屋を暗くする。
宿屋とはいえ、狭く暗い部屋で若い男女が二人きりの状態。しかも女はベッドに横たわっている。
「え、ちょ、ちょっとケント……? あの、えっと、その、そういうことはその、エルフ女としては嬉しいんだけど、あの、出来ればお風呂に入ったあとというか、私昨日お風呂入ってなくって、汗の匂いがその」
「シェリーさん」
「あああああああの、あのっ、ちょっ、ね、ねぇ? あの、私一応経験済みなんだけど、ここ十何年かはそういう事もなくって、それであの、あんま慣れてるワケじゃないから、優しくしてくれると嬉しいっていうか、ね? ね、ちょ、あの、ケント……」
「ひとつ伺いんたいんですが」
「え、えっと、私とりあえず今独身で、決まった相手はいなくって、その、子供はまだ産んだことないんだけど、一応エルフとしてもちゃんと成人はしてて……あ、あの、一応胸は自信があるの! エルフにしては結構大きい方だと――」
シェリーが耳の先まで真っ赤にして、ベッドに仰向けになった状態でなぜか胸を覆い隠すように体の前で両腕を交差させる。
目を閉じて足をもじもじと動かし、何かを待っているような仕草を続けていたが、ケントはそんな『据え膳』状態のシェリーをスルーして机へと向かう。
「この聖水ですが、光に当ててからどれくらいの時間で色が変わりましたか?」
「…………は?」
「光に当てるとすぐに真っ黒になりますか? それか、徐々に色が濃くなるような変わり方ですか?」
しばらく瞬きを繰り返したシェリーは、なぜか不機嫌そうに身体を起こしてスカートの裾を降ろしベッドの上からケントの背中を睨みつける。
「徐々によ。……ね、ねぇケント? あなたってひょっとしてその、女性より男性のほうが好きとか、そういう感じ?」
「何の話ですか? あ、それよりシェリーさん、ちょっとお願いがあるんです。今の体調で平面のガラス板を作れますか? このジョッキで、出来ればこれくらいのサイズの板状のガラスが欲しいんです」
「作れるわよっ! もう!」
あからさまに不機嫌なまま、シェリーが指を動かす。
テーブルに置いたジョッキの一部が切り取られ、15センチ四方ほどの正方形の板ガラスが出来上がった。
「……す、素晴らしい……美しい、これは素晴らしいです! シェリーさん、あなたはやはりすごい人です!」
「えっ? ……え、そ、そう? ……でしょ? ね? そうよね? 私ってすごいわよね? 一応ほら、私もガラスしか扱えないけど、ガラスを操る術はドルマ王国でもかなりトップの方っていうかーー」
一気に機嫌が良くなったシェリーの話は、ケントの耳にはほとんど入っていなかった。
丁寧に、ほぼ真っ暗な部屋でケントは聖水の瓶の蓋を開け、ガラス板の表面に少量たらす。
魔法で生成されたガラス板の表面に、本来ならば透明な聖水が均一な膜を張っていく。ガラスの角を瓶の口に付けて、丁寧に余分な聖水を瓶の中に戻すと、机の上に置かれた木製の箱を開けてガラス板をそっと差し入れる。
「シェリーさん、今から見せることは、暫くの間は誰にも言わないでもらえますか?」
「え? あ、う、うん。良いけど……」
ケントは部屋の窓を開け、木製の箱を窓に近づける。
食堂の2階にある宿の窓からは、ドルマ王都の町並みが一望出来た。
1泊小銀貨3枚という安宿は、王都の中央部からは少し離れた小高い丘の上にある。不便な立地ではあるが、シェリーはこの宿の窓から見える景色が好きだった。
自分に絵心というものがあったら、いつか絵に描いてみたい、そう思えるほど好きな景色である。
「テストで何枚か撮らないといけませんね。おおよその感度がつかめれば良いんですが」
かしゃ、という軽い音を立ててケントが箱の二重の蓋になっていたような板を動かし、数を数え始めた。
箱の1つの面の中央には、針で開けたようなごく小さい穴が開けられている。
「……17、18、19、20」
数え終えてから素早く蓋を締め、また窓の覆いを閉じて部屋を暗くする。
木箱を開けてガラス板を取り出すと、テーブルの上に敷いた布の上にガラス板をそっと置き、ケントが手をかざした。
「まずは増幅」
ケントの手から赤い光がぼんやりと滲むように光る。が、ただそれだけで終わる。
「次に反転」
次は何の光も放たれない。何も起きていないようにも見える。
「最後に定着」
またしても、暗い部屋では何か変化が起きているようには見えなかった。
が、ケントが再び窓の覆いを開けた直後、シェリーは目を見開いて言葉を失った。
「やはり、こうなりましたか」
「…………えっ? え、あの、ちょ、えっ? ね、ねぇ、あの、それ」
ケントが持っていたガラス板には、絵のような模様が浮かび上がっている。
正確には、絵ではない。
今まさに窓から見えるドルマ王都の町並みが、まるでそのまま切り取られて写し取られたかのように、恐ろしいほど精緻に描かれたガラス絵であった。
窓から射し込む光にガラスを透かして、ケントはやはりもう少し露出を、とか現像はすこしばかりしっかりした方が、とぶつぶつ呟いていたが、その表情はケントにしては珍しく頰が紅潮し、ベッドに横たわる美貌のエルフ女を前にしたときよりも遥かに高い興奮を覚えていることだけははっきりと見て取れる。
「ねぇケント! それ!」
「あぁシェリーさん!」
そっとガラス板を机の上に置くと、これまでの2日間で1度も見せたことがないほど嬉しそうな表情で、ケントがシェリーに大股で歩み寄り、その両手をしっかりと握る。
「やはり! やはりあなたは素晴らしい!」
「えっ? えっと、あの、ごめんケント、あの、私何がなんだか全然わかんないんだけど」
