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32 技師としての矜持

 大騒ぎのパーティが終わった翌日、朝早くからケントの姿は帝都を見下ろす高い丘の上にあった。

 エルマーが操る八脚の馬は、伯爵ユリアの愛馬『スレイプニル』だ。

 

「帝都を一望するなら、私ならここ以外無いと思うわ」

 

 巨馬スレイプニルの背には、先頭にケント、その後ろにやや背の高いシェリー、そして手綱を低いエルマーが乗っているが、三人を背に載せても頑健剛力で知られるスレイプニルはびくともしない。

 ひらりと馬の背から降りて、エルマーはケントに手を差し伸べる。

 

「気をつけてね。落ちたら怪我するわよ」

「ありがとうございます、エルマーさん」

「ふふ、どういたしまして」

 

 少し嬉しそうなエルマーは、昨夜のパーティの後にマリアの襲撃を受け、日付が変わってからも延々と『涙無しに語ることの出来ない、真実の愛の物語』を聞かされる事になった。

 その話の主人公が目の前の冴えない青年であることはすぐに分かったが、エルマーは泣きじゃくりながら語るマリアに『あまり誰彼構わず、この話を言いふらさない方が良いわ。誰にだって秘めておきたい愛はあるものよ?』と諭してからようやく解放されている。

 ちなみにマリアは朝起きることが出来ず、ブロニカ家に割り当てられた客室で心地よさそうな寝顔で眠っていた。

 

「この方向に見えるのが帝城で、その向こうに見えるのはウェーナー山脈ね。どうかしら? ケントさんからみてこの景色は」

「素晴らしいです……帝都はこんなに大きかったんですね」

「そうね、ユリア伯爵の領都がすっぽり4つは入る規模になってるわ。ほら、帝城から南に少し言ったところにあるあの大きな建物、あれは国立大学で、そのすぐとなりにある赤い屋根の建物、あれは国立博物館ね。どれもアドル帝の治世になってから整備されたものなの。それから帝都を囲む城壁の……見るかしら? 南にある尖塔があるでしょ? あれは帝都で一番古い建物なの。2000年前からあの姿で、もともとはアレが『インベスター大公国』だった頃の王城の名残なの」

「そうだったんですか……インダスター帝国は、かなり歴史のある国なんですね」

 

 手際よくシェリーの手伝いを受けながら三脚とカメラを設置するケントは、話をしながらも作業の手は淀みない。

 

 すでにイーストマン大渓谷での撮影を目の当たりにしたエルマーは、今更驚くことはないものの、その手際のよさとケントの歳に似合わぬ熟練には感心するばかりである。

 かなり慎重に、見慣れぬ『カメラ』とかいう機械を操作して奇妙な平たい箱のようなものを入れては『ガシュ』という音を立てて何かを動かす。その操作を繰り返すだけで、ケントはスケッチすら描かない。

 これでどうやってあの細密画を描くのだろうと不思議になってしまうが、現にケントはこの手順で、皇帝自らが白金貨500枚の値をつけた風景画を描いているのだ。

 

「不思議よね……それで絵が描けるなんて」

「あはは、そうですね。この光画は、筆を使って描くものではないんです。光を使って描くんです」

「なるほど、それで『光画』というワケね。なるほど、誰にも出来ないわけだわ」

 

 エルマーは深く追求しなかった。

 経験豊富な冒険者として、長年危険な現場で生きてきた彼女は、自分の理解や力が及ぶ範囲と、そうでない範囲を本能的に嗅ぎ分けることが出来る。

 彼女の今の役目は、2人のパーティ『宵闇の光明』の案内と護衛だ。これ以上の情報は、むしろ任務の妨げになるかもしれない。

 であれば、理解すること自体を諦める、という選択肢も、エルマーにとっては当然のことである。

 

「できるだけ邪魔はしないから、作業が一段落したら教えてもらえるかしら」

「わかりました。ありがとうございます」

 

 この日、エルマーはスレイプニルを駆って何箇所か帝都を望めるスポットを周り、各スポットでケントとシェリーは手際よくカメラを操作する。

 昼を過ぎて、陽がかなり傾いた時刻に帝都の城門をくぐった3人は、そのまま真っすぐ帝城へと向かった。

 

