02 始まりの馬車
「はぅあっ!?」
乗合馬車の隅っこの席に座って居眠りをしていた若者が、突然変な悲鳴のような声を上げて目を覚ました。
「へぁっ!?」
すぐ隣に座る若い女は、若者の声に驚いて硬い座席から尻が浮くほど驚いて変な声を上げる。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
若い女は恐る恐る、といった様子で若者の顔を覗き込む。
全く持って目立つところのない風体。
少し痩せ気味の身体に、さほど高くない背丈。頑強とは言えなさそうな体つきに、ごくごく地味な麻の服を身に着けた若者は、周囲の乗客にすみません、すみませんとやたら低姿勢で頭を下げる。
「すみません、ご迷惑をおかけしまして」
「い、いえ。それより大丈夫ですか? ちょっと顔色悪いみたいですけど」
「は、はぁ……」
若者、ケント・マミヤは馬車から身を乗り出すように顔を外へと向ける。
眼の前に広がっていたのは、見渡す限りの草原と、あまり立派とは言えない未舗装の街道。
その街道のはるか先には、大きな城壁が取り囲む街のようなものが見える。
「あの、すみません」
健人はすぐ隣に腰掛けている若い女に、できるだけ優しげな声で話しかけた。
「あの街は?」
「え? あ、あぁ、あそこですか? あれはこのドルマ王国の王都ですね。この馬車も王都行きで……あの、ほんとに大丈夫ですか? 少し顔色が悪いですけど」
「いえ、どうぞお構いなく。そうですか……ドルマ王国というのは、大きい国なんでしょうか?」
若い女はかなり怪訝そうな表情で健人の顔を覗き込んだ。
「あの、ご存知ないんですか? ドルマ王国はこのロディナル大陸でもインダスター帝国と並ぶ国ですよ? それにその、一応大陸の南半分近くを領有する大国なんですよ?」
「そ、そうでしたか。いや、失礼しました」
「ネエちゃん、その兄さん、ひょっとしたら遠くの大陸から来たクチじゃねぇのかい?」
不意に口を挟んできたのは、御者席に座る若い男だった。
「黒髪に黒目ってなぁこの辺じゃ全然見ねぇしよ。遠くの国から来た観光客か、それか商人ってとこなんじゃねぇのか?」
「まぁそうですね、そんなところです」
ケントは何故か申し訳無さそうな顔で御者の男に答え、再びキョロキョロと馬車の外を見渡した。
彼の記憶にある限り、見たことがない景色だった。
牧歌的な、のどかな広い草原で、はるか遠くには山頂付近に雪がうっすらと積もった山が峰を連ねている
麻宮健人が尊敬していた写真家、アンセル・アダムスであれば喜んでカメラを据えて、日がな1日写真を撮っていたであろう光景。もしもケントの手にカメラがあったら、彼なら1日と言わず2日でも3日でもこの光景と向き合っていただろう。
「美しいところですね」
ぼそ、と呟いた声に、若い女は満面に嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「ですよね! 私、この丘からの景色大好きなんです! 絵が描けたら絶対この風景を描きたいなぁって思ってたんですけど、私、絵が全然描けなくて」
「そうでしたか。写真は無いんですか」
「……シャシン? なんですかそれ?」
若い女は小首を傾げてケントの顔を覗き込む。先程から顔を近づける距離がかなり近い。
女性慣れしていないケントにとっては、思わずのけぞってしまうような距離だ。
「うーん、黒髪に黒目……あっ、わかった! 東のセプトパール大陸の出身じゃないですか? 多分そうだ! この辺で黒髪黒目の人って、ホントいないんですよ。あぁ、だからかぁ。ドルマ王国にはお仕事で? 観光で?」
「い、いやまぁ、その、旅行と言いますか……腰を落ち着けて暮らせる場所を探しているといいますか」
ケント自身、自分がいつ、どこから、どのようにこの馬車に乗り込んだのかは全く分からなかった。
女神の配慮というものだろうか、旅行者が持っていそうなカバンを肩からかけており、歩きやすそうな丈夫なブーツを履いている。
旅人と言えば疑うものは少ないであろうと言ういでたちだ。
「あっ、私シェリーって言います。錬金術師です」
「あぁ、これはどうもご丁寧に。マミヤケントと申します」
「……マミヤケントさん、ですか? えっと、全部お名前で……?」
「あぁいえ、姓がマミヤで、名前がケントです」
「なるほど、ケント・マミヤさんですね。ジョブは何を?」
「ジョブ、ですか?」
「…………あの、はい、えっと、私のジョブが錬金術師なんですが、ケントさんは?」
かなり訝しげなかおでシェリーが顔をケントに近づける。
ほぼ鼻の頭がくっついてしまいそうな距離で、かなりパーソナルスペースが狭いタイプであるようだった。
