14 誰も見たことがない肖像画
「こっ…………これは……」
ディエゴ・ブロニカは、それだけ呟くと言葉を失った。
インダスター帝国、ツァイス伯爵領において最大の商会の主であり、自身も審美眼には定評のある名誉騎士爵を持つ貴族として、数多くの芸術作品に向き合ってきた。少なくとも、彼は自分の美的感覚には絶対に近い自身を持っていた。
絵画や彫刻、金属製品から陶器に至るまで、世界中のあらゆる芸術品に触れてきたという自負すらあった。
だが、ディエゴのそんな自負は、この日ガラガラと音を立てて崩れ去った。
眼の前に差し出されたのは、紛れもない愛娘マリアの肖像画の『完成品』である。
発注をしてからわずか1ヶ月、おまけに、到着した『光画師』という聞き慣れないジョブを持つ画家が作業に取り組んだのは昨日の事だ。普通なら、こんな短い期間で肖像画を描くことなど絶対に不可能だ。雑に、しかも小さなキャンバスに描くと言うならばまだしも、ケント・マミヤという光画師が差し出してきたのは、邸宅の壁に飾るにふさわしいと思えるサイズの肖像画だった。
モデルとなったマリアは呼吸も瞬きも忘れて、じっと自らの肖像画に見入っている。やや近眼の妻ラウラは、顔を近づけてじっと見入ったまま身じろぎひとつしない。
「いかがでしょうか、お嬢様」
ケントは穏やかな、それでいて自信に満ちた落ち着いた声で、言葉を失っている令嬢に声を掛ける。
マリアは目を見開いて、口をぽかんと明けたまま呆然と立ち尽くしていた。
髪の毛の一本一本はもちろんのこと、身に付けているドレスのレースの編み目から、背景の花の花弁一枚一枚に至るまで精密に描写されている。さらに足元にある石ころや、テーブルに施された彫刻までも完璧に描き出されていた。
おそらくはこの世で最も精緻で、写実的に描かれた肖像画であろうことはひと目で見て取れた。
「…………わ……」
呼吸すら忘れていたマリアがようやくわなわなと震えながら口を開いた。
「わたくし、鏡を見ているのではありませんわよね……」
「はい。これは昨日のお嬢様の、中庭での姿です」
「ケント殿、これは……一体……?」
母ラウラもしばらく言葉が出なかったが、ようやく、何とか絞り出すように言葉を出した。
「良くぞ聞いてくれました! これは私達『宵闇の光明』だけが作り出せる、『光画』です!」
なぜかふんぞり返ったシェリーがケントの隣に周り、しっかりと腕を組んでこの上ないドヤ顔を見せる。
「そ、その、光画とは一体……油彩のような絵の具の盛り上がりも無い、恐ろしく平面を保っているし、これは……」
「光画というのは、その名前の通り光を使って描く絵、と考えていただければわかりやすいかと思います」
「い、いや、しかし……こんな、マリアの瞳の中まで描き出して、こんな精緻な写実画を描ける画家なんて、インダスター帝国どころか、ロディナル大陸中を探してもいないはずだ……」
額縁はブロニカ商会が取り扱う品物が使われており、肖像画の雰囲気にもよく合ったものが選ばれている。
「それから、これは僕達『宵闇の光明』から、マリアお嬢様の呪いが解けたことへのお祝いの意味も兼ねまして、プレゼントさせていただきます」
ケントが差し出したのは全く同じサイズの額縁で、表面は白い布で覆われている。
マリアが恐る恐るその布をめくったと同時、マリアの大きな目が見開かれ、ぶわっと涙が溢れ出してくる。
「こ、こんな……こんなの、ダメですわ……ケント様、これ、これは」
「はい。昨日のマリアお嬢様です。昨日休憩中に、ディエゴさんとラウラさんと3人で楽しそうにお話をされていましたが、その姿がとても絵になっていましたので、ご家族の肖像として作らせて頂きました」
映し出されていたのは、美しいドレスを身にまとった赤毛の若き令嬢と、愛する娘に声を掛ける父と母の姿。
若く美しい娘は笑顔を浮かべ、父母共に慈しみに溢れた笑みを向ける、仲の良い家族の肖像である。
本来、1人の肖像画でも半年ほどの時間をかける。ましてやそれが家族の肖像とも慣れば、デッサンやラフスケッチ、さらに下書きから彩色、仕上げへと年単位の時間をかけるのが通常だ。
昨日の家族の姿が、もうすでに額縁に収められているなど、到底考えられるものではなかった。
「ケント様」
「はい、なんでしょうか、マリアお嬢様」
「わたくし……昨日は勢いでケント様に求婚してしまいましたけれど……これでは、こんな素晴らしいものをいただいてしまっては……」
なぜか嬉しそうなシェリーが身を乗り出してくる。シェリーにとってマリアは、つい先日までは『依頼主』であったのだが、今となっては『同じ男に惚れた同志』である。
「ケント様にふさわしい女になって、改めて正式に求婚するしかございませんわ!」
この時点で、すでに求婚しているようなものだ、というのは誰も突っ込むことはなかった。
ただ、父ディエゴも母ラウラも、揃って満足気に頷いている。
「…………ふふ……うふふふふふふ、そう、そうよ……マリア様! あなたもどうやら、本気で『私の』ケントの良さがわかったみたいですね!?」
落ち込むかと思われたシェリーは、なぜか興奮した顔で逆にマリアに歩み寄り、その手をがしっと掴む。
「やっぱりマリア様はわかってる! ディエゴ様とラウラ様にも! 『私の』、いいえ『私達の』ケントの素晴らしさを一昼夜かけて語り尽くしたいわ! ね、マリア様もそう思うわよね?」
