表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
77/81

天麗-10

 そんな彼女に、自分は、なんと言ったのか。


「誰に? 偽者にせもんにか? 頭の悪い女だな。お前はそいつに騙されたんだぞ?」


 その愚かさをわらい、逢いたいと言った男がいかに無価値であるかを指摘する。

 だが、それでもなお、彼女は揺るがなかった。


「それでもです」


 即答した彼女は、愚直なまでに真っ直ぐで綺麗な、紅い瞳をしていた。曇りのない澄んだ双眸そうぼうにいっとき、眼を奪われる。

 しかしだからこそ、それは酷く夏楠のかんさわった。


 もしかすると、これほどまでに信頼を寄せられた顔も知らないその男に、嫉妬したのかもしれない。

 夏楠には、命をかけてでも逢いたいと言ってくれるような存在はいない。いたとしても、それはあくまで夏楠の容貌ありきの話だ。唯一の例外だった母は、とうに死んでいる。


 ──もしも、自分が十人並みの顔で。このどうしようもなくひねくれた性格と、妓楼で身体を売っていた過去が知れ渡れば、誰も見向きもしなくなる。蔑みの眼が向けられることだろう。


 わかっているのだ。

 自分が、呆れるほどきたないということは。

 誰からも本当の意味で、愛されはしないということも。

 自分が一番、よくわかっている。

 だって、ほら。


「なら勝手に信じて、勝手に死ね。偽者にせもんがもとでお前が死にかけたのは事実だ。だいたい、龍の呼び方なんて、小童ガキに真っ先に教え込むことだぞ? なんせ命にかかわるからな。そいつはよっぽど、お前のことがどうでも良かったんだろうよ」


 ほら。こんな言葉が、するすると口から流れてくる。

 押し黙った討師の瞳が、見る間にうるんでいくのがわかった。

 それを見た夏楠が感じたのは憐憫れんびんでもいたわりでもなく、ただ「勝った」というくらい陶酔のみだった。


「あーいや。むしろ、わざと呼ばせたかったのかもな? 名呼びの処罰は臏刑ひんけいだったか? 結局その程度の存在なんだよ、お前は」


 気を良くして、さらに言い募る。

 するととうとう、討師の眼から大粒の涙が伝い落ちた。ぱたぱたと落ちる水滴を無感動に見つめ、夏楠は冷ややかに命じた。


「泣くな、見苦しい。泣いてる女ほど、うぜぇもんねぇってのに」

「も、申し訳ございません」

「謝るくらいなら最初からすんな、莫迦女ばかおんなが」


 討師をくだしたことで、急速に興味が失せる。

 夏楠は長椅子から腰を上げると、討師の処遇を李に丸投げし、その足で後宮へ向かった。


 誰か、適当に女を見繕って。

 それで、今夜はこの鬱憤を晴らしたい。

 先ほどまでの勝利の余韻は綺麗に霧散して、残っていたのは、ただの惨めな苛立ちのみだった。







 翌日、夏楠は頭痛に顔をしかめて朝餉あさげの席に着いた。

 だが朝餉と言っても、刻限は昼である。むしゃくしゃしていたことも手伝って、昨夜はしたたか飲み過ぎた。酒はかなり強い方だと自負しているが、強い酒を何本もちゃんぽんにしたのがまずかったようだ。


 へやに入るなり長椅子に身を投げ出し、靴を脱ぎ捨てる。すると控えていた討師が長靴ちょうかを拾い、椅子の横にそろえて置いた。しかしその後は何をするでもなく、へやすみでぼけっと座っているだけだ。


 主の不調に対し、動く気配もない。

 気が利かない女だ、と夏楠は討師を睨めつけた。


「なにぼっと突っ立ってる」

「はい?」


 何か考え事をしていたのか、肩をわずかに震わせて討師が訊き返した。

 ──ああ、苛々《いらいら》する。

 存在が業腹なだけでなく、このとろくさい態度も気に食わない。

 夏楠は不機嫌を隠しもせず、声を張り上げた。


「茶の一つも出せねぇのかよ、お前は! ッ、てぇー……このおれが二日酔いなんて……」

「は、はい! 申し訳ございません、すぐにお持ちします!」

「大声で喚くな、頭に響く。っとに使えねぇな、お前は」

「面目ございません。しばし、お待ちくださいませ」


 討師は慌てて立ち上がると、へやの片隅で茶の準備を始めた。

 こんな奴にまともな茶がれられるのか、と疑いながら観察するが、意外にも手際は良い。李と比べても、あまり遜色のない手際だ。

 危うげなく円卓に茶器を揃えると、討師は夏楠に声をかけた。


「お持ちいたしました」

「遅い。身体起こすのも面倒だ。早く茶ぁこっちに寄越せ、莫迦女ばかおんな

「はい。どうぞ」


 差し出された茶杯を奪うように受け取る。

 そうして茶をすする寸前で、夏楠はふと動きを止めた。


 ──この茶、まさか毒など入ってはいまいか。


 給仕は普段、李にさせている。西嶽はこの女に敵意はないと言っていたが、それは昨日の話だ。一日経過して、気が変わっている可能性もある。少なくとも、自分が討師に好かれていないだろうという自覚は多分にあった。


