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16 商談

 ツァイス伯爵邸はブロニカ邸と異なり、いわば『要塞』という表現の方がしっくり来るような造りだった。

 高く堅牢な壁に鋼鉄の門、さらに壁の内側には練兵場とも言える広場があり、美しく華が咲き誇る庭園などというものはカケラも見当たらない。

 代わりとばかりに、屈強なノーム族の兵士達が走り込みや実戦形式での訓練を行っている。

 

「ツァイス伯爵は、インダスター帝国の陸軍において准将というお立場でしてな。我がブロニカ商会ももともとは帝都での露天商から始まって、陸軍の酒保商人として業績を伸ばしたものです」

 

 兵士に先導されて広い練兵場をまっすぐに突っ切り、飾り気のまったくない質実剛健な建物へと向かう間、ケントの緊張を察してかディエゴは軽い声で話を続けていた。

 

「なるほど、酒保商人というのは確か……陣中での臨時商店をやる小間物商、というものでしたか」

「そのとおりですな。まぁ、このところは特に酒保商人としての出番はありません。もっぱら輸出入や芸術品の取扱をになっております」

 

 ディエゴは、その屈強な体躯に似合わず商才に長け、さらに芸術家としての才能にも恵まれている。

 もっとも、自ら絵を描いたり彫刻をする、といったことはなく、それら芸術品の品評や価値判断において、ズバぬけた能力を持っていた。

 審美眼というものが他の商人や貴族と比較して大幅に抜きん出ており、ディエゴが国外で見出した民芸品や芸術品は、インダスター帝国で大流行が約束されているとすら言われている。

 それだけに、ディエゴが多くの貴族の前で『ブロニカ商会とブロニカ騎士爵家は、宵闇の光明を全面的にバックアップする』と宣言したことで、ケントとシェリーの名前も広まりつつあった。

 

「ツァイス伯爵は軍人ということですが、芸術も好まれるんですね」

「ははは、芸術を楽しまれるようになったのはここ数年で、以前は『絵など腹の足しにもならん。備蓄食料はないのか』と言われたものです。ツァイス伯爵の上官に当たる陸軍元帥、第一皇女のクラウディア殿下が特に絵画を好まれるお方で、ツァイス伯爵もその影響で、とのことでした」

「皇女様が、陸軍元帥なんですね……女性で元帥というのはなかなか聞いたことがありませんでした」

「我が国は陸軍元帥がクラウディア皇女殿下、海軍提督がヴィクトール第二皇子殿下、クラウド皇太子殿下が統合参謀本部長と国軍総司令官を兼ねておられますな。第二皇女のヴィクトリア殿下は、我が国の聖職者の頂点である大神官の職についておられます」

「そうしたら、政治の頂点は皇帝陛下、ということなんでしょうか。皇族のみなさんが要職に就いているんですね」

「うむ、そうなりますな。かく言うこのディエゴも、一応立場上は陸軍に所属しております」

「え、ディエゴさんは軍人だったんですか?」

「一応、ということにはなりますな。わがディエゴ商会は陸軍の消耗品の取扱も担っております。芸術品の類については皇室御用達の指定を頂いておりますが、有事の際は軍人として参陣せねばなりません」

「そうなったら、商会はどうなるんです?」

「なぁに、心配は無用ですぞ。我が妻ラウラも商才に長けておりますからな。妻というのは頼りになる存在です。……と、そういえば今日は本当にシェリー殿は来なくても良かったのですかな?」

 

 この日、ツァイス伯爵邸を訪れたのはケントとディエゴの2人だけである。

 

「はい。シェリーさんはどうやら過去に貴族の男性に騙されて、それこそ身ひとつで放り出されるようなことがあったようでして……貴族という立場にある方に対して、かなり強い苦手意識があるようなです」

 

 シェリーがまだ200歳ほどの頃のこと。

 少し優しくされるとすぐに惚れてしまうチョロい女ことシェリーは冒険者として、とある貴族の三男坊と行動をともにしていた。

 その若者は槍の才能に恵まれ、冒険者として腕をふるっていた。

 

 シェリーはその当時、錬金術師ではなく土魔法使いとして行動しており、この頃に『ガラスのシェリー』という二つ名で呼ばれるようになっている。

 貴族の三男坊は見た目もよく好青年のような立ち居振る舞いで、たちまちシェリーは惚れ込んでしまいクエスト報酬も貯めていた金もほとんどを貢いでいた。

 かなり金欠になってきたある日、待ち合わせをするために街の酒場に呼び出されたシェリーは、大柄な男たちに囲まれてしまう。

 店の入口に、大柄な男の一人から金貨袋を受け取って、ちらりとシェリーに醜悪な笑みを向けた三男坊が見えたとき、シェリーは自分が娼館に売られそうになっている事を理解した。

 シェリーがもつ最大出力を誇る魔法を咄嗟に発動してその場から逃げたものの、それから暫くの間、シェリーは『町中で魔法を使い、民間人を傷つけた』と指名手配のような扱いを受けることになる。

