22 イーストマン大渓谷
地面の岩に車輪が乗り上げ、荷台が派手な音を立てて揺れる。
「いったぁい!」
こうして馬車が揺れるたびに悲鳴をあげたのも、もはや回数を数えるのを諦めてすでに3日。
ツァイス伯爵領から馬車に揺られること9日目になって、ようやく周囲の風景が開けてきた。
「馬車というのは、想像以上に腰に来ますね……」
「す、すみません、失礼しました! 大丈夫でしたか?」
「はい、ありがとうございます。どうぞお気遣いなく」
御者席に座るのは、今年になって軍に入り、輜重部隊に配属になったというノーム族の若者だ。
年齢は19歳と、この地におけるケントと同い年である。だが、ノーム族の新兵、ベイアー・ノルタックスにとってケントはユニークジョブの持ち主であり、かつ自らが所属する師団の長でもあるユリア・ツァイス准将の客人だ。
ともなれば、間違ってもタメ口など許されるものではない。
謹厳実直、品行方正、公明正大を鉄の掟とするインダスター軍において、上官の客人ともなれば上官以上に丁重に扱わねばならない。
「ベイアー、落ち着け。手綱をちゃんと握るんだ。……お客人、申し訳ない。彼はまだ新兵で不慣れなのです」
「いえ、僕らはこうして運んでいただいている立場です。載せていただけているだけでもありがたいですから、どうかお気遣いなく」
ベイアーの隣に座るのは小柄なドワーフ族の中年の男、ダイア・エイディー曹長。軍歴は長いが、下士官への昇進を拒み常に現場に身を置く、徹底した現場主義の男である。新兵で配属になって以来、彼は常に輜重部隊に所属し、兵站輸送のスペシャリストでもある。
この他、護衛として着いてきたのは、意外にも程があるという人物だ。
「馬車って慣れれば走ってても眠れるけど、慣れるまではお尻が痛いわよね。ほらこれ、麻袋だけど、下に敷いておくだけでもかなり楽になるわ」
妖艶な垂れ目と泣きぼくろが特徴の、人類最強の女にして龍殺し、エルマー・イルフォード中佐である。
「ありがとうございます。……あの、イルフォード中佐は良かったんですか? こんな時間のかかる護衛任務なんて。中佐は上級士官というお立場でしょうからお忙しいでしょう」
「あら、ケントさんは軍にも詳しいのかしら? そうね、結構色々やることはあるんだけれど……昔は世界中いろいろなところを旅して回る生活を送ってたせいかしら、時々こうして遠くに行きたくなるの。准将に直談判して、許可はもらってるわ」
その許可とやらも、『護衛任務で一緒に行く許可をもらえないなら、ストレスのせいでこの伯爵邸で暴れまわるかもしれない』という脅迫としか思えない交渉の末に、力ずくでもぎ取ったものである。
「シェリーさんは大丈夫? さっきひどくお尻を痛めたみたいだけど」
「だ、大丈夫……じゃないです……」
「じゃあシェリーさん、僕の分も下に敷いてください。僕は大丈夫ですから」
「そんな、ダメよ! だって現地についたらケントが仕事をしないといけないんだし」
「それはシェリーさんも同じです。ほら、早く使ってください」
「うふふふ、想い合ってるのね。羨ましいわ」
実のところ、シェリーが護衛に就くことをユリアが許可したのは、脅迫だけが原因ではない。
2人を遠方まで護衛するとなるとかなりの人数を派遣しなければならないが、そうなると通常業務に影響が出る。が、エルマーであれば2人の護衛を1人で十分に賄うことができる。一応は准将として、自らの部隊のを統括するものとしてちゃんと損得勘定も入れた決断だった。
現に、道中何度か魔獣と呼ばれる凶暴な生物の襲撃もあったが、エルマーが瞬殺しているため、シェリーは襲撃があったことすら気付いていない。