 とん、と音を立てて茶杯を円卓の上に戻す。

 それを見た討師が、おや、と不思議そうにくびかしげた。


「あの、北嶽様?」


 その、純朴そうな顔。

 人好きのする、柔らかで愛らしい顔立ち。

 昨日のことなどまるでなかったような、「わたしは気にしてませんよ」と言わんばかりの余裕ぶった態度も──何もかもが鼻につく。胸糞悪い。


 握った茶杯を、無造作に床へ叩きつける。

 すると、思ったよりも軽い破砕音が室内に響いた。


「こんな不味まずそうな茶が飲めるか」

「は、はい。申し訳ありません」

朝餉メシはどうした?」

「そろそろ李君が運んでくださるかと」


 一転して表情をかげらせ、討師はおどおどと答えた。

 両者の間に横たわる、圧倒的な力関係。それを目の当たりにし、夏楠は少しだけ気分が晴れるのを実感した。


「ふうん。で、お前は何もしないのかよ?」

「そのつもりだったのですが、お出しする料理の順などが複雑なので、また日を改めてと……」

「役立たずここに極まれりだな」


 そう言うと、討師は反論もできずに緋色の瞳を伏せた。

 また泣くか、と思ったが、今日は泣かない。泣かれると鬱陶しいが、かと言ってへらへらと笑う姿も、それはそれで苛つく。


 思い返せば、側仕えの女を入れるといつもこうだ。つい、日々の憂さ晴らしの道具にしてしまう。そうして気が向いたら手酷く抱き、すぐに飽きて別の女と入れ替える。その繰り返しだ。今回は、次の側仕えを手配しようとした矢先の出来事だった。


 ……まあ、この胸なし女に手を出すようなことは、天地がひっくり返ってもないだろうが。


「おい、何をしてる」

「え?」


 突っ立ったままの討師に呼びかけ、夏楠は床に散った残骸をあごでしゃくった。


「割れた湯飲みも片せねぇのか? お前は?」

「も、申し訳ありません! 今すぐに」


 急いで破片を拾う小さな背中に、夏楠は聞こえよがしの溜息をついた。


「ったく。びる以外なんもできねぇな、お前。存在価値なさ過ぎて、使い道に困る」

「……精進、いたします」

「掃除が終わったらおれの視界から消えろ。お前見てると、いらつくんだよ」

「はい。申し訳ございません」


 討師は消え入りそうな声で平伏する。

 猫が鼠をなぶるような嗜虐に夏楠がひたっていると、不意に黒影が口を挟んだ。


〈──すまない、人の娘よ。すべては私の責任だ〉


 その声は、討師の耳には届いていない。当の本人がなんの反応も見せず、茶杯の欠片かけらを拾っているのがその証拠だ。

 だがそれでも黒影は少女に対し、懺悔を止めることはなかった。


〈申し訳ない。そなたは何も、悪くはないというのに〉

「黙れ」

「はい?」


 討師が振り向きざまにたずねるが、そんなものは無視だ。

 夏楠は自身の宝貝ほうばいに対し怒気を放ったが、黒影は構うことなく、あくまで討師の少女に向けて話し続けた。


〈すべては私と、此奴こやつの不徳のいたすところ。重ね重ね、申し訳ない〉

「だから黙れっつってんだろ! 宝貝ほうばい風情が!」


 大声で叫ぶなり、夏楠は帯剣していた黒影を鞘ごと床に叩き付ける。存外響いた大きな音に、討師はびくりと細い身体を震わせた。


「高炉に投げ捨ててやろうか、このなまくらが!」

〈ほう? 好きにするがいい。いずれにせよ、宝貝ほうばいたるこの身は滅びぬ。溶けるどころか傷一つ付かんだろうよ〉


 夏楠の怒りもどこ吹く風で黒影は応酬する。

 己の主をこれ以上ないほどに見下し、せせらわらうように宝剣はこう続けた。


〈そして、私と貴様との縁は天命だ。死ぬまで逃れられん。いずこへ捨てようとも、必ず主のもとへとすだろう〉

「けっ、反吐へどが出る。二度とおれの前で口を利くな」

〈それはこちらの台詞だ。享楽を貪ることしか能のない、下衆げすめが〉

「黙れッ!」


 ひときわ大きな声で罵声を浴びせると、夏楠は黒影を拾い上げ、目の前の討師に押し付けた。


「お前、この宝貝なまくらを持ってけ!」

「えっ、い、いけません。大切な宝貝を、わたしのような奴婢ものが──」

「いい、持ってけ。二度とこいつをおれの視界に入れるな」

「ですが、ほかの官吏の方が知ればきっと……」


 言い募る討師を、夏楠は叩きつけるようにして厳命を下した。


「くどい! この北嶽おれがいいと言ってるんだ、さっさとこいつを持って出ていけ!」

「は、はい! 失礼いたしました!」


 討師は返事をすると両手で黒影を抱え、逃げるようにへやを飛び出して行った。


「…………畜生が」


 ぐしゃりと髪をかき上げ、夏楠はかすれた独白を落とした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