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天麗-13

 沐浴ゆあみをして酒気を抜き、身なりを整え、李の先導で茶会へと向かう。すると、入り口で彼女が待ち構えていた。


 彼女と眼が合うと、李はくるりと反転して今来た道を引き返す。ここからは彼女が引き継ぐということだろう。

 廊下の端でちょこんと正座していた彼女は、夏楠に気づくなりその場で叩頭こうとうした。


「玄州官の皆様はすでに着席されております、北嶽様。まもなく白州側の方もいらっしゃるかと」

「ん。お前は邪魔だ、終わるまで下がってろ」

「承知いたしました」


 そのまま彼女の横を通り過ぎようとしたところで、唐突に黒影が口を挟んだ。


〈夏楠、彼女も連れていってやってはどうだ?〉


 入室しかけた足が止まる。


〈この娘はよく尽くしてくれている。少しは美味いものでも食わせてやれ。恐らく、甜点かしなど口にしたこともないだろう〉

「…………」


 返事はせず、夏楠は横目で奴婢ぬひの少女を見た。相変わらず無防備な間抜け顔で、不思議そうにこちらを見上げている。


 前回、怪我をさせた負い目もある。

 まあ、そのくらいの褒美はくれてやってもいいか。


「……気が変わった。莫迦短躯ばかチビ、お前も来い」

「は?」

「おれと上座まで来いと言った。二度も言わせるな」

「お気持ちは有り難いのですが、しかし──」


 言いあぐね、彼女は視線を逸らす。

 てっきり二つ返事で了承すると思っていたが、不遜にも夏楠の申し出を断ろうとしているようだ。いくらか殊勝になったと思っていたのだが、やはり本質は変わらないらしい。根本的に、龍を敬う感覚が欠如しているのだろう。


 だったら終わるまで廊下そこで這いつくばっていろ、という夏楠の命令は、間に割って入った陽気な声に機会を失った。


「いいんじゃない? 仮にも北天北嶽公の官奴婢だ。多少は主の為事しごとも理解してないと、北嶽、引いては玄州の名に傷が付くだろう」


 声の主は、西嶽だった。

 ぞろぞろと背後に引き連れた白州官の中には、怪我をしたはずの雲翔も混じっている。いつの間にか回復していたようだ。

 西嶽に口を開きかけた夏楠だが、それはまたしても第三者によって遮られた。


「北嶽様! 今の西嶽公のお言葉はまことですか⁉」


 長いひげをたくわえ、いかにも融通がきかなそうな顔をした文官──丞相じょうしょうである。

 西嶽には挨拶の一つもせず、丞相はずかずかと夏楠に詰め寄った。


奴婢ぬひを召し抱えたなど、私は存じませぬぞ!」

「そりゃ知らねぇだろうよ。言ってねぇもん」

丞相じょうしょうたるわたくしめになんのご相談もなく、勝手なお取り決めはお止めくださいと、何度も申し上げたはずですぞ! 奴婢など一言おっしゃってくだされば、私がいくらでも揃えましたものを! 何もこのように貧相な娘でなくとも……」


 ……ああ、また面倒な。

 こうなることが予想できたから、この女を召し抱えることには反対だったのだ。それもこれも、全部西嶽のせいである。

 唾を飛ばしてまくし立てる丞相に、夏楠は声を大にして言い返した。


「おれが好き好んでこんな阿呆短躯あほチビ、手元に置くわきゃねーだろ! 西嶽だよ、西嶽!」

「西嶽公、どういった仔細がございますのか、この丞相にもお聞かせ願えますかな?」

「我らの内で、ゆえあってのことだ。これは北嶽も納得している。それ以上は丞相ごときに語るつもりはない」


 すげなく言い放つ西嶽に、丞相は見るからに顔を赤らめた。

 ──格下の、白州風情が。

 そんな声が聞こえてきそうな顔だ。


 白州が『格下』など、いったい何十年前の話だろうか。少なくとも夏楠の感覚では、それは色褪せた過去の栄光である。しかし龍にしてみれば、数十年の年月など、あってないようなものなのだろう。

 その証拠に丞相は西嶽に向き直ると、下卑た笑みをその口に刻んだ。


「これはこれは。白賢師はくけんし様はなんとも気安くていらっしゃる。よもや西嶽公ともあろう御方が、礼儀もわきまえぬとは。失礼、これが白州の流儀と言うことなのですな。いやはや、浅学で申し訳ない」


