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13 色鮮やかな花々とともに

 夜遅くのブロニカ邸の客室では、日付が変わる時刻をとうに過ぎてもまだ灯りが消えなかった。

 

 ダンジョン探索に用いられるトーチライトの魔道具を用いて、ケントは慎重に作業を繰り返していた。

 この日、令嬢マリアの『百日殺の呪いの指輪』が砕けたことで、商会長ディエゴとラウラ夫人による歓待のパーティが開かれようとしていた。ゴチソウと高級酒に目がくらんだシェリーが思わず頷こうとしてたところで、『いいえ、ディエゴ商会長、まだです。まだ僕は、マリアお嬢様からの依頼を達成していません。僕が受けた依頼は肖像画です。ご心配なく、必ず仕上げてご覧に入れますので、祝賀会はその折にでも。肖像画はこちらにお任せいただいて、その間、マリアお嬢様の呪いがどうなったのかをお調べになっては』とケントが固辞していた。

 

「ねぇケント、まだ頑張るの?」

 

 部屋の片隅で、シェリーが眠そうな目でケントに話しかけてきた。

 

「もう休もうよぉ……ね? その、光画の『現像』だっけ? それも終わったんでしょ?」

「えぇ、現像は終わりました。今やっているのは、その先の作業です」

「先って……まだ何かあるの?」

「はい。大事な作業なんです。シェリーさんは先に休んでいてください。今日は色々あってお疲れでしょうから」

「……わかった。じゃあ先に寝るね? でもケントもちゃんと寝てよ? ね? 倒れたりしないでよ?」

 

 心配そうに、何度もドアの前でチラチラと振り返るシェリーに、ケントはやれやれと言わんばかりの苦笑で答えた。

 

「わかっています。おやすみなさい、シェリーさん」

「ん、おやすみケント」

 

 シェリーを送り出してから、ケントは回復薬、解毒薬、麻酔薬を塗って光に当てたガラスを取り出した。

 それぞれ赤、青、黄の色がついた色ガラスだ。

 この日撮影したカラーの感光ガラスの内1枚は、『反転』をかけていない。つまりネガの状態でとどめてある。

 

 三液混合の感光液を塗った紙を平らに伸ばし、その上にカメラを逆向きに据えて、レンズの前に木の筒のようなパーツを取り付け、ネガの状態のガラスを挿し込んだ。

 赤いガラス越しに、光が紙に投影される。続いて青いガラス、そして黄色いガラスを使って、三色の光を使って紙にネガの絵を焼き付ける。引き伸ばしと呼ばれていた技法でのプリントだ。

 この方法を使えば、ネガの状態からさらに微調整を加えて、大きな絵を作ることが出来る。

 

 試行錯誤すること数回、ようやく仕上がったプリントは、大きな額縁に収められるほどのサイズに引き伸ばされており、髪の毛の一本一本、よく見るとまつげの一本に至るまで精密に描写されている。

 まるでそこに美しき赤毛の令嬢マリア・ブロニカが存在するかのような、呼吸の音が聞こえると錯覚してしまうほどに生々しいポートレートが出来上がっていた。

 数枚のプリントを仕上げて、最後の感光ガラスを手に取ったケントは、あることに気付いた。

 この日最後に撮影した1枚、つまりマリアの呪いの指輪が砕け散った時に使用したのは、シェリーが差し出してきた感光ガラス。

 その感光ガラスはモノクロ用、つまりシェリーの『聖水』を使って撮影したものだった。

 

「……まさか、これが……?」

 

 少し首を捻りながらも、ケントはモノクロのガラスに『増幅』と『定着』のスキルを使い現像、ネガを作り出す。

 カメラを逆向きにした簡易的な引き伸ばし機にネガを取り付けて、トーチライトを付け感光液を塗っていない白い布に像を投影する。

 

「なっ!? ……こ、これは……こんなことが、実際にあるというんですか……」

 

 広げられた布に投影されたもの、それは恐ろしい悪魔のような禍々しい異形の存在が苦悶の表情をうかべ、令嬢の身体から凄まじい勢いでカメラに向かってきている姿だった。

 

「これは……流石にお出しすることは出来ませんね」

 

