天麗-9
「龍討師? あの女が?」
先ほどの気狂い女との戦闘後──。
夏楠の問いかけに、西嶽は神妙な面持ちで顎を引いた。
「ああ。あれは間違いなく龍討師だ。雲に対するあの殺傷力は、そうでなければ説明がつかない」
「おれが相手したときはてんで弱かったけどな、あの女」
言いながら、先ほどの戦いを思い返す。
多少の心得はあるようだが、話に聞く龍討師には見えなかった。怖じけて逃げるばかりで話にならない。怯えていたのも演技ではなかったようだし、あの有名な龍殺しの一族だとはとても思えなかった。
「龍討師の能力には強弱がある。長時間開眼を維持できる者もいれば、そうでない者もいる。お前に反撃しなかったところを見ると、あの娘は連続して開眼し続けることができんのだろう」
思案顔でぶつぶつ呟く西嶽を見ながら、夏楠は頸を傾げた。
「カイゲンってなんだよ?」
「開眼とは、討師が龍脈を視ることを指す。──……ああ、そこで待て。すぐに向かう」
話の途中で西嶽は視線を転じ、外で控える臣下に声を落とした。
夏楠と西嶽は現在、狭苦しい牛車の中で膝を突き合わせて話している。戦闘が終わるなり西嶽に引っ張り込まれ、半強制的に密談を強いられていたのだ。それと言うのも、あの討師が黒影に話しかけたことが問題だったらしい。
確かにあの女は、宝貝が喋ること──すなわち、聞耳を完全に理解している様子だった。だったら頸を刎ねてしまえば良いと夏楠は思うのだが、西嶽の意見は違った。
──頸を刎ねたら、肝心の聞耳を娘に教えた輩がわからんままじゃないか。
と、すげなく却下されてしまったのだ。
西嶽の言うことは一理あるが、だからと言って「州公自ら討師の尋問をする」という意見には、にわかに同意しかねた。
理由は簡単だ、面倒くさい。
北嶽である自分が、そこまでしてやる義理はないだろう。
「とまあ、そういうことだから、あの討師を尋問するなんか適当な場所見繕っておいてくれ。誰にも話聞かれたくないから、それ用の室よろしく」
そう言い置くと、夏楠の返事も聞かずに西嶽はさっさと牛車から消えてしまう。
一方的なその言葉に、夏楠が従う義理はない。
義理はないが──。
それでも最終的に西嶽の指示に従ったのは、ひとえに「以前、北嶽が毒を盛られた一件と関係あるかもしれないよ?」の一言が念頭にあったからだ。その可能性は大いにあり得る。そういうことなら、念のため直に問いただしておこうと思ったのだ。
あの討師は、どう見ても無能である。拷問は趣味ではないが、まあ手足の一、二本も斬り落とせば、すぐに吐くだろう……そんな楽観があったのは事実である。
が、しかし。
李に訊いて尋問場所を手配し、いざ川辺に呼び出した討師は、夏楠の予想をものの見事に裏切る女だった。
「申し訳ございません、存じませんでした。龍の御名を口にすることは、著しく礼を欠く行為だったのですね」
何故あんなことをした、という問いに対し、件の討師はそんな珍回答をこちらへ寄越したのである。
しかも恐ろしいことに、この女は至って素面だった。詳しく話を聞くと、長く龍討師の隠れ里にいた影響で、龍に対する礼儀が一切合切抜け落ちていることが判明した。
(おいおい、どんな秘境のど田舎で育てばこうなんだよ?)
