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33 突然の夕食会と懐かしい邂逅

 撮影のための遠出の後、夜が明けて朝食を食べている部屋のドアが突然開く。

 からん、という音を立ててシェリーは手に持っていたフォークを床に落としてしまった。

 素早く給仕が駆けつけて、落ちたフォークを片付け、変わりのフォークをそっとシェリーの右手の下に置く。

 

 が、そんな事に気づかないほど、シェリーは混乱の極致にあった。

 

「おう、悪ぃ悪ぃ。イキナリ済まねェな。楽にしてくれや」

 

 大国の皇帝にそう言われて本当に楽にできるのは、おそらく蒸留酒のボトルを3本ほど開けた状態のユリア・ツァイス准将くらいのものだろう。

 

「へ、陛下、あの、これは」

 

 さすがのディエゴもぽかんとした状態が数秒続いたが、流石に一番宮廷慣れしているだけあって、意識を取り戻したのは最も早かった。

 

「おうケント、お前さンに依頼してた俺のヨメとガキどもの肖像だがな、明日イケるか?」

「あ、明日……ですか……」

 

 ちら、とケントが直ぐとなりのシェリーに視線を向けるが、シェリーはエアフォークを握った状態でフリーズしてしまっている。

 ダメだな、と思ったのか、今度はディエゴに目を向けると、ディエゴはしきりに口パクで『イケル』と繰り返していた。

 

「は……はい、大丈夫です」

「おうそうか、助かったぜ。下の息子がよ、急すぎるとかいってゴネ始めたンでな。ヨメと上の娘とでガン詰めしたら、明日の午後ならイケるようになったらしい。じゃ、そういう事でいっちょ頼まァ」

 

 それだけ伝えると、大柄な皇帝はエルフ族とは思えない『ガハハハ』という豪快な笑い声を残して大股で去っていった。

 

 数分間、その場に居合わせたディエゴ、ラウラ、マリア、そしてケントとシェリー、ついでにエルマーも誰も指一本動かせないまま固まっていたが、ここでも再起動が早かったのはディエゴである。

 

「ま、まぁ陛下はご多忙であられますからな……ここは婿殿には負担をかけますが、大丈夫ですかな」

「…………え」

「婿殿?」

「えっ? あ、あぁ、はい。大丈夫です。明日の午後……でしたっけ? え? 午前でしたか?」

「午後ね。ケントさん、本当に大丈夫? もし作業とかで忙しければ、私とユリア閣下で時間の調整は出来るかもしれないけれど」

 

 あまりの突発的な事態に、思わずエルマーも助け舟を出そうと身を乗り出してきた。が、ケントは静かに首を横に振る。

 

「いえ、顧客にとって一番都合のいい日時に合わせるのが、この仕事の常です。風景の方の残作業は夜でも出来ますし、時間的な余裕もあります。陛下のご家族が揃われるのが明日の午後であれば、明日の午後に対応できるよう、夕食後に準備を進めておきます。シェリーさん、それで大丈夫ですね?」

 

 シェリーはいまだ右手に何も持たない状態のまま持ち上げて、手にフォークがないことに気付いていない。

 

「シェリーさん?」

「ふぇ? ……ふえええ、ケントぉ、私怖いよぉ……」

 

 まるで幼い子供が怖気づいたような情けない声で、本当に半泣きになってしまったシェリは少し太めの眉をきれいな『ハ』の字にしてしまった。

 

「大丈夫です。大丈夫ですから。ね? シェリーさん? 一緒に頑張りましょう。あと、明日の陛下の肖像のときにはマリアお嬢……マリアさんもお手伝いをお願いしたいんですが、ご都合はどうですか?」

「無論、わたくしも手伝いますわ。力仕事でしたら何でも言ってくださいませ。これはブロニカ家にとっても貴重な機会、お父様もお母様も、いっしょに手伝わせて頂きますわ」

 

 娘の力強い言葉に、ディエゴとラウラもそろって笑みを浮かべ、大きく頷いた。

 

「何しろ、我が家の婿殿の大仕事ですからな。当然お手伝いしますぞ」

「ありがとうございます。助かります。それじゃあ、食後に明日の作業を色々と打ち合わせましょうか」

 

 実年齢381才のシェリーはまだまだ落ち着きが無いが、帝城内で出される食事はしっかりと完食した。デザートに出されたカスタードクリームたっぷりのワッフルに至っては4回もおかわりを繰り返している。

