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37 大神官の秘策

「つまり、その……妻の、沙織さんの魂が、消えかけている……ということですか?」

 

 ケントが青ざめながら話した言葉に、小柄な黒尽くめの少女はためらうこと無く頷いた。

 

「そ、それじゃあ、その、僕はあの、ど、どうすれば」

「……見せて欲しい……もう一度、あなたの秘術……大精霊があなたに授けた…………奇跡の術を」

 

 ヴィクトリアはまったく表情を変えることなく、じっと正面からケントを見上げている。

 

「殿下、あの、僕は本当に妻を、沙織さんを助けることが――」

「直に見てみないと……私もわからない…………光を顕しめる、大精霊の……三位一体の奇跡の術を」

 

 何かを噛みしめるような、悲痛な表情でケントは胸に下げた水晶をぎゅっと握ってから、何かを決意したように頷いた。

 かなり強引な深呼吸を何度か繰り返したケントは、未現像のままであったテスト撮影分のガラス板ケースを取り出す。

 

「今からお見せするのは、僕も理屈はわかりません。ただ『出来る』ことと『結果がそうなる』ということが分かっているだけです」

「……それで、十分……」

「わかりました。それでは始めます。まずは『増幅』です」

 

 ヴィクトリアは身を乗り出して、ジト目のままで顔をケントの近くに寄せて、瞬きもせずに凝視する。

 常人や、並の魔道士には視認できないものが、幼い大神官の目にははっきり見えていた。

 魔力とも法力とも違う何かが、指2本分ほどの狭い空間を行き交っている。ヴィクトリアの目には、ガラス板ケースの周りに漂っていた不可思議な力の流れが止まり、ふっと消えたのが見えた。

 

「……これで増幅は終わりです。続いて『反転』です」

 

 ヴィクトリアの顔はますますケントの手の平に近づき、机の天板に顎を乗せて呼吸すらとめてじっと見入っている。

 

「最後に、『定着』します」

 

 しばらくケントが手の平を下に向けた後、ふぅ、と安堵のため息のような声を漏らした。

 ゆっくりとガラス板ケースの蓋をスライドさせて取り外して、カーテンを閉めたままの窓へ歩み寄ると、ヴィクトリアもまるでケントの尻尾のようにすぐ後ろをついて歩く。

 

 ケントがカーテンを開けると、ヴィクトリアは息を呑んだ。

 ガラス板に映し出されていたのは、インダスター帝国の城壁を見上げるようなアングルで、広角レンズを使って写した写真だった。

 はるかに見上げる高さの城壁と、鉄鋲で補強された頑丈な城門。

 門衛を務める騎士たちの甲冑だけでなく、彼らが持つ槍の穂先や、直ぐ側に繋がれている馬の鞍に描かれている模様までが緻密に描き出されていた。

 それが、ほぼA4サイズよりもほんの小さいくらいのサイズのガラス板にすべて描き出されている。

 

「これが…………これが、光の奇跡……この世でただ一人……光と闇を操る『光画師』のみがなし得る……奇跡の芸術……」

「これが、僕がやっている事です。ヴィクトリア殿下、お願いしたいのですが――」

「言わない。誰にも、決して、陛下にも」

 

 ヴィクトリアはケントの言葉を遮って、囁くような声ながらも力強くそう言い切った。

 

「……これは神の……大精霊の奇跡にも等しい…………百日殺の呪も……赤斑の呪も、未だに解呪方法がわからない……でも……」

 

 ちらり、とヴィクトリアのジト目がマリアの姿を捉える。

 

「あなたの奇跡は……魔術、法術とは……まったく違うもの…………だからこそ、救うことができる」

 

 小さな手の細い指が、すっとケントの胸元を指した。沙織の魂を収めた水晶の位置だ。

 

「水晶に『増幅』の術をかけて……そうすれば、魂の力、エーテルの振幅を……かなり、取り戻せる」

「本当ですか!? その、この水晶に『増幅』をかけたら、沙織さんの魂は助けられるんですか?」

 

 ヴィクトリアはこくりと力強く頷く。またしても黒く長い帽子がずる、とずり落ちる。

 慣れた様子でもぞもぞと帽子の位置を直して、ジト目を上に向けてケントを見上げる。

 

「私も、サポートする…………私は……癒やしを司る神官の長……国民を癒やし、護り……そして救うのが、私の宿命……」

 

