17 ダメ女の決意
「えっとゴメン、私寝ぼけてるのかな? ケント、もっかい言ってくれる?」
「はい……あの風景写真…………ユリア伯爵が、白金貨30枚でお買い上げでした……」
ふむ、とシェリーは腕組みをして大きく頷いて、何事かをもごもごと呟いたのち、かっと目を見開く。
「わかった、夢ね? これ夢でしょ? そうよね?」
「……シェリーさん?」
「夢なら何やってもノーカンよね? 夢の中ならケントとあんな事とかこんな事とか、◯◯◯◯◯な◯◯をたっぷり◯◯◯◯せてケントの◯◯る◯◯を◯◯◯◯◯◯に◯◯ても全然大丈夫ってことよね? うん、きっとそうよ」
「シェ、シェリーさん? あの、ちょっとあの、落ち着いてください、目が怖いですよ……」
シェリーは血走った目のまま服のボタンを外してケントににじり寄りはじめた。
「だってほら! 頬つねったって痛く…………え、痛い?」
「そ、それは痛いですよ、現実なんですから」
「……あ、あの、ごめん……」
胸元から下着が見えるまでボタンを外し、ケントの腕に自分の胸を押し付けていたシェリーが、少し身体を離してもぞもぞとボタンをとめ直す。
「ね、ケント? その、白金貨30枚っていうことは……白金貨30枚ってこと?」
「はい。白金貨30枚、大金貨にして600枚ですね。とりあえず伯爵からディエゴ商会長へ代金を支払って、商会長から僕に、という形になるようです。流石に大金ですから、ギルド銀行に口座を作って預けてもらうことにしました。シェリーさんと僕とで、半分ずつで良いですか?」
「何言ってるのケント! 半分ずつなんてダメよ!」
シェリーはかろうじてボタンを全部しめた状態で、改めてぎゅっと胸を押し付ける。
「全部ケントのものよ? だって私はガラスの板と聖水と、それに解毒薬と回復薬と麻酔薬を作っただけだもの! どう考えたって私が半分なんてもらいすぎよ!」
「ですが、シェリーさんがいないとあの光画は出来なかったんですよ? 半分受け取ってもらわないと僕も困ります」
「でも、それじゃあケントが損しちゃう……」
「良いですか? 僕とシェリーさんはパーティを組んでいるんです。パーティが受け取った報酬は原則として均等配分するものではないんですか?」
「……でも……でも、ホント私ダメなの……私バカだから、大金持っちゃうと考えもせずに色々使っちゃうから……だからお願い、ケントが管理して。私のお金、全部預けるから」
シェリーは、どこまでも尽くしてしまう性格である。
嫌いな相手に対しては極めて塩対応をするのだが、惚れた相手に対してはカスタードクリーム並の濃度で甘やかしてしまう。
今この時点でも、シェリーはケントに対して『パートナーを思う存分世話してあげたい、何なら年上の女として色々あんなことやらこんなことまで教えてあげたい』という世話欲求を必死で我慢している。
ある意味相手に尽くすことでしか、自分の存在意義を認められないような、大変に危うい性格でもある。
「お願いケント、私を助けると思って。ね? お願い」
「……わかりました。そしたらディエゴ商会長に相談して、口座をいくつか作りましょう。まずはシェリーさん用と僕用に、日常使う小口の口座。それから二人の共同名義の口座が作れれば、作ってもらいます。もし共同名義がダメであれば、一応僕の名義の口座をもうひとつ作ります。これは、二人のお金ということにしましょう」
「二人のお金……わ、私達の、将来のための資金ってこと? そうよね? それってつまり、私とケントの甘い甘い新婚生活のための資金ってことよね? 大きなベッドとか家具とか買って、それで一緒に生活するための――」
「シェリーさん、落ち着いてください……二人のお金というのは、二人が共同で使うお金、ということです。いいですか?」
