30 家族の肖像
謁見の間の貴族たちが口々にケントの光画、題して『雄大なるイーストマン大渓谷を望む』の感想を語り合うなか、何とか歩ける程度に回復したケントとシェリーが、エルマーに付き添われて謁見の場に戻ってきた。
いつの間にか謁見の間には椅子が据えられており、ディエゴやラウラ、それにユリアは皇帝の前の席に腰掛けている。
「ひぃ……ヤだ、もうヤだ、おうち帰りたいよぅ……」
「も、もう少しです。もう少しですから頑張りましょう、シェリーさん」
「うぅ……怖い、怖いぃ……」
ボソボソと呟きながら謁見の間の赤絨毯を歩く二人は、時々毛足の長さのせいで足元をとられ転びそうになるも、何とか椅子までたどり着いた。
「大事ありませんでしたか?」
そんな二人に声をかけたのは皇后ケントメアである。
「ごめんなさい、慣れない場でムリをさせてしまったわね。バカな夫と配慮の足りない娘に代わってこの通り、お詫びします」
「そ、そんな陛下!」
なんと一市民であるケントとシェリーに対して、皇后は深々と頭を下げて見せた。
「おやめください! 僕のようなものに頭を下げるなど――」
「誰であれ、招待した客人にムリを強いたのは事実。そこは紛れもなく私達の落ち度です。違いますか?」
「……あの、それは、そう、いえ、今のはその――」
「そうであれば、落ち度のある方が頭を下げるのは至極当然のこと。それは私達のような立場であっても変わらないのですよ。そうですね?」
ケントへの言葉の後、皇后は居並ぶ貴族たちに視線を向け、やや厳しい言葉を投げかける。
インダスター帝国において、貴族とは『選ばれ、特権を許された貴き階級』を指す言葉ではない。市民の模範であり、市民よりも勤勉で市民よりも誠実であり、かつ市民の数倍もの義務を果たしたものに送られる呼び名である。
「我が国には市民を虐げる貴族、市民に劣る貴族、ましてや義務も果たさずにただ生まれた家門の上にあぐらをかくような、無能な貴族など存在してはなりません。私達は誰よりも尊い義務を負い、義務を果たすからこそ貴族と呼ばれ得るのです。そうですね?」
居並ぶ貴族から拍手が沸き起こる。
インダスター帝国がはじめからこのような国情であったかというと、決してそうではない。
アドル帝の御世が始まる時代、今から二百年以上前の時代には腐敗貴族が横行する典型的な貴族社会であった。
『くだらねぇ、ブッ潰しちまえこんな家』
皇帝の冠を先帝である伯父から受け継いだ、というか正確には『怠惰な皇帝を蹴落として玉座から引きずり下ろし、実力で冠を奪い取った』とされる若きアドル帝が、最初に出した勅令がこの一言である。
汚職と収賄、さらには領地の民衆に重税を課し、餓死者まで出したという某男爵の地獄と化した領地の民衆が、ひとり帝城へ直訴に訪れた事件があった。
ボロボロの身なりに肋骨が浮き出るほどに痩せさらばえた老人は、自らの首に縄をくくりつけた状態で帝城の正門前に座り続けた。
陸軍大佐になったばかりのユリアが、その老人が震える手で差し出した書状を受取ると、老人は『自分は処刑されても構わない。この身を八つ裂きにされようと獣の餌にされようと、新帝陛下に民の声をお届け頂ければ本望』と言い残し、自決しようとした。
ユリアは老人の手をとめ、回復のための法術を施して救護室で保護した後、調査を始めた。
難航すると思われた調査だったが、あまりにも杜撰に行われた汚職はあっけなく多くの証拠が集まり、山のような証拠書類を即位して数日のアドル帝のもとに突き出した。
しばし書類に目を通していた若き皇帝は忌々しげなため息の後に、最初の勅令を出したのだった。
以降、アドル帝は『貴族審問官』の役職を設置して、貴族審問院の長に自ら据えてを責任者とした後、皇帝直轄の組織として腐敗貴族を徹底的に叩き潰した。
あるものは財産を国庫に没収し、あるものは国外へ追放。子供の人身売買に手を染めていた侯爵に至っては、当主は死刑、人身売買に関与が認められた家族も同様に死刑となり、他の家族は国外追放か貴族籍を抹消した上での帝都追放を言い渡している。
わずか30年で改易となった家は百を超え、50年経つ頃には『ノブレス・オブリージュ』という言葉すら当然のものとなり、100年が経つ頃には爵位の意味そのものが完全に代わっていた。
爵位は、果たして来た義務と国への貢献の大きさに加え、その家のものが今後果たさねばならない義務と、一挙手一投足が市民の模範たりうるかが厳しい目で批評される、という意味を持つものになった。
一時期は叙爵を辞退するものも続出したが、そのような者は市民からも既存の貴族からも『腰抜け』と呼ばれ、国内に居場所がなくなるという国情になっている。
そんなインダスター帝国の今上の皇帝の統治下において、180年前に発生した人身売買および違法奴隷取引事件。
この事件がつい最近になって大きく動いたことは、社交界や貴族たちの間でももっぱらの話題であった。
古参貴族であるフォン・ハイ伯爵家とその分家フォン・ハイ子爵家が相次いで摘発され改易、それぞれの当主や家族が鉱山に派遣され、『国民のための尊い労働』に従事する事になったのは、ごく最近の話である。
このフォン・ハイ家摘発騒動で有力な証拠を提供したのが、今まさに謁見の間で落ち着き無くそわそわと座っているダークエルフの娘である事を知る者は、ごく一握りだけである。
