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36 世界を超えても

 無事に撮影を終えて、皇帝と皇后、それに皇太子に陸軍元帥、海軍提督はそれぞれ仕事に戻って行った。

 

「…………あ、あの、殿下……?」

 

 だが、ケントとシェリー、それにマリアが現像とプリント作業を行うために割り当てられた部屋には、ちょこんと小柄な黒尽くめの少女が居座っている。

 物珍しそうに机の上にじっと視線を向け、黙ったまま動こうとしない。

 

 去り際に皇后ケントメアが『ごめんなさい、邪魔をしたら怒って大丈夫です。あの子はちょっと変わっていますけど、悪い子ではないのです』と申し訳なさそうに伝えてきたが、当のヴィクトリアは邪魔も何もせずにじっと黙ってケントの作業を見守っていた。

 

「……私は……存在しない……と考えて良いから……」

「で、ですがその、すみません、すぐ後ろにある紙をですね」

「あ」

 

 ヴィクトリアは後ろを振り向き、静かに立ち上がってぺたぺたと歩き、別の椅子にちょこんと腰掛けた。どうあっても部屋から出る気はなさそうである。

 

「とりあえず、現像すべて終わりましたね。あとはプリント作業ですが……さて、どれをプリントしましょうか……コンタクトプリントだとやや小さいですから、そこそこのサイズにざっくりプリントしてみるとします」

「了解ケント、じゃあ私手伝う」

「ありがとうございます。じゃあシェリーさん、マリアさん、プリント用のカメラの台を用意してもらえますか?」

 

 シェリーは慣れた手つきで必要な部材を用意しつつ、マリアに細かく作業手順を教えながらカメラを設置する台を組み立てる。

 その間、ケントは少しだけカーテンを開け、光にガラスを透かしてじっと見入っていた。

 

 威厳ある父に賢くも家族を愛し見守る母。そして息子と娘が一同に介した家族の肖像写真。

 生前のケントも、よく撮影したものだった。

 

 まだデジタルカメラが普及する前、家族写真と言えばフィルムで撮影して、引き伸ばしてプリントしてから額装して顧客に渡していたものだ。

 受け取った顧客の表情がほころぶのを見るのが、健人も沙織も大好きだった。

 何度か、健人も沙織と二人で写真を撮ったことがある。そのたびに沙織は『ごめんなさい、子供がいればもっと賑やかだったのにね』と申し訳なさそうな顔をしていた。

 

 長く不妊症で苦しんだ沙織に、夫婦二人でのんびり暮らそう、と提案したのは健人である。

 だが、家族写真を撮るたびに、羨ましいという感情を捨てきれないことを嫌と言うほど自覚させられた。

 子供の宮参りを終えたばかりの若い夫婦とその両親。

 まだ『着られている』状態の制服を着た子供を優しく見守る父と母。

 結婚が決まったという娘のために、家族全員が揃った写真を撮りたいと申し出てきた、仕事人間の男。

 中には、宮参りの写真から幼稚園への入園記念、小学校から高校までの卒業記念の写真を撮り、最後は花嫁衣装を撮影し、成長の記録をすべて健人の写真館で撮影した女性が、最後は子供を抱いて訪れてきたということもある。

 

『やっぱりここで撮ってもらいたくて。ほら、写真屋さんのおじいちゃんだよぉ? ママも撮ってもらったんだよぉ?』

 

 と、生まれたばかりの子供を抱かせてくれた娘は、今頃は食べ盛りの子供を育てるのに忙しくしているだろう。

 

「ケント、出来たよー」

 

 懐かしい思い出に浸っていたケントを引き戻したのは、シェリーの声。

 

「ありがとうございます。じゃあテストプリントと行きましょうか。……ヴィクトリア殿下、申し訳ありませんがここからの作業は秘密にしておりまして、皇族の方であってもお見せすることは出来ません。2時間ほどでテストは終わりますので、しばらくご退出願えませんでしょうか」

「…………わかった……ゴメンなさい……」

 