手をしっかりと握られたシェリーは再び顔を赤くしながら、少し潤んだ目で上目遣いにケントを見上げた。
「その……い……良いよ? あの、優しくして……」
「シェリーさんの聖水は本当に素晴らしい! あと何回か調整は必要ですが、これなら! これなら行けると思います!」
「へ? ……ね、ねぇケント? あの、私……」
「シェリーさん! あなたが欲しい!」
「は、はい、どうぞ」
ぎゅっと手を握りあったまま、ケントとシェリーは見つめ合う。
だが、非常に残念なことに、2人の考えは同じどころか交わってすらいない。
「是非さっきの板ガラスと、あと聖水を僕に作ってください! それから、体調を整えてから昨日お話したガラスの加工を!」
「……………………は?」
「素晴らしいです! これなら! この聖水とガラスがあれば! あとはそうだ、シャッター機構を作らなければ! そうですね、ソルントンシャッターなら構造も簡単ですし、きっと作れるはず。ピンホールが1ミリ、焦点距離が200ミリだとしたら、絞り値は400くらいになるでしょうか……それ20秒露出でほんの少しオーバーになるくらいですから、感度は多分ISO50といったところですか。十分実用できる! これなら屋外なら十分実用可能な感度です!」
「ね、ねぇちょっと、ケント? あの、私がほしいって……?」
「はい! シェリーさん、あなたが作るこの完璧な平面のガラス板! そしてこの特殊な聖水! これは素晴らしいものです!」
「…………え、えっと……とりあえず、私一回下着脱いじゃったんだけど……履いた方が良い……?」
「え? な、えっ? ど、どうしてそんな、若い女性がはしたないですよ! 着てください! 僕は一旦でてますから!」
大慌てで部屋をでていったケントの姿を見送ったシェリーは、実に不満そうな顔で1度は脱いだ下着をはき直す。
ついでに、ところどころ『脱がせやすいように』と外していたボタンをとめ直してからドアを開けた。
「良いわよ、ケント」
「あ、あのシェリーさん、目を開けても?」
「良いわよ。ちゃんと服も着てるから。……ねぇ、セプトパール大陸の人ってみんなケントみたいな感じなの?」
「僕のような感じ、というのは……?」
「堅物、朴念仁。……私もさぁ? 一応ほら、エルフ女だし? そこそこ見た目には自信はあるのよ? そんな私がもうほら、お酒が残った状態でベッドに横たわって、そんな女に『あなたが欲しい』なんて言ったら……ねぇ? そう思うじゃない? 食べられちゃうって考えるのが普通じゃない?」
「食べ…………え……」
次第にケントの表情が驚愕へ、そして顔を真赤にして後退り、両手をブンブンと振り始める。
「ああああああああああすみ、すみません! あの、そういうつもりでは! 申し訳ありません! 不用意でした!」
「え? あ、あの、ケント?」
「シェリーさんのような若い女性に対してなんて失礼なことを……すみません! あの、そんな、女性に迫るような意図はなかったんです!」
「……ねぇ、それって私に魅力がないって言ってる?」
「とんでもない! シェリーさんはとても美しい方です! 出来ることならポートレートを撮らせていただきたいと思えるくらい!」
「ぽーとれーと……っていうのが何かはわからないけど、とりあえずは、私に魅力を感じてくれてはいる、って思っていいのね?」
なぜかシェリーは、わざわざ1度整えた衣服を少しはだけて、胸元を強調するように前かがみになってケントを見上げる。
「じゃあほら、ケントも男だし、『そういう欲望』だってあるんでしょ?」
「え、えぇ、まぁその……正直に言えば。ただその……申し訳ありません、僕は妻を亡くしておりまして、その、妻のことを今でも愛していますので……」
「えっ? ケント、あなたって結婚してたの!?」
「えぇ、まぁ子供はいませんでしたが」
「……そっか、亡くなった奥さんのことを忘れられない、かぁ……」
「はい。ですのでその……すみません……」
「ね、ほかの奥さんは? あと何人いるの?」
「え? ほかの……? え、な、何人というのは?」
「えっ? 奥さんよ? ケントって優しそうだし、ヒト族だけど嫁の4、5人は居て当たり前でしょ? セプトパール大陸に置いてきてるの?」
「い、いいえ! とんでもない、僕の妻は1人だけです!」
「えっ!? そうなの!? 何で?」
「いや、何でって……僕の故郷では、夫婦はそれぞれ夫と妻が1人だけですよ。そんな、何人も妻を持つなんてことはありません」
「……うっわ……信じらんない……それでよく種族が滅びないわね? セプトパール大陸ってどうなってんのかしら……でもそっか、あっちの大陸とこっちじゃ全然風習が違うのね。少なくともロディナル大陸のエルフ族では、夫1人に妻10人ってのが普通なのよね。そもそもエルフは男が少ない種族だし、エルフ男は妻を5人もってようやく一人前ってみなされるの。だからねぇ、正直言うと……妻が1人だけとか、私から見ると『ホントに大丈夫?』って思っちゃう」
唖然とするケントだったが、シェリーの表情は真剣そのものだ。
「随分とその、風習というか文化が違うんですね……」
「そうみたいね。でさ、アレよアレ! あの絵! セプトパールではアレが一般的な絵なの!?」
シェリーが『アレ』と指さした先にあるのは、1枚のガラス板。
だが、シェリーも誰も知る由もなかった。
歴史あるドルマ王国の王都を写し取ったそのガラス板が、バルゴの世界で初めて撮影された『写真』であるということを。




