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41 庶民感覚

 シェリーが真っ青な顔でトイレからよろよろと出てきた姿を見て、咄嗟に抱きかかえるように支えたのは妹妻ことマリアである。

 

「大丈夫ですの? お姉様?」

「だ……大丈夫じゃない……かも?」

 

 ふらふらと力なく、自分より背の低いマリアに支えられて向かう先は、定城内でブロニカ家一向に割り当てられた客室である。

 

「私のことよりケントは? ケントは大丈夫だったの?」

「えぇ、旦那様もつい先程、目を覚ましましたわ。ヴィクトリア殿下が治療を施してくださいましたの」

 

 回廊ですれ違う貴族たちは、皆シェリーとマリアに好意の目を向け、中には『あ、あの、もしよろしければ文通を』と突然いいよってくる令息もいたが、マリアの『皆様ご存知かと思いますけれど、わたくし達、2人とも生涯を誓いあった殿方がおりますの。ごめんあそばせ』とこの上なく明確にフラレていた。

 

「あら2人とも、大丈夫だった? 具合はどう?」

 

 そんな令息や若き貴族家の当主を押しのけるように現れたのは、人類最強の女エルマー・イルフォードだ。

 

「謁見の間で突然倒れたから心配したわ。シェリーさん、まだ顔色が悪いわね」

「そ、そりゃ顔色悪くもなりますよぉ……聞いたこともないようなお金がイキナリぽんぽんぽんって……おえっ……」

「ほらほら、深呼吸しなさい? でもまぁ、確かにすごかったわね。私もびっくりしたわ。でもこれであなた達2人も『皇室御用達』、この上なく箔が付いたわね」

「ど、どうしよう、どうしよう……ねえマリア、私どうしよう、死ぬの? これから殺されちゃうのかな? 逃げなくて良いかな?」

「大丈夫ですわお姉様、落ち着いて。誰もお姉様を傷つけようとするものなんておりませんのよ」

 

 まだ現実を受け入れられていないシェリーと同様、ケントはベッドで身体を起こした状態で必死に現実と格闘していた。

 ベッドのすぐ脇には、黒装束の大神官、ヴィクトリアがちょこんと座り、すぐとなりには距離感が盛大にバグっている陸軍元帥のクラウディア皇女、さらに陸軍准将のユリアも揃っている。

 

「すみません、ちょっとその……状況を整理させて下さい……」

「うむ、まぁ貴様も突然のことで大変だっただろうが、とりあえず己が置かれた状況を把握するというのは重要だ」

「では閣下、あの……とりあえず、皇室の皆様から頂いていたご注文は、すべて納品完了と考えてよろしいですか?」

「うむ。陛下もこの上なく満足と仰っていた。誰がどうみても文句の付けようがない納品とお披露目だったな」

「その、皇室の皆様の肖像画については」

「力及ばず申し訳ありませんでしたな、婿殿。献上というのは却下されてしまいましてな」

 

 ケントのベッドの傍には大柄なディエゴと、それ以上に大柄なユリアが座っているせいか、とにかく暑苦しいのと人口密度が高く感じられてしまう。

 下手をすると痩せ気味のケントが巨躯の二人にガン詰めされている、という構図にも見える。

 そして運の悪いことに、この『ガン詰めにしか見えないシーン』の真っ最中に、シェリーとマリア、それにエルマーが戻ってきた。

 

「ケント!」

 

 真っ青な顔のまま、シェリーがベッドの上で身体を起こしているケントに駆け寄り、二人のノーム族の軍人の前で両手を広げてケントをかばうように立ちはだかった。

 

「あの、あのっ! ケントは悪くありません! なにか悪いことがあったら、それは全部私が!」

「落ち着けシェリー、我々は別にケントを責めたりしているわけでは――」

「ケントは頑張ったんです! ちゃんと真面目に頑張って、ちゃんと仕事して、いっぱい頑張って作ったんです! だからあの、あのっ、もしなにかダメな所があったらそれは全部私が!」

「はいはぁい、シェリーちゃん、大丈夫よぉ」

 