 

「エルマー様? このワッフル、どこか帝都内のお店で買えますかしら?」

「そうね、このワッフルなら確か帝城の近くにあるお店で売ってる品だと思うわ。皇室御用達だし、私も何度か行ったことがあるけど、ワッフルも美味しいしバナナケーキも絶品だったわよ。……分かってるわマリアさん。行くでしょ? 行きたいんでしょ? 当然行くわよ? 帝都の名店、いくつか調べ上げてあるわ」

「さすがエルマー様ですわ! シェリーお姉様も、旦那様も是非一緒に行きましょう? 仕事をしっかり終わらせて、領都に戻る前に是非、リストアップした店を制覇しますわよ! さぁ、そのためにも明日は頑張らなければなりませんわ! わたくし、旦那様の妻として、シェリーお姉様の妹妻として恥じないよう、しっかり働いてご覧に入れますわ!」

 

 勢いよく6つ目のワッフルを口に入れて、マリアが目を爛々と光らせる。仕事の後のご褒美に、めったに訪れることが出来ない帝都の名店スイーツがあるともなれば、甘いもの好きなマリアのモチベーションは爆上がり必定である。

 

「大丈夫よマリアさんもシェリーさんも。昨日もケントさんの仕事を見ていたけど、彼は並の熟練じゃないわ。何年も何十年も、何千回も気が遠くなるほど繰り返した作業を丁寧になぞっているようだったわ。きっと今の段階にたどり着くまで、相当な修練を積んだんじゃないかしら。ジョブ神託の加護とかそういうものじゃ語れない段階のものだと思うわ」

「ありがとうございます。……そうだエルマーさん、加護で思い出しました。帝城内か帝城の近くにバルゴ神殿はないでしょうか? 出来れば今回の仕事の成功を祈願するためにも、礼拝に行きたいんです」

「えぇ、バルゴ神殿なら帝城内にあるはずよ。案内を頼みましょうか」

「はい、お願いします」

 

 食事を終えた一行が各々部屋でくつろぎ始めるなか、ケントは城仕えのメイドの案内で城内のバルゴ神殿へとやってきていた。

 大神殿や聖堂といった規模ではないが、過度な装飾などは無い、実に落ち着いた雰囲気の祈りのための空間だった。

 

「案内ありがとうございます。しばらくここで礼拝をさせてください」

 

 神殿内には老神官が常駐しており、ケントを笑顔で迎え祭壇前へと招いた。

 

「大変結構な事ですじゃ。最近の若者には珍しい信仰心、神に帰依する者の端くれとして、嬉しく思いますぞ」

 

 口角が上がっているとすぐに分かる形に口ひげの両端をあげて目を細める。シワだらけの顔は、目を細めるとどこが目でどこがシワなのかわからなくなってしまいそうだ。

 

「ありがとうございます。では」

 

 ケントは祭壇前で膝をついて目を閉じる。

 薄暗かったはずの神殿で、閉じたまぶたの向こう側が明るく白い光に包まれる。

 

「やっほー! 麻宮さん久しぶり、元気してたみたいだね!」

「女神様もお変わりなさそうで」

 

 小学生ほどの小さな少女の姿をした女神エイルが、元気よくブンブンと手を振りながらケントのもとへと歩み寄ってきた。

 

「しばらく礼拝来てなかったけど、忙しかったみたいだね?」

「すみません、なかなか機会がもてなくて……」

「良いの良いの。神頼みなんてしなくても大丈夫だった、っていうことなんだから。そんなことよりさ! 結婚おめでとう! 良かったじゃん、お嫁さん二人も出来て!」

「ありがとうございます。ただ……そうですね、今度は……今度こそは、ちゃんと妻を幸せにしてあげなければいけませんね」

 

 エイルのすぐ背後が優しく光り、光の中から長身の美しい女性がゆっくりと姿を表した。創世の大精霊バルゴである。

 

「私からもお祝いを申し上げます、ケントさん」

 

 優しく微笑むバルゴは、小さな水晶を持っていた。

 

「ただ、私から一つ、ケントさんに大事なアドバイスをさせてください」

「はい、何でしょうか」

 

 バルゴはそっとケントの手に水晶を握らせると、優しい笑みを浮かべたままゆっくりと、諭して聞かせるように言葉を紡ぎ出す。

 