 意外なくらい素直にヴィクトリアはそう呟くと、やはりぺたぺたと緊張感のない足音を立てて部屋を後にした。

 ケントは手にしたガラス板をカメラに差し込むと、カメラの後ろに『トーチライト』の魔道具を取り付ける。こうすることで、カメラそのものを引き伸ばし機のように使うことが出来る。

 カメラと向かい合うように平面の壁、プリント台が立てられ、ガラス面とレンズのピント面、そして壁が常に平行を保てるように工夫した引き伸ばしセットは、設計や木材の切り出し、組み立てまですべてケントが手掛けた一点ものだ。

 普段はツァイス伯爵領都にある自宅の作業部屋においてあるが、今回は帝都での作業ということで、分解してケントの亜空間収納におさめて運んできている。

 

 カメラの位置を慎重に変えて、壁に写る像のサイズやピントを微調整する間、シェリーは感光液を塗って乾燥させておいたプリント用の紙を準備している。

 

「本当に、光を使って描く絵、なんですのね」

 

 マリアが呟くようにそう言うと、シェリーは満面のドヤ顔で大きく頷いた。

 

「そ。凄いわよね、ケントって」

「えぇ、さすが旦那様ですわ……わたくし、こんな装置は見たこともございませんもの。何がどうなってこうなっているのか、想像もできませんわ……」

「あぁ、そうでしたね、マリアさんはプリント作業を実際に見るのは初めてでしたか。そしたら多分驚きますよ」

 

 にこ、とケントが笑みを浮かべて、トーチライトの明かりを灯す。

 強い光が放たれるが、カメラに取り付けた面だけを開けている構造のため、周囲には光が漏れることはない。

 光はガラスに写し取られた像を通り、レンズで収束された後、に投影される。

 マリアがカメラと向かい合ったプリント台に目を向けると、そこには『まるでそこに全員がいるかのような』凄まじく写実的な6人家族の姿があった。

 

「これが……これが、光画なんですのね? だから、光画と呼ぶのですね……」

「んっふふふ、どう? 凄いでしょ? この光景を見られるのは、世界でケントと、私と、そしてマリアの3人だけなのよ?」

「……わたくし……言葉が見つかりませんわ……こんなことが出来るなんて……」

「さぁ、これからが本番です。じゃあシェリーさん、いったん切りますからプリント紙をお願いします。まずはテストプリントですね」

 

 シェリーのポーションを配合して作った感光剤は、いくつか改良版が出来上がっている。

 ケントとシェリーの試行錯誤によって作り出された感光剤は、色の再現度も解像度も非常に高く仕上がっていた。

 あらかじめ紙の表面に薄くゼラチンを塗布するなど、感光剤が定着しやすいように準備を施すことで、よりクリアで解像度の高い像を描くことが出来るようになった。シェリー特製の感光液を丁寧に塗り、乾燥させて光の当たらない亜空間収納で保管していた厚手の紙を、シェリーがプリント台に貼り付けて固定する。

 

「じゃあ、いつも通り赤から行きましょうか。シェリーさん、砂時計の準備を」

「了解。準備できてるよ」

「ありがとうございます。じゃあ、行きます」

 

 トーチライトが灯ると同時に、シェリーが砂時計をひっくり返した。

 光の三原色となる赤、青、黄の光を個別に照射出来るよう、レンズの全面にはそれぞれの色のガラスがはめ込まれている。

 プリント紙に順に光が当てられる間、部屋の中は真っ暗な状態だ。

 

「光と闇の支配者……でしたか」

 

 ふと、ケントはヴィクトリアの言葉を思い出していた。

 たしかにそうかも知れない。真っ暗闇でやらなければいけない作業もあれば、光をコントロールしなければ行けない作業もある。支配者というのは大げさかもしれないが、光と闇のお陰で、こうして写真を作れているのは事実だ。

 

「よし、じゃあ現像と定着をしますね」


 トーチライトを消して、ケントがプリント紙に手をかざした。

 