 

「結局その後は、公的なところに訴え出てシェリーさんの行動は正当防衛にあたる、という判断になったようです。ただ、その時の貴族の男の実家が魔術師ギルドの評議員と仲が良かったらしく……シェリーさんは魔法使いを名乗れなくなった、と言っていました」

「そうでしたか……その事情もツァイス伯爵に相談されてはいかがですかな? 伯爵閣下は不正や怠慢貴族に対してはかなり厳しいお方ですからな」

「ですが、その貴族ももう亡くなっているかもしれません。もう180年も前の話ですから」

「ふむ……いや、ですがやはりツァイス伯爵に報告すべきですな。相手がヒト族のような短命種ならばまだしも、エルフ族やノーム族ならばまだ存命である可能性が高いですぞ」

「そうなんですか? す、凄いんですね、皆さんの寿命というのは……」

「まぁ、まずはツァイス伯爵閣下への納品を滞り無く進めてから、ですかな。それからシェリー殿の相談を持ちかけられるのが良いかと」

「ありがとうございます。そうしてみます」

 

 建物のドアは重厚な樫の木で出来ており、鍛錬していないケントでは開閉だけでもかなり苦労しそうだ。

 スチール製のノッカーが重たい音を立てると、内側からドアが開く。

 邸宅内では、メイド服にもよく似た武装、としか表現の出来ない装束の女性たちが行き来しており、男性は全員が軍服のような衣服を身に付けている。

 ここが貴族の邸宅ではなく陸軍の庁舎であると言われたら、ケントも疑うこと無く信じてしまうであろう、というほどに質実剛健な邸宅だ。

 案内のメイドも、背中に鋼鉄の支柱でも入っているのではないかと思えるほどびしっと背筋を伸ばしたまま歩き、廊下の一角にある地味なドアの前で立ち止まると、かなりの音量のノックをする。

 

「閣下、お客人をお連れいたしました」

「うむ、入れ」

 

 ケントは思わず、自分は憲兵に逮捕でもされたのではないかと考え込んでしまいそうになる。が、自らが脇に抱える額入りの風景写真が、これは逮捕や尋問ではなく、納品と商談に来たものであると思い出させた。

 他の部屋とまったく変わらないドアを開けると、中は質素でありながら実用的で、おそらくはヒッコリーの木材で作られているであろう本棚がびっしりと壁の一面を埋め尽くしている。

 本棚と向かい合う側の壁には、数枚の絵画が飾られており、ドアと向かい合う形で置かれているマホガニー製の重厚な執務机の上にもブロンズの小さな彫像が置かれている。

 いずれもが落ち着いた雰囲気の、実に趣味の良い芸術品だ。

 

「閣下、宵闇の光明の光画士、ケント・マミヤ殿をお連れしました」

「うむ。ご苦労だった。ディエゴ、貴様は帰って良いぞ」

「何をおっしゃいます。私はブロニカ商会長として、ケント殿の商談の補佐を勤めねばなりませんからな」

「はははは、冗談だ。ケント・マミヤ、すまんな。コイツと私は旧知の仲だ。今のは挨拶のようなものだから、そう固くなるな」

「は、はい……閣下、今日はお時間を頂きましてありがとうございます。お約束の風景光画をお持ちしました」

「そうか。では早速見せてくれ。あまりに楽しみで、酒も一瓶しか喉を通らなかったぞ」

 

 ユリアがちらりと目を向けたのは、軍において消毒にも使われるほど強い酒である。

 

「はい。ではこちらの場所をお借りします。イーゼルを立てても構いませんか?」

「うむ。好きにしてくれ。何ならその辺にかけている絵は外して構わん」

「そ、それは流石に……では、こちらが」

 

 ケントは丁寧にイーゼルを立てて、その上に大きな額縁をそっと置く。

 覆いの布を取り外すと、額縁の中に描かれていた雄大な山と、山の中腹へ向かって伸びる街道が映し出された風景写真が現れた。

 

「ほう、これはこれは」

 

 がた、と椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がったユリア・ツァイス伯爵は、イーゼルから離れたり近寄ったりしながら、また角度を変えたりしながら風景写真を見始めた。

 たっぷり数十分ほど見続けたユリアは、おもむろにソファーの席、ケントの正面に腰を降ろして満足げな笑みを浮かべた。

 

「気に入った、買おう。いくらだ? 言い値で買うぞ」

 

 即断だった。

 迷うことも無く、さらに価格を聞く前に『言い値で買うぞ』と、ためらいもなく言ってのけた。

 満足気に頷いたディエゴが小さく畳んだ紙片をユリアに差し出すと、広げたユリアは少しばかり不満げな表情を浮かべる。

 

「何だと? 大金貨40枚だと? ディエゴ、貴様これは何の冗談だ」

 

