12 令嬢の肖像
「そうです。顔の向きはそのままで、もう少しつま先を正面へ。手は指先を揃えておいてください。それから髪結いの方、前髪がほんの少し目にかかっていますので、整えて差し上げてください」
ブロニカ邸の奥、美しい中庭に面した窓を持つ令嬢の部屋では、ケントの細かい指示に従って使用人たちに加えシェリーも慌ただしく動いていた。
「シェリーさん、少しだけカーテンを開けてもらえますか? あと執事の方、先程お渡しした白い板をもう少しだけ立ててください。もう少し、もう少し――はい、そこで結構です。その角度で止めてください」
ケントが『カメラ』と呼ぶ、その場のシェリー以外誰も見たことがない奇妙な箱には、丸い湾曲したガラスのようなものがはめ込まれ、蛇腹で伸び縮みする奇妙な機構が組み込まれている。
そのすぐ後ろで布をかぶっていたケントが、ようやく顔を出してきた。
「それでは始めます。お嬢様、今から15数える間は瞬きも我慢してください。それから、首を動かさないように。出来れば息も止めておいてください。先程置いた棒に頭を軽く当てて置いて、視線はまっすぐに、このカメラの丸い部分を見ていてください。よろしいですか」
「えぇ、心得ましたわ」
ケントは手早くフルカラー感光ガラスが塗られたケースをカメラに差し込むと、レンズに取り付けた蓋に手を付けて、ケースの遮光用の蓋を引き抜いた。
「では、行きます」
そっとレンズの蓋を取り除き、静かにカウントを始める。
マリアは意外なほどに鍛えられた体幹のおかげか、まったく微動だにせず、呼吸も瞬きも一切しない。まるで本当に人形のように静止していた。
「13、14、15、はい結構です」
手早くレンズに蓋をはめ込むと、遮光板をケースに戻してから、ケースをカメラから引き抜いた。
「同じ手順で、今日は今の作業をあと5回やります。少し休憩を入れましょうか」
「いいえ、結構ですわ。剣術の稽古に比べればどうということはございません。その丸いガラスを見ていればよろしいのでしょう? 容易いことですわ」
「さすがですね。では、続けて行きましょう。お嬢様、少し口角を上げて微笑んで見てください」
「微笑み、ですか? 承知しましたわ」
続いて感光ガラスを入れたケースをカメラに入れ、マリアが小さく頷いてからケントが撮影とカウントを始めた。
「……12、13、14、15。ありがとうございます。では一度休憩しましょう」
手早くレンズに蓋をしてから遮光板を入れる。
この日、昼過ぎから始めた撮影準備は思いの外手間取っていた。
マリアが身につけるドレスにアクセサリーを選ぶのにも手間取り、部屋の中を整えるのにも手間取った。そのためか、部屋に射し込む光がやや弱くなってしまったため、露光時間はどうしても長く取らざるを得ない。
助手のように感光ガラスのケースを整理していたシェリーが、はっと何かを思いついたように顔を上げる。
「あの、ちょっと提案なんですけど」
その場にいる全員の視線が、シェリーに向けられた。
「ちょっと中庭でも撮りません? 花がすごくきれいに咲いてるし、明るいし、お嬢様のそのドレスの明るい色もよく映えると思うんだけど」
次に全員が視線を向けたのは、マリアが身に付けているドレスだ。
美しい深紅の髪と淡いオレンジ色のドレスにもよく合うであろう、色とりどりの花が咲き誇る中庭は、絶好の撮影スポットと言えた。
「それですわ! ぜひそうしましょう! では皆、この椅子とテーブルを中庭へ」
「かしこまりました、お嬢様!」
使用人たちが一斉に動き出し、マリアは優雅に立ち上がりカメラへと歩み寄った。
「肖像画を描くための準備、といったところなのかしら? 変わったことをなさいますのね?」
「えぇ、僕が『光画』を描くのには、コレがどうしても必要ですから」
「光画……聞いたこともない絵画ですのね。どうやって描かれますの?」
「申し訳ありませんお嬢様、それは極秘でして、お答え出来かねます」
「あら、そうなのね。残念ですわ」
うふふ、と軽く笑って手を口元に当てる。