莫迦で、礼儀知らずで、どんくさい。役立たずの短躯。
夏楠の当初の印象は、そんな酷い言葉で埋め尽くされていた。
あのとき──彼女はそれほどまでに世間から隔絶された、過酷な環境で育ったのだと、何故考えなかったのか。不憫に思わなかったのか。優しくしてやろうと思わなかったのか……もう、何万回後悔したか知れない。
だが結局のところ、夏楠は彼女と出逢い、別れる最後の瞬間まで、ひたすらに選択を誤り続けたのだ。
だから彼女に聞耳について訊かれたときも、まともに取り合おうとはしなかった。
「あの、聞耳とは、どういった意味なのでしょうか?」
聞耳とは、宝貝の声を聞き取る能力のことを指す。
黒影や白亜など、宝貝が口を利くことは本来、主である四嶽しか知り得ない事実だ。しかし彼女は、夏楠の名を騙る偽者が、黒影と会話する姿を見たと言う。
彼女の聞耳についての問いには、夏楠ではなく西嶽が応じた。
「その前に、確かめねばならないことがある。黒影、何か喋ってくれるかい?」
西嶽に乞われ、普段は重い口を黒影が開いた。
そう、この頃の黒影は、驚くほどものを喋らない剣だった。
〈──私の声が、聞こえるか?〉
昔、夏楠が耳にしたそれと同じ台詞を黒影は繰り返す。
応答できずに訝しむ討師を確認すると、西嶽は手にした白亜の鏡を持ち上げ、その鏡面をつついた。
「白亜、お前も何か言ってみて」
〈どれ。わしの声が聞こえるかね、お嬢ちゃんや?〉
これにも討師は眉を顰め、しきりに頸をひねっている。
やはり、黒影と白亜の声は届いていないようだった。
「うん。問うまでもなく、やっぱり聞こえないみたいだね。安心したよ」
「当然だ。宝貝の声が人に聞こえてたまるか」
胸を撫で下ろす西嶽に、吐き捨てるように返す。
そうだ。ただの人間に、宝貝の声が聞こえるわけがない。
その後、以前毒殺されかかったことについても夏楠は言及したが、討師は関与していないようだった。嘘を見破ることができる西嶽が保証したので、真実だろう。
これでお開きになると思った討師の尋問は、残念なことにこれでは終わらなかった。なんと西嶽が、言うに事欠いてこの討師を夏楠の官奴婢にしろと言い出したのだ。夏楠の官奴婢として常識を学ばせてから、後日改めて尋問を再開しよう、と。
しかも、西嶽は自身と夏楠に敵意がないことを宝貝で確認すると、勝手に討師の枷を解いてしまった。
冗談ではない。
さすがに腹に据えかねた夏楠は、その場で声を張り上げた。
「おいこら、待て糞爺ッ! なに勝手に進めてやがる! てめえが預かれよ、てめえが!」
「やだよぅ。僕は爺じゃないけど、北嶽ほど強くはないし? ちょっぴり危険じゃないか」
「おれだって危ねぇだろ!」
反論すると、西嶽はわざとらしい仕草で小首を傾げ、夏楠に訊ねた。
「あれえ? 北嶽は、こんなちんちくりんの小娘が怖いのかい?」
「まさか! こんなちんちくりん、屁でもねぇ!」
無論、当然の事実として夏楠は否定する。
だが言ったあとで、まんまと西嶽の口車に乗ってしまったことを知った。
「はい。じゃあ北嶽の了承も得られたので決まりね! あー、もう日が暮れちゃったじゃないか! これは帰ったら怒られるなぁ……おお寒っ。尋問の続きはまた今度。僕はもう宮に帰るから。じゃ、またねー」
「ちょ、こら待てッ! 逃げんな西嶽!」
西嶽は手を振りながら、すたこら坂を駆け下りてゆく。これがそこらの爺さんならぶん殴ってやるところだが、西嶽は腐っても州公だ。しかも若作りしているが、実際はかなりの年上である。なんせ四十路の息子の父親だ。
不平不満は山ほどあったが、結局西嶽に押し切られる形で、夏楠は討師を官奴婢とすることを余儀なくされた。
それも今となっては、このときの西嶽の行いには、感謝しかない。
良かった──本当に、本当に良かった。
ほかでもない彼女を、自分の側に置いてくれて。
「あーくっそ、腹立つ! なんでおれが討師の子守なんか!」
口汚く悪態をつきながら、夏楠は足早に寝所へと向かった。
もうとっくに日は暮れている。随分と無駄なことに時間を食ってしまったものだ、胸糞悪い。
「しっかも色気のねぇ女! しかも莫迦! しかも短躯! こんなの従えてたら、官吏どもに足元見られんだろうが! ったく、わかってんのかよ、あの若作りがッ!」
罵られた討師は文句の一つも言わず、小走りで夏楠のあとを付いてきた。夏楠が寝間の長椅子に身を投げ出すと、ちょうど視線を投じた先に、ちょこんと行儀良く正座した討師がいた。
「なんでお前が寝間にいんだよ。とっととおれの前から失せろ」
そう言うと、討師は少し困ったように夏楠を見上げた。
「よろしいのですか? わたしは一応、龍討師で……そんな気は毛頭ありませんが、突然殺戮を始めるやもしれませんし……」
「だったら今すぐ殺戮開始しろ。即行で頸を落としてやる」
そして、続けざまにこう言った。
「もう死ねよ、お前」
彼女を嘲るように。
実になめらかな口調で、明確な悪意を纏わせて。
言った途端、討師は心臓を突かれたような表情を見せた。
あの、心を粉々に打ち砕かれたような彼女の顔が、今でも忘れられない。
後悔、懺悔は数あれど、彼女に対する仕打ちで、これを凌駕するものはないだろう。
このとき、どれほど彼女を傷付けたことだろう。
どれほど深く、彼女は傷ついたことだろう。
いっそ死んでしまいたいほどなのに、もう、謝ることすらできない。
「承服しかねます」
それでも、震える声で彼女はそう明言した。
はっきりと、自分は死にたくないと、夏楠に告げたのだ。
「わたしは生きたい。この命尽きるまで、生きていたい。生きて、そしてもう一度お逢いしたい方がいるのです」
彼女は、生きたかった。
絶対に、死にたくなどなかったのである。