 白賢師はくけんしとは、もちろん西嶽を指す敬称だ。仮にも州公、目上に対して、この喧嘩腰はある意味称賛に値するだろう。さしておつむの出来が良くない自分に輪をかけて、莫迦ばかである。


 遠路はるばる玄州に西嶽を呼び寄せてまでこぎつけた会談を、この丞相ばかはすべて御破算にする気だろうか。

 さすがに丞相をたしなめようとした夏楠は、かたわらの西嶽の表情を見て口をつぐんだ。


 ここまでこき下ろされても、西嶽はにこやかな笑みを浮かべていた。

 しかし、眼は笑っていない。

 これはあれだ、敵に倍返しをするときの顔だ。これなら、夏楠が手を出すまでもないだろう。そんなことをせずとも、西嶽がみずから手を下す。


「あはは。礼儀をわきまえていないのは、果たしてどちらだろうねぇ」


 夏楠の予想通り、西嶽は朗らかにそう言うと一変して表情と声色を変え、丞相を睨めつけた。


「──こざかしい真似などせず、異論があれば堂々とこの私に言え。小童こわっぱ


 さすが、年季が入った龍は迫力が違う。

 西嶽は見てくれこそ若く、普段はおちゃらけているが、それは仮の姿だ。こういう手合いを見くびると、手痛いしっぺ返しを喰らう。妓楼時代にも似たような上客はいたものである。


「ひっ……。め、滅相もございません……」


 案の定、西嶽の気迫に呑まれた丞相は縮こまり、情けない声で謝罪した。

 その無様な様子に満足したのか、西嶽は一転して表情を変えると、普段の明るい声で居合わせた官吏たちに告げた。


「さてっと。立ち話もなんだ、さっさと茶会を始めようじゃないか!」


 ぞろぞろと広間に吸い込まれる一行を眺めてから、夏楠はことの発端の奴婢ぬひを見下ろした。


「じゃ、お前もついてこい」

「その件ですが北嶽様、諸官を差し置いてわたしが上座に着けば、北嶽様にさわりがございます。西嶽公がおっしゃった手前、白州官は良いでしょうが、玄州官からは不満が出るでしょう。いらぬ反感は、極力買わぬが懸命かと」


 その進言に、夏楠は軽く眼をみはった。

 それが予想に反し、随分と道理をわきまえた発言だったからだ。まさか、自分の立場を案じているとは思いもよらなかった。


 咄嗟とっさのことで一瞬反応が遅れる。

 その間に、いち早く立ち直っていた丞相が高らかにこう告げた。


「左様! このような下民を上げては、北嶽様のご威光に傷が付きますぞ!」

〈ならば、毒見役として伴えば良かろう。お前は過去に毒を盛られた経緯がある。皆、納得するだろうよ〉


 すかさず宝貝ほうばいの声が届き、夏楠は腰の黒影に視線を落とした。

 確かにそれなら、否やはない。もし反論されても「だったらお前が代わりにやれ」と言えば、玄州官は絶対に引く。


「……。こいつは毒見だよ、毒見役。そうでなきゃ、誰がこんなちんちくりん連れて行くか」

〈つくづく素直でないな、お前は〉


 黒影が何か余計なことを言ったが、無視だ、無視。

 夏楠の言葉を聞くと、それまで静かに成り行きを見守っていた彼女は、得心したように深く頭を下げた。


「なるほど、そのような次第しだいでしたか。これは考えが及ばず、失礼いたしました」


 反対に、もごもごと未練がましく長いひげを動かしたのは、丞相だ。


「毒見とは言え、このような下賤の者を……せめて誰ぞ、別の者に変えてはいかがですか?」

「へーえ。じゃ、お前がやるか、丞相? おれと上座に来るんだから、立場的にはお前じゃねぇと座りが悪いだろ。ほかにやりたい奴もいないっぽいしな」


 言いながら広間の玄州官を見ると、皆が一斉に視線を逸らす。玄州に、己が命を賭してまで北嶽に仕えようとする官はいない。それは丞相も同様で、大仰に手とくびを振ると、彼は夏楠の提案を辞退した。


「いっ、いえ、それは──。そこまで北嶽様がこの奴婢ぬひを信用されておられるなら、この丞相、これ以上は口出し致しませぬ! ささっ、北嶽様もお席へ」


 丞相の浅はかさに辟易しながら、夏楠は足元の奴婢ぬひに声をかけた。


「ふん、腰抜けが。行くぞ、ちんちくりん」

「は、はい!」


 返事を聞く前に、夏楠は広間へと歩き出す。

 つかつかと闊歩する主に続き、彼女は小走りでそのあとに続いた。


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