「うん……うん、良い……あぁ、見えるわ……ケントと私が一緒に暮らして私はケントの服を洗って、ベッドメイキングもして、そのベッドで毎夜毎晩一杯愛し合って……」
シェリーはうっとりと、どこを見ているか分からない目のままで恍惚の笑みを浮かべ始めた。
たっぷり30分ほど恍惚とした後、ようやく落ち着きを取り戻したシェリーはしょげかえってケントの前で正座をしていた。
「……落ち着きましたか?」
「はい、ごめんなさい……」
「落ち着いてくれたら良いんです。とりあえず売上に関してはさっき話したような感じで管理しましょう。小口の口座には、ひとまず2ヶ月分の生活費くらいを入れるようにしましょうか。シェリーさんの聖水とかの原料代は共同口座から出します」
「え? 良いの? 私お金使うのって食べるのとお酒以外だと、ほとんどポーションの原料関係ばっかりなんだけど」
「はい。二人の『仕事』に必要なものですから、それは原料費として二人で出しましょう。僕もカメラの修理部材を買うときなんかは、その口座から出しますから」
「ね、ねぇケント? そこまでキッチリ決めなくっても良いんじゃない?」
「いいえ。こういうお金の話は、親しい間柄であればこそキッチリ決めたほうが良いんです。シェリーさんを信頼していないわけじゃありませんよ? 信頼しているからこそ、こういう仕事に関するところはきっちりやろう、ということなんです」
「そっか……うん、わかった。ケントの言う通りにする。……にしてもさぁ、白金貨30枚ってなかなかお目にかかれない数字だよね。ツァイス伯爵ってすごく気前がいい人なの?」
「気前が良いと言うか、かなり真面目で誠実な方だと感じました。不正を許さないという評判通りのお方みたいですね」
「そっか……そんな伯爵様ばっかりだったら良かったのにね」
どこか寂しそうな顔でうつむき、シェリーは絞り出すような声で呟いた。
「シェリーさん、良かったら伯爵閣下を頼ってみませんか?」
ケントの言葉に、心底意外そうな顔を向けたシェリーの目には、うっすらと涙が浮かんでいる。
もう既に180年ほど前になる事件だが、やはり信じていた男に騙された上に金をすべて奪われ、その挙げ句娼館に売り飛ばされそうになったことは、シェリーにとって癒えることのないトラウマだ。
「今日お会いして、直に言葉を交わして分かりました。あの伯爵閣下は信頼して良さそうです。シェリーさんが受けた仕打ちを告発されてはどうでしょう? 相手の貴族の男がもう亡くなっていたとしても、シェリーさんの名誉のためにも相手の罪を記録する必要はあると思います」
「……でも……私の話なんて、貴族が聞いてくれるなんて思えない……」
「僕は貴族というものをよく知りません。今まで接したこともありませんでしたし、ディエゴさんとツァイス伯爵だけしか知りません。でも伯爵は貴族以前に個人として高潔な方であると思います。それに、シェリーさんと同じ女性でもありますし、味方になってくれる可能性はかなり高いと思います。ディエゴさんへの代金引き渡しで、3日後にまた伯爵閣下にお会いする予定です。その時にどうでしょうか、一緒に行きませんか?」
しばらく俯いたまま、シェリーはぎゅっと手を握る。指をそわそわと組み替えたり落ち着きのない仕草を繰り返した後、半泣きのままでシェリーは顔をあげた。
「ケント……」
「はい」
「……私の事、嫌いになったりしない? 私、今まで一杯騙されて、奪われて、売られて……その、処女でもないし……」
「約束します、シェリーさん」
ケントはそっと、椅子に座り込んで猫背になり、今にも泣き出しそうな顔のままのシェリーの前にひざまずく。
落ち着きのない手を優しく両手で包み込むと、優しく笑顔を向けた。
