45 姉妹の秘密
「お姉様、抜け駆けしましたわね」
ブロニカ商会長邸に入るなり、シェリーはマリアに腕を掴まれた。
ケントとディエゴ、それにラウラが応接室に向かう中、マリアはシェリーを引っ張って廊下の物陰の壁に押し付けた。
「え、な、なに? 何のこと?」
演技やウソが下手にも程がある、というくらいあからさまに動揺して、シェリーはマリアから目をそらす。
が、マリアはシェリーを見上げるような立ち位置ながら、『顎クイ』のような仕草でシェリーの顔を自分に向けて、自らの顔を近づける。
「お姉様」
「ひぇ」
「旦那様と、その、あの、えっと…………あの、アレを……」
「し、してない、してないよ? そんな、ケントに初めて『愛してる』って言われたのが嬉しくって、つい盛り上がってそのまま勢いでベッドに一緒に入って結ばれて、夜明け前までいっぱい愛し合って、私も十何年かぶりだったからすごく嬉しくって泣いちゃうくらい感激して、ついでに今日の朝もケントに愛してもらったなんて、そんな事全然ないから!」
「お姉様?」
「ひぅう……」
「抜け駆け、しましたわね? 私のいないところで」
マリアの顔は怒りに染まっているというよりも、何故か少し嬉しそうである。
「ご、ゴメンなさいマリア、あの、でもね? あの、ケントがその……」
「お姉様! 是非くわしく聞かせてくださいまし! 旦那様とどう愛し合って、お姉様が旦那様の旦那様をどうやって、それに最後どうやったのか!」
「え、ちょ、マリア?」
「私……花嫁修業でその、医学的な、あの、アレです……エルフ女がどうやって、その子供を作るのかを……そ、そういうことも少し、学んではみましたけれど……」
マリアは、エルフ族とノーム族の混血ではあるが、どちらの種族からしてもまだ『小娘』や『お嬢ちゃん』と呼ばれるような年頃だ。性に関しての興味関心はあるものの、正確な知識があるか否かと言われたら、ほぼ無かったも同然だ。
母ラウラや、臨時で新しく雇った嫁入り前の花嫁修業専門の家庭教師により、座学での知識は授かっているものの、実践に関しては想像すら出来ていない。いわば『耳年増』の状態である。
「あの尊い、美しい愛をお持ちの旦那様が! どうやってお姉様を愛するのか、お姉様がどうやって旦那様の愛を受け入れるのか! ぜひとも聞きたいですわ! 書き留めたいですわ! 出来ることならこの物語を! あまねく! 愛に惑う多くの人に知らしめたいですわ!」
「ダメダメダメダメダメ! ちょ、ちょっとそれはダメ! ね、ちょ、あの、落ち着こ? ね? ちょっと落ち着いて話そ?」
「私落ち着いておりますわ! だだだだって旦那様の旦那様がシェリーお姉様の中に――」
「あああああああ! ダメ! それ以上ダメ! ちょ、あ、あの! ラウラさん! ラウラさ―ん!?」
かなり混乱が大きくなったところで、ディエゴとラウラ、それにケントが戻って来る。
マリアは興奮のあまりか、美しい顔を流れ落ちる鼻血を拭おうともしないでシェリーに壁ドンの状態のまま。傍から見れば二人がつかみ合いのケンカをしているようにも見える。
「ど、どうしたんですか! シェリーさんもマリアさんも何をしてるんです!」
「ち、違うの! あの、ケント、あのね? これは違うの!」
「旦那様! わたくしも旦那様の旦那様が旦那様に旦那様で――」
「喝!」
意外な声を上げたのは、最も小柄な母ラウラであった。
「静かになさい、お二人とも。特にマリア、あなた鼻血が出てるじゃない。救護室に行きましょ。ほら、歩けるわね? シェリーさんはケントさんと一緒に。あなた、お二人と一旦応接室に行って落ち着いて頂戴」
「うむ。では婿殿、シェリー殿はこちらへ。シェリー殿はお怪我はありませんでしたかな? マリアはああ見えてかなりの怪力ですからな、力の使い所と使い方は間違えぬように教育しておりますが……」
「あ、あの、はい、大丈夫です……」
「シェリーさん、マリアさんと何かトラブルが……? 良ければ僕がマリアさんと話をしてきましょうか」
「だだだだ大丈夫! 大丈夫だから! あの、ちょっとマリアも私も興奮しちゃって……なんていうかその、これはね? ディエゴさんもケントさんも入り込めないっていうか、その……そう、あの、女の秘密! 乙女の事情ってやつなの! だからね、大丈夫。私がちゃんとマリアと話もするから。ね? ケントは心配しないで――」
「ダメです、心配ですよ」
ケントはいつになく強い口調で良い、シェリーの両肩に手をおいた。
「良いですか? シェリーさんもマリアさんも、僕の妻になってくれる大切な家族です。家族の間で何か揉め事があるのなら、それは家族が協力して解決しなければいけません」
「あ、あの、えと、それはそうなんだけど……」
「ふむ、確かにそれは婿殿の言う通りですな。かく言うこのディエゴも、ラウラを愛するあまり衝突することもありましたが、最後には二人の絆と愛の力で――」
「あなた」
ディエゴが語り始めたのをすかさず停めたのは、実質的なブロニカ家の舵取りであるラウラだ。
「マリアも落ち着きました。とりあえずは食事の用意をさせますから。マリア、あなたはシェリーさんにケントさんと、ちゃんと話をなさい。良いわね?」
