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29 静まり返る謁見の間

 クラウディアがにこやかに、いつもの実に馴れ馴れしい口調での口上を話す間、皇太子クラウドは時折眉間を抑えて俯いていた。

 

 皇室一の常識人にして、『もっとも皇族らしい皇族』こと皇室の長男坊は、幼い頃から山賊のような父に振り回され、生国にあっては建国以来の才媛とまで謳われた母の英才教育を受けて育ち、弟妹が生まれてからは常にその模範たるべしと自らを厳しく律して鍛え続けたために、文武芸術に政治全てに秀でた俊英、『インダスターの若獅子』とまで呼ばれる英傑に育っていた。

 

 すぐ下の妹クラウディアは、天衣無縫にして天真爛漫、軍略や戦術においてクラウドを遥かに凌ぐ才能を見せ、国軍の配置の見直しから将校らの綱紀粛正に加え、国軍全体の実力の底上げを実現した実力者である。


「――というわけでぇ、今日この場でユニークジョブを持つケント・マミヤさんの作品をぉ? お集まりの皆さんにも、特別にお披露目しちゃいまぁす! はぁい皆さん拍手ゥ!」

 

 にこやかに締めくくられた口上の後、列席の貴族たちからは拍手が湧き上がった。

 

「えっと、それじゃあ……ディエゴさんとユリアちゃん? ちょっとこの絵、壇上に上げてくれる? お父様とお母様はこっちこっち」

 

 ちょいちょいと手招きをして皇帝と皇后を呼び寄せるなど、他国では到底見ることは出来ないであろう光景を、相変わらず唖然として見上げているケントとシェリーは、いまだ事態を把握できないでいた。

 

「えっと、これで良いかな? 遠くの席の人はゴメンなさーい、あとでちゃんと順番に見る時間つくるから待っててくださいねぇ? じゃあ、『宵闇の光明』の交渉窓口、ブロニカ商会のディエゴさんとぉ、あとお二人が暮らすツァイス伯爵領都領主のユリアちゃん? 覆いを取って、まずは私とお父様とお母様、それにお兄様に見せてくださーい」

 

 苦笑混じりに二人の大柄なノーム族がばさ、と覆い布を取り払う。

 皇帝と皇后、それに皇太子と元帥の眼の前には、雄大なイーストマン大渓谷が夕陽に照らされる景色が描かれた風景画が現れた。

 

「こ、これはなんという!」

 

 思わず声を漏らしたのは皇太子。皇后は目を見開いて手を口に当てたまま、言葉を出せないでいた。

 

「うっわぁ…………」

 

 感嘆のため息の後、言葉を紡げないでいた皇女クラウディアは、母親とそっくり同じような姿勢で固まっている。

 謁見の間はしん、と静まり返った。

 マリアの肖像画のお披露目パーティのときのように歓声が上がるかとも思われたが、耳が痛くなるほどの静寂が暫く続く。

 

「こいつァ……とンでも無ェなオイ」

 

 皇帝は一歩前へ歩み出て、絵に顔を近づける。

 イーストマン大渓谷を展望できる高台に映える雑草の一本一本、転がっている石ころのひとつひとつ、さらには遥か遠くに見える木々の枝に至るまで、すべてが描き出されていた。

 

 普通の画家ならば省略してしまうような要素も余さず描き出し、生々しいとすら言える立体感を感じる描写だった。

 まるで目の前に窓があり、その窓の向こうに大渓谷の雄大な景色が広がっているような、そんな錯覚すら覚える巨大な一枚絵。

 その場にいる皇族、貴族、軍人、文官、大臣のいずれもが初めて目の当たりにする『写真』であった。

 

「恐れながらクラウディア殿下。不敬かとは思いましたが、このユリアも同じものを1枚、ケントらより買い求めております」

「えっ? そうなの? 同じものを? ……同じものがあるの!? え、ユリアちゃんズルい!」

「は。まったく同じもので、一木一草すべて、尽く同じものが、我が伯爵邸の応接室の壁の主となっております」

 