 ネガを丁寧に取り外し、床に叩きつけようと手を振りかぶる。

 が、ゆっくりとその手をおろし、ネガを布で丁寧に包んで、亜空間収納へと収めた。

 このネガを叩き割って、葬り去ることは簡単だ。

 だがもしも、この悪魔のような何かがガラスの中に『封じ込められている』だけだとしたら、割ってしまう事で何が起きるか予測もできない。

 

「危ないところでした……迂闊なことは出来ませんね、もっと慎重にならなければ」

 

 ふぅ、と大きくため息をついて、しばらくテーブルの上に両手をついてうつむく。

 しばらくじっとしていたケントは、顔をあげて両手で自らの頰をパン、と叩いた。

 

「さて、あと1枚頑張りましょうか」

 

 亜空間収納に手を突っ込んでから引き抜くと、その手には丁寧に布で包まれた1枚のガラス板。

 包みを解いたケントは、なぜか優しげな、嬉しそうな笑みを浮かべる。

 そのガラスに映し出されていたのは、黒髪に小麦色の肌の美しい娘が、花束を持って恥ずかしそうに微笑んでいる姿だった。

 

「沙織さん、許してください。次死んだら、ちゃんと怒られますから。あと少しだけ、待っていてください」

 

 真っ暗な窓の外へ視線を向けたケントの表情は、どこか淋しげではあったが、同時に嬉しそうでもある。

 

「あなたが僕にくれた愛情を、ほんの少しだけ彼女に分けてあげたいんです。……浮気者と怒られちゃいますかね」

 

 誰にとも無く、誰にも理解できない言葉でそう呟くと、ガラス板をそっと筒の中に差し入れる。

 

「さて、これはネガではないですからね……プリントした後に『反転』をかければ良いでしょうか」

 

 1人呟いてからしばらくの間、ケントの部屋から灯りが消えることは無かった。

 

 翌朝、ブロニカ家の1人とともに朝食を食べていたシェリーとケントの二人に対して、唐突にディエゴが立ち上がり最敬礼の角度まで頭を下げてきた。彼の額には、痛々しく絆創膏が貼られている。

 

「改めて、この通り御礼を申し上げます」

 

 ブロニカ家当主の言葉は、決して軽いものではない。最下位の騎士爵とは言え、貴族は貴族だ。貴族の当主たるもの、容易く相手に頭を下げたりするべきではない。これはドルマ王国でもインダスター帝国でも変わらぬ文化であった。

 その当主が、深々と、おまけに平民であるシェリーとケントに対して頭を下げていたのだ。

 その意味の大きさは、ケント以外の全員が理解していた。

 

「そ、そんな! あの、えっと、ディエゴさん……じゃなかった、ブロニカ卿、頭を上げてください! それにそんな、僕たちに敬語なんて――」

「いえ! 娘の命の恩人である貴方がたには、最大限の敬意を持って接するのが当然のことですぞ!」

「い、いえ、あの、本来はですよ? 私達みたいな平民が貴族様とこんなふうに一緒に食事するだけでもダメっていうか……」

「なんてことを仰るんですの、シェリー様」

 

 続いて立ち上がったのは、呪いから解放された令嬢マリアである。

 

「シェリー様は、わたくしに『命の恩人に対して礼を尽くさぬような無礼者、恩知らずになれ』と仰るんですの? そんなことはわたくしには出来ませんわ! 当家の誇りにかけて、断じて受け入れられませんわ。そうですわね? お父様、お母様?」

「もちろんよ!」

 

 続いて、母ラウラも立ち上がった。事あるごとに立ち上がるのが好きな家族である。

 

「貴方がた『宵闇の光明』は、我が家の恩人です! その恩人に対して礼を尽くさないなど、貴族として、商人として、いいえ人として断じてあるまじき振る舞いです! ケント様、シェリー様。お二人共、好きなだけこの館でお過ごしください。最賓客としておもてなしさせて頂きます」

「お言葉を返すようですが」

 

 静かに手を挙げて、ケントが口を開いた。

 

