21 やんごとなきお方からのご注文
雨がしとしとと降る寒い朝、ケントとシェリーはそろってブロニカ商会長邸の応接室に入っていた。
広い最上級の応接室の上座には、大柄なノーム族の女伯爵、ツァイス伯爵領領主のユリアと、その隣には栗色の長い髪に女神像のようなプロポーションをかろうじて押し留めている軍服の若く美しい女性が座っている。
「さて、揃ったな。では全員起立願おうか。こちらにおられるのが」
立ち上がったユリアが視線を向けた先に座る栗色の髪の美女は、にこ、と人懐っこい笑みを浮かべて立ち上がる。
「我らが麗しき正義の国、インダスター帝国第一皇女にして帝国陸軍元帥、クラウディア・インダスター殿下であられる」
「こんにちは、よろしくね? もうほらぁ、ユリアちゃんってばダメじゃない? そんな堅苦しい言い方ばっかりしちゃ。見て見て? 緊張しちゃってるじゃないの。そこのダークエルフの子なんてもう可哀想なくらい震えてるわよ? もう、ねぇ? 怖かったわよね? でももう大丈夫よ?」
皇女という立場からは想像もできない、馴れ馴れしいにも程がある口調。
ケントもディエゴも呆気にとられ、貴族恐怖症のシェリーに至っては半泣きの状態だったのだが、目に涙をいっぱいに貯めたままぽかんと立ち尽くしている。
「ブロニカ卿も、急にごめんなさいね? ユリアちゃんから風景画を見せてもらって、それでどーーーーーしても欲しくなっちゃって」
「さ、さようで、ありますか……」
インダスター帝国では、貴族はすべて兵部省、刑部省、文部省、大蔵省、内務省、外務省のいずれかに所属することになっている。
陸軍、海軍は兵部省の管轄であり、ディエゴは形式的に陸軍に所属している。
クラウディアは陸軍元帥で軍のトップの一人、つまりディエゴにとっては雲の上の上司のようなものだ。
「さ、ほらほら座って座って? いきなりお仕事の話しするのも何だし、ちょっとおしゃべりしましょ? ね?」
「殿下、もう少し皇族の、元帥の威厳というものを持たれてはいかがですか」
「えー? ヤだぁもう、ユリアちゃんって固いわね? もう、そんなんじゃ縁談持ってきてあげないわよぉ?」
「結構です。夫が無くとも軍人の務めは果たせます」
「またまたぁ、そんな事言っちゃって、実はぁ?」
「結構です」
「……んもう……ゴメンね? 二人とも。私の部下がこんな無愛想で怖くてデカくて目つきも悪くって、怖かったでしょ? でも大丈夫よ、イジメられたらお姉さんにいつでも言ってね? めっ、てしてあげるから」
にこにこと笑みを浮かべながら話す皇女は、まるで親戚の娘でもあるかのように馴れ馴れしく、さきほどから厳格な貴族審問官でもあるユリアに対してもまるで『従妹と話す若い娘』のようだ。
「そうそう、『めっ』で思い出しちゃった! えっと、シェリーちゃん? だったかしら? こないだね、ユリアちゃんとエルマーちゃんから供述調書もらったの。もう大丈夫よぉ? 何も心配しないで良いからね? お姉さんたちに全部任せて。ねっ? 女の子を売り飛ばそうとするクソザコゴミムシなんて、お姉さんがポイってしてあげるから」
「殿下、お言葉が過ぎております」
思わずユリアがたしなめるが、ユリア本人も特に困っている様子はない。むしろ慣れたもので、『やれやれ、この人はいつもこうだ』と言わんばかりの苦笑を浮かべる程度だ。
「だがそうだな、シェリー・ストライダー。エルマーが調書を取った貴様の供述に従って調べを進めているが、マルコ・フォン・ハイ子爵に関しては余罪がゴロゴロ出てきている。人身売買に違法奴隷の保有、禁止薬物の取引に違法賭博まで出てきている。まぁどれだけ軽くても財産と身分の剥奪に、鉱山での労役は免れんだろうな。最低でも200年から300年程度は穴蔵のなかで鉱石を掘るという、尊い労働に従事することになろう。本家のフォン・ハイ伯爵家も同様だ。子爵家、伯爵家が手を組んで隠蔽工作までしていた。まだ非公開情報ではあるが、両家は改易が決まっている。財産は国庫に没収したうえで被害者への救済に充てられる。シェリー、貴様の被害に対しても全額ではないにせよ、補償が出ることになる」
