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20 正義の国、インダスター帝国

 陽も傾いた時刻の帝都の裏通り。

 酒場からは酔客の声が漏れ聞こえ、陽気な笑い声や時折怒号のような声が響いていた。

 

「きゃあっ! な、何するんですか!」

「良いじゃねぇか、なぁ? ちょっと尻触っただけじゃねぇか。減るモンじゃねぇだろうによ?」

 

 エルフ族の給仕の娘が怯えたような顔で、大柄な酔漢から飛び退いた。

 

「何だったら俺様と遊んでかねぇか? あ? 上で部屋でも取ってよぉ、たっぷり可愛がってやるぜぇ?」

 

 がははは、と下品な笑い声をあげて、美しいエルフ族の娘に手を伸ばそうとする。

 が、その手が向かった先に大柄な女が立ちはだかった。

 

「随分とおイタが過ぎるわね、坊や達? どこから来たのかしら」

 

 長い黒髪を丁寧に三つ編みにして、垂れ気味の目の両目尻には泣きぼくろがある、特徴的な美女だ。

 

「へぇ、こっちのネェちゃんもデカいけど美人じゃねぇか。ドルマ王都じゃノーム女はめったに見ねえけど……なんだ、エルフ女もいいがノーム女も悪くねぇな。おらこっち来い、B級冒険者様に酌させてやるよ」

「なるほど、ドルマ王国から入り込んだ冒険者、ということね」

「おぉそうだぜぇ? 外国のことも色々教えてやっからよ。ベッドの上でなぁ?」

 

 がはははは、という下品な笑い声を上げ、ひときわ大柄でひときわ人相の悪い男はタレ目のノーム族の女の尻に手を伸ばした。

 

 その直後。

 

「いぎゃあああ!?」

 

 ぐしゃ、というなにか硬いものが潰れる音の直後、極めて耳障りの悪い悲鳴が酒場に響いた。

 

「インダスター帝国、迷惑防止条例違反の現行犯ね。はいはい、周りの皆さんちょっとごめんなさい? おイタが過ぎる坊やたちにお仕置きするから、巻き込まれないように離れてもらえるかしら?」

 

 艶のある優しげな声だが、タレ目の女は骨が砕けあらぬ方向に曲がっている男の腕をねじりあげたままだ。

 そこからは実に流れるような『制裁』だった。

 悲鳴を上げる暇もないほどのスムーズさで、あっという間に男はねじ伏せられ、ついでに肩の関節を両方とも外され、押さえつけられた拍子に足の靭帯が嫌な音を立てて切れた。

 

「暴れないで頂戴? 大人しく良い子になさい。そこのあなた達3人も共犯よ。もしそこから一歩でも動いたら逃走の意思ありとみなすわ。インダスター流の逮捕術は痛いわよ?」

 

 酔客4人の内ひとりは青ざめた顔でガタガタと震え始める。

 

「聞……聞いたことがある……大柄で長い黒髪、それに垂れ目に泣きぼくろ……じ、人類最強の女、龍殺しエルマー・イルフォード……」

 

 酔客達は揃って青ざめたが、酒場の給仕や他の客はまったく驚く様子もない。

 帝国陸軍憲兵隊の大隊長を務める軍人、エルマー・イルフォードはある二つ名をもって知られている。その二つ名は実に単純にして明快なもので『人類最強の女』である。

 

 以前はSS級冒険者として世界を股にかける活躍をした女で、曰く怒り狂った龍を槍一本で討ち果たしただの、曰く死霊の王と呼ばれるアンデットの災厄級モンスターを凄まじい魔法で焼き払っただの、曰くオークエンペラーという一国をも滅ぼしかねない存在と一騎打ちをして、見事に討ち果たしただのという、人類とは思えぬほどの逸話を残している。

 ある日突然冒険者を引退し、その後はインダスター帝国の軍に入隊したという噂が立ったが、その後の消息は国外には知られていなかった。

 

「あら、まだ私を知っている子もいるのね? そっちの坊やは物知りなのね」

「ま、待ってくれ! 知らなかったんだ! こ、ここにアンタがいるなんて知らなくて、それで――」

「知らなくてもやったことは犯罪よ。罪は裁かれなければならないわ」

「頼む! この通り! 俺は投降する! 何でも白状する! 大人しく逮捕もされる! だからお願いだ、何もしないでくれ!」

「あらあら、そっちの子は聞き分けが良いのね。聞き分けの良い子はお姉さん好きよ? それで、そこの二人はどうするの? 大人しく投降するか、思う存分シバき倒されてから『お願いですから投降させてください』って泣きながら土下座するか、選ばせてあげる」

