31 月夜のパーティで
皇帝の思いつきと、そしてノリと勢いで決定した『ブロニカ家令嬢マリア、錬金術師シェリー嬢と光画師ケント・マミヤの婚約祝賀パーティ』は、実に多くの貴族たちの出席で大賑わいとなった。
マリアに数多くの贈り物をしては突き返されていた公爵令息は涙に濡れ、若き子爵家当主は呆然としながらも酒に酔い『終わった、俺はもう終わった』とうわ言のように繰り返しながらハンカチを涙で濡らしていたという。
宴もたけなわになったころには、皇帝はディエゴにユリア、さらにはクラウディアと肩を組んで大声で歌いだし、皇后ケントメアの声も届かなくなってしまっていた。
そんな中、主役の一人であるケントの姿がパーティ会場にないことに気付いたのは、マリアの母であるラウラだった。
ほんの少しワインを飲んで火照った身体を冷やそうと、ラウラは帝城の中庭にある庭園へと歩み出た。
晩秋の少し冷え込む夜ではあったが、秋咲きのバラの花が咲き乱れる美しい庭園をゆっくりと歩く内、庭園の真ん中にぽつんと置かれたベンチに腰掛ける人影が目に入った。
やや近眼気味のラウラは、直ぐ側まで近寄ってようやく、それが一人で美しい輪のかかった月を見上げるケントであることが分かった。
「あらケント様? どうなさったの、こんな寒いところで」
「ラウラ夫人? 夫人こそどうなさったんですか?」
振り返ったケントのまつげは、ほんの少し濡れているように見えた。
大柄な夫ディエゴと異なり、エルフ族であるラウラは小柄で、マリアがノーム族の血を引く割に小柄なのはラウラの遺伝だった。
「……きれいな場所ね。我が家の庭にも、バラを植えている区画があるわ。私もマリアもバラが好きで、よく庭を眺めていたわ」
「そうだったんですね……そう言えばマリアさんの肖像を取ったのも、バラ園でしたね」
にこ、と優しげな笑みを浮かべながら、ラウラはケントの隣に静かに腰掛ける。
「思い出すわ。ケント様と出会う前……私は毎晩のように、こうして庭に出て月を、星を、それにマリアが大好きなバラを眺めていたの。正直に言うと……現実逃避みたいなものかしら。娘が、マリアが呪で殺されるかもしれない、自分の命よりも大切な娘を旅立たせる、葬儀の準備をしないといけない……母親としては、拷問のほうがマシだと思えるほど辛かった」
「……お察しします」
「でもね、そんなときには花と星を眺めるの。そうすると心が落ち着くのよ」
「そうでしたか……」
「そんな時に、マリアが肖像を残したい、と言ってきたの。残される私達がさみしくないように、自分の姿をいつでも思い出せるようにって。あれからもうどれくらい経つのかしら……ケント様、あなたは紛れもなく娘の命を、人生を救ってくださった大恩人。それに、あなたは我が家にとっては大切な婿、私の息子同然とも言えるわね?」
「……ありがとうございます、夫人」
「その夫人、というも頂けないわね。『お義母様』でも『ラウラさん』でも良いけれど、その他人行儀な呼び方は私も寂しいわ。私もケント様じゃなくて、ケントさん、とお呼びするわ。いいかしら?」
「それはもちろん。すみません、僕も気をつけます」
苦笑を浮かべて、ケントは再び顔をあげて明るく輝く月を見上げる。
「……ねぇケントさん? あなた、何にそんなに苦しんでいるの?」
「え?」
ラウラの深い緑色の瞳は、じっと愛娘の夫となった男の黒い瞳を覗き込む。
「あなたはずっと、シェリーさんにあれだけ好意を向けられていながら、婚約をした今になってもまだ壁を作ったままね? 妻を娶るのがそんなに恐い?」
「いえ、そういうわけでは無いんです。ただ……いえ……正直に言うと、恐いですね」
ケントはふぅ、と大きく息を吐いて俯いた。冷たい月明かりに照らされ、また冷たい空気のせいか顔色は少し青ざめている。
「妻を娶るのが……いえ、僕のような男が本当に誰かの伴侶として、生涯をともにするパートナーになって……幸せになって良いんだろうかと、ずっと考えてしまいます」
「ケントさん、それはどうして――」
「御存知の通り、僕には妻がいました。本当に心から妻を愛していました。妻が病に倒れて死の床にあるときも、出来るものなら僕が妻の代わりになりたい、僕の寿命を半分妻に差し出してでも生きてほしいと、そう心の底から願いました」
マリアが涙した美しい愛の物語。だが、ケントにとって妻の思い出の最後には、ずっと後悔がつきまとっていた。
「妻がもう助からないと、そう知らされたとき……僕はそれでも妻に、少しでも長く生きていてほしいと願いました。もう治る見込みがない、これ以上は苦痛を増やすだけだと医者に告げられたとき、妻に『もう楽になりたい』と言われたときも、僕は……僕は妻に生きてほしいと、そう願ってしまったんです……」
冷たい光に照らされたケントの頬を涙が伝い落ちた。
「僕は……妻の命を自分の手で終わらせる勇気がありませんでした……最期には、本当に最期に妻はありがとうと言ってくれました。でも僕は、僕は……僕は、ただ自分のワガママのために、醜い執着のために、ただただ妻を苦しめ続けてしまっただけなんじゃないかと……僕は、妻を本当に愛していたなら、妻を苦しみから解放してあげるべきだったのかもしれないと、それなのに僕は、僕は――」
ケントの言葉は、最後の辺りは嗚咽にかき消されるように言葉にならなかった。
遠くからはパーティの明るい笑い声が、まるで別世界の出来事のように風に乗って運ばれてくる。