 ユリアの言葉に、列席の貴族たちはざわついた。

 クラウディアは、口上の中で『ほんの30日ほど前に発注した』と語った。つまり、どれだけ早くても30日前に書き始めた風景画である。

 抽象的なものであっても、これだけの巨大なサイズであれば1枚描きあげるのに数カ月は要するだろう。精密な写実画ともなれば、年単にで時間を描けるべきものである。

 それが30日で完成したというだけでも驚異的であるのに、寸分違わずまったく同じものをもう1枚書き上げているというのは、どれだけ控えめに表現しても奇跡としか言いようがない偉業である。

 

「おいユリア」

「はい陛下」

「お前ェ、この絵いくらで買った」

「率直に申し上げてもよろしいので?」

「あぁ、ウチの倅が何言っても良いっつったろ。いくらだったンだ」

「白金貨350枚です」

 

 再び周囲がどよめいた。

 風景画1枚に白金貨350枚など、インダスター帝国の芸術史においても前代未聞である。

 

「随分と安い買い物したじゃねぇか」

 

 皇帝が絵をじっと見入ったまま、低いバリトンの声で言い放った言葉は、謁見の間の隅々まで聞こえた。

 

「ケント・マミヤだったな? お前ェ、この絵あと1枚描けるか?」

 

 マントを翻して皇帝が振り返り、跪いたまま青ざめている黒髪の若者に歩み寄った。

 

「ん? どうだ? イケるか?」

「は、は、はい……描けます」

「よぉし! 気に入った!」

 ばし、と勢いよく皇帝の手がケントの肩に載せられる。

 

「いっちょ描いてくれ! で? クラウディアはこの絵いくらで買う?」

「もちろん、私は500枚! あと、帝都の絵も同じだけ出すから、同じように精密に描いて欲しいなぁって」

 

 あまりの金額に、ケントは眼の前が暗くなりそうだった。シェリーに至ってはケントのすぐとなりで『おえっ』とえずくような声を上げている。

 

「よし、じゃあケント、俺もこれと同じ絵を……いや、そうだな……このイーストマン大渓谷の絵、この倍の大きさで欲しい」

「ば、倍、ですか!? ……あ、も、申し訳ありません! 失礼を!」

「だから構わねェって言っただろ。ンで? どうだ? 倍に出来るか?」

「はい、技術的には、可能です」

 

 再びどよめきの声。皇帝は満足気に頷いて下を向いたまま顔をあげられないケントに顔を近づける。

 

「時間は。どれくらいで出来る」

「……10日頂ければ」

 

 どよめきは喧騒へと変わっていった。

 なんだと、何日だ、10日らしい、10日で絵をかけるものか、どういうことだ、そんなことがあり得るのか。

 次第に声が大きくなっていった謁見の間が、一瞬で静まり返った。

 皇太子が手を挙げたのだ。

 

「ケント・マミヤさんでしたね? 本当に10日で良いのですか?」

「はい。ただ、作業をする場所が必要です。それに、他にも必要なものがいくつもあります」

 

 ケントの声は震えてはいたが、表情に恐怖の色は見えない。一市民の顔から光画師の、熟練の写真技師の顔になっていた。シェリーとマリアが覗き見て惚れ直したという、ケントの仕事に向き合うときの顔だ。

 

「承知しました。ではその必要なものについては別途調整しましょう。私も出来上がりを楽しみにします。それから、妹からの発注にあったインダスター帝都の景色についても、私の名において許可を出します。軍事機密、国家機密を保管した場所、それにこの帝城内を除き、帝都内および帝都近辺は好きな場所に出入りして構いません。護衛と案内には……そうですね、帝国陸軍のエルマー中佐、あなたが適任でしょう。あなたならこの近辺の地理にも詳しいはず。お願いできますか?」

「は。案内役兼護衛の任、謹んで拝命いたします」

 

 エルマーは機敏に、慣れた様子で皇太子に敬礼し、再び跪いた。

 

「よし、ハナシはついたな? じゃあだ、ケント・マミヤ。それにシェリー・ストライダー」

 

 皇帝の低い渋みのある声が再び響いた。

 