 

 残りの二人もあっさりと投降を決めた。

 酒場の他の客らにかなり乱暴に縛り上げられた男たちは、縄で拘束されたままエルマーが片手で地面を引きずっていく。

 

「じゃあ、お騒がせしてごめんなさい? あぁそれとそこのあなた。そう、さっきこのケダモノ以下のクソバエにお尻撫でられた可哀想なあなた。被害届は後日でいいから出してもらえるかしら。近くの憲兵事務所に来てくれれば大丈夫だから。それと」

 

 ぐい、と縄を乱暴に引っ張って、ならず者4人を勢いよく地面に転がすと、エルマーは妖艶な泣きぼくろをアピールするように、エルフ族の給仕の娘にウィンクをしてみせる。

 

「すぐまた後で来るわ。フレンチトーストとコーヒーのセットをお願いね。ジャムを少し多めに添えて。ね?」

 

 ひとり100キロは超えるであろう巨漢4人を片手で、しかも鼻歌を歌いながら引きずってエルマーは街の通りへと消えていった。

 その様子を少しはなれた席から見ていたのは、シェリーとケント、それにマリアの三人である。

 

「びっ…………くりしたぁ……あの人って、確か……ねぇケント、あの人ってこないだ事情聴取した人よね?」

「そ、そうですね……間違いないと思います。事情聴取の時は軍服姿でしたが……」

「お二人とも、あのエルマー様にお会いされたんですの?」

 

 ホットワインをちびちびと飲みながら、マリアがシェリーを見上げる。3人の中ではマリアが一番背が低い。

 

「有名ですわよ。人類最強の女、魔道と槍を極めた龍殺し、元SS冒険者で陸軍最強の牙と呼ばれるエルマー・イルフォード少佐……いえ、確か今は中佐になっておられるはずですわね。平民どころか、他国からの難民の出でありながら若くして槍を極め、その後冒険者として活躍して資金を貯めて帝国魔道学院で学び、炎と地の魔道を極め『大魔道士』の称号を許された数少ない魔道士でもありますわ。この国では子供にも大人気の戯曲にも登場しますわ」

 

 シェリーが事情聴取を受けたときには、『正義を愛する軍人の、やさしいお姉さん』だと思っていた。

 よもや戯曲に描かれるような英雄で、しかも人類最強などと謳われる強者であるとは想像もできなかった。

 何しろ美しく、物腰も柔らかで挙措動作もたおやか、黙って立っていればただの美女でしかないとしか思えない女性である。

 

「さっきのドルマ王国から来たという冒険者も、よりによって人類最強の女の尻を撫でるなんて、まだ龍の逆鱗を突くほうが安全というものですわ」

 

 そう呟いてホットワインを飲み干したあと、『あち』と小声で囁くマリアも剣術士であり、美しい令嬢としてドレスを纏った姿からは想像もできないほどにしぶとく泥臭い戦い方をする。

 ガラガラヘビのマリア、といえば試合の相手からはとりあえず嫌がられるほどにしぶとく、そして的確に相手が嫌がるところを攻めるという実践的な剣術の使い手だ。

 

「マリアお嬢様も確か剣術を――」

「旦那様? およしになって。わたくし、旦那様に嫁ぎますのよ? 妻に『お嬢様』をつけるなんて、聞いたこともございませんわ」

「だ、旦那様……ですか……?」

「えぇ。わたくしはケント様の第二夫人となるべく、花嫁修業に励んでおりますの。モチベーションを保つためにも、ケント様を『旦那様』とお呼びすることくらい、お許しくださいませんこと? だってこの先、ケント様は本当にわたくしの旦那様になられるのですから。ね? シェリーお姉様?」

「そうね。ねぇケント? ケントは私になんて呼ばれたい? やっぱり御主人様?」

「ちょ、ちょっと待ってくださいシェリーさん、御主人様なんてそんな、シェリーさんは僕のメイドかなにかではないんですから。今まで通りケントと呼んでください。それにマリアお嬢……マリア、様も」

