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23 風景と向き合う

 ベイアー二等兵は、高台の上に備えられた折りたたみ式テーブルと、その直ぐ側に据え付けられた見たこともない、蛇腹がついた奇妙な箱のような機械の傍で佇む痩せた男をじっと見ていた。

 

「どうしたベイアー。水の残量は確認したのか?」

「あ、曹長? す、すみません。水は確認済みです。予定通り明日、帰りがけに泉によって給水すれば問題なさそうです」

「そうか。で、何をしてる? こんなところで突っ立って」

「いや、あの、それは」

 

 ベイアーが再びケントに視線を戻す。

 先程からじっと渓谷を睨むように見続けて、まったく微動だにしない。時折座り込んだり立ち上がったりして、指で四角い枠のようなものをつくって向きを変えたりしているが、遠目には何をやっているのかまったく見当もつかない。

 

「何やってるんですかね、あれ」

「さぁな。俺達は知らないで良いことだ。知る必要があるならエルマー隊長から話があるさ。俺達は俺達の仕事をする。それで十分だ」

「そう……ですね。わかりました」

 

 ダイアに促されて、ベイアーが馬車の荷台においてある保存食の在庫の確認にいったことにも気づかず、ケントはじっと目の前の風景に向き合っていた。

 

 明るい場所と暗い場所の明暗差はどれくらいか。

 広角の画角で切り取るとしたら、どこが一番美しいだろうか。

 時刻と陽の光の当たる角度、その強さと、暗い影になる部分はどの辺りなのか。

 広角で撮るべきか、それとも望遠でもっとも美しい場所を切り取るべきか。

 

 日の出直後からじっと高台に立って考え続けること3時間、ようやくケントの頭の中に、完成形となるプリントのイメージが出来上がった。

 

「シェリーさん、お手伝いをお願いします」

「うんっ、了解! 任せて!」

 

 ここからの二人の動きは実に早かった。

 

 ダイアもベイアーも、そして世界中を飛び回ってあらゆる珍しいものを目にしてきたエルマーですら、まったく見たことのない作業だ。

 布で覆った箱のようなものの覆いの下に潜り込み、ケントがシェリーから平たいケースを受け取る。

 箱の前方にある筒状の何かを動かして、しばらくすると『ガシュッ』という音が聞こえてくる。その動作を数回繰り返して、手際よく箱のような機材を片付けて天幕へと戻る。

 

 エルマーたちには、天幕での作業中は決して立ち入らないように依頼してあった。

 現像と反転、そして定着の処理を施してガラス板に浮きがった像を確認する。

 この日1日、朝から夕方の日没までひたすらこの作業を繰り返したシェリーとケントの2人は、ダイアが作った夕食を食べる頃には疲労困憊だ。

 

「ねぇちょっと、二人とも大丈夫なの? 無理しないで少し休んだほうが良いんじゃないかしら」

「ははは、そ、そうですね……つい頑張りすぎました……でも、あまりにも美しい景色だったもので、つい」

 

 苦笑交じりに暖かいスープにパンを浸して食べるケントの横では、疲労のあまりかシェリーは半分眠りながら食べている。

 

「こんなにきれいな場所があるとは初めて知りました……エルマーさんは確か、冒険者として世界中を旅されていたんですよね? エルマーさんが今までに見て、一番キレイだと感じた景色はどこでしたか?」

「私? そうねぇ…………うーん、なかなか決められないけれど、もし今まで行った場所で5箇所だけ、もう一回行って良いと言われたら必ず候補に入れるのは、ウッドエルフ族の結婚式とセプトパール大陸の長城……かしら。とにかくきれいだったわ。ウッドエルフ族の結婚式は、文字通り花吹雪の中で新郎と新婦が踊るの。村人総出でのお祭りが3日も続くのよ。あれは楽しくて、美しかった」

 

 シェリーはついに、ケントの肩に持たれてすぅすぅと寝息を立て始める。スープの椀はしっかり空になっていたので、服にこぼしたりはしていない。

 

「それからセプトパール大陸。あそこには4回くらい行ったのかしら。船で30日はかかる旅で、もう帰れないかもしれないと思ったこともあるわ。でも、果てが見えないくらいずっと続く長城は圧巻ね。ケントさんもご存知なんじゃないかしら。有名な長城だもの」

「え、えぇまぁ……」

 

 突然の問いかけに、曖昧な答えを返すのが精一杯だったケントは、エルマーから視線を外してスープを口に入れる。

 

「それに、大陸中央部の高い山の頂上付近にある青い湖。あの景色は忘れられない」

「そんなところもあるんですね……世の中は知らないことだらけです」

「うふふふ、そうね。知らないことと、知らなくても良いこともたくさんあるわ。例えばケントさん、あなたが本当にセプトパール大陸の出身なのかどうか、ということもね?」

 

 ぴた、とケントの手が止まる。

 どっと凄まじい勢いで、ケントの背中に冷たい汗がにじみ出た。

 

「ユリア准将からは、あなたはその髪や瞳の色、それにジョブ神託を受けていなかったということから、セプトパール大陸の出身だろうと聞いていたのだけれど、今の私の話への反応をみると、あなた自身もセプトパール大陸を知らないみたいね? だって、セプトパール大陸に長城なんてないもの」

 

 にわかに息が苦しくなる。

 ベイアーとダイアは先に夕食を済ませて、今は警備のために天幕の外に出ている。

 

「安心してケントさん、あなたがどこから来た何者なのか、それは私にはどうでもいいことなの。ただ、インダスター帝国に害をなさない、不利益になることをしない、この2つだけ、私と約束してもらえる?」

「……約束できない、と言ったら、どうなりますか?」

「この場であなたもシェリーさんも、外で警備している二人も全員殺すわ」

 