その右手の中指のルビーの指輪は、何をどうやっても外せなかったという。
神殿の『解呪』や『浄化』を専門とする神官も、百日殺の呪いがかけられたルビーである、ということだけはわかったものの、恐ろしく強力な呪いの力が込められているためどうやっても解呪が出来なかった。
最悪、指を切り落とすことも考えたものの、刃物を近づけただけでマリアの全身には凄まじい激痛が走ったのだという。
インダスター帝国中から解呪に効果があるという高価な聖水を取り寄せたが、どれも呪いを消すには至らなかった。
「お礼を申し上げますわ、ケント様」
「まだお礼には早いと思いますよ。お嬢様の肖像画を仕上げるのは、これからですから」
「いいえ。わたくしも、たった20日で肖像画を仕上げるのが無理だなんてこと、わかっておりますの。でも死ぬ前に、こんな新鮮な、楽しい体験をさせて頂けただけでも嬉しいですわ」
マリアは毅然としてはいるが、実年齢もまだ20歳そこそこの若い娘だ。死が怖くないわけはない。
ただ、周囲を動揺させまい、悲しませまいとする強い意思が、彼女の平常心をなんとか繋ぎ止めている状態だ。
「お嬢様、安心してください。僕達『宵闇の光明』は、ご依頼に応えるために全力を尽くします」
「えぇ、期待しておりますわ。私の死に間に合わなくても、両親からはできるだけのお礼をお支払いさせていただきます」
令嬢はそう言うと、優雅に中庭へと歩み出た。
ケントはカメラを抱え上げると中庭に据え置いて、撮影の準備を始める。
「ねぇケント……光画はうまく行きそう?」
「はい、大丈夫ですよ。シェリーさんに渡したのと同じような、キレイなポートレートにしてみせます。それからシェリーさんにはちょっと別に後でお願いしたい事があるんです」
「え? あ、わ、私に?」
「はい。ディエゴさんに、大きな紙を貰えるように交渉してほしいんです。もしもらえたら、その紙に『三液混合』の液剤を薄く塗って、暗い場所に保管しておいてほしんです」
「大きな紙に、例のその、『ふるからー』の感光ガラスに塗る液を塗っておけば良いの?」
「はい。出来ればその紙を、最低でも10枚ほど、もし可能なら出来るだけ多く作っておいてください」
「わ、わかった。じゃあ中庭での作業が終わったら、ディエゴさんに話してくる」
「お願いしますね。それじゃあ、ここでの作業を始めましょうか」
中庭の生け垣には、数多くのバラが咲き誇っていた。
そのバラを背景に、赤毛の美しい令嬢が佇んでいる様は、画家ならば誰もが絵に描きたいと思うほどに様になっている。
「素晴らしいですね……お嬢様、出来ればもうそのままで、出来るだけ動かないでください。この明るさなら……そうですね、絞りを開放にすれば、60分の1秒のシャッターでいけそうですね。じゃあシェリーさん、感光ガラスのケースを1つ出しておいてください」
「うん、わかった」
シェリーがゴソゴソとケントの肩掛けカバンを漁る間、ケントはレンズの先端に箱状のシャッター機構を取り付ける。
慎重に構図とピントを調整し、シェリーが差し出したケースを受け取ると手際よくカメラに挿し込んだ。
「ではお嬢様、次は呼吸を止めなくても結構です、3からカウントダウンして、1からゼロの間だけは瞬きを我慢してください。よろしいですか?」
「えぇ、いつでもよろしいですわ」
「では行きます、3、2、1、ゼロ」
ガシュ、という音を立ててシャッター幕が高速で動く。全く同じ手順で撮影して、何枚か感光ガラスを入れ替える。
シェリーがケントのカバンの中から板状のケースを取り出して、何気なく渡したものをカメラに差し込み、再びシャッターを切る。
その瞬間だった。
ぱきん、という何か小さいものが砕ける音。
「えっ?」
その音に真っ先に反応したのは、令嬢マリアである。
とっさに視線を向けたのは、自らの右手。その中指の付け根にあった美しい呪いのルビーの指輪。
確かに誰も触れていなかったその指輪の台座にはめ込まれていた真紅のルビーが、跡形もなく砕け散っていた。
「……ゆ、指輪が……?」
「ひぇ」
