39 皇太子は苦労人
夜遅い時刻の帝都では、酒場くらいしか開いている店がない。
だが、ごく一部の者に知られる、夜遅くまで開いている甘味の名店があった。
遠くセプトパール大陸の、乳脂肪分が極めて少ない代わりに、口溶けがよくさっぱりとした甘さが楽しめる店は、甘味好きの中でも玄人好みと評判の店である。
「あ、お兄ちゃ――」
途中まで言いかけて、慌ててメニューで顔を隠した銀髪の小柄な少女は、まるで机に突っ伏すように顔を完全に下に向けてしまう。
が、つい今しがた店に入ってきた優男には、その正体は一瞬で見破られている。
「トリア。一人でこんな時刻に何をしているんですか」
優男、皇太子クラウドは小柄な少女ヴィクトリアと向かい合うように腰掛ける。
注文を取りに来た給仕の娘に、慣れた様子で『ダイフク』と『オハギ』という、甘く似た豆をつかったスイーツを注文すると、ヴィクトリアはおずおずと顔をあげ『私も同じの』とだけ短く話す。
ロディナル大陸にあるインダスター帝国からセプトパールまでは、船で数ヶ月の道のりとなる。
あまりに遠く離れているため、どのような国があるのかも分かっておらず、ただ『そういう大陸があり、人が住んでいる』『エルフ族は極めて少ない』『ロディナル大陸の国々と比較すると、文明度などは遅れている』『独特の文化を持った国が多い』といった、商人経由の噂話くらいしか情報がない。
数少ない情報の中で、長い時間の淘汰のなかで生き残ったのは、食に関する情報である。
特に甘味に関する情報は需要が多いのか、複数の商人たちが持ち帰った情報と、豆や穀物の種を何とかして栽培させたいという人々の執念が結実したのが、白い菓子『ダイフク』と黒い甘味『オハギ』であると言われている。
慣れた様子の給仕の娘は、さも微笑ましいものを見たと言わんばかりの嬉しそうな笑みを浮かべてカウンターの奥へと引っ込んでいった。
給仕の娘が身に付けている衣服も、ダイフクやオハギを生み出した国の伝統的な装束であると言われている。
遭難同然の有り様で何とかセプトパールへたどり着いた商人が『彼の地で私は「萌え」という概念に出会った。天啓を受けた心地だった。私には到底その本質は理解できていないが、少しでも近づきたい』と多くの手記を残し、ロディナル大陸へ戻ってから再現に成功した装束が、当地の女性使用人がよく着用する様式を模倣したという、この店の給仕の娘の制服である。
「何でいるの」
「仕事の息抜きに来た兄に、随分冷たいですね」
「あ、いや、あの、ちが」
「トリアもどうしたんです? 1人ですか? 夜遅くに1人歩きは感心しませんね」
「だって」
「良いですか? トリアも責任ある立場なんです。周囲に心配をかけないよう心がけなければ」
「……はぁい」
ヴィクトリアは、長兄クラウドの前でだけは素で喋る。この事は、クラウディアやヴィクターはおろか、両親である皇帝と皇后すら知らないことだ。
二人以外で知っているのは、度々この店で鉢合わせする時に給餌をする、店の娘たちくらいである。
「そう言えば、ケント・マミヤ氏はセプトパール大陸出身、という噂でしたね」
「でも、多分そうじゃないって。エルマーさんが言ってた」
「そうですか? 髪や瞳の色は彼の地の民族のそれと同じだと聞きますが」
「こっちにも黒髪黒目の人はいるから、でも結構変わってると思う」
「確かに、帝国ではあまり見かけないタイプの方です。ユリア准将の報告では、確か秋の初め頃でしたか、ドルマ王国から帝国に移って来たそうですね」
ヴィクトリアは小さく頷いて、小さなポーチから手帳のようなメモを取り出した。
几帳面な小さい文字でびっしりと何かが書き込まれており、やや近眼のクラウドでは飲む気に慣れないほどの情報密度だ。
「ドルマ王国はヒドい。あの国は戦闘職以外人間扱いされてない」
「そうですね……あの国では、ケント・マミヤ氏やシェリー・ストライダーさんのようなジョブの方は生きづらいでしょうね」
インダスター帝国の隣国にあたるドルマ王国とは、国境を接しているが交流は極めて少ない。
国情や当地思想があまりに違いすぎるため、インダスター帝国側のアドル帝が『バカバカしくって付き合ってらンねェ』と、ほぼさじを投げてしまっている。
「そうだ、丁度いい。父上から伝言です、明日の夕方、16時に謁見の間に来て下さい。今度は時間厳守ですよ?」
「……何かあるの?」
「先日作り始めたという、我々家族の肖像画が出来上がったそうです」
「え、ウソ、もう?」
流石に驚いた様子のヴィクトリアの前に、白と黒の柔らかそうなスイーツが運ばれてきた。
このところ、甘味大好きなインダスター家の中でも特にヴィクトリアとクラウドがハマっている、柔らかくてもちもちとした独特な食感のスイーツである。
ダイフクは、柔らかく甘く似た黒い豆を、まるで『赤ん坊の頬のように柔らかい』と評判の、穀物の粉末から作ったという生地で包んだものだ。
そしてオハギと呼ばれるスイーツは、やはり穀物を煮て柔らかくまとめたものの周りに、柔らかく甘く似た豆を纏わせたものである。
つい数年前に取扱を始めたもので、はるか遠くのセプトパール大陸では伝統的に作られているものであるとのことだった。