 一気に不機嫌そうな表情になったユリアは、鋭い目でディエゴを睨みつける。

 ディエゴと事前に相談していた売値は、大金貨40枚。日本円にしてなんと200万円だ。

 風景写真1枚としてはかなりの高値ではあるが、写真そのものが存在しなかった世界においては『極めて精密に描かれた写実画』となる。

 

 ディエゴは自信たっぷりに『大丈夫ですぞ。価格交渉はこのディエゴにお任せあれ』と笑みを浮かべて頷いていた。

 ケントは、出来ることなら大金貨10枚くらいになれば良いと思っていた。ディエゴの交渉次第で値切りを抑えられれば御の字だと。

 だが、伯爵ユリアの次の言葉は、ケントがまったく予想だにしていないものだった。

 

「貴様は芸術を何だと思っている。安く見積もっても大金貨500枚、白金貨25枚が妥当だろう」

「さすが閣下。やはりそれくらいが良いと思われますか」

 

 じろり、とディエゴを睨みつけるユリアは、鍛え抜かれた筋肉の腕を組む。ぎち、と布地が悲鳴をあげるほどに、ユリアの体躯は鍛え抜かれている。

 

「当たり前だ。貴様、私を試したな? 気に入らん。今度良い酒を持って来い」

「はは、閣下にはかないませんな。承知しました。先日入荷した120年もののブランデーをお持ちします」

「良いだろう。ではケント、この絵は私が白金貨25枚で買い受ける。文句はないな?」

 

 白金貨25枚は、日本円に換算するとおよそ2500万円になる。

 想定外にもほどがある、という価格だった。

 この写真1枚で、シェリーとケント二人がらくらく5年間は遊んで暮らせるほどの金になる。

 

「何だ? ケント、何か不満があるなら話せ」

「……え? え、い、いえ、その、考えてもいない値付けでしたので、驚いてしまいまして……」

「ほう、貴様意外と金に厳しいと見えるな? わかった、では白金貨30枚でどうだ」

「い、いえ! 25枚で結構です! 驚いたというのは、閣下の値付けがあまりに高くて驚いた、という意味です!」

「妙なところで正直なのだな? まぁ良い、貴族が一度出した金を引っ込めるのは恥とも言えるからな。ディエゴ、後日貴様の商会に白金貨30枚を預ける。ちゃんとケントに渡せよ?」

「無論、承知しております。ではケント殿、通常は販売価格の8パーセントを我が商会に販売手数料としてお納め頂くことになります……が、今回はこうして商談の席にケント殿ご自身が出られています。それに何よりケント殿は我がブロニカ家の大恩人。販売手数料は無料にしましょう。次回から、当商会に『光画』を置いて頂き売上をそのままケント殿にお支払いする、といった形になります」

 

 さすがのケントも、計算が追いつかなかった。

 本来ならば、今回ディエゴには白金貨2枚に大金貨8枚、240万円相当を支払う事になったはずが、なんと無料になった。

 

「い、いえ、ディエゴさん、それではあまりにも――」

「いやいやケント殿、これは我が商会にとってもメリットが大きいものですぞ? 何しろ今噂の的になっている『光画』を取り扱っている店舗となれば、客が押し寄せることは必定。となれば、我が商会にとっては絶好の宣伝の機会とも言えますからな。いわば、ケント殿にお支払い頂く手数料と宣伝への報酬を相殺する、といったものとお考えください」

 

 ディエゴは敏腕の商人である。

 受けた恩は必ず返すし、貸しは必ず回収する。当然ながら、この『手数料無料』はディエゴにとっても十分な利益をもたらすものと見込んでのものだ。

 

「まぁ我がツァイス伯爵領では一般的な取引だ。一切の忖度も遠慮も要らんが、がめつい真似は許さん。我が領での商取引は、常に公平公正かつ公明正大でなければならん。まぁわからんことはディエゴに聞け、コイツは商人として超一流に入るからな」

「恐れ入ります、閣下」

「では、だ」

 

 ユリアは笑みを浮かべて立ち上がり、壁へと視線を向ける。

 

「うむ、やはりここだな。おいディエゴ、手伝え。この絵を外してケントの光画をかけるぞ。私を肩車しろ」

「……閣下、はしごを使われては?」

「時間が惜しい。ほらどうした、女伯爵の股ぐらにクビを突っ込める貴重な機会だぞ?」

 

 不敵な笑みを浮かべるユリアの傍で、苦笑を浮かべながらディエゴがひざまずく。

 まるで仲の良い姉弟のように『もっと右だ』『貴様、まさか私が重いというつもりではなかろうな』『行きすぎだ、左に一歩戻れ』『ディエゴ、貴様どこを触っている。ラウラに言いつけるぞ?』などと軽口を叩きながら額の位置を微調整する。

 満足げなユリアがが腕組みをしてうんうんと頷いたのは、ケントとディエゴが入室してわずか1時間後のことだった。

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