「お疲れ様であります、エルマー・イルフォード中佐。ユリア・ツァイス准将閣下が、中佐が戻られたら陸軍元帥執務室へ出頭するように、とのことであります」

「ありがとう、承知したわ。じゃあケントさん、シェリーさん、私は行くわね。また何かあったら、部屋におつきの使用人に用を伝えて。あなた達の滞在中、私があなた達の護衛をすることになっているから」

「わかりました。今日は長い時間ありがとうございました」

 

 エルマーが優雅に廊下の奥へと歩いていったのを見送って、ケントとシェリーは2人に割り当てられた部屋のテーブルに、今日撮影した感光ガラスのケースを並べる。

 

「さぁ、これからが本番です。現像だけでも夕食前に終わらせてしまいましょう」

「うん、頑張って! 私、明日以降に使う感光ガラス板を作っておく」

「お願いします。…………ふふふ、なんだかもう、すっかり『阿吽の呼吸』になりましたね」

「アウンノコキュウ? 何それ? 新しいスイーツ?」

「いえ、スイーツではありません。長い事一緒に働いて、言葉をかわさなくてもお互いが必要なものを必要なタイミングで、必要な形で出し合える、そんな関係のことを指す言葉です」

「へぇ! それ良い! アウンノコキュウかぁ……えへへぇ、なんか良いなぁ」

 

 嬉しそうにだらしない笑顔を浮かべるシェリーは、もうすっかり熟練の粋に達した手つきで、作業台の上に大きな箱を組み立てる。

 光を通さないように黒い布で腕を入れる口を作り、真っ暗な箱の中で手の感覚だけを頼りに感光ガラスを作り出す作業だ。

 ケントはユニークジョブ特有の魔法、『増幅』『反転』『定着』を露光済みのガラス板に施していく。このプロセスももはや流れ作業のように淀み無く進み、作業ミスなどもまったく発生しなくなっている。

 

 だが、ケントの表情は相変わらず引き締まり、緊張していることが見て取れる。

 ケントにとっては、慣れた作業こそ気を引き締めなければ危険だ、ということは骨の髄まで染み込んでいた。

 

 写真館の仕事は、ミスが許されない。

 場合によっては、その人の一世一代の瞬間をフィルムに収めるのだ。あとからやり直しなど許されないのが当然の世界である。

 数十年に渡って繰り返した作業だが、ケントはただの一度も致命的なミスを犯したことはない。

 しつこいくらいの確認に、バカバカしいと思えるほど愚直に手順を遵守した作業。

 効率厨と呼ばれる者たちから見れば、鼻で笑ってしまうほどに効率の悪い手順かもしれない。だが、普段謙虚で何かを自慢することがないケントにも、仕事においては技術者としてのプライドがあった。

 丁寧に処理をしたガラス板を取り出すと、そこには見事なくらい高精細に描かれた帝都の姿が写し取られている。

 あとは、このガラス板を原版としてプリント処理を行う必要がある。まだまだ気の抜けない時間が続くだろう。

 ブロニカ家の一行には『大事な光画を作る作業、それも皇帝陛下に皇后陛下、皇女殿下からのご注文です。ゆめゆめおろそかには出来ません。集中したいので、出来れば二人だけで作業をさせて欲しい』と頼み込んである。

 

 結局、この日撮影した十数枚のガラス板の現像を終わらせた時点で、使用人が夕食の案内に訪れて来た。

 使用人の話では、今日は皇帝や皇后は別の要件があり、皇女クラウディアはユリアやエルマーとの会議があるとのことだった。

 

「じゃあ、ディエゴさん達との食事になりそうですね」

「そだね。あー、お腹すいたぁ……そう言えばケント、こういうお城で食べる食事のマナーとかって……知ってる?」

「い、いえ……そう言えばその、テーブルマナーとかそういうものは全然わかりませんね」

「ご安心ください」

 

 くす、と微笑みながら案内役の使用人の男が振り返る。

 