「様も余計ですわ。シェリーお姉様と同じように呼んでくださいませ」

「そ、それじゃあ……マリアさん、で良いでしょうか」

 

 ふむ、と呟いてマリアは少し眉を潜めてケントを認め、苦笑を浮かべた。

 

「致し方ございません。今はそれで妥協いたしますわ。でもいつか、私のことはただ『マリア』とお呼びくださいませ。ね? 旦那様?」

 

 まるでケントへの助け舟のように、先程尻を撫でられた給仕の娘がケントたちのテーブルに料理を運んできた。

 

「お待たせしましたぁ。えっと、ビッグボアのグリルと黒ビール、それにブルストの盛り合わせですね。それとぶどうジュースのお客様は?」

「あぁ、ぶどうジュースは僕です。ありがとうございます。さっきは災難でしたね」

「もう、ホントそうですよぉ。ドルマ王国からの客って手癖が悪くてホント嫌になります。店長もああいうの出禁にしてくれればいいのに。ドルマ王国の冒険者はお断り、って」

 

 ふん、と鼻を鳴らして頬を膨らます。

 給仕の町娘であっても、ケントの目にはエルフ族の娘は大変に美しく見える。だが、給仕の娘はシェリーとは異なり、金髪に白い肌、それに青い瞳をもった白人に近い容貌である。

 

「エルフ族の方も、髪や肌の色が違うんですね」

「ん? あぁ、そうですね。私はいわゆるホワイトエルフで、お連れ様はダークエルフですよね? ここロディナル大陸ではダークエルフの方は珍しいです。エルフ族は半分以上が私みたいなホワイトエルフで、あとは少数民族ですけど、赤毛のウッドエルフに肌色の濃いブルーエルフ、っていう種族の方もいます。まぁこの辺だとめったに見ないですけど」

「そうでしたか。ありがとうございます。すみません、お仕事中に引き止めてしまいましたね」

「いいえぇ、お客様とのおしゃべりも、私みたいな給仕のお仕事ですから。どうぞゆっくりしてってくださいね?」

 

 明るい笑顔を向けて、給仕の娘はカウンターの奥へと引っ込んでいった。

 3人が酒場の料理に舌鼓をうっていると、客の男たちの間からおぉ、という声が上がり、若い女たちが拍手をし始める。

 ケント、シェリー、それにマリアが視線を向けると、その先にいたのは大柄なノーム族の女、エルマーである。

 先程の給仕の娘が手際よくフレンチトーストにこれでもかとジャムを載せた料理の皿をエルマーのテーブルへと運ぶ。

 人類最強の女は、その二つ名に似ない優しげな笑顔を娘に向けながら、優雅な手つきでフレンチトーストを口に運ぶ。

 

「エルマー様! こっち! こっちですわ!」

 

 突如マリアが背伸びをしてブンブンと手を勢いよく降り出した。

 声に気付いたエルマーは視線を向けると、嬉しそうに目を見開き、無言のまま皿とマグカップを持ってケントたちのテーブルへとやってきた。

 

「マリアさんじゃないですか。……え? あなたは確かこの前事情聴取をした、確か……シェリーさん? あら、マリアさんのお知り合いだったの?」

 

 丁寧に椅子を引いて腰掛け、また優雅な手つきでフレンチトーストを食べ始める。

 

「えぇ、お二人はわたくしの肖像画を描いてくださったんですの。素晴らしい出来ですのよ! 是非エルマー様にもお見せしたいわ」

「あら、お二人は画家だったのね? まぁ、それじゃあ私もいつか1枚お願いしようかしら」

 

 にこ、と笑顔を浮かべたエルマーの顔は、垂れ目も手伝ってか思わず甘えてしまいそうなほどに優しげだ。

 

「あの、エルマーさんとマリア……さんはお知り合いなんですか?」

「えぇ、わたくしはエルマー様のスイーツ友達ですわ。自慢ではありませんけれど、わたくし達、この領都の美味しいスイーツのお店をすべて知っている、と言っても過言ではございませんわよ」

 

 得意げにマリアがふんぞり返ると、エルマーはあらあら、と苦笑を漏らす。

 シェリーはケントと顔を見合わせて、小声で呟いた。

 

「世間って狭いのね……」

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