 長い杖を扱いづらそうに構えると、ゆっくりと大きく深呼吸をする。

 

「私は……守ることしか、出来ない…………だから、民を、あなたを、あなたの魂の伴侶を……」

 

 表情が乏しいながらも、きゅっと引き締まった顔で小さく頷いて言葉を続ける。

 

「私たちが、救いたい」

「お願いしますわ、ヴィクトリア殿下」

 

 答えたのは、ケントではなくマリアであった。すぐとなりに立つシェリーもうんうんと繰り返し頷いている。

 

「わたくし達が愛する旦那様の魂の伴侶ともなれば、それはもうわたくし達の姉妹妻も同じ。つまり、わたくし達の家族ですわ」

「そうよ! 今ここにいないだけで、サオリさん? は私達姉妹妻の『長女』同然よ! お願いします、殿下!」

 

 二人の女たちの願いは、そのままダイレクトにヴィクトリアに届いていた。

 大きく頷いた大神官は、身体ごとシェリーとマリアに向き直る。

 

「サオリさんを……彼女の魂を完全に救うには、時間がかかる…………それには、あなた達……ケント・マミヤさんの妻である、あなた達の協力が……献身が必要……」

 

 ヴィクトリアの言葉に、迷うこと無くシェリーが手を挙げた。

 

「私がやる」

 

 凛々しい顔のシェリーは一歩前に出る。

 

「何でもする。私はケントに救われたんだもの。心も身体も、何もかも。だから、今度は私がケントのために出来ること、何だってする」

「正直に言うと、わたくしも……と言いたいところですわ。わたくしだって旦那様に、百日殺の呪から解き放って頂いた身の上。恩を返さないのはノームの血を引く女として死にまさる恥ですわ。でも」

 

 マリアは、シェリーの後ろに回るように少しだけ後退り、シェリーの背中に優しく手をおいた。

 

「わたくしの呪を解いてくださったのは、旦那様とシェリーお姉様。恩返しもしなければなりませんし、ここはお姉様にお譲りしますわ」

 

 二人の決意は硬かった。

 いざというとき、本当に強い女性は決断も早く、そして硬いものだ。シェリーは物怖じすることもなく、怖くて仕方がないはずの貴族の頂点、皇族を前に背筋をしっかりと伸ばしている。

 

「……ケント・マミヤさん……私は……あなたが羨ましい……」

 

 ジト目だったヴィクトリアの目が少し細くなり、表情は乏しいながらも美しい少女はほほ笑みを浮かべる。

 

「こんなに……愛される殿方…………マリアさんも、シェリーさんも、羨ましい」

 

 一瞬俯いてから、大きく息を吸い込んでヴィクトリアは言葉を紡ぎ出した。

 

「まず、その水晶に宿るサオリさんの魂……その魂に『増幅』を。しばらく増幅を……定期的にかける必要が、あるかもしれない……」

「わかりました。その、増幅をかける頻度はどれくらいですか?」

「……わからない…………だから、毎月私が……様子を見る。伯爵領都に、私が行く」

 

 大神官が帝都を離れることはそう珍しいことではない。

 帝国の各地にある大神殿を定期的に訪れ、礼拝を行うことで『聖地』としての特性を保たせる、というのも大神官の大切な業務だ。そのため、ヴィクトリアは大神官に就任して以来、年の半分ほどは国内の各地を巡礼して過ごしている。

 

「そして……シェリーさん、あなたは…………その……えっと……あの……ケント・マミヤさんとの、あ……愛の、結晶を」

 

 ただでさえ囁くようなヴィクトリアの言葉は、つぶやきのように小さくなる。

 次第に顔が赤く染まり、耳の先まで真っ赤になってしまった。

 

「……え、あ、あの、それってその……つまりそういう……っていうか、ぶっちゃけた話、ケントの子供を、私が……っていう?」

 

 こくり、とヴィクトリアは俯いたまま頷いた。

 

「えと……あの…………母親の胎内の子は……生まれる前は、魂を持ってない……魂の海から、その子の魂が宿るのは……誕生の時、産声と一緒に……子供に宿るから…………だから、あの、えと……シェリーさん」

 

 ヴィクトリアは顔を赤く染めたままジト目の無表情、という器用な真似をして、シェリーの顔をじっと見上げる。

 小さな手で握りこぶしを作り、ぐっと胸の前に据える。

 

「がんばって」

 

