天麗-5
(双刀遣いかッ!)
黒影を抜き、即時応戦する。
警戒はしていたが、まさかいきなり斬りかかられるとは思わなかった。
戦闘で黒影を遣うのは久しぶりだ。
初動は遅れてしまったが、幸い刃は子墨の曲刀に追いついた。
これがあの鳳炬であれば、柄に手をかけたまま頸を刈られていただろう。
子墨の左からの斬撃を、黒影で返す。
向こうからすれば当然、噛み合うと思っていただろう黒刃は、するりと曲刀の刀身を二分した。
「おっと⁉」
子墨が驚きの声を上げる。
これこそが宝貝、黒影の剣の真価であり、長器の名手だった鳳炬ですら恐れていた能力だ。
触れたそばから万物を断つ黒影を、相手は防ぐことができない。
対抗するには、同じく宝貝が必要なのだ。
曲刀が遣い物にならなくなったあとの、子墨の行動は迅速だった。
残る左の曲刀で──夏楠からすると右側から──胴薙ぎを試みる。
迎撃しようと黒影を向けた夏楠は、半ばで自身に迫る物体に気づいた。
鋭い銀の閃きは、折れた刃の反射光だ。
先ほど黒影で分断したした曲刀。
それを、夏楠の死角から投げていたらしい。
右からは曲刀の斬撃、左からは投擲。
左右を挟まれた形になる。
夏楠は深く膝を折り、下に避けつつ黒影を横に薙いだ。
狙いは、子墨の足首だ。
(一生車椅子になったら勘弁な!)
先に仕掛けてきたのは向こうだ。
文句を言われる筋合いはないが、一応心で謝っておく。
だがそれも、夏楠の杞憂に終わった。
攻撃を中断すると子墨は大きく後転し、夏楠の薙ぎを紙一重で躱す。
一度引き、間合いを取るつもりなのだろうが、そうはさせない。
いい加減、この戦闘に気づいた門衛たちも行動に移す頃合いだ。
彼らに参戦されれば、少々厄介なことになる。
夏楠単独なら問題ないのだが、この子墨を相手にしながら門衛に孝燕を狙われると、かなり厳しい。
ならば子墨を囚え、盗賊の親分よろしく咽喉に黒影を押し当てて、敵を牽制しながら孝燕と逃げるのが得策だろう。
となれば、まずは子墨の無力化だ。
手首の腱を切り、武器を扱えなくする。
車椅子よりはだいぶマシだろう。
先手必勝とばかりに、夏楠は子墨に肉薄した。
次いで黒影を振るおうとしたところで──しかし夏楠は、子墨の発言に動きを止めた。
「ちょ、タンマ! ちょっとタンマ! すみません降参! 降参です! 降参するから剣を収めてくださいお願いこの通りっ!」
突然の、土下座だった。
半泣きで懇願する子墨に戦意を削がれ、どうしたものかと困惑する。
やや芝居がかって見える命乞いだが、手元にあった曲刀も地面に捨てたあたり、嘘ではなさそうだ。
〈油断させたところで、仕込み武器を遣う可能性もある。用心はしておけ〉
黒影の助言に従い、剣を鞘に収めずに夏楠は口を開いた。
「これはどういう真似だ」
「伯父さんの命令ですよ! いや、もちろん僕は反対したんですよ⁉ そんな試すような真似やめましょうって。でもあの伯父さん、何を言っても『行け』の一点張りで、僕の話聞いちゃくれないんですもん! 酷くない⁉」
「……伯父?」
頸を傾げて訊き返すと、子墨は両手を上げたまま、こくこく頷いた。
「そうそう、伯父っ! あの極悪変態男、父方の伯父さんなんですよ! 僕は甥っ子!」
「のわりには、あまり似てないな」
……いや、そうでもないか。
気質がまるで違うのでわからなかったが、顔だけなら齢が揃えば近づきそうではある。
そもそも、初撃に気を取られて失念していたが、子墨は最初に名乗っていたではないか。
孫子墨と。
「お願い信じて! お願いだからっ!」
「だったら、なんで襲ってなんか──」
そう言いかけて、途中で夏楠も思い当たった。
……あの男なら、やりかねない。
夏楠はまだ、誰にも素顔を晒していない。対して向こうは、引く手数多の大豪商だ。しかも、雲翔のように清廉潔白とは決して言えない輩である。それは警戒もするだろう。
来訪者が銀河を騙る偽者でないか、その真偽を確かめるために手練れを送る、という流れは充分あり得る。本物なら子墨を撃退可能と判断したのだろう。
「やりそうでしょー? あの性格なら」
「あー……やりそうだな、あいつなら」
「でしょ⁉ 共感いただけたようで何よりです!」
「……で、」
子墨の頸筋に黒影を這わせ、夏楠は低く訊ねた。
「あいつに面会、できるんだろうな?」
「もちろんですよ! もちろんでございますともっ!」
なんだかこの子墨が言うと、胡散臭いことこの上ない。だが、ここで押し問答しては話が前へ進まないのだ。
仕方なくこちらが折れ、黒影を引いてやった。
「じゃ、案内してくれ」
「合点です!」
返事だきゃいいな、この爺さんは。
溜息をつきながら、夏楠はひとまず黒影を鞘に収めた。
*
その後、子墨の案内で無事瑞雲閣の門を潜った夏楠は、孝燕とともに長い回廊を歩いていた。
等間隔に飾られた壺や花瓶を横目で見つつ、夏楠は先頭を行く子墨のあとに続く。
外観から予想はしていたが、やはりこの楼閣は内観も相当金が注ぎ込まれていた。
一見こざっぱりとした回廊だが、よく見ると窓枠にびっしり彫刻されていたり、さり気なく置かれた屏風が細かい透かし彫りになっていたりと、手が込んでいる。当時も『秘すれば花』とはよく言われたものだ。あくまでさり気なく、それでいて金銭は惜しまず、実に洗練された空間を造り上げている。
「ところで、銀河さんは伯父さんになんの用で来たんです? やっぱり、お金?」
「あいつに何も聞いてないのか?」
夏楠の問いに、子墨はへらりと笑って肩をすくめた。
「『聞かない方がいい』とか言って、こっちは情報皆無ですよー。ちょっとばかし遊んでこいって、それだけ」
「その判断は正しいな。聞かない方がいい」
夏楠がすげなく言うと、横で孝燕がこっそり苦笑いを浮かべた。
朝議等には出席するようになったものの、いまだ夏楠の公の場への露出は少ない。噂で若い北嶽の存在くらいは知っているだろうが、ある日突然こんな軽装で現れるとは夢にも思っていないはずだ。
(相変わらず性格悪ぃな、あいつは)
子墨と言えど、自州の州公を襲わされたなどと知れば、さすがに卒倒するかもしれない。ある意味、不憫な男である。
「じゃ、これ以上は聞かないでおきますかね。でもまぁ、なんとなく理解はしましたよ。銀河さん、顔隠してるけど結構な別嬪さんでしょ? 周君がぶーたれた顔で来た理由がわかったって言うか」
「周君?」