「は、はい……あの、ありがとうございます……」
「良いのよぉ、当然のことをしてるだけだもの。ね? だからもう大丈夫よ? ほらほら、泣いたりしないの。せっかくの美人さんが台無しになっちゃう。彼氏さんの前ではキレイでいなきゃ。ねっ?」
どこまでも優しいお姉さんのような言葉使いと振る舞い。
だが、彼女もエルマー・イルフォードのように雰囲気と実情が一致しないことで有名だ。
クラウディアが陸軍元帥に就任した週だけでも、怠慢や能力不足、収賄に機密漏洩など、様々な理由で降格、更迭、不名誉除隊となった将校はゆうに30を超えている。
クラウディア自身は戦闘能力が極端に高いわけではないが、その策謀と知略を持って軍を縦横に動かす軍略家でもある。
十数年前に勃発したドルマ王国との紛争においても、2万ものドルマ兵をユリア准将率いるわずか3千の兵で壊滅に追い込んだ時も、クラウディアの軍略の力が大いに発揮されたものだった。
「んふふふ、これでまたゴミムシが1匹減るわぁ。我が国の貴族に法を守らないようなゴミは不要。ユリアちゃん? 徹底的にヤっちゃって?」
「は。もちろんです。……さて、雑談が長くなったな。 私とクラウディア殿下から、宵闇の光明への発注の希望を伝えたいのだが、まず私から良いか?」
ユリアがゆっくりと立ち上がり、テーブルの向かいに座るケントに紙を差し出した。
「私からの発注は2枚だ。風景画の別の景色、出来ればその紙に書かれている場所の景色が欲しい。それから私の肖像画だな。正装した姿の肖像画を造ってもらいたい。どうだろうか」
「拝見します」
ケントが紙を広げて見る。
インダスター帝国で使われている言葉でのメモ書きだが、内容はケントにも理解が出来た。
「イーストマン渓谷の雄大な景色……ですか。すみません閣下、僕はこのイーストマン渓谷という場所を存じませんが、ここからは遠いんでしょうか」
「うむ。いささか遠いな。馬車でおおよそ十日の距離にある。これから秋が深まる季節の夕方、夕陽が渓谷に差し込む景色が気に入っていてな。今から50年ほど前に一度見たきりだが、なかなか遠出する機会もない。出来ればその風景を描いて欲しい」
「なるほど……承知しました。肖像画については、場所のご希望は?」
「肖像画は私の執務室が良い。いささか薄暗いかもしれんが、どうだ? 描けそうか?」
「はい、問題ないと思います。では、先に閣下の肖像画に取り掛かってから、少しお時間を頂いて風景画に取り掛かるのが良さそうですね。移動にかかる往復の日数を考慮して、1ヶ月ほどお時間をいただければ」
「本当か! 1ヶ月で遠方の風景画を描けるのか!? ……そうか、ブロニカ家のマリア令嬢の肖像も1日で描いたと聞いたな。そうなると、ほぼ移動の時間だけで出来る、ということか。分かった、ではその期間待つとしよう。なにか必要なものはあるか?」
ケントはちら、と隣りに座るシェリーに視線を向ける。シェリーはまだ不安そうな表情でケントの目を見返すだけだった。
「出来れば、僕とシェリーさんと、最低2人で移動できる馬車が欲しいです。それから、出来れば護衛の方もいていただいた方が安心できますが……」
「承知した。どちらも私が手配しよう。いつから行ける? 出発予定が決まったらディエゴに伝えろ」
「分かりました。ではディエゴさん、またよろしくお願いします」