「えぇ、もちろんですとも! こんな素晴らしい肖像画を贈られて、惚れない女なんてこの世に存在しませんわ! 婦女子なら、こんな肖像画を贈られたら身も心も射抜かれるはず! 間違いありませんわ! 私、今日まで殿方からの贈り物に心が動かされたことは一度もありませんでしたの……それが、この私が一撃で射止められましたわ!」
「わかる! 超絶わかる! 私もポートレート貰ったときには、ココだけの話嬉しくて漏らしたもの! それに、エルフ女にとって自分のオトコがモテるのは女の誉れ。やっぱ私の目に狂いは無かったわぁ……」
「私、純粋なエルフ族ではなくてノーム族との混血ですけれど、ケント様のような素晴らしい殿方を伴侶に出来るのは、文字通り生涯の幸福だと確信しましたわ! お父様、お母様、わたくしはケント様に嫁ぎます! お母様、今日からでもわたくしに花嫁修業をつけてくださいませ! それに、今商会では従弟のアルフが修行中なのですわよね? アルフを養子になさって、ブロニカ家を継がせれば良いですわ。ね? お父様も、以前そんな事を仰っていましたわよね?」
なぜかがっしりと堅い握手を交わしたままの、本来恋敵になってもおかしくない関係の二人は、なぜか揃って商会長夫妻へと懇願するような目を向けた。
あまりにも予想外な動きに、さすがのケントも冷静ではいられない。
「あ、あの、シェリーさん、マリアお嬢様も落ち着いて。その、ディエゴさん? ディエゴさんもその、納得したような顔をしないでください、大事なお嬢さんの結婚がこんな事で決まって良いんですか?」
なぜかディエゴはすでに納得したような顔で何度も頷き、妻のラウラと顔を見合わせている。
「み、皆さんとにかく! とにかく一度落ち着きましょう!」
場が盛り上がりすぎたのをなんとか収めようと必死なケントの願いが通じたのか、とりあえずマリアの求婚は保留として、依頼に関しての話を進めることになった。
げっそりと疲れ果てたような顔のケントが、何杯目かの紅茶を飲んで呼吸を整えてから、改めて居住まいを正し依頼主マリアへと向き直った。
「で、では……改めてですがマリアお嬢様。肖像画作成のご依頼に関しては、こちらの2枚の肖像画の納品にて依頼達成、ということでよろしいでしょうか?」
「えぇ、もちろんですわ。ねぇお父様? わたくしこの肖像画が気に入りました。それにこんなに早く仕上げて下さったんですもの、特別に報奨金をお出ししたいのですけれど」
「うむ。もちろんだ。本来の依頼の報酬は大金貨5枚だったが……そうだな、まずは2枚納品して貰ったので大金貨10枚、そしてたった2日で成し遂げてくれた事への特別報酬で白金貨5枚。加えて、マリアの呪いを解いてくれたことへの謝礼として、白金貨100枚と、このツァイス伯爵領にある不動産を1軒、それに――」
「ま、待ってくださいディエゴさん!? あの、ほ、本来の報酬は大金貨5枚で、追加報酬のほうがもう何百倍かになっていませんか?」
「ほう、ケント殿は算術にも明るいのですな? 計算も書かずに、頭の中だけで計算が出来るとは。いやはや、さすがは婿殿」
「む、婿殿……?」
「娘はまだまだ未熟な身です。母である私が責任持って、花嫁修業をしっかりとさせます。妻の心得、母の覚悟を責任もって叩き込みますので、どうか娘の事、末永く、幾久しくよろしくお願いいたします」
満足げな顔の父ディエゴと、なぜか涙ぐんでいる母ラウラは、揃ってケントに頭を下げる。その姿は、まるっきり『愛娘を嫁にだす両親』の姿だ。
「あ、あの、皆さん少し落ち着いて……」
「もちろん、落ち着いておりますわ。それに、ケント様が亡くなられた奥様を今でも愛しておられるのも存じております。ですので私、ケント様が私を迎えに来てくださるまで、いつまででもお待ちしますわ」
「ケント? 言っとくけど私が先よ? ね? 忘れてないよね? 私に肖像画くれたよね?」
いつの間にかすぐ隣に椅子をくっつけていたシェリーが、ケントの腕にしがみつく。
「いずれにせよ、依頼は無事に達成された。この上なく満足な形でだ」
ディエゴは流麗な筆致で、依頼票にサインを書き記した後、その裏に何事かを書き足した。
「今日の夜は我が家だけだが、日を改めて肖像画のお披露目パーティを開こうと思う。どうだろうかマリア、お前も呪いの心配をしなくても良くなったんだ、パーティを開いても良いだろう?」
「もちろんですわ! 素晴らしいアイディアです、お父様! 是非このケント様の作品を、あまねく世に知らしめましょう! この芸術を我が家の中だけに閉じ込めているのは、人類に対する罪、芸術の神への冒涜ですわ!」
「うむ、私もそう思っていた。ではケント殿、シェリー殿。もし先を急ぐ用事がないようなら、我が家でゆっくりと過ごして頂きたい。宵闇の光明は、文字通り我が家を覆い尽くしていた呪いという宵闇を切り開く光明となってくれた。その大恩人に、正式に感謝をお伝えしたいのだ。いかがだろう?」
なぜか疲れ果てたケントがシェリーに視線を向けると、シェリーは迷うことなく大きく頷いた。
ケントは思いだした。
そうだった、彼は昔から『妻に頭が上がらない』という夫ではなかったが、『愛する妻が喜ぶことなら何でもしてあげたい』と思う性質なのだ。
「ねぇケント、お願い」
ぎゅ、と腕にしがみついて、殊更に胸を押し付けてくるシェリーの懇願を振り払うだけの厳しさは、ケントは持ち合わせていなかった。