「大事にしてもらいなさいね? 彼みたいないい男、逃がしちゃダメよ」
「は、はいっ」
「もうあと半日もすれば、伯爵閣下と皇女殿下ご希望の場所に到着する予定よ。到着したらその日は完全休養。水と食料は十分にあるからゆっくり描いてもいいんだけれど……本当に1日で大丈夫なの? 風景画はもっと時間がかかるんじゃない?」
「はい、大丈夫です。丸1日、作業出来る時間があれば十分です。シェリーさんも手伝って頂きますから、今はお言葉に甘えてゆっくり休みましょう。何しろ皇女殿下なんていう、やんごとなきお方からのご依頼です」
「そ、そうよね……皇女殿下……って、何ていうかこう……すごくざっくばらんっていうか、親しみがあるっていうか」
「シェ、シェリーさん、あまり不用意なことは言わないほうが……」
「あっ」
シェリーは思わず口を手で塞いで、馬車の荷台で向かい合って座っているエルマーに視線を向けた。
「あらあら」
エルマーは軽い口調で返事をしてから、すこし困ったような笑みを浮かべた。
「大丈夫よ。殿下がざっくばらんで親しみがあるお方なのは、帝都にいる人はだれでも知ってるもの。大丈夫、皇室の皆様は皆国民を愛しておられる素晴らしいかたばかりよ。聡明で有能な皇太子殿下は、もう皇帝陛下の政務の半分を補佐しておられると聞くし、陸軍元帥にして稀代の軍略家、クラウディア殿下の弟君、第二皇子のヴィクター殿下は海軍提督でインダスター帝国の海を守る英傑。そして第二皇女のヴィクトリア殿下は癒やしの術を極めて、帝国の聖職者の頂点、大神官を務めておられるわ。王が強欲、王妃は浪費家、王子は傲慢で無能、貴族は汚職と賄賂まみれなドルマ王国が気の毒になるくらいね」
ケントにもシェリーにも、心当たりは大いにある。
ケントが最初に訪れたドルマ王都では、戦闘職ばかりが優遇され、シェリーのような錬金術師やケントのように『何が出来るか分からない』というような職については徹底的に冷遇される。
さらに、冒険者ランクの昇格にはギルドマスターへの賄賂も必要とされていたり、ギルド上層部と貴族の癒着も問題視されている。
貴族や大商人から高位貴族や王族に対する贈賄はもはや常態化しており自浄作用も期待できない、というのが周辺国からの評価である。
「中佐、見えました。あれが」
御者席のベイアー二等兵が声を上げ、前方を指差した。
林が途切れて眼の前が明るく開け、空は青く広がり、遠方に雲が流れてゆく。
巨大な渓谷は視界の果てまで続いており、谷底がどれほどの深さなのか見当もつかないほどの規模だ。
「あれが、イーストマン大渓谷です。我が国でも最大の大渓谷で、帝国国立公園になっています。古代文明の遺跡が発見された、という話もあるんですが……どうなんでしょう、中佐?」
「えぇ、実際古代文明の遺跡はあったわ。以前冒険者だった頃に大渓谷探査クエストにも参加したことがあったの。遺跡の中にも入ったけれど、なかなか興味深かったわ。未解読の文字盤とか、私は読めなかったけど」
「ホントですか……本当にあったんですね、古代遺跡」
「えぇ。このイーストマン大渓谷は風景の面でも遺跡の面でも、興味深い場所よ。ユリア准将がここをお好きなのも分かる気がするわ。クラウディア殿下もね?」
ケントは馬車の荷台から身を乗り出し、御者席から前方に広がる景色に感嘆の声を漏らした。
雄大な大渓谷は、ケント自身は写真でしか見たことがなかったグランドキャニオンや、南米のテーブルマウンテンを彷彿とさせるものだ。
白や赤褐色、黒や茶色といった様々な色で縞模様に描かれた地層が縦横に走り、ところどころ崖の上からは瀧が流れ落ちている。
「ここは……凄いところですね」
