46 暖かい冬
ツァイス伯爵領が雪に閉ざされる期間はおよそ4ヶ月にも及ぶ。
晩秋から初春の間は、城壁の外には大柄なノーム族の腰の辺りまで雪が積もるため、主要街道に限って伯爵の騎士団による除雪作業が毎日のように続けられる。
冬の間はかろうじて最低限の流通が確保されているものの、春から秋にかけての活発な人や物資の行き来は鳴りを潜めることになる。そのため、夏の終わりから秋にかけて、領都の人々は冬支度に勤しむのが常である。
「まぁ冬支度と言えば保存食の確保と、何より暖房の要となる薪の確保ですな。いずれもおろそかにすれば冬を越すことはむずかしくなりますぞ」
「そ、そうですか……帝都も同じような感じなんですか?」
「ふむ、冬に限って言えば、帝都は周辺の都市と比べてもかなり過ごしやすいはずですな。帝都周辺には広大な穀倉地帯も広がっておりますからな、食料の備蓄も豊富です。燃料についても、薪に加えて氷と炎の魔道具が普及しております。アレは便利ですぞ。我が家にも各部屋にひとつ設けておりますからな、夏は涼しく冬は暖かくなります」
「エアコンのようなものもあるんですね。そう言えば夏はまだ経験していませんでしたが……どれくらい暑くなるんですか?」
「ふむ、『えあこん』とやらが何かは知りませんが、まぁ夏は日向を歩くと汗ばむ程度ではありますな」
ロディナル大陸南方にあるインダスター帝国は、大陸内でも四季がはっきりしているほうだ。夏は短くおよそ2ヶ月程度で、秋と春がそれぞれ3ヶ月程度。冬最も永く半年ほどになる。
「基本的にインダスター帝国は大陸北方と比べると冬が長い国ですな。だからこそ賢明なる陛下は周辺国とも友好関係を築き上げて、貿易を活発にしておるのです。我が帝国は魔石資源が豊富ですからな。イーストマン大渓谷近くでも魔石鉱山がいくつか稼働中です。あの不届き者のフォン・ハイ家のやつばらも、今頃鉱山で国民のために汗をかいておることでしょう」
「魔石、ですか……」
ケントはまだほとんど目の当たりにしたことが無いが、魔石は鉱山から採掘されるものもあれば、いわゆる魔物と呼ばれるものが大気中の魔素を蓄積して、体内で結晶化させたものも存在する。
安定的に供給されるものは鉱山から産出されるものが主で、基本的に特定の属性を持たない『無属性』とよばれる魔石だ。
「魔石は、魔道士などの魔力を潤沢に持たぬ者にとっては生命線と呼べるもの。炎と氷の属性をもつ魔道具……我々は『空調』と呼んおりますが、この魔道具を稼働させるのにも魔石が必要です」
「なるほど、電池のようなものなんですね。少し理解できた気がします」
「ふむ……婿殿はときどき我々も知らない言葉を使いますな。その『デンチ』というのはセプトパール大陸の言葉ですかな?」
「ま、まぁそのようなものですね。それよりディエゴさん、今日はラウラさん達はお出かけのようですけど、こんな寒い日にどこへ? シェリーさんとマリアさんもまぁ仲直りというか、お互いの考えが分かった、というようなことを言っていましたので、もう問題は無いと思いますが」
「まぁ、婦女子には婦女子にしかわかり会えぬものがありますからな。こういう時、男は黙って女の帰りを待つものですぞ、婿殿」
ケントは苦笑を浮かべて、テーブルに置かれた大きいマグカップのコーヒーをちびりと飲み込む。
少し肌寒い部屋の中で、熱めに淹れられたコーヒーが身体を内側から温めてくれる。
ケントとディエゴ、婿と舅が暖炉の炎の前でコーヒーを楽しんでいる間、女性陣は揃って領都に新しく出来た人気のスイーツ店へと繰り出していた。
席についているのは、ラウラとマリアの母娘に加えてシェリー、さらに大柄なノーム族の女性が2人。
「まぁ、たまにはこういう店も悪くない。私も女だからな、甘味はキライではないぞ」
そう語った領主、ユリア・ツァイス伯爵の眼の前には、冬至の祭礼の際によく出されるという、切り株を模したかなり大きなロールケーキの皿が置かれている。
グラスになみなみと注がれているのはコーヒーや紅茶ではなく、琥珀色の蒸留酒だ。
「閣下、スイーツに酒は合うんですか?」
「当たり前だろう。合うから呑んでいる。なんなら貴様も飲んで構わんぞ」
「まだ仕事中ですから」
同席のエルマーは苦笑しながら、暖かい紅茶一口含んでから、砂糖漬けにした保存食のベリーを使ったタルトを頬張る。
「なんだ、上司の酒が呑めんのか」
「閣下、領民の前ですよ?」
「だからどうした。私が酒を飲むことくらい誰でも知っているだろう」
ユリアの言葉通り、伯爵が店で一杯呑んでいく姿はもはや日常で、誰も咎めるものなどいない。店で一番高い酒を頼み、そこかしこで金を落としていく姿は、むしろ領民からは歓迎されている。
「言っておくが、我が領の法に『領主は勤務中に飲酒してはならない』などという取り決めはない。したがって、私は法にも条例にも規則にも背いておらん」
「はいはい、わかりましたわかりました」
既に四杯目となる蒸留酒を飲み干して、給仕の娘に空のグラスを掲げて『次はシェリー酒の20年ものを』と追加注文する。
呆気にとられているシェリーとマリアは、眼の前のチーズタルトを食べるのも忘れて、フォークを持ったままの手が止まってしまっている。