 生前は、現像液や定着液を使って処理をしていたものだが、その作業が今は魔法のように自分の力で行うことが出来る。

 嗚呼、やっぱりこの作業は良い。心が落ち着く。そう口の中だけで呟いて、生前のことを思い出す。

 撮影の時も、現像の時も、そしてプリントの時も、健人の傍には沙織がいて、嫌がる顔一つせずに手伝ってくれていた。

 

『健人さんは、本当に楽しそうにプリントするのね』

 

 そう嬉しそうに笑う沙織の笑顔は、今でもよく覚えている。

 口元にあるほくろに、おっとりとした性格とはあまり似合わないやや切れ長の目。飛び抜けた美人とは言えないとても地味な風貌で、化粧もあまり好まなかった。

 懐かしい、かつての妻の姿を思い出してつい口元がほころぶ。

 今ケントの胸元には、その妻の魂のカケラが封じられた水晶がある。先程、大神官ヴィクトリアは『魂を救うことが出来る』と言っていた。

 出来ることならば今すぐにも救い出したい。だが、もし本当に沙織がこの水晶の中にいるのならば、きっとこう言うだろう。

 

『ダメよ? お仕事をちゃんと終わらせてから』

「そうですね。確かにそのとおりです……」

 

 一人そう呟いて、思わず苦笑を浮かべる。

 

「ん? どしたのケント?」

「あぁ、いや。なんでもありません。とりあえず、これで1枚テストプリントが出来ましたね。続けて何枚かやってみましょう。マリアさん、今作ったプリントはこちらの台の上に置いておいて下さい。シェリーさん、もう1枚プリント紙をお願いします」

 

 何十年も繰り返した作業は、もはや考えなくても手が覚えている。

 沙織に先立たれてからは一人で黙々と続けた作業が、今はこうして誰かと話をしながら出来る。その感慨のせいか、つい頬が緩んでしまう。

 

「僕はなんて幸せ者なんでしょうか」

「……旦那様? どうなさったんですの?」

「あぁいえ、なんでもないことなんですが……こうして仕事が出来て、その仕事を家族と一緒に出来るというのが、本当に幸運なことだと思いまして」

 

 マリアはきょとんとした顔で首をかしげるが、その隣でシェリーはしきりに頷いている。

 商人の家に生まれたマリアにとって『家族で一緒に仕事』は当然のことである。マリア自身も父の仕事を手伝うことは当然で、実際に商人修行として店舗の経営に参加していたこともある。

 

「分かる。私なんとなくだけど分かるなぁ。エルフ女ってさ、大人になったら故郷を出るのが多いんだ。だから私、家族と一緒に仕事するっていうの、全然やったこと無いの。そもそも父親なんてほとんど顔も覚えてないし」

「そ、そうなんですのね……」

「私も60才の時に村を出て、それから土魔法使いとか錬金術師で生活してたけど、お母さんもお姉ちゃん達も妹たちも、いまどこで何してるか全然わかんないもの。みんな元気にしてるかなぁ」

 

 お喋りをしながらもそれぞれの作業の手は止まらない。

 撮影の後、現像を終えたすべてのガラス板のテストプリントが終わったのはおよそ2時間後のこと。

 ちょっと休憩に、と部屋のドアを開けたシェリーが悲鳴のような声を上げる。

 

「シェリーさん!? どうしたんです!?」

 

 駆けつけたケントが見たのは、ドアの真ん前にじっと立っていた黒尽くめの小柄な少女。

 大神官しか被ることが許されないという帽子を被り、黒い杖を持った状態で、一言も声を出さずにドアの前にじっと立っている。

 

「……ヴィクトリア殿下、まさかずっとここにおられたんですか……?」

「……言われた通り、出てた…………」

 

 囁くような声の主はぺたぺたとケントに歩み寄り、木綿のシャツの裾をきゅっと握る。

 

「……話がしたい…………ケント・マミヤ、あなたの、魂のパートナーについて……」

 

 思わずシェリーとケントは顔を見合わせる。

 

「今すぐに」

 

 ジト目の小柄な少女は、無表情のままじっとケントを見上げていた。

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