「両陛下から直々に申しつかっております。お二人とブロニカ士爵家の皆様には、帝都の名産を使いながらも気軽に召し上がれるものをご用意しております。きっとお気に召すかと思いますよ」

「そ、そうでしたか、よかった……ありがとうございます。まさか両陛下にお気遣いを頂けるなんて、光栄です」

「私どもが知る両陛下は、そういうお方ですから」

 

 使用人の言葉は簡潔だが、この言葉は皇帝や皇后の人となりをよく表したものである。

 2人が通された部屋は、小規模な食事会などで使われるわりとコンパクトな部屋で、ディエゴやラウラ、加えて今朝は盛大に寝坊したというマリアも着席している。

 

 そして上座には穏やかな雰囲気の若者が座っていた。

 

「すみません、お待たせし……まし……も、申し訳ございません! まさか皇太子殿下がおられるとは知らずに」

 

 シェリーはひゅう、という変な呼吸音で息を吸ってから硬直してしまった。

 

「あぁ、お気になさらないでください。さ、どうぞどうぞ、そちらの席へ」

 

 皇太子クラウドは気さくな笑顔を浮かべてケントとシェリーにも席を進めた。

 誰にでも丁寧な言葉で、柔らかな物腰で話す辺りはケントとよく似ている人物だ。

 

「いかがでしたか? 今日は満足の行く結果になりましたか?」

「はい、お陰様で。エルマーさん……中佐のご案内で、何箇所か回らせて頂きました」

「そうですか、それは実に重畳。両親も妹も楽しみにしています。ですがケントさん、ひとつお願いがありまして、今日はお食事をご一緒させて頂きました」

「ぼ、僕に、お願い……ですか?」

「はい。あぁ、正確には2つ、ですね。まずひとつ目は」

 

 すぅ、と静かに息を吸って、クラウドはやや引き締まった表情を作ってケントに向ける。

 

「くれぐれも、ご無理はなさらないようにしてください。あの場では10日と仰っていましたが、風景画を10日で仕上げるのがムリであることは、私も父も理解しています。時間をかけて頂いて大丈夫ですので、ケントさんやシェリーさんの身体にムリが出ないように、まずそこは厳にお約束ください。よろしいですか?」

 

 意外な『お願いごと』だった。納期の短縮などではなく、逆に『ムリをしないこと最優先』という指示である。

 

「加えてもうひとつなんですが、こちらはやや厄介と言いますか、こちらのわがままに付き合って頂くようなことになるんですが……」

 

 クラウドの表情が少し申し訳なさそうに、眉が下がり気味になった。

 

「帝都に滞在中、一番下の妹が是非お話をと希望しておりまして、妹のヴィクトリアとの面会の予定を入れてもよろしいですか?」

「ヴィクトリア殿下……というと、確か……」

「婿殿、ヴィクトリア殿下はこのインダスター帝国の聖職者の頂点、大神官の職についておられるお方ですな」

「だ、大神官……様……ですか」

「はい。マリア嬢に欠けられた百日殺の呪の話、それに、報告を確認させて頂きましたが、イーストマン大渓谷への遠征時の、赤斑の呪を解いたときのお話を詳しく伺いたいとのことです」

 

 運ばれてきた食前酒を軽く口に含んで、皇太子が言葉を続けた。

 

「妹は、癒やしや解呪のスペシャリストなのですが、マリア嬢の百日殺の呪を解くことが出来なかったんです。その呪を解除した、という報告を受けておりまして、是非今後の参考に、とのことでして」

「なるほど、承知しました。僕がお役に立てるのであれば、喜んで」

 

 ケントが頷くと、マリアもどこか嬉しそうな笑顔を浮かべる。

 対照的に、クラウドはやや困ったような表情になった。

 

「一応、念の為に……まぁ必要ないかとは思いますが、事前にひとつお伝えしておきますと……妹はちょっと変わった性格と言いますか、物言いと言いますか、少し癖のある話し方をしますので、そこだけ心に留めおいてもらえるとありがたいです」

 

 はぁ、とため息をついた皇太子の顔は、どこか『妹に振り回されて疲れきった兄』のそれによく似ていた。

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