「わ、わたくしまだ蒸留酒は呑んだことがございませんけれど、あんなに紅茶のように飲めるものなんですの……?」
「何言ってるのマリア! ダメよ? 閣下みたいな飲み方したら倒れちゃう!」
慌ててシェリーが止めるが、シェリー自身もさほど酒に強いわけではない。嗜む程度に飲むが、酔うと呂律が回らなくなる上、身体が火照るのかすぐに脱ぎだしてしまう。
マリアはワインを少々飲む程度で、まだ本格的に酔ったことはない。母ラウラに止められているためだ。
何を隠そうラウラはかなりの酒豪で、酒量が多いディエゴも『ザルどころか網目すらない、ただの枠』『妻の喉を通り過ぎたら、酒からは酒精が消え失せるのでは』と表するほど、いくら呑んでもまったく酔うことはない。すこしばかり身体が温まって上機嫌になり、よく笑うようになる程度である。
「寒い日に酒を飲むと、いっときは体が温まったように感じるけれど、その後身体は冷えるから注意なさい」
ラウラは冷静に、マリアとシェリーに告げると自らはホットワインを優雅に飲む。シナモンと干したオレンジを加えたホットワインは酒精も飛んで身体を温める効果が高い。
「そうそう! 雪が積もった日に寒いからってお酒のんで、そのまま外に出て身体冷やしてたら次の日風邪引いちゃったこともあるの。マリアも気をつけないとね?」
最も気をつけなければならないシェリーが、相変わらずお姉さん風をぴゅーぴゅー吹かせている。
「そう言うシェリー、貴様は呑まんのか? 酒なら私が奢るぞ」
「いえ、あの、私は今日は呑まないです。大丈夫です」
「ほう? 貴様はワインの類なら飲むと聞いたが?」
「私、ケントの赤ちゃんがほしいんです。だから、赤ちゃんのために出来ることは何でもやっておきたくて……」
シェリーは少し頬を赤らめながらも、真正面から大柄な女伯爵と女騎士を見返していい切った。ラウラとマリアの母娘は、どこか満足げに頷いている。
「私はエルフだから、なかなか子供が出来ないと思います。でも、私はケントの子供を産みたいんです」
「そうか。まぁ貴様はケントと婚約した身だ。子供を持ちたいと願うのも道理だろうな」
「でもシェリーさん? ケントさんはもう正式に準男爵に叙爵されたのよ? そうなればシェリーさんもマリアさんも、準男爵婦人になるんでしょ? 正式な結婚前に子供というのはちょっと……」
「あっ……そ、そっか……私まだ、正式に結婚してないから……」
「なんだ、その程度のこと、悩むほどのことでもあるまい? 正式に結婚しなければ外聞が悪いというのであれば、さっさと結婚してしまえ。貴様の様子だと、どうやらケントも吹っ切れたようだしな。ちょうどもうすぐ冬至の祭りだ。そのタイミングで、領内のバルゴ神殿で結婚の誓いを立てればいいではないか」
実にこともなげにユリアはとんでもない事を口にするが、本来貴族の婚礼というのは入念な準備をするものである。
来客を招待したり、宴の手配をしたり、婚礼衣装の準備をしたりと、場合によっては年単位の準備期間を設ける。
「なぁに、心配するな、冬至の祭りは来月だったな? こういう時は周りを思う存分巻き込め。後から謝礼にケントの光画でも出してやればいい。釣りが返ってくるぞ」
にや、といかにも『悪企みをしています』と言わんばかりに笑みを浮かべ、20年物のシェリー酒を半分ほど飲み込む。
喉を焼くような強い酒精の感覚を楽しんでから、ユリアはこの中で唯一の既婚者、ラウラに目を向ける。
「そうだろうラウラ? いつも先回りしている貴様が、まさか何も準備していないわけではあるまい?」
「えぇ、もちろんです閣下。当家なら1ヶ月と言わず、2週間で準備を整えられますわ。もっとも、来客の招待については、閣下にお助け頂く必要がございますけれど」
「はっははは、そう来ると思っていた。実はな、私も先んじて動いている。何しろ私の右腕でもあるディエゴの娘の婚礼だ。私の上官であるクラウディア殿下に声をかけてある。あのお方なら招待客を集める事程度、造作もなかろう」
「さすが閣下。ではあとは宴の手配の仕上げ、人数合わせだけですね」
「うむ。招待客に関してはこの私に任せろ。当日の街道整備に馬車の駐車場所、それに警備はエルマー、貴様が差配しろ。ラウラは婚礼の式典全体の流れの取り仕切りだな。引き出物に関してはディエゴに丸投げすればいい。そうだ、いっそのこと陛下もお呼びするか? 皇帝陛下と皇后陛下も臨席を賜ったとなれば、貴様らの結婚式も――」
「ちょ、ちょっと待って下さいませんこと!? 閣下、あまりにも話が大きくなりすぎていますわ!」
「何を甘ったれたことを言っている。貴族の婚礼などこういうものだ。親や周囲、それに親が所属する派閥のトップの当主が動くのは当然のこと。貴様も貴族令嬢ならばそのくらいは覚悟していたと思っていたがな?」
「わ、わたくしはいいとしても、お姉様が! お姉様は市民ですのよ?」
「いいの、マリア。私は大丈夫」
シェリーは健気に、だが少し青ざめた顔で少しばかり震えながら、実に複雑そうな顔を向ける。
「大丈夫、だと思う……多分……」
シェリーとマリアの前に置かれた紅茶は、もはや湯気も立てていない。
焼き立てだったチーズタルトは、すっかり冷めてしまっていた。