ケントのすぐ背後で、どこから出したのかと不思議になるような奇妙な声を出したのは、青ざめた顔のシェリーである。
ケントは急いで感光ガラスの遮光板を挿し込んで、マリアのもとへと駆け寄る。
「ヤバい……ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい……ああああああああんなあんなあんなルビーの指輪、絶対人生買えちゃうような値段のが、壊れちゃった……」
ぺたん、と力なくへたり込んだシェリーは、呆然とした顔でマリアの手元へ視線を向けていた。
「あは……あはは……お、終わった、終わったわ……あんな指輪、弁償しろったって絶対ムリ……」
ちょろろろ、という音を立てて、シェリーはへたり込んだまま失禁し、そのまま倒れ込んで気を失った。
「シェ、シェリーさん?」
「シェリー様? みんな、何を突っ立っているのです! はやくシェリー様を医務室へ!」
「で、ですがお嬢様、その指輪が!」
「指輪が何だというのです! 人が倒れたのですわよ!? どちらを優先すべきか、考えなくても分かるでしょう! アイリーン、あなたはお父様へ知らせて来なさい。ケント様! シェリー様を医務室へお連れします、よろしくて?」
「は、はい! お願いします!」
現場は騒然となったが、何とかカメラを片付けたケントがメイドに案内されて向かった医務室では、着替えを済ませたシェリーがベッドに横たわっていた。
意識を取り戻してはいたものの、明らかに血色の悪い顔で怯えたようにキョロキョロと周囲を見回している。
「シェリーさん、大丈夫でしたか?」
「け、ケント! 逃げましょ! 今すぐ!」
「え? に、逃げる?」
「おおおおおおじょお嬢様の、お嬢様の指輪が壊れちゃったの、見たでしょ!? どうして壊れたのかは知らないけど、あんなの絶対私達に弁償しろって言ってくるに決まってる! あんな大きなルビーなんて、何百年かかっても払えないような値段よ絶対! どうしよう、どうしよう、奴隷にされちゃう……お金払えなくて借金奴隷にされちゃう……ね、ねぇケント、今からでもセプトパール大陸まで逃げよ? ね? 逃げなきゃ、すぐ行かなきゃ絶対ヒドいことに――」
「それには及びませんわ」
小声で、完全に怯えきった口調で話すシェリーの言葉を遮って、実はシェリーが横たわるベッドの直ぐ側に座って一部始終を見ていたマリアが言葉を挟んできた。
「ご心配なさらないで。ルビーの指輪は確かに砕けましたけれど、当家から何か責任を追求する、といったことは無いとお約束しますわ。むしろ」
マリアが右手をシェリーとケントに差し出してきた。その手には、何の指輪もはめられていない。
「お礼をお支払いしたいくらいですの。何をしても外せなかった呪いの指輪が、いとも簡単にするりと抜けたんですもの」
ケントとシェリーは二人ともに驚きの表情を見合わせる。
「シェリー様がお休みの間、急ぎ神官を呼びましたの」
マリアは優しげに、ニッコリと微笑んで言葉を続ける。
「呪いは、完全に解けておりましたわ」
「……へ?」
「呪いが? 解けた……んですか?」
「えぇ。それも完全に」
唐突に、凄まじい音を立てて医務室の扉が開く。
雪崩のように駆け込んできたのは、大柄な商会長ディエゴと、その妻でありマリアの母ラウラだ。
「ケント殿、シェリー殿ォ!」
入るやいなや、凄まじい勢いでディエゴは両手を床について、がん、ととんでもない音を立てて額を床に叩きつけた。
「えっ」
「ひぇ」
さすがの自体にケントもシェリーも、思わず変な声が出る。
「娘の呪いを解いて下さったご恩! このブロニカ家一同、決して! 生涯! 忘れません!」
「ああぁマリア、私の可愛いマリア! もう大丈夫なのね? もうあなたが死ぬ心配なんて、あなたの葬儀の準備なんてしなくていいのね? あぁ神様、神様ぁ……」
娘にすがりつくように泣き崩れたラウラは、もはや客人の前であるということも忘れて嗚咽を漏らしはじめ、やがてその声は慟哭と言っていいほど大きくなっていった。