「どう……なんでしょうか。僕はその、ジョブというものを今日始めて知りまして」
「あぁ? あんだって? なぁニイちゃん、ジョブ神託受けて無ぇのかい? セプトパール大陸じゃやらねぇのか? 俺ぁ『運び屋』のジョブで御者やってるけどよ、神託受けてジョブがわからねぇと、この辺の国じゃ職にもありつけねぇぜ? 悪いことは言わねぇ、王都に神殿があるからよ、そこで神託受けてきなよ。じゃねぇとギルドでの冒険者登録も出来ねぇぜ?」
「そ、そうですか。ご丁寧にありがとうございます。そうですか、神殿……そこでその、礼拝をすれば良いんでしょうか」
「あぁ、まぁ礼拝と寄付をすりゃ神託を授けてくれるぜ。この馬車、神殿前も通るからよ。そこで降ろしてやるよ」
「あの、ケントさん?」
少しずつ城壁が近づいてくる中、シェリーが再び顔をケントに近づける。
「もし良ければ、神殿案内しましょっか? 私、王都の錬金術師協会に行く予定はあるんですけど、予約が明日なんですよね。今日暇なんです」
「良いんですか? それは助かります……ただ、その、お礼は」
「あぁ、良いんですそんなの。困った時はお互い様、って昔々の英雄が言ってたそうですよ? ケントさん困ってるんですよね?」
「は、はい、まぁそうですね。困っては……いると思います、多分」
「じゃあ御者さん、私も神殿前で降りまーす」
「はいよ。じゃあ先に乗車賃用意しといてくれよ? 1人大銅貨1枚だ」
シェリーは懐から革製の巾着を取り出して、大銅貨を1枚手のひらに乗せる。ケントはポケットに手を入れ、小銭を探るふりをして亜空間収納から小銭を取り出した。
「シェリーさんは錬金術師、ということでしたが……錬金術師はどんなことをされるんですか?」
「え? あー、うん、えっとですね。錬金術師はポーション類を生成したり、付与術師が付与をするときの素材を錬成したり、まぁ一般的には後方支援職って言われてます。剣術士とか槍術士みたいな前衛職のサポート役、みたいな感じですね」
「剣術士? その、槍術士というのは、それはこう、なにか戦争とか……?」
「はい。まぁ大きな戦争はもう長いこと無いんですけど、小規模な国境付近の戦いだったり、あとはやっぱりダンジョンが出たときの魔獣の間引きだったり、氾濫の鎮圧だったり、そういう事は結構ありますね」
「戦争はその……結構頻繁にあるものなんでしょうか」
「いえいえいえ、基本的に平和です。戦争というか紛争は時々、ですね。冒険者ギルドとか傭兵ギルドにお声がかかりますけど、私達みたいな後方支援職は後ろで色々手伝うみたいな感じです」
いつの間にか馬車は城壁の正面、広い街道をゆっくりと進んでいた。
御者の男は馬車のランプを吊るす柱に通行手形のような掛札を下げ、さらに馬車の速度を落とす。
「おいニイちゃん、お前さん通行手形は持ってるな? 用意しといてくれ?」
「つ、通行手形、ですか」
初耳の情報だ。
慌ててカバンの中身を漁ると、見覚えのない薄い木の板が手に当たる。
手に取ると、見慣れない文字が書き込まれていた。
明らかに日本語とは違う言語だが、その意味は理解できる。
シェリーの言葉も、御者の男の言葉も、いずれも日本語とは全く違う言語だったが、なぜかコミュニケーションは出来ている。
「おう、そいつだ。門衛にそいつを見せねえと、城門から入れねぇぞ?」
「そ、そうでしたか、ありがとうございます」
馬車が城門のすぐ近くまでたどり着くと、甲冑に槍で武装した騎士が数名歩み寄ってくる。
客席にいるひとりひとりに声をかけ、手形を確認していく。すぐに騎士の一人がケントの前に立った。
「手形を拝見」
「はい、こちらで良いですか?」
「ふむ」
騎士は手形を手に取ると、じっとその文面を読むように目を左右に動かす。
「うむ。職業は……冒険者志望? なんだ、お前見習いか。随分と遅いスタートなんだな……ま、せいぜい死なないように頑張れよ」
騎士はどこか引きつったような笑顔を浮かべてケントに手形を差し出した。
「ご丁寧に、ありがとうございます」
「あぁ、ようこそドルマ王都へ」
騎士が全員の手形を確認し終えた後、馬車はゆっくりと場内を進んでいく。
石畳で舗装された道を進むことしばらく、ガタガタとひどい揺れに腰が心配になったケントだったが、若い身体というのは頑健なもので、神殿前で降りたときも軽い伸びをするだけで身体の痛みは嘘のように掻き消えた。
「ふぅ、お疲れ様でした」
「シェリーさんも、わざわざありがとうございます」
「どういたしまして。……ねぇ、もし良かったらなんだけど……その、お互い気軽に話せないかな? 私その、敬語っていうの? そういう言葉慣れてなくって」
