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24 すぐ傍にある危機

 イーストマン大渓谷での撮影を終え、美しい景色に後ろ髪を引かれながら野営地を出発して4日目のことだった。

 ツァイス伯爵領まであと5日程度、という地点で一行は休憩も兼ねて1日その場に留まることとなった。

 

「焦りは禁物よ。事故っていうのはたいてい『もう少しだ、もう大丈夫だ』と思ったときに起きるものなの。疲れが溜まるのは仕方ないから、少しずつでも休みながら行きましょう」

 

 という、旅慣れたエルマーのアドバイスに従う形で、森の中の開けた泉近くで馬車を止め、簡易的な天幕を設営して体を休めることとなった。

 

「さすが、エルマーさんは旅慣れてるんですね」

「そうね。もうずいぶん長いこと旅暮らしだったもの。決まった家なんて持ったのは、インダスター陸軍に入ってからだったかしら。それまではずーっと宿か野宿。そんな生活を100か200年続けてたら、嫌でも慣れるわ」

 

 ノーム族も、ヒト族からみれば長命種だ。

 エルフ族のように寿命が存在しないのでは、と言われる種族ほどではないにせよ、ノーム族もドワーフ族も、ヒト族の数倍の時間を生きることになる。

 

「とりあえず、シェリーさんとケントさんは荷台を使って、ここで寝起きしててね。私は少し周りを見回ってくる。ベイアー二等兵とダイア曹長、あなた達は水と食事の準備を」

「はっ、承知しました隊長」

 

 エルマーの指示で男たちが機敏に動く。

 軍では、原則として二人一組の行動が義務付けられている。一人が不測の事態に陥った場合でも、もう一人が対処できるようにするためだ。そしてこの日、その不測の事態が起きてしまった。

 ダイアとベイアーの二人が泉から離れて周囲を警戒したときのことだ。

 

「ん? なんだコレ」

 

 若いベイアーが茂みの中に落ちている杖を見つけてしゃがみ込んだ。

 

「曹長、何かあります」

「どうした」

 

 経験豊富なベテラン、ダイアが歩み寄ると、すでにベイアーは古びた杖を手にとってしまっていた。

 杖からは真っ赤な霧のような何かが職種のように伸び、ベイアーの体に巻き付き始めている。

 

「ばっ」

 

 小柄ながら、筋肉の鎧で覆われた体が突進して、ベイアーの手から杖を蹴り飛ばす。

 

「馬鹿野郎! 迂闊に触るな!」

 

 だが、ダイアの蹴りはほんの少しだけ遅かった。

 ベイアーは白目を向き、泡を拭いてガクガクと全身を痙攣させ始めた。

 毒か、そうでなければ呪のたぐいだ。

 ダイアは一瞬で呼吸を整え、まだ年若い新兵の様子をじっと観察する。

 よし、落ち着け。呼吸を整えろ。冷静になれ。俺なら出来る。まずは見ろ。落ち着かなければ部下が死ぬ。こいつが助かるかどうかは、俺にかかっている。しっかりしろダイア、思い出せ。こういうときにどうすべきか、俺はもう知っているはずだ。思い出せ。

 外傷は見当たらない。手のひらにも傷はない。おそらくは毒の類ではなさそうだ。

 であれば、呪いの類だろうか。解毒のためのポーションは持ってきていたが、解呪のポーションなどは持ち合わせていないはずだ。

 

「クソが! だから落ちてるモンに迂闊に触るなって言ったろうがバカ野郎が!」

 

 大柄なベイアーの身体を肩に担ぎあげ、ダイアは走り出した。

 自身も身長140センチながら体重は250キロを超える、ドワーフ族としては大柄なダイアにとって、身長2メートル、体重130キロのベイアーなど『子供同然』の重さしか無い。

 

「クソっ、やっぱノームはタッパがあるから担ぎづらいな」

 

 とぼやきながらも、森の中を凄まじい勢いで走り馬車の傍まで駆け寄った。

 

「隊長! 緊急事態! ベイアーが呪にやられた! 解呪ポーションが要る!」

「呪!? どうしたの、どうしてそんな」

「わからねぇ、でも何か杖みたいなのを拾ってやがった。赤い霧みたいなのが巻き付いてた、多分毒じゃねぇが、即効性の呪かもしれねぇ」

 