「僕らは冒険者として、お嬢様の肖像画を描くという依頼を受けてお邪魔しているに過ぎません。お嬢様の呪いが解けたのは、正直申し上げてただの偶然でしかない可能性もあります。お気持ちは大変ありがたく、恐れ多いものではありますが、いささか過分なお申し出のように思います」

 

 冷静に、穏やかな言葉ではあったが、父ディエゴは止まらない。

 

「何を仰る! それなら尚の事ですぞ! 家人から、ケント殿は昨夜も遅くまで作業をしておられたと聞きます。娘の命を救っていただいたばかりか、依頼を誠実に遂行しようとするその姿勢……これこそ冒険者の鑑! いや人として模範たる姿に他なりませんな! 肖像画の出来にかかわらず、最上級の謝礼をさせていただきます! それに、冒険者ギルドへも『宵闇の光明』のランク昇格の打診も――」

「わ、わかりました、分かりました! あの、とりあえず落ち着いて、ひとまず朝食を頂きましょう。せっかく料理の方が作っていただいたものが冷めてしまいます。まずは食事を済ませて、気持ちを落ち着かせてから、皆さんに見ていただきたいものがあります」

「見てほしいもの……あっ、ケント? もう出来たの?」

 

 嬉しそうなシェリーに、ケントはにっこりと微笑んで頷きを返した。

 

「出来た、とは……? ひょっとして、もう肖像画の下書きが出来たと言うんですの?」

「そんな、たった1日で? これまでどんな早描きの画家でも、下書きだけでも10日はかかっていたというのに?」

「でもまさかそんな……でもマリアの肖像画の下書きなら、見てみたいわ」

 

 三者三様の感想を話すブロニカ家の面々であったが、シェリーだけは事情を理解していた。

 

「そうだ、ディエゴさん。1つ伺いたいのですが、この街に額縁を取り扱っている店はありませんか? お嬢様の肖像画を収めるための額縁を考えているんですが」

「あぁ、額縁なら我が商会で取り扱っていますな。良ければこれから店のものに持ってこさせましょう。どれくらいの大きさをお考えで?」

「そうですね、おおよそこれくらいを」

 

 ケントが手を動かして指し示したのは、紙の大きさで言えばおおよそA1判、かなりのサイズである。

 だが、貴族の肖像画としては標準的なサイズなのか、ディエゴは室内に控えていた使用人を呼び寄せると、二言三言指示を出して使いを走らせた。

 

「それくらいなら、在庫があるかと思います。いくつか持って来させましょう」

「ありがとうございます」

 

 滞り無く食事を済ませてからケントとシェリーは客室へと戻ろうとしたところで、不意にマリアから呼び止められた。

 昨日撮影を行った中庭へと誘い出された二人に、マリアは正面から向き直る。

 

「突然申し訳ございません。どうしてもお二人にお聞きしたいことがございますの」

「は、はい、何でしょうか」

「シェリー様?」

「え? あ、わ、私? ですか? は、はい……」

「単刀直入にお聞きしますわ。あなた、ケント様とご結婚なさってますの?」

「へ? ……あ、いえ、あの、それはまだ……」

「まだ? 今、確かに『まだ』とおっしゃいましたわね?」

「え、えぇ、まぁ……」

 

 シェリーはちらちらとケントへと視線を向けるが、残念ながら鈍感なケントは全く気付かない。

 

「ではケント様、お伺いしてもよろしくて?」

「はい、何でしょう」

「ケント様は、シェリー様のことをどれくらい愛しておいでなのかしら?」

 

 この上なく単刀直入で、火の玉ストレートを相手の胸元にぶち込むようなド直球だった。

 マリアは照れる様子もなく、ただ矢のように真っ直ぐな視線をケントへと向け、体ごと正面から向き合っている。

 

「そうですね……僕には、妻がおりました。もうだいぶ前に病気で死んでしまいましたが」

 

 ふぅ、と大きく息をついてから、中庭を見渡す。

 