「……はい、お母様……」
先程までの熱量はどこへ行ったのか、マリアはすっかり大人しくなり、何故か一冊の本を抱えておずおずとシェリーの前に進み出ると、鍛え抜かれた体幹が見て取れるほど、深々と頭を下げた。
「ゴメンなさいお姉様……わたくし、まだ未熟でしたわ……花嫁修業が足りておりませんでしたの……」
「マリア……」
シェリーは静かにマリアに歩み寄り、優しくハグをする。
ぽんぽん、と優しく背中を叩き、まるで姉が幼い妹を宥めているかのように髪を撫でて、優しく優しく抱きしめている。
「ごめんなさいマリア……私も色々その、驚いちゃって。ゴメンね?」
シェリーの、エルフ族にしては大きな胸に顔をうずめるようにマリアが頷く。
「……とりあえず、2人とも落ち着いたわね? じゃあ夕食の用意が出来たら呼びに行くから。ほら、3人でよく話してらっしゃい。それからケントさん?」
「は、はい。なんでしょうか?」
ラウラはケントに歩み寄り、ちょいちょいと招き寄せるようにケントに顔を寄せさせる。
「マリアは『まだ』ですからね? 花嫁修業が終わるまで、もう少しお待ちなさい。出来ますね?」
そう告げて、笑みを浮かべてからディエゴの背中を押すように廊下の奥へと消えていった。
「旦那様、お姉様。部屋へ参りましょう。こちらですわ」
マリアが案内したのはマリアの自室である。
装飾を抑えた簡素な机に、壁一面を天井まで覆う膨大な書籍を収めた本棚、そして広く寝心地の良さそうなベッドと螺鈿細工が施されたテーブルとソファ。
大富豪の商会長令嬢の部屋としてはコンパクトで、また装飾の類もかなり抑えめである。
「ごめんなさい、お姉様」
部屋に入り、ケントとシェリーをソファに座らせるなり、マリアは深々と頭を下げた。
「あ、あの、マリア、私は別に何もそんな」
「わたくし……羨ましかったのです……旦那様に愛を頂いたお姉様のことが」
「え、あの……その、何でその事を……?」
前日の夜、ケントから初めて愛の囁きと抱擁を受けたシェリーは、そのままベッドでケントと結ばれる、実質的な『初夜』を迎えている。
だが、その後ちゃんとお湯で身体を拭いて清めて、さらに髪も衣服もちゃんと整えてから向かいにあるブロニカ邸へやって来たはずだ。
「こっちから言わなきゃバレるはずがないのに……え、まさかマリア、覗き?」
「そ、そんなはしたないこと致しませんわ! わたくしが気付いたのも、お姉様があまりにも浮かれていて、幸せそうで……旦那様との手のつなぎ方が、その、指を絡めるような、なんというか……艶めかしい繋ぎ方で、それで」
「あー…………ごめんケント、私のせいだわ」
「いや、あの……すみません2人とも、さっきから一体何の話をしてるんですか?」
マリアとシェリーはほぼ事の顛末を理解し合ったが、話題の中心にいるはずのケントだけは、何故自分がこの場にいて、2人の話を聞かされているのかまったく理解できていなかった。
「……は? ちょっと待ってケント、あなたまさか……マリアと私が何を話してるか分かってない……?」
「はい。僕が知らないところで、2人の間に何かあって、それでケンカになってしまっているのだと思っていましたが……違うんですか?」
「ち……」
シェリーが俯いてわなわなと震え、マリアは呆れ切ったように目と口を大きく開いたままケントを見る」
「ちっがぁう!」
「違いますわ!」
シェリーとマリアは、完璧に息のあったタイミングで、同時にほぼ同じ言葉を口にする。
「旦那様!? 鈍いにも限度というものがございますわ!」
「そうよ! ねぇケント、あなた本っっ当に女心ってのが分かってないわね!?」
「わたくしとお姉様はケンカをしたのではございません! わたくしがただお姉様に嫉妬しただけです!」
「ケント、まさかあなた、サオリさんにも同じように鈍かったの!?」
「え? えっ? あ、あの、すみません、お二人ともちょっと落ち着いて――」
「これが落ち着いてられっかぁ! あぁもう! こりゃあサオリさんも苦労したわね!」
「まったくですわ! これは旦那様に乙女心というものを理解していただかなければ、わたくしもお姉様も胃に穴が空いてしまいますわ!」
「マリア、コレはアレよ、サオリさんから私達に託された使命だと思って、ガッツリやらなきゃダメね」
「えぇ、まったくですわ。わたくしとお姉様の二人で、旦那様にはしっかり、たっぷり、ガッツリと女心というものを『わからせ』て差し上げますわ」
二人の妻に詰め寄られて、ケントは思わず後ずさりながら、生前の妻の言葉を思い出していた。
そう、年上の妻は苦笑いしながら『あなたって本当に鈍いんだから。あなたみたいな人を朴念仁とか唐変木とか言うんでしょうね』と語っていたものだ。
まさかそれが今になって、こうしてまた姉さん女房に詰められることになろうとは。
3人の声は、ディエゴとラウラのベテラン夫婦の耳にも届くほどの声量だった。が、ベテランらしく2人は落ち着いたものである。
「……まぁ、あれくらいの勢いで、亭主の手綱を握れれば上出来ね。花嫁修業はそろそろ卒業かしら」
ラウラは優雅に紅茶を傾けてそう語り、ディエゴはただただ苦笑を漏らすのみであった。