「少し落ち着きましたか? ごめんなさいねウチの人が本当に」
皇后は申し訳なさそうな顔をしながら、隣りに座る皇帝の脇腹に肘鉄を入れる。それも小突く程度ではなく、皇帝がうめき声をあげる程度の強さだ。
「娘のわがままにも付き合わせてしまって、本当にごめんなさい。でも……本当に素晴らしい絵だわ。こんな写実的な風景画は今まで見たことがありません」
ケントメア皇后は目を細めて風景画に見入ったまま、感嘆のため息を漏らす。
「私はイーストマン渓谷を訪れたことがないのだけれど、いつかその雄大な景色を観てみたいと思っていました。まるで自分がその場にいるかのよう……ありがとう、宵闇の光明のお二人。今日、私の夢がひとつ叶いました。皇帝陛下から発注があった分は対応して頂くとして、もし可能なら、私からも注文をしたいのだけれど、良いかしら?」
「は、はい、陛下」
ちら、とケントメアが視線を向けた先にいるのは、眉間にシワを寄せてこめかみを揉んでいる皇太子クラウド。続いて、自慢げなドヤ顔を見せている陸軍元帥の長女クラウディアである。
「ウチには四人の子供がいるのだけれど……家族揃っての時間がなかなかとれないのです。そのせいで家族の肖像が今まで1枚しか無くて……あなたは相当な早描きで、しかもコレほどに写実的な絵を描かれています。聞けばブロニカ家のマリア嬢に、ユリア准将の肖像も手掛けられたとか。どうかしら、私達家族の肖像もお願いできないかしら。今ここにある絵と同じくらいの大きさで」
「へ、陛下の、皇室のご一家の肖像を、僕のような市民が、ですか?」
またしても血の気の引いたケントが慎重に呼吸をしながら注文内容を確認すると、皇帝と皇后は二人そろって大きく頷いた。
「ま、そういうこった。ガキどもはまぁ忙しくてなぁ。上の倅は今度隣国からヨメが来る予定なンだが、結婚するとなかなか時間も取れねぇだろ。末娘もいるが、あいつらが皆、ウチの子でいる間にもう1枚って考えてたンだよ。どうだ? やってくれるか?」
「も、もちろん。この身に余る光栄です。では、皇室のみなさんが一同に介する機会がありましたら、その際に」
「おう、じゃ頼ンだぜ? 謝礼はそうだな、現ナマはもちろんのことだが……そうだ、爵位いらねぇか? ン? どうだ?」
「陛下。そういうことを軽々しく仰らないでください」
すかさずツッコミを入れた皇太子は、もはや顔が縦半分に別れてしまいそうなほど、深く眉間にシワを刻み込んでいる。
「ですが、家族の肖像は私も欲しいと思っていたところです。いかがでしょう? ケント・マミヤさん、お引き受け頂けるのであれば、謝礼については各種調整をした上で、となりますが」
「畏まりました。両陛下、並びにご家族の肖像の作成、謹んで承ります」
「おぉ、婿殿! これは末代までの誉ですぞ! このディエゴも実に誇らしい! 必要なものがあればこのブロニカ商会が何でも揃えましょうぞ!」
ケントが深々と頭を下げた隣で、大柄なディエゴがひときわよく通る声をあげた。
「ま、そう言ってくれるのは俺としても嬉しいことだ……がな、おいディエゴ、お前ェいま何つった? 婿殿って言ったか?」
皇帝が食いついてきた言葉に、ユリアとディエゴは揃ってにやりと笑みを浮かべた。
「左様でございます、陛下。本日は宵闇の光明、ケント・マミヤとシェリー・ストライダーの作品の納品に加えまして、ひとつご報告がございます。ご列席の皆々様にも、是非お聞き届け頂きたく!」
ディエゴがゆっくりと立ち上がり、赤毛の美しい令嬢を立ち上がらせる。一緒に立ち上がった小柄な母ラウラは一歩下がって夫と娘を皇帝と皇后の前に立たせた。
「我が娘、マリア・ブロニカはこの度、光画師ケント・マミヤ殿と婚約いたしました! 加えて、宵闇の光明のパートナー、シェリー・ストライダー殿もケント殿と同日に婚約しております!」
「まぁ!」
ディエゴの言葉に思わず立ち上がり、声を上げたのは皇后ケントメアである。
喜色満面と言った表情で玉座から駆け下り、赤毛の令嬢の手をぎゅっと握った。
「おめでとう! あなたは確か、去年と一昨年の武術大会、剣術の部で準優勝だった、あのマリア・ブロニカよね? まぁなんてめでたいことなんでしょう! 我が国の若い才能が、国内で才能ある芸術家と結ばれるなんて、こんなに喜ばしいことはないわ!」
皇后の声は謁見の間の隅々まで響き渡る。
「ありがとうございます、皇后陛下。わたくしは愛する旦那様、ケント様に命を救われた身です。百日殺の呪に蝕まれたわたくしを、ケント様が救ってくださったのです。わたくし……もうその日から、旦那様の妻になれる日を待ちきれずにおりますわ」
「えぇえぇ。恋する乙女はそういうもの。わかりました。皇后ケントメア・インダスターの名において、マリア・ブロニカ、シェリー・ストライダー両名と、ケント・マミヤとの婚姻を認めます!」
ディエゴやユリアが本当に欲しかった言葉であった。
皇后が認めたということは、事実上『シゴデキな女房には逆らえない夫』である皇帝の認可もおりた、ということである。
周囲の貴族の半分からは落胆のため息が、そしてもう半分からは祝福の拍手が沸き起こった。
「よしよし! めでてェ話じゃねぇか! よぉし! 酒だ酒だ! 酒持って来い! 今夜はパーティだ!」
皇帝の突然の思いつきに、皇太子はますます眉間のシワを深くして、こめかみをぐりぐりと揉み始めてしまった。