 ダイアの口調は素に戻っている。上官に対する言葉遣いとしては不適切なものではあるが、冒険者あがりのエルマーは全く気にする様子もない。

 

「なにか布を! 痙攣して舌を噛むかもしれないわ。布がなければロープを噛ませて!」

「おう、わかった!」

 

 緊迫した声に、シェリーが怯えたような顔で荷台から身を乗り出した。

 

「あ、あの! 呪だったら、私聖水持ってます!」

「聖水? ……そうか、シェリーさん、あなた錬金術師だったわね。お願い、聖水1本買わせてもらえない?」

「良いです! あげます! ただその、私の聖水、光に当たると黒くなっちゃうから」

「良いわ。今はそんな事気にしてられない。お願い、ベイアーに聖水をかけてあげて」

「わ、わかりました!」

 

 シェリーがカバンから聖水の瓶を取り出して、ベイアーの身体に中身を振りかける。

 多少の呪であればこれで問題なく解呪できるはずだ。

 

「……うそ、な、なんで……」

 

 だが、ベイアーがかけられた呪は、多少の呪ではなかった。

 

「ダイア、ベイアーの服を脱がせて。手伝って」

「おう! ……って……何だよコレ、何の呪だよ……」

「なんてこと……赤斑の呪……誰がこんなたちの悪いものを」

 

 ベイアーの身体には赤い蛇が巻き付いたような痣が広がり、両腕や脇腹に巻き付いた痣は、ベイアーの胸の中央にある心臓を狙って少しずつその腕を伸ばしていた。

 

「これじゃ、聖水だけじゃ解呪できないわ……ここから一番近い神殿でも2日はかかる」

「そんな! 隊長、なんとかならねぇのか? このままじゃこいつはもうすぐ呪い殺されちまう! 呪で死んだら、魂まで絡め取られて『魂の海』に還れなくなっちまう!」

 

 ダイアは珍しく慌てた様子で、低い声を荒げた。

 バルゴの世界において、生きとし生けるものはすべて、死んだらその魂は『魂の海』へ還り、海から新しい生命として生まれ換わる。

 だが、特にドワーフやノーム、それにエルフ族の精霊信仰では、呪によって死んだものの魂は魂の海へ還ることが出来ず、永遠にこの世を彷徨う存在に成り果ててしまう、とされている。

 この世を彷徨う魂はやがて闇に堕ち、魔物や死霊に姿を変え、人類に害をなす存在になるというのが、バルゴの世界の精霊信仰における『魂の循環』だ。

 

「なんてこった……俺が、俺がこいつから目を離したから」

「どうしよう、私の聖水じゃ……やっぱり私の聖水なんて役立たずだったんだ……やっぱり私、ダメだったんだ……」

「シェリーさん! 手伝ってください!」

 

 青ざめてうなだれるシェリーに、荷台の上からケントが声を掛けてきた。

 エルマーも釣られて視線を向けると、そこにはイーストマン渓谷で使っていた謎の箱のような機材を持ったケントの姿があった。

 

「ケント、それ…………ってそうか! マリアお嬢様のときと同じように!?」

「そうです! 急がないといけないんでしょう? さぁ、すぐに撮りますよ!」

「わかった! じゃあ……聖水の感光ガラスで良い?」

「はい、念の為2枚ほど出しておいてください」

 

 まるで訓練の行き届いた兵士のように、全く淀み無い手つきでケントは三脚を設置し、その上にカメラを据え付ける。

 世界中の珍しいものを見てきたエルマーでも、何をどのようにしているのか見当もつかない操作をすることおよそ5分。

 

「よし、急ぎます。じゃあダイアさん、ベイアーさんの身体を起こして、こちらに向けてください。できるだけ正面が良いと思います」

「お、おう……なぁ、何なんだそれ」

「説明は後です。お話できないこともたくさんあります。とりあえず、ベイアーさんの呪を何とかするのが先です」

「そ、そうだな、わかった! 何でも言ってくれ!」

「ありがとうございます。では、ベイアーさんの身体を後ろから固定していて下さい。良いですか? 僕が良いと言うまで、絶対に動かさないで下さい」

「よし、わかった!」

 