 妻は、麻宮沙織は決して派手な美人ではなかった。目立つことが大嫌いで、口数も少なく、静かに微笑んでいる女性だった。

 綺麗好きで、掃除と園芸が趣味で、何よりも花が好きな妻だった。

 写真館で使う花は、妻が庭で育てた花を使っていた。節約の意味もあったが、妻であった沙織は、地味で目立たないが、穏やかで物静かで、そして愛情深い女性だった。

 その妻がもっとも愛した花はバラだった。

 中庭に咲き誇るバラを見ていると、4つ歳上だった妻沙織の笑顔が思い出される。

 

「僕は、心から妻を愛していました。本当に、本当に大切な、愛する妻でした。子供こそいませんでしたが、妻は僕にとって、何にも代えがたい人生の宝物でした」

 

 そんな妻と死に別れて、健人の心から迷いと後悔と、『もう一度だけでも妻に会いたい』という気持ちがいつまでも消えなかった。

 妻への愛情なのか、それともただの未練なのか、はたまた醜い執着なのか、自分でも分からなくなることがあった。

 両親の勧めた見合いで初めて出会い、わずか数ヶ月で結婚した歳上の妻は、とても優しく穏やかで、ただ料理が下手で不器用な妻だった。

 燃え上がるような激しい恋愛を経験したことはない。そんな麻宮健人にとって、生まれて初めて自分よりも大切だと思える存在、それが沙織という妻だった。

 

「妻が死んでからしばらくは……食事はおろか、水も飲めませんでした。このまま妻のところへ行きたいと、そう願ったのをよく覚えています。それほど、僕は妻を愛していました」

 

 ケントは少し深呼吸をしてから、いつも通り穏やかな笑顔をシェリーに向ける。

 

「その妻よりも、シェリーさんのことを想っているのか? と問われたら、正直に申し上げて答えに困ります。でも、僕はシェリーさんのことも大切に思っています。……これで答えになっているでしょうか」

 

 マリアは答えなかった。

 が、シェリーと二人で令嬢の方へと視線を向けると、そこには『ぐすっ』や『ずび』と鼻をすすりながら滂沱の涙を流しているマリアの姿があった。

 

「う、美しいですわ……こんなに美しい愛がこの世にあるなんて……」

「あ、あの、お嬢様……?」

「わたくし、ケント様に結婚を申し込む心づもりでおりましたわ……でも、でもそんな亡き奥様への愛を語られたらわたくし……」

「え、け、結婚!?」

 

 驚愕の声を上げるシェリーだったが、マリアはまったく反応すること無く恍惚とした表情でケントを見上げる。

 

「あぁっ! この感動を! この美しい愛を! あまねく知らしめたいですわ! 共有したいですわ! これほどに美しい愛の物語を! わたくしの胸の中に留めるのは、どう考えても人類に対する罪! こんな素晴らしい殿方がわたくしの前に現れたのは、紛れもなく大精霊バルゴ様のお導きに違いありませんわ!」

 

 あっけにとられるケントとシェリーが何も言葉を出せずにいると、華麗にスカートをさばきながらマリアがケントへと歩み寄り、しっかりと抱きついた。

 

「ケント様、わたくしもお傍に置いてくださいませ」

「……え? あ、あの、おじょ、お嬢様? 一体何を――」

「はしたない娘だとお笑いあそばせ。わたくし、剣術の試合でも『ガラガラヘビのマリア』と異名を取っておりますの。狙った殿方は決して逃がしませんわ」

「え、あの、ちょっとマリアお嬢様……? ケントは私のなんだけど……」

「エルフ女なら、夫の愛人や側室の二人や三人、誇るものではなくて!?」

「……そう、そうよね。そうよね? 私が選んだ、そして私を選んだオトコが、マリアお嬢様みたいな貴婦人にベタ惚れされるって事は、それだけケントがいい男って事よね? ねっ? そうですよね?」

「その通りですわ! あぁ、同じ殿方の素晴らしさを分かち合えるなんて……わたくし、生涯の友と最愛の殿方を同時に得た心地ですわ!」

「わかる! そう、そうなの! ケントの良さをわかってくれるなんて嬉しい!」

「あ、あの、すみません、ちょっと二人とも落ち着いて……」

 

 騒ぎに気づいたブロニカ家の家人が止めに入るまで、黒髪のエルフと赤毛の令嬢は、冴えない黒髪の男を挟んで熱く見つめ合っていた。

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