「シェリーさんにとっては辛くて、苦しくて、傷ついた過去です。『そんな事』なんて軽々しいことは言えません。でも、僕には今のシェリーさんが必要なんです。僕は、何があってもシェリーさんのことを嫌いになったりしません。もっとも、僕がシェリーさんから嫌われることはあるかもしれませんけどね」
「そんなことない、そんな事絶対ないよ……ごめんケント、私ずっとこんな感じで、弱くて、バカで……」
「シェリーさんは弱くもないですし、バカでもありません。怖い思いをしたんです、怖がって当然じゃないですか。傷つくことを怖がる、そのことの何が悪いんです。人は誰だって、傷つけられたら傷つくんです。強いというのは、傷つかないことを言うんじゃありません。怖がらないことを指す言葉でもありません。強いというのは、傷つけられて倒れてもまた立ち上がる人の心のことを言うんです」
「……や、やめてケント、お願い……そんな優しいこと言わないで……お願いぃ……」
シェリーは美しい顔を歪めて、必死で泣くのを堪えていた。が、ケントは追撃の手を緩めない。
「それにシェリーさんは、ずっと錬金術を頑張って来られたじゃないですか。聖水だって作られたじゃないですか。ディエゴさんに聞きました。錬金術師の中でも、ちゃんと効果がある聖水を作れる方は多くないって。シェリーさんはもっと胸を張るべきです。シェリーさんは素晴らしい女性です。もっと評価されるべきです」
ぐす、と鼻を啜り上げて俯いたシェリーの目から、床にぽたりと涙がこぼれ落ちる。
「僕にとっては、シェリーさんは代わる方のいない、唯一の錬金術師です。世界最高の錬金術師です。だって僕が必要とするものを作れるのは、世界でシェリーさんだけなんですから。だから、もう泣かないでください。シェリーさんは笑っていた方が可愛いですよ」
嗚咽を抑えきれなくなったシェリーはがばっとケントに抱きつき、子供のように声を上げて泣き始めた。
「辛かったの! 苦しかったの! 嫌だったの! ずっと、ずっと、ずっと! みんなにバカにされて、奪われて、捨てられて、売られて、私なんてゴミ以下だって言われて……私、わたし、もうヤだったの! もうヤなの! もう、もうっ……もう一人はヤだぁ…… 」
「うんうん、辛かったですね。寂しかったですね。でも、もう大丈夫ですよシェリーさん。僕がいます。僕が一緒にいますから」
ぽんぽん、とまるで泣きじゃくる子供をなだめるように、シェリーの背中に手を当てて、時折黒い髪をそって撫でる。
しばらく泣きじゃくった後、シェリーはすんすんと啜り上げながら、ケントの胸に額を押し付けて抱きついたまま離れようとしない。
「本当によく頑張りましたね。もう大丈夫。もう心配しないで良いんです。シェリーさんが辛ければ、僕からツァイス伯爵に相談してきます。これから先、シェリーさんが奪われたりすることが無いように、ちゃんと守られるように相談を――」
「私、行く」
ぐしぐしと手の甲で涙を鼻水を拭い、真っ赤に腫らした目で正面からケントに顔を向けた。
「私も伯爵のところに行く。それで……私、今まで貴族にされてきたこと、話してみる。だから」
シェリーはケントの手を握ろうとしたが、ふと自分の手についた鼻水に気がついたのかスカートの裾でゴシゴシと手を拭って、軽くケントの手に指を重ねる。
「お願いケント、私に勇気をちょうだい」
目を閉じて顔を少し上に上げる。
朴念仁、唐変木、空気を読めない鈍感男ことケントでも、これは分かった。明らかなキス待ち顔だった。
美しいエルフ族の女のキス待ち顔は、男性ならばどの種族であっても抗えないであろう美しさだ。
「シェリーさん……」
それに、涙で濡れたまつ毛に、あからさまに自分に好意を向けている美しい娘のキス待ちである。
この時ばかりは、ケントの自制心も引っ込まざるを得なかった。