 もはや土気色になりかけているシェリーの顔に、突然横から頬ずりをするように顔をくっつけたのは、シェリー以上に距離感がトチ狂っている皇女、クラウディアだった。

 

「はぁい深呼吸してぇ? はーい吸ってぇ、ゆーっくり吐いてぇ……はいもっかい吸ってぇ? ゆっくり吐いてー……ど? 落ち着いた? 大丈夫そ?」

 

 幾分落ち着きを取り戻したのか、シェリーの過剰に早くなっていた呼吸は落ち着きを取り戻す。真横からしっかりとクラウディアに抱かれているためか、泳いでいた視線もある程度落ち着いている。

 

「大丈夫ですシェリーさん、僕は何も責められたりしていませんから。落ち着いて下さい。ね?」

「ほらほら、ダンナ様もこう言ってることだし、まずはゆーっくり呼吸して、ユリアちゃんたちの話し聞いたげてね?」

 

 そっとシェリーの身体を話して、クラウディアは超至近距離で笑顔を見せて、ベッドから降りる。

 

「お姉様……独身の皇族が……殿方のベッドに上がるのは…………」

「分かってるよぉトリアちゃん、大丈夫。ほら、ケントさんとはなぁんにもなかったでしょ? だからノーカン。ね?」

「……ブローニー亭の、シュークリームで手を打つ……」

「良いわよぉ? 今度おねえちゃんと一緒に行こ?」

「……それはヤだ。お姉様は……距離感が狂ってる」

「えー? ……ねぇユリアちゃん、トリアちゃんが冷たぁい」

「まぁ、今のはヴィクトリア殿下が正しいですな」

 

 ユリアが苦笑混じりにクラウディアをたしなめると、可愛らしく頬を膨らませてクラウディアは少し拗ねたような顔を見せる。

 

「シェリーもトイレで吐いてきたのだろう? 顔色が悪いな。ヴィクトリア殿下に鎮静の法術をかけてもらえ」

「で、でも法術ってお高いんですよね……?」

「……大丈夫……二人は、私の家族の……肖像を作ってくれた恩人……恩人から、お代は……受け取れない……」

 

 クラウディアはそっとシェリーの胸骨のあたりに手の平を当てると、優しい緑色の光が灯る。

 

「まさか貴様ら二人が同時に気を失うとはな。まぁ合計で白金貨1万枚ともなれば私も容易に想像出来ん莫大な金額だ。市民の貴様らにはいささか刺激が強かったか」

「いささかじゃありませんでした……白金貨ですよ? あまりにも大金過ぎて現実感が持てません。それにそんな大金、本当にその、大丈夫なんですか?」

「案ずることはありませんぞ婿殿。全て皇室歳費の貯蓄分から出す、とのことでしたからな。それに、やはりあの場で買値を公表したのは流石賢明なる皇后陛下。これで今後、婿殿とシェリー殿の仕事を安く買い叩こうなどという不届き者は現れないことでしょうな」

 

 何しろ帝国最高の権威と権力の象徴が『この絵にはこれだけの価値がある』と公の場で認めたのだ。

 ケントたちにとって問題なのは、その金額が庶民の感覚からすれば想像すら出来ないようなものだった上、皇族に極めて好評を得た挙げ句、非公式ながら『皇室御用達画家』とされたことだ。

 

「しかしその……あまりにもなんというか、身に余るというか……ただの一般市民な僕には想像もできません」

「ん? 何だケント、貴様聞いていないとは言わせんぞ」

 

 ユリアが片眉をあげ、少しイタズラっぽい笑みをケントに向ける。

 

「陛下があの場で、貴様を準男爵とした事は私も見ていたからな。貴様はもう既に『一般市民』ではない。貴き義務を負った貴族の1人だ」

「ぎ、義務……義務ってあの、僕はその、何をどうすれば? なにかその、何か出来ないと処罰があるとか……」

「まぁまぁ、ケントちゃんも怖がらないで? 大丈夫よぉ?」

 

 あいも変わらず緊張感のカケラも無く、かろうじて漂っていた緊張感を根こそぎ霧散させてしまうクラウディアの言葉は、流石にシェリーとケントの緊張をほぐすのに効果的であった。

