天麗-14
「北嶽、貴公がこういう集いに参加するなんて珍しいじゃないか。どんな心境の変化だい?」
席に着くなりそう訊いてきたのは、ほかならぬ西嶽だった。
「なんだよ、なんべんも出てるだろ」
「ま、酒席にはね」
肩をすくめて西嶽は返す。
夏楠は基本、酒席にしか顔を出していない。衆議にも体調不良などを理由に欠席するか、出ても途中退室だ。基本、飲み食い以外に夏楠にできることはないので、この配慮に関してだけは玄州官を褒めてやっていいだろう。
西嶽の軽口を流していると、広間に魅惑的な肢体の美女が現れた。華やかで品のある顔立ちに、洗練された立ち居振る舞い。出るべきところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでいる身体は、今となりに座っている寸胴奴婢とえらい違いである。
確か名は、鳳炬と言ったか。
父親の知り合いらしいが避けられているようで、夏楠はさして面識がない。非常に見目の美しい女だが、なんとなく近寄りがたい雰囲気のある女だった。
広間を見渡した鳳炬は一瞬顔を曇らせたが、すぐに表情を引き締めると、よく通る声で優雅に一礼した。
「西嶽公、ならびに白州諸官の方々、遠路はるばるご足労いただき、恐れ入ります。昨夜の賊の一件もあり、此度はこのような茶会の席とさせていただきました。どうぞ、ごゆるりとお楽しみくださいませ」
鳳炬の言葉を機に、盆を手にした女官がするすると入室する。季節の果実や甜点、玻璃の茶杯などが次々と運ばれてきた。貴賓を招いた茶会と言うだけあり、さすがに金がかかっている。
からん、と耳に心地よい清音が室内に響いた。
女官の手元を見ると、玻璃の水差しから黄金色の液体が注がれている。氷が入っているので温茶ではなく、冷茶だ。西嶽に配慮しての選択だろう。冬の厳しい玄州と異なり、砂漠が広がる白州で氷は貴重品だ。滅多に手に入らない。
冷茶を口にするなり、西嶽は真横に座る夏楠に顔を向けた。
「ん! 美味しいねぇ! これなんて銘柄なの、北嶽?」
「おれが知るかよ」
「んじゃ奴婢の娘、お前は知ってる?」
彼女の無知を知っていて、この問いかけ。
つくづく意地の悪い男だ。なんだかんだで、先ほどの玄州官の非礼にまだ腹を立てているのかもしれない。
とばっちりを受けた当の彼女は、意外にも堂に入った仕草で茶に口をつけると──平然とした顔で即答した。
「『蜜蘭香』でございます、西嶽公」
その回答に西嶽はおろか、丞相も言葉を失う。
無論、彼女の主である夏楠も驚いていた。聞茶など、平素から高級茶を飲んでいる夏楠ですら真似できない芸当だ。当てずっぽうなのだろうが、それにしても度胸の座った女である。
「これは驚いた! 玄州の奴婢は、聞茶の教養なんて身に付けてるわけ? 凄いなぁ、ねぇもっと教えてよ!」
そこに追い打ちをかける西嶽は、性悪と言っていいだろう。
彼女も頭が足りないなりに、無い知恵を絞って必死で回答したはずなのだ。
そのへんで勘弁してやれ、と助け船を出すつもりで口を開きかけた夏楠は、驚くべきことに──彼女のさらなる発言に、閉口することとなった。
「蜜蘭香は、茘枝に似た爽やかな香りから、この名がついたと聞き及んでおります。それに──こちらは恐らく、水出しの冷茶ですね。同じ茶葉でも、淹れ方が水出しとなると贅沢品です。水の状態から抽出するので時間と手間がかかる上、茶葉を大量に消費いたします。しかしその分、濃厚な香りと甘味が引き出されますので、味は格別でございますよ。北嶽様も毒見は済みましたので、是非ご賞味ください」
淀みない返答に、室内には小さな感嘆の声が漏れる。