ディエゴは満足げな表情で大きく頷いて胸を張る。続いてクラウディアへと顔を向けた。
「では、続いてはクラウディア殿下のご注文ですが、たしか風景画とうかがっておりましたが……」
「んー……そうなんだけどぉ……なんかね? 今のユリアちゃんの話聞いてて、私もイーストマン渓谷の風景画欲しいなぁって思って。私にも同じ風景の絵、売ってもらえる? あとね? 本来私がほしかった風景画なんだけどぉ、帝都を一望できる丘があってね? そこから見下ろす帝都の景色がすっごく好きなの。そこの景色を描いて欲しいんだぁ。あ、もちろん帝都に来たら私んちに泊まって行ってね? 食事とか移動の馬車とか、全部用意するから」
「なるほど、承知しました。では殿下のご注文ですが、いつ頃までにという期限はありますか?」
「んー、特に無いかなぁ? だから私のはユリアちゃんのが終わってからで良いよ? 冬が本格化する前とかだったら嬉しいかなーって」
「承知しました。冬までに、ですね。では、ユリア閣下のご注文分の目処がつき次第、またディエゴさんを通じてご連絡を差し上げます」
「ん、ありがと。うふふふ、楽しみだなぁ」
本当に嬉しそうな、少女のような笑みを浮かべて上機嫌の第一皇女は優雅にコーヒーカップを持ち上げる。
だが、まだ緊張したままの表情のシェリーが恐る恐るといった様子で手を挙げる。
「あ、あのぅ……す、すみません、私、喋ってもいいですか……?」
「うむ、構わんぞ。どうしたシェリー・ストライダー」
「……あの、聞き間違いだとは思うんですけど……クラウディア殿下のご依頼のときに、帝都に言ったらクラウディア殿下のご自宅にって仰ったような気がするんですけど……そ、それってまさか、あの、帝都の御城……とかじゃないですよね……?」
「え? そだよぉ? 私んちだもん。帝都のインダスター城だよぉ?」
ひゅう、という変な呼吸音を立てて、シェリーが大きく身体を傾けてよろめいた。
インダスター城は、帝国の中心とも言える壮麗な城で、歴史ある帝国の伝統と文化、それに最新の建築技術の粋を集めて管理改築されている。
遠方からの観光客が目当てとするスポットでもあるが、城内に立ち入れるのは城務めをする貴族や護衛兵、さらには後宮にいる皇后や側室といった、文字通りやんごとなき殿上人だけである。
ド平民な上、ジョブランクもよくてブロンズ級であるケントとシェリーは、入ろうとしたら即座に逮捕拘束される事は間違いない、という場所である。
「で、殿下、それは流石に、あの……」
ディエゴも思わず立ち上がり、顔の冷や汗を拭い始める。
「えー? ダメぇ? だってぇ、私も肖像画描いてもらいたくなっちゃったんだもん。めったにドレスとか着ないし、たまーに着るなら良いの着たいし? お父様とお兄様と、それに弟と妹にも見せたげたいし。ね? 良いでしょ? ねっ? ねぇお願いユリアちゃぁん」
まるで女子高生が友人の家にあそびに行きたい、あわよくば思いを寄せる友人の兄と話をさせて欲しい、とねだるような軽さだ。が、ことは皇族が住まう城への立ち入りである。そう簡単に返事が出来るものではない。はずだった。
「まぁ構わんでしょう。殿下がゴネ倒せばいいだけの話です」
「やった! さすがユリアちゃん、話が分かるぅ!」
「ご、ゴネられる……んですか? 殿下が?」
「……ディエゴ、ケント、それにシェリー……殿下はな、明晰な頭脳もお持ちだが、それだけにこういうときの悪企みはとびきりたちが悪い。まぁ巻き込まれたと思って諦めろ」
青ざめた顔のシェリーに負けず劣らず、唖然として血の気が引いているケントの肩に、ディエゴが優しく手をおいた。
「とりあえず、正装を誂えるとしましょうかな、婿殿」
すっかり何かを諦めたディエゴの言葉に、ケントもシェリーも頷くほかなかった。