 

「えっとね? インダスターの貴族の『貴い義務』はぁ…………トリアちゃん、何だっけ?」

 

 ヴィクトリアはジト目で姉を睨みつけてから、体ごとケントとシェリーに向ける。

 

「インダスター貴族の義務は……ひとつ、産業の振興……ふたつ、国防への参加……みっつ、社会福祉への貢献……よっつ、教育への投資……いつつ、技術と芸術の……発展」

 

 ゆっくりと小さな手で一本ずつ指を立てながら、可愛らしいソプラノの声で囁く。

 いつの間にかケントもシェリーもじっと大神官の声に聞き入っていた。

 

「5つの義務の内……いくつかを果たす事、それが……貴い義務……準男爵なら2つ……子爵は……3つ……」

「そういう事ですな。このディエゴも、先日までは騎士爵で義務は2つでしたが、これからは最低3つの義務を果たすことになりますな。我がブロニカ家では、産業振興、社会福祉への貢献、それに技術と芸術発展、という3つの義務になります」

 

 ディエゴはもともと酒保商人から身を起こした、いわば成り上がり貴族である。

 元から3つの義務を十分に果たしていたこともあり、子爵の資格も十分にあると判断されての2階級昇格となった。

 

 また、ケントについては『光画』という全く新しい芸術を生み出したことで『技術と芸術の発展』に貢献し、さらに光画による風景画は非常に高い価値を持ち、外貨獲得や国内の芸術需要喚起が十分に見込まれ、産業振興につながるとされた。

 

「ケント・マミヤさん……あなたは……光と闇を操る支配者……あなたの光画は……世界に新しい……風をもたらす……」

「そうそう! もう今の時点でケントさんって十分『貴い義務』を果たした、って見られてるの。だからね、追加でなにかしなきゃいけないとか、出来なかったら処罰があるとか、そういうのは全然ないの」

「……そ、そう……ですか……」

「わかりますぞ婿殿。このディエゴも最初に騎士爵を頂いた時は恐ろしかったものです」

 

 二人に落ち着いた声をかけたディエゴは、腕組みをして繰り返し頷いている。

 

 ディエゴ自身、元は平民どころか貧しい階層の出自である。

 インダスター帝都の自由市で、自らが描いた小さな絵や木彫りを売るところから始め、小間物商から日用品を扱う店へ、そしてユリアの部隊の酒保商人として実績を重ねていった。

 

 あるときのドルマ王国との小競り合いでユリアの部隊が危機に陥った時、食料も水も医薬品も、さらには剣も矢も何もかもが尽き、ユリア自身死を覚悟した事があった。

 敵に囲まれ部下も満身創痍、空腹で立ち上がることすら難しい状態であった時に、自身も傷を負いながら物資を満載した馬車で駆けつけたのがディエゴであった。

 

『まさか我が国にまだ貴様のようなバカがいるとはな! 嬉しくて涙が出そうだ!』

『それは褒め言葉ですな? この物資は高く付きますぞ』

『あぁ、生きて帰ったら言い値で払ってやる。もう少し付き合え!』

『もちろんです。ここで死ねば、代金回収が出来ませんからな。支払って頂くまで、地獄まででもお供しますぞ!』

『あっははははは! 気に入った! 生きて還れたら貴様を貴族にしてやる!』

『それは支払いが終わってからの話ですな!』

 

 物資はギリギリ、ユリアの部隊を持ち直せる量が確保されており、おまけにユリアが『今ここにコレがあったら良いのに』と考えていたものがすべて揃っていた。

 商人としての力量と、当時大佐であったユリア救出の功績で、ディエゴは平民から騎士爵へと叙爵されている。

 

「婿殿、心配することはありませんぞ。貴族とは1人で立つものではないのです。このディエゴも、それにユリア伯爵も、皆が婿殿を助けたいと望んでおりますからな。いつでもこの舅を頼れば良いのです」

 

 そらした胸をどん、と自らの拳で叩いたディエゴの顔は、愛娘マリアにとっては見慣れた頼れる父の顔であった。 

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