問いをした西嶽はやや引き攣った笑みを鳳炬に向け、ぎこちなく問いかけた。
「今ので、合ってる?」
「はい、それはもう。北嶽様の奴婢は本当に博識でいらっしゃいます。わたくしの出番がなくなってしまいました」
「へぇー。これは素晴らしい奴婢をお持ちだ、北嶽公は」
手放しで称賛する西嶽に、彼女は小さく「恐縮です」と応答する。
さすがに黙ってられず、夏楠は小声で彼女に耳打ちした。
「おい。お前なんで茶っ葉の銘柄なんか知ってんだよ?」
「前の主が、たまたま蜜蘭香が好きだったもので……」
ただでさえ小柄な身をさらに縮めて彼女は言う。それに夏楠は軽い目眩を覚え、額に手を添えた。
今回については運良く、その『前の主』とやらの愚行で助かった。
しかし──。
「莫迦か、そいつ⁉ お前にゃ、もっと先に教え込むことが山ほどあんだろうが。常識はどこいった」
「それはもう、度し難い莫迦だったのだと思います……」
己の奴婢にまで莫迦呼ばわりされるとは、いったいどれだけ突き抜けた莫迦なのだ、その『前の主』は。
「あーくそ! もういい。お前は甜点でも適当につまんでろ」
「かしこまりました。甜点のほかに果実は召し上がりますか、北嶽様?」
その問いかけを理解するのに、夏楠は少しばかり時を要した。
甜点を食わせる目的で随行させた彼女だが、表向きは『毒味役』だ。あくまで夏楠の意向に従い、彼女は甜点に手を付けるのである。
だったら、と。
少しばかり意地の悪い考えが、胸中に浮かんだ。
「そうだな、気が変わった。果実も甜点も全部食う。だからお前、全種制覇しろ」
「え……これを、全部でございますか……?」
食卓に山と盛られた果実、ずらりと奥まで並ぶ甜点を見て怖気づく彼女に、夏楠は満面の笑みで命じた。
「甘いもんでもたらふく食って、少しは胸に肉を付けろ。胸に」
「胸より腹に肉が付きそうですが──承知しました! 全力で務めさせていただきます!」
腕捲りして果実の大皿を引き寄せる彼女を尻目に、夏楠はゆうゆうと毒見の済んだ冷茶を手に取った。飲み口に毒を盛られる可能性を考慮し、彼女が口をつけた箇所から嚥下する。
〈底意地の悪い男め〉
黒影が何か言っていたが、取り合わずに玻璃の茶杯を傾けた。
「ふん。これ、確かに美味いな」
〈……逆上しなくなったな〉
噛み合わない台詞がもたらされる。
無視を決め込む夏楠に対し、黒影はさらに続けて言う。
〈お前は私が苦言を呈すたび、激していただろう。先のように受け流せずにな〉
「…………」
〈良い傾向だ。彼女には、感謝せねばなるまい〉
宝剣の言葉に応じることなく、夏楠は手の中の冷茶に視線を落とす。すると黄金色の液体に浮かぶ、つまらなそうな顔をした自分と眼が合った。
「蜜蘭香、か」
「おや。酒と女以外に北嶽が興味を示すなんて、珍しいじゃないか」
なんの気なしに夏楠が呟くと、すかさず西嶽が茶々を入れてきた。
言い返そうと夏楠だったが、突如自身に訪れた異変に、顔を顰めた。
──舌が、痺れて動かない。
それに、酷く気分が悪い。吐き気がする。
口内が、皮膚が、かっと灼熱を帯びたように熱い。
動いてもいないのに息が上がり、どくどくと心臓が異常な速度で脈を打つ。
危機感を訴えるように、冷たい汗が頬を伝った。
息が、うまく、できない。
「──……北嶽公?」
雲翔の声が聞こえた。
しかし、とても答えられない。
前方に伸ばした腕が、虚しく空を切る。痙攣で体勢を崩した身体が、無様に椅子ごと床に投げ出された。
「ほ、北嶽様ッ!!」
血相を変えた彼女の声と、給仕していた女官の甲高い悲鳴が、室内に響き渡った。