 シェリーが絶妙なタイミングでケントにガラス板のケースを手渡すと、最後の微調整を手際よく終えたケントがカメラにケースを指しh混んだ。

 ボタンを操作すると同時に、がしゅ、という聞き慣れない音が響く。

 

「ぐぅっ!?」

 

 不意に、ベイアーが身体をのけぞらせた。

 

「お、おいベイアー! しっかりしろ! おい!」

 

 激しく咳き込んで倒れ込んだベイアーの身体からは、赤いヘビのような痣はきれいに消えている。シェリーはカバンの中から赤く変色してしまう回復役を取り出してベイアーの口に少量流し込む。

 エルマーは信じられないものを見た、というような顔でケントと見慣れない機械に視線を向けた。

 

「ケントさん、あなた一体……一体何者なの」

「そうですね……正直なところ、僕もなんと答えればいいのかわかりません。ただ、エルマーさんも御存知の通り、僕は光画師というユニークジョブを持っている……らしいです。僕も正直、これがどういう原理なのか全くわかりません。ただ」

 

 ケントが視線をベイアーに向ける。

 口元が赤くなっているのは吐血したわけではなく、シェリーの回復役を飲んだせいだろう。見た目には重傷を負ったようにも見えるが、当の本人は安堵の笑みを浮かべられる程度には回復していた。

 

「僕のやっていることで、誰かが助かった。とりあえずそれで良いじゃないですか」

 

 ケント自身、確証があったわけではない。

 

 以前、ブロニカ家の令嬢マリアにかけられた百日殺の呪が、マリアのポートレートを撮影したときに砕け散るように解けたことがある。

 現像したガラス板には、禍々しい姿の何かがマリアの指にはめられた指輪からカメラに向かって凄まじい勢いで吸い込まれようとしている姿が映し出されていた。

 

 理屈はわからないが、ひょっとしたらケントのカメラと、シェリーが作った聖水を用いたガラス板には、呪の類を引き剥がして封じ込める力があるのではないか。そう考えたのは他ならぬケントである。

 呪の類いは、一般的に解くことは非常に難しい。が、対抗手段としては光属性の魔法が有効であると言われている。

 闇の術の集大成とも言える呪、その原動力となる悪魔や死霊といった存在にとって、絶大な効果を示すものが光魔法である。

 だが、極めて特殊な属性の魔法であり、その使い手は大陸に1人か2人、といった程度である。当然のことながら、実験の記録なども存在しない。

 

「あなたのその箱は……」

「これはカメラという機械です。光を使って絵を描く、光画というものを描くのに必要なものです。僕の商売道具ですね。そんなことより、ベイアーさんはもう大丈夫でしょうか。血を吐いてしまわれたようですが……」

「ちょっとケント! 失礼なこと言わないで。コレは私の回復薬よ。赤くなっちゃうけど、少しくらいは効果はあるんだから!」

「そ、そうでしたか、すみませんシェリーさん! 悪気があったわけじゃないんです!」

「……もうっ、ケントにも飲ませるわよ? 自慢じゃないけど、ほんのちょっと回復効果はあるけど、美味しくないからね?」

「……遠慮しておきます……」

 

 後ずさるケントに瓶を持ってにじり寄るシェリーだったが、丁寧に瓶に蓋をするところっと表情を変え、嬉しそうな笑みを浮かべる。

 

「でも、さっきのケント、カッコ良かったよ?」

「え? そうでしたか?」

「うん。あぁ、やっぱり私のカレシってカッコいいんだなぁって、惚れ直しちゃった」

 

 にこにこと上機嫌なまま、シェリーはケントに抱きつく。

 まだ年若いノーム族の新兵にとっては、羨ましくもまぁまぁ刺激が強い光景だ。

 

「……ベイアー、今は見るな。ほら立てるか? とりあえず今日は休め」

 

 熟練の曹長は、まるで慰めるような言葉を新兵にかけると、なかば強引にイチャイチャしている新婚夫婦に背を向けさせた。

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