 シェリーも、ヴィクトリアが言わんとしている事は十分に理解できた。

 流石に381歳の大人の女である。100歳や200歳の小娘とはワケが違うのだ。

 

「頑張ります! むしろ望むところよ! っていうか……ケント、頑張って……くれる?」

「あ、あの、それはその、もちろん」

「あのね、エルフ女って妊娠するのにも時間がかかるし、妊娠してから子供が生まれるまで10年かかるの」

「じゅ、10年、ですか!?」

 

 こくり、と頷いたのはなぜかヴィクトリアである。

 

「エルフは、ヒトよりも精霊に近い……あ、あの、あの、えと……と、殿方の、その……ああああ愛を、女はし、し、子宮に受け止めて…………お互いのエーテルを溶け合わせて、少しずつ……少しずつ肉の身体を作り出す……」

 

 厨二と呼ばれる年頃の娘であるヴィクトリアにとって、『エルフ族の生殖』に関する解説はかなり勇気のいるコンテンツだ。

 次第に口から出てくる単語が『だから』『あの』『その』『えぇと』ばかりになったところで、自称経験豊富な大人の女、シェリーがケントへの説明を受け継いだ。

 

「エルフ女って、本当にすごく妊娠しづらいの。お互いのエーテルを子宮で錬成する……って言えばいいのかな。本当に少しずつ少しずつ、赤ちゃんの身体を作り上げるっていうか……あ、あの、ゴメンなさいヴィクトリア殿下、すごくナマナマしい話しちゃいますね?」

 

 ヴィクトリアは真っ赤な顔で俯いて小さく頷く。

 

「ヒト族とかドワーフ族は、女の子宮にいる赤ちゃんはへその緒を通じて栄養を受けるんだけど、エルフ族とノーム族、フェアリー族なんかは違うの。栄養に出来るのは父親と母親のエーテルが溶け合ったものだけなのよ。母親だけだと、エルフ族は生まれないの」

「……つまり?」

 

 ケントがやや怪訝な表情で首を傾げる。

 ケントも不妊治療のときには、高校や中学の保険体育よりもかなり専門的な、妊娠出産のメカニズムを勉強したものだ。

 だが、エルフ族のそれはヒト族とは大幅に異なっていた。

 

「父親と母親は、10年間ずっと愛し合わないといけないの。母親のお腹の中の赤ちゃんが育つのに必要なエーテルを注ぎ続けないと行けないのよ。私達エルフ族が、他の種族よりたくさんエーテルを持ってるのは、そうやって生まれてくるからなの。だからその……」

 

 シェリーは少し恥ずかしそうに、だがかなり嬉しそうににやにやと笑みを浮かべてケントにしなだれかかる。

 

「……一緒に頑張ろ? ね?」

「そ、そういう事、ですか……」

 

 少し戸惑うケントの胸のあたりにシェリーの指が伸びる。

 

「サオリさんの魂、私が産んであげる。ケントと、私の赤ちゃんとして」

 

 ふいに部屋の隅から、何故か鼻をすするような音が聞こえてくる。

 ケントとシェリー、それにヴィクトリアが顔を向けると、そこにはハンカチを目に当てて涙ぐむマリアの姿。

 

「……う、美しいですわ……わたくし、この感動を本にせずにはいられませんわ! この感動を! 美しい愛を! 魂の物語を! あまねく知らしめるこそが、わたくしの使命に違いありませんわ!」

 

 ブロニカ家の暑苦しい情熱の血が燃え盛り始めたマリアに、何故かヴィクトリアが足早に駆け寄って、両手をがしっと握りしめた。

 

「わかる…………私も……激しく、同感」

「殿下……分かってくださいますの!? あぁ、これはもう大精霊のお導きに違いありませんわ! 大神官様が思いを同じくしてくださるなんて!」

「これは……光と闇が救い出す魂……大精霊が紡ぐ、至高の……究極の愛の物語……」

「こうしてはいられませんわ……わたくし、この感動と記憶が消えない内に! 書き記してまいります! ごめんあそばせ!」

 

 まるでカタパルト射出の艦載機のような勢いでマリアは部屋を飛び出していく。

 ヴィクトリアも何故かマリアの後を追いかけて行き、部屋に残された二人は、しばらくぽかんと開いたままのドアに目を向けたまま動けなかった。

 

 数分後、ドアから中を覗き込んだ女伯爵ユリアが『何だ貴様ら、お楽しみ中だったか? 邪魔したな』と声を掛けるまで。

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