「本当なようです。あのブロニカ卿が『ウソではない、自分の首をかける』とまで言っていました」
「……少しだけ作業見せてもらったけど、でもそんなすぐに絵が描けるとは思えないよ?」
「そうですね。常識的に考えればそのとおりです」
クラウドは自らの眼の前に運ばれてきた、木の葉を独自の製法で蒸して加工したものを煎じた、緑色の温かい飲み物を一口含むと満足げな笑みを浮かべる。
「いずれにせよ、明日全てが分かるでしょう。それよりトリア、神殿の調査の方はどうですか? 例の百日殺の呪と赤斑の呪、この解呪不可能とまで言われた呪を解いたという、ケント・マミヤという人物の術については」
「仮説は立てられる……けど、確証は持てない。ただ、理論上は理屈が通るかも。時間を賭けて検証しないとなんとも言えない」
「そうですか……どうします? 帝都に滞在中、面会の予定を組むこと事態は了承してもらっていますが」
「…………今は、良い。あんまり邪魔しちゃ申し訳ないし、それに」
ぱく、とダイフクを口いっぱいの頬張り、幸せそうな笑顔でもっちもっちと何度も咀嚼する。
ごくりと飲み込んでからグリーンティと名付けられた旨味と渋みが同居する不思議な飲み物で口の中をリセットすると、その直後に今度はオハギを口に放り込む。
「それに?」
「……良いもの見せてもらったし、今はお腹いっぱい」
「そうですか」
妹がお腹いっぱい、と語ったのが、決してダイフクとオハギを食べたからではない、ということを察した長兄も、豆の皮の食感を楽しめるオハギを器用に半分に切って味わった。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「何ですか?」
傍から見れば仲の良い兄妹だが、市民が身につける平服を着ている二人をみて、まさか帝国の皇太子と大神官であると察することが出来るものは少ない。
ただし、給仕の娘は彼らの正体を知っている。会話の内容も耳に入っているし理解もする。が、客商売のマナーとして、彼女は徹頭徹尾何も聞かないし何も知らない、を貫いている。
お忍びで訪れるやんごとなき立場の人に対して、特別な扱いをするのは店にとっても客にとっても本意ではない。その事を理解しているだけに、給仕の娘は徹頭徹尾、皇太子と大神官の二人をただの仲の良い兄妹として扱っていた。
皇太子クラウドも大神官ヴィクトリアも、給仕の娘の理解に感謝しつつも何も言わず、ただの一般人として普通に飲み食いをしてそのまま帝城へ帰宅するようにしている。
「ケントさんとシェリーさん、あとマリアさん、すごくいい人たちだと思う」
「そうですね。私も同感です」
「お姉ちゃんも気に入ったみたいだし、ユリアさんもそうみたい」
「困ったことにそのようですね」
苦笑を浮かべたクラウドは再びグリーンティを口に含んだ。
「多分、パパとママも気に入ってる」
「そこが一番厄介なところです……本当に爵位を与える、とか言い出しかねません」
「私は良いと思う。真面目で誠実な人は、評価されて然るべきじゃないかな」
「確かにそうなんですが……叙爵というものは簡単に出来るものではないんです」
ふぅ、とため息をついて天井を見上げる。
「とは言え、新しい芸術を生み出すというのは誰にでも出来る事ではありません。もしかしたら、輸出品として我が国に莫大な富をもたらすかも知れません。国内でも絵画芸術に写実的な彫刻といったものの需要も喚起できるかもしれません……なるほど確かに、爵位にふさわしい実績と言えます……」
「うん、私もそう思う。それに、本当にケントさんのスキルで呪が解けるとしたら、今まで難しかったイーストマン渓谷にあった古代文明の遺跡、呪のかかった扉なんかの調査も進められるかも知れない」
ヴィクトリアは兄の皿に残ったオハギの半分を当然のように自分の口に入れた。クラウドはその事を咎める様子もなく、手を挙げて給仕の娘を予備、追加でオハギを2つ注文する。
「イーストマン古代遺跡、ですか……確か以前、ユリア・ツァイス准将が中心になって調査をしていましたね」
「その時、先代の大神官が神官を何人か派遣したけど、どうしても解呪出来ない呪があった、っていう記録があったの」
「確かそうですね……その呪が、ケント・マミヤ氏の『光画』なら、百日殺の呪を解いた術なら対処できるかも知れない、と」
こくり、と大きく頷いて、運ばれてきたばかりのオハギを一個まるごと口に放り込み、ヴィクトリアは頬を膨らませてもぐもぐと咀嚼を繰り返す。
「まぁ、遺跡の調査に関してはとりあえず保留としましょう。まずは明日のお披露目を無事に行わなければいけません」
何かを諦めたかのような笑顔で、クラウドは残った1つのオハギを妹の前に差し出した。
木製のテーブルに伏せられた伝票をひょいと取り上げて、皇太子はゆっくりと立ち上がる。
「ここは払っておきます。あまり遅くならない内に帰るんですよ」
「ん。ごちそうさま、お兄ちゃん」
やや無表情ながら嬉しそうな顔のヴィクトリアを優しい顔で見下ろしてから、長兄は会計を済ませて店を出ていった。