「そうですよね。自分もここは初めて来ました……」
ベイアー二等兵も、馬の手綱を握ったまま目と口を開けっ放しになってしまっている。
「野営地まではあと少しありますので、荷台でお座りになってお待ちを。ベイアー、気を抜くなよ。しっかりやるんだ」
「は、はい曹長」
一行を載せた馬車はゆっくりと進み、陽が少しだけ傾き始めた頃に渓谷を一望出来る高台の上へと到着した。
ベイアーとダイアの二人は手際よく天幕を立て始め、ものの十数分で寝床も備えた野営用の天幕が据え付けられた。
薪ストーブも内部に備えられ、カーテンのような布で仕切られたエリアは三つ、最も奥の暖かい場所はケントとシェリー用、そのすぐ隣は護衛のエルマー、入口に最も近い場所は軍人であるベイアーとダイアの二人のエリアだ。
「ここには水場は基本的にない。持ってきた水だけで賄う必要があるが、私とベイアーの二人は2日後に給水のために途中の泉へ行く予定だ。エルマー中佐はお二人の傍で護衛を。食料は荷台に保存食を積んでいます。調理はこのダイアが担当します」
「わかりました。よろしくお願いします。作業は明日と明後日で十分かと思います」
少し戸惑いながらも、ケントとシェリーは天幕の中に移り、こっそりと隠れながら亜空間収納からカメラや感光ガラスを取り出す。
広角から望遠までのレンズにソルントンシャッター4種。感光ガラス用のケースもいくつも用意しており、カラーとモノクロそれぞれ在庫は十分である。
「シェリーさん」
「任せて。聖水もあるし、回復役も解毒薬も麻酔薬もバッチリ。全部持ってきたよ」
「流石ですね。シェリーさんは本当に頼りになります」
「えへへへぇ、でしょ?」
だらしない笑みを浮かべて、次々に亜空間収納から折りたたみ式の机や予備のガラス板、それに調合用のガラス容器などを取り出しては机の上に並べていく。
「えっと、聖水ヨシ、回復薬ヨシ、解毒薬ヨシ、麻酔薬ヨシ、予備ガラス板ヨシ、標準レンズヨシ、広角ヨシ、望遠ヨシ。うんっ、すべてヨシ! ケント、こっちは準備大丈夫よ」
「ありがとうございます。こちらもカメラの調子も問題なしですね。三脚も問題なし、明日からの撮影も問題なく始められそうです」
「よぉし、じゃあケント、晩御飯なんだけどせっかくだから私が――」
「いいえ! あ、あの、シェリーさんは明日の僕の手伝いもありますし、ゆっくり休んでください! 良いですね? 料理は、しなくても良いんです。せっかくほら、ダイアさんが料理を作ってくださるそうですから」
「……そうなの? うーん、せっかくだから何か作ってあげたかったんだけど」
「お、お気持ちだけありがたく頂いておきます……」
シェリーは、端的に言えば料理がド下手である。
本人曰く、すべてレシピ通りに作っているはずなのに、筆舌に尽くしがたい壮絶な味になってしまう。
よしんば味が良かったとしても、その後数日間寝込むほど体調を崩すほどの謎料理を作ってしまう。一度ケントもそれで寝込んでしまったため、二人で行動をともにして以来、シェリーが料理を作ったことは合計で2回しか無い。
普段はケントが料理を作っているが、彼は生前、健太郎であった時期から毎日の食事を作っていた。妻の沙織もまた、料理が極めて苦手だったのだ。
「大丈夫ですよ、シェリーさんも苦手なことはしなくて良いんです。僕もニガテなことはシェリーさんにお任せしますから」
「う、うん。ありがとケント。えへへへ……やっぱりケントって優しいなぁ……」
うっとりと頬を赤らめて、ケントにしなだれかかるように身体を密着させる。
あまりに密着しすぎたせいで、ケントが密かに安堵のため息を漏らした顔を、シェリーは見ることが出来なかった。