「ケントさん、本当に奥様のこと、愛してらしたのね」
両手で顔を多い、ケントは小さく頷いた。
「僕には……妻をずっと苦しめてしまった僕には、幸せになる資格なんてありません。妻もきっと僕を恨んでいます。なのに僕は妻に謝ることもできない……今際の際の妻に泣いてすがりついて、手を離すことも出来ず、ただただお願いだ、死なないでくれと取り乱した僕にあきれているはずです。それなのに、僕はシェリーさんもマリアさんも巻き込んで、また苦しめてしまうんじゃないかと思うと……何よりそれが恐ろしいんです」
「ケントさん、あなたは一つ勘違いをしているわ」
ラウラはそっとケントの背中をさすり、優しく語りかけた。
「私もディエゴの妻、マリアの母として、奥様の気持ちはすべてではありませんが、よくわかります。奥様は、この上なく満足して旅立たれたはずです」
ケントは涙を拭うことも忘れて、美しく若々しい義母の言葉に聞き入っていた。
「女というものは、自分が苦しいとき、家族が苦しいときに夫がどのようなことを言い、どのように振る舞うのかをよく見ているものです。ケントさんは、奥様が病に倒れられたときにずっと看病なさっていたんですよね? 手を尽くして、それでも救うことが出来ない、その事がわかってからも、ずっと奥様に寄り添って来られた。奥様を愛して、握った手を離すこと無く、ケントさんの人生には奥様が必要だ、愛していると、そう伝え続けたんですね」
「はい……でも結局は、それはただ妻を苦しめ続けただけで……」
「いいえ、そこがケントさんの勘違い。人の妻である私にはわかります。奥様は、ケントさんの愛に感謝しこそすれ、呆れや恨みの感情なんて一欠片もお持ちじゃなかったはずです。だってそうじゃありませんか。苦しいときにずっと手を握って、ずっと励まし続けて来られたんですよね? これが愛でなくて何だというんですか。最期の瞬間まで夫の手の温もりを感じながら旅立つことが出来る。夫の愛に感謝しながら最期の眠りにつくことが出来る。夫を愛する妻として、これほど幸せな死に方が他にありますか」
ケントはもはや嗚咽を抑える事もできず、義母となったラウラに優しく背中をさすられながら泣き続けている。
「胸をお張りなさい。ケントさん、あなたは妻にとって、最高の夫として奥様を旅立たせたのよ。私が奥様の立場だったら、今頃魂の海で精霊たちに自慢していますよ? あれが私の夫だ、どうだ良い男だろう、最高の夫だって。私も、もしディエゴに看取られるとしたら、奥様のように旅立ちたいと思うくらいです。だからケントさん、あなたはもう幸せにならなければいけないわ」
ラウラの声はどこまでも優しく、泣いている子供に諭して聞かせる母の言葉のようでもある。
「奥様も、何よりそれを望んでおられるはず。いいえ、絶対に、奥様はケントさんの幸せを望んでおられます。私だったら耐えられませんもの。生きている夫が、死んだ自分に縛られて幸福になる事を諦めるなんて、そんなの死んでも魂の海に還れません。だからケントさん、あなたは奥様のためにも、あなた自身が幸せにならなければならないの」
ケントは俯いて、必死で嗚咽を噛み殺していた。
声を出すまいと歯を食いしばり、ただ必死に自分の涙に耐えていた。
「……僕は、僕は…………沙織さんにとって、妻にとって、良い夫だったでしょうか……」
「えぇ。この場におられない奥様に代わって、私が断言してあげます。あなたは、最高の夫よ。そして私の自慢の息子。ほら、顔をお上げなさい? あなたにもしもうお母様がいらっしゃらないのなら、私があなたの母よ。いつでも、私を頼りなさい。母親というものはね、いつでも子供に頼られるのを待っているもの。いつだっていらっしゃい。私はマリアの母であると同時に、ケントさん、あなたの母にもなったんだから」
無言で頭を下げて、再びケントは嗚咽を漏らす。
その痩せた背中を優しく撫でるラウラが視線を向けると、そこには滂沱の涙を流して立ち尽くすマリアとシェリー、それに二人のすぐ傍で涙を拭っている皇后ケントメアの姿があった。
パーティの主役の一人がいない事に気付いた皇后が、二人の主役を伴って探しに出てきていたのだ。
ラウラが苦笑いをして目配せをすると、皇后ケントメアはマリアとシェリーを引っ張って館へと戻っていく。
この日、目を真っ赤に腫らしたケントは一旦パーティ会場横の控室に戻り、氷魔法で冷やしたタオルを目に当てて腫れを少し抑えてから、新婦二人が待つパーティ会場へと戻って行った。
しばらく姿を見せなかった新郎ケントの姿を認めた多くの貴族たちが祝福の拍手を送る中、二人の妻は涙を隠そうともせずにケントに駆け寄り、二人同時に抱きついた。
「ど、どうしたんですかシェリーさん? マリアさんまで」
シェリーは子供のように啜り上げながら泣き、マリアはケントに縋りつきながら鼻が詰まった声で言葉を絞り出す。
「う、美しいですわ……旦那様の、旦那様の愛は美しすぎますわ! わたくし、今日ほど旦那様の妻になれることを誇りに思ったことはありませんわ!」
「そうよケント! ケントは幸せにならなきゃダメなの! 絶対! 何があっても! 私達と幸せになるの!」
二人してそう言った後、共に夫となるケントの服に顔を押し付けてわんわんと泣きじゃくる。
周囲の目には、婚約の嬉しさのあまりの涙であると映っただろう。
だが、彼女たちの涙が感動によって溢れ出たものだと知る者は、子を持つ母である二人の女だけであった。