 ぞわ、と全身に鳥肌がたった。

 エルマーは決して冗談で言っているわけではない。それに、エルマーにはそれだけのことが出来る力量がある。

 

「私も出来ることなら、そんなことはしたくないの。どうかしら、ケントさん?」

「…………インダスター帝国が、僕とシェリーさん、それにブロニカ家の皆さんの敵にならない限り、という条件をつけてもいいですか?」

 

 突如、ふっとケントの両肩にのしかかっていた鉛のような重圧が軽くなった。

 エルマーから殺気が消えたのだ。

 

「もちろんよ。インダスター帝国は正義の国。そして民を愛する国よ。そこは心配しないでいいわ」

「そ、そうですか……安心しました」

「私もよ。あなたはユニークジョブの持ち主なんでしょう? それに亜空間収納まで持ってる。まるで女神の恩寵を受けているみたいにね?」

 

 ケントは、表情だけでも平静をよそおうのに必死だった。だが、百戦錬磨のエルマーはケントの動揺をとっくに見抜いている。

 

「……エルマーさん、何がお望みですか?」

 

 少しの沈黙の後、ケントが絞り出した言葉はコレだけだった。

 スープは少し冷めて来ており、浸したパンは完全にふやけてしまっている。指先の震えはなんとかギリギリ制御できる範囲に収まってはいるが、気を抜くとスプーンを落としてしまいそうだ。

 

「そう警戒しないで。私はあなた達の味方よ。ただそうねぇ……私がケントさん、あなたに望むことがあるとすれば」

 

 にこ、と優しい笑みを浮かべたエルマーが、視線をケントの隣で幸せそうな寝顔で寝息を立てているシェリーに向ける。

 

「彼女、大切にしてあげて。幸せにしろとは言わない。でも、愛してあげて。この子、きっとずっと愛に飢えてたんだと思うの」

 

 優しい眼差しは、まるで母が娘に向けるかのように暖かい。

 

「事情聴取をしていてよく分かったわ。この子は男に弄ばれて、嬲りものにされて、奪われて……きっと怖かったでしょうね。絶望したことでしょうね。傷ついても声を上げることも出来ず、ただじっとうずくまっていることしか出来なかった」

 

 ぱちん、と軽い音を立てて薪ストーブの中の薪が爆ぜる。

 

「そんな子だもの、貴族だけじゃなくて男に恐怖を抱くようになっててもおかしくなかったと思うの。でもこの子は何度も男に騙されてきた……この子は、きっと誰かに愛されていないと生きていると実感できないの。誰かを愛して、尽くしていないと自分の価値を見いだせないんだと思う」

「……そんな、気はしています……」

「だから、せめて愛してあげて。この子にあなたのことを、愛させてあげて。この子は、シェリーさんは、きっとそれだけで生きていけるから」

「分かりました、お約束します。シェリーさんの気持ちに、ちゃんと向き合って、ちゃんと受け止めます」

 

 満足気に、垂れ気味の目をさらに垂れさせるように細め、優しげな笑みを浮かべる。

 

「よかった。安心したわ。なんとなくだけど、あなたなら分かってくれるような気がしてたの」

「それは、どういう理由でですか?」

「んー……さぁ? 長年冒険者をやってて、いろいろな人と関わってきた経験と……あとは勘かしら?」

 

 エルマーは空になったスープの椀をテーブルにおいて大きく伸びをする。

 ノーム族は、成人すると女性であってもヒト族やエルフ族の男性よりも大柄だ。現にエルマーは、決して大柄とは言えないケントからすれば見上げるような巨躯である。

 

「ごめんなさいね、脅すようなことを言って。でも、あなたの気持ちも聞けてよかった。明日は予定通り、ツァイス伯爵領に向けて出発して良いのかしら?」

「え? あ、は、はい。明日のお昼すぎには出発出来ると思います」

「わかったわ。もし出発が夕方にかかるようなら教えてくださる? その時はちょっと残念だけど、出発を明後日の朝に延期しましょ。夜の移動は何かと危険が多いわ。安全第一、家に帰るまでが遠征よ?」

 

 楽しげにウィンクをすると、エルマーは天幕をでていった。

 外からはエルマーが新兵のベイアーをからかうように声をかけ、笑い合う声が聞こえてくる。

 シェリーは完全に力が抜けてしまい、ケントの肩にもたれる姿勢から、ケントが膝枕をするような格好になってしまった。

 椀に残ったスープとパンを急いでかき込んで、椅子の背もたれにかけてあった厚手の布をシェリーの身体にふわりと描ける。

 

「そうそう、ねぇケントさん? ちょっと伝えたいことが――」

 

 エルマーが不意に天幕に入ってケントとシェリーに視線を向ける。

 見るアングルによっては、シェリーがケントの股間に顔を埋めているように見える姿勢。そして運の悪いことに、エルマーの立ち位置からはシェリーが今まさにケントの股間に顔を突っ込んでいるように見えてしまった。

 

「……軍の天幕では、程々にね? 外には若い男の子もいるから、あんまり刺激が強いようなことは控えてくれると嬉しいわ」

「ち、違います! あの、誤解ですエルマーさん、これはそのですね」

「まぁ、あなたも男性としての欲求はあるんでしょうけど……でも合意があって、仲が良いのであれば止めはしないわ。でも、もう少しだけ。家に無事にたどり着くまでは何とか我慢してくれないかしら?」

「ガマンはしますけど、その、これは誤解です! これはシェリーさんが――」

 

 結局このひ、エルマーの『伝えたいこと』とやらを聞きそびれたケントだったが、肝心要のその『伝えたいこと』は、まさに『軍用のテントでは、夫婦の営みは控えるように』という内容であったことは、後にエルマーが語ったことである。

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