「10日でイーストマン渓谷の絵を仕上げられたら、俺からの代金と褒美を含めて……そうだな、白金貨1000枚は最低保証ってことでどうだ?」

 

 一瞬の静寂の後、驚きの声が一斉に湧き上がった。

 白金貨1000枚など、伯爵や辺境伯、侯爵級の貴族であってもそうそう目にすることはない金額だ。

 風景画1枚にそれだけの価値をつけるなど、帝国の歴史上類を見ない異例のことだった。

 

「ま、お前らが騒ぐのも分かるぜ? だがな、このあとクラウディアが買ったこの絵、これからお前らにも見せてやるよ。そしたら俺の目が節穴じゃねぇってことが分かるからよ」

「あ、あの、畏れながら陛下」

 

 ケントが不意に声を上げた。周囲の貴族たちも一斉に黒髪の若者に視線を向ける。

 

「も、申し訳ございません、その……シェリーさん……いえ、あの、その、彼女が気を失ってしまいまして、僕も少々その、あまりのことに目眩と頭痛と吐き気が……」

「それはいけません! 救護のものをここへ!」

 

 皇太子が慌てた様子で声を上げる。

 機敏な動作で白い制服を身に着けた女性兵士が数名ケントたちに駆け寄って来た。

 座ったまま気を失っているシェリーを優しく抱きかかえ、よろめいてしまったケントもついでとばかりに抱きかかえて謁見の間から走り去る。

 先頭で跪いたままのユリアは『まぁ致し方ないか』と呟いて顔を上げる。

 

「ほら、陛下がまた無茶苦茶なことを仰るから」

「ンだと? 俺か? 俺また何かやっちまったか? べつに俺は――」

「あなた」

 

 皇帝が少し慌てた様子でユリアを睨みつけたが、またしても皇后ケントメアが冷静に皇帝の言葉を遮る。

 

「とりあえず、言い訳をしている場合ではありませんよ。マリア嬢、それにエルマー中佐。二人は救護室へ。ブロニカ卿夫妻はツァイス伯爵といっしょにこちらへ。よろしいわね? エルマー中佐、お二人の具合が落ち着いたら教えてちょうだい」

「御意に。じゃあマリア、一緒に行きましょう。救護室はこちらよ」

「は、はい!」

 

 剣術で鍛えられたマリアは優雅に立ち上がると、人類最強の女と共に謁見の間から走り出る。

 その姿がドアの向こうに消えたのを認めた皇后は悠然と立ち上がり、皇帝よりもはるかに威厳のある姿で、居並ぶ貴族に対して口を開いた。

 

「前列、右翼の席のものから順にこの新しい芸術を御覧なさい。わたしたちは今日、この場で新しい歴史に出会いました。彼ら宵闇の光明への交渉、注文の窓口にはブロニカ商会が入っていると聞きます。間違いありませんね、ブロニカ卿?」

「は、御意にございます」

 

 ディエゴは巨躯をかがめて跪き、非常によく通る低い声で答えた。

 

「聞きましたね。いかなる爵位のものであっても、彼らに直接交渉を持ちかけることは私達が赦しません。良いですね。異議あるものはこの場で挙手、名乗った上で言いなさい。この場で手を挙げなかったものは、今後私達の目や耳が届く届かないに関わらず、口を差し挟むことを赦しません」

 

 しん、と静まり返る謁見の間。

 その静寂を破ったのは、皇女クラウディアの緊張感のない言葉であった。

 

「はいはぁい、じゃあえーっと……右翼の前列のぉ……ハイそこのあなた! ここの線まで近寄って、ぜひぜひ見てみてぇ? 私の風景画、自慢しちゃいまぁす」

 

 明るく天真爛漫な、そして可愛らしい声が謁見の間に響いた頃、救護室では渦中の二人がそろって青ざめたまま横たわっていた。

 

「ねぇケント……これ夢よね? お願い、夢って言って? ね、おねがい……」

「僕も……出来れば夢だと思いたいですよ……」

 

 そう小声で語り合う二人は、ベッドから手を伸ばし、力なく手を握り合っていた。

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