「生涯の伴侶を『幸せにしてあげる』、という考えはお捨てなさい」

「え、で、でも僕は」

「良いですかケントさん。一人の力で出来ることなどたかが知れています。幸福というものは、一人の努力でどうにか出来るものではありません。夫婦が二人なら二人ともが、三人なら三人全員が持てるものを差し出しあって、そして赦しあって築き上げるものです。あなたはもっと回りにいる者たちを頼って良いのですよ」

 

 ケントは手の平ににぎった水晶をじっと見たまま黙り込んでいる。

 

「奥様も、それをお望みでした」

「奥様? ……どういうことです? シェリーさんですか? それともマリアさんが?」

「麻宮沙織さんです」

 

 バルゴが口にした名前は、ケントが予想もしていないものだった。

 

「その水晶は、あなたの奥様、麻宮沙織さんの魂のカケラです」

「あ、あの、仰っていることの意味が……沙織さんは、妻はもう30年も前に、それも地球で……」

「はい仰るとおりです。奥様は、悲しみの沼に沈みそうなあなたのことを案じるあまり、地球での魂の循環から外れてしまっていたのです。そして常にあなたを見守っておられました。でも、私達があなたを突然バルゴの世界に呼び寄せてしまったために、奥様はケントさんを見失いひどく動揺されてしまいました」

 

 水晶は、ケントの手の平の温度のためか、ほんのりと暖かい。

 

「私もそんなことが出来るとは思っておりませんでした。奥様はケントさんを探して世界の境界をも超えて、このバルゴの世界の魂の海へとたどり着いていました」

「……沙織さん……そんな、まさかそんな無茶な事を……」

「はい。無茶でした。奥様は世界の壁を超えるためにその力のほとんどを使い果たしてしまいました。それでも、魂の海に溶け込むことに必死で抗っていました。その結果、奥様の魂は存在そのものの消失、ロストする寸前に陥っていたのです。ケントさん、あなたはエイルに奥様の事をお尋ねになりましたね? あのあとエイルは、必死で奥様の魂について調べていたのです」

 

 水晶は淡く、優しい黄色い光を弱々しく放っている。まるでケントとの再開を喜んでいるようだった。

 

「エイルが奥様の魂を探し出したときには、もうロストするまで間もないという状態でした。奥様の魂をロストから救うため、私とエイルは、水晶を媒体に奥様の魂を『定着』させました。あなたのユニーク魔法と同じことは出来ませんでしたが、ひとまず安定させることには成功しています」

「そ、それじゃあ、沙織さんが、この水晶の中に……?」

「はい。そのとおりです。それからケントさん、奥様からあなたに、伝言をお預かりしています。奥様の最後の力を振り絞られたのでしょう。たった一言ですが、確かに奥様のお言葉です。よろしいですか?」

 

 バルゴはゆっくりと深呼吸をして、優しい笑みをケントに向ける。

 

「奥様はこう仰っていました。『私は幸せでした。あなたは私の分まで、幸せに生きて』と。確かに、奥様はこう仰っていましたよ」

 

 水晶を優しく握りしめるケントの手にぽた、と水滴が落ちる。

 嗚咽も慟哭もない、ただ静かな涙がケントの頬を伝って落ちていく。

 

「沙織さん……幸せだったのは、僕の方ですよ……」

 

 ケントの手の平に、ちゃり、という軽い手応え。手を開いて改めて水晶を見ると、プラチナのような銀色のチェーンが通り、水晶がペンダントトップのように固定されている。

 

「ケントさん、連れてってあげて。魂がロストすると、存在そのものが永遠になくなっちゃうの。そうなると、すべての人の記憶から沙織さんの存在が消えちゃうの。でもね、ケントさんなら――」

 

 エイルは何事かをケントに告げてから、満面の笑みを浮かべて一歩飛び退いた。

 

「じゃ、ケントさん! 奥さんたちと幸せになるんだよ! またいつでも礼拝に来てね?」

 

 周囲が明るく白い光りに包まれ始める。

 バルゴとエイルの姿が光に溶け込んでいく。

 

「あ! ケントさん! またポケット見といてね! お金には困ってなさそうだけど、約束通り! 小金貨入れといたからね!」

 

 可愛らしい声を残してエイル達の姿が消え、周囲が薄暗い礼拝堂が現れた。

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