「あぁ、そうですね。僕は構いません」
「……ケントさん……っていうかケントって呼んで良い? ケントも普通に話していいのよ? 私別に、いいとこのお嬢さんってワケでもないし」
「僕はコレで普通に話しているつもりなんですが……」
ケントは、麻宮健人であったときから、誰に対しても物腰柔らかな話し方の男だ。
歳上の妻、沙織に対しても常に「沙織さん」と呼んでいたし、写真館の客などたとえ幼稚園児であっても、
『さぁ、オジさんの頭の上のお人形を見ててくださいね』
『そうそう、にっこり笑ってください、上手ですよ』
と優しく穏やかに、そして丁寧に話していたものだ。
「この話し方が長いものですから、変えるとなると少し大変ですね……」
「そ、そうなんだ……まぁケントがそれで良いならいいんだけど……それよりほら、ここが、王都のバルゴ神殿。いろんな精霊が祀られてて、創世の大精霊様も祀られてるの。神託は大精霊様の祭壇ね。ほら行こ」
シェリーは実に慣れた手つきでケントの手を握り、すたすたと神殿へと入っていく。
薄暗い神殿は荘厳でありながら大勢の礼拝客で賑わっており、商売の精霊の祭壇の前では身振りの良い商人と思しき者たちが我先にと礼拝をしている。
「随分と人が多いんですね」
「そうね、バルゴ神殿は世界中のいろんな都市にあるから。バルゴ教会なんかでも神託は貰えるんだけど、神官がいるときだけなの。神殿ならいつでも神官がいるから」
「なるほどなるほど、そういう事ですか……」
シェリーは迷うこと無く神殿内を進み、やがて最奥の人気の少ない祭壇の前へとたどり着く。
最奥の神殿の傍らには、高位の聖職者と思しき女が法衣に身を包んで立っており、シェリーとケントの2人に向かって優しく微笑みかけてきた。
「ようこそ、大精霊の祭壇へ。ご結婚ですか? おめでとうございます」
落ち着いたアルトの声が、石壁に反射して残響を残して消える。
「えっ? あ、い、いえあの、その、結婚じゃなくてですね! 今日はその、この人がジョブの神託を貰ってないって言うから、それで!」
大慌てで長い耳の先を赤くしたシェリーがぶんぶんと手を振りながら、ケントを指さした。
「まぁ、そうでしたか。その髪と瞳の色からすると……なるほど、東方のセプトパール大陸の方ですか。確かにあの大陸では、ジョブ神託を授ける神殿は少ないはず。わかりました。では、どうぞこちらへ」
女神官に導かれるままにケントは祭壇へと歩み寄る。
眼の前には大きな水晶球と思しき透明な玉が安置されていた。
「恐れる必要はありません、ご自身のお名前を言ったあと、この水晶球に手を置いてください。あなたのジョブが神託として授けられるはずです」
「わかりました。では……ケント・マミヤです。よろしくお願いします」
ぺた、と優しくケントが手を置く。
その瞬間、薄暗かったはずの神殿の景色から、なぜかケントは明るい草原に立っていた。
眼の前には、小柄な女児と思しき人影と、その隣には美しい装束を身にまとった美しい大人の女が立っている。
「あっ! ほらほら来た! 麻宮さんこっちこっち! 思ったより早かったね」
「……先程の、たしか女神様……でしたか?」
「そ! よかったよぉ、ジョブ神託のこと言うの忘れちゃっててさ。でも大丈夫、神託として出せるから! じゃバルゴ様? よろしくお願いします!」
小さい女神に『バルゴ様』と呼ばれた長身の女は、苦笑を浮かべてケントへ歩み寄ってきた。
「マミヤケント、あなたにジョブを授けます。ジョブはその人の適性や生きる道を指し示すもの。転移者であるあなたには、他に持つものがいない、所謂ユニークジョブというものを授けます」
「ゆにーくじょぶ、ですか……ですがその、僕は長生きはしましたが写真を撮るしか能がない男でして」
「心配は不要、あなたの長年積み重ねたものは、決して無駄にはなりません。我が世界でのあなたの人生が、幸福と平安に満ちたものになるよう、私も、そしてこちらにいる女神エイルも、あなたの幸せを祈っています」
草原に射し込む光が一際強くなる。
ストロボの光を一斉に浴びせられたように目が眩む。
「あっ! そうそう麻宮さん! あとでポケット確認して! ちゃんと小金貨1枚入れたからね!」
女児特有の幼いソプラノの声は、ほんの僅かな残響も残さずに消え、次にケントが目を開けたときには、そこには薄暗い神殿と女神官、そして手のひらの下の水晶球が写った。
「こ、これは……これはユニークジョブ!?」
女神官の、明らかに動揺した声が反響する。
「こんなジョブは見たことがありません! これは一体!?」
ケントが視線を下に向けると、そこにはこの世界、バルゴの言葉で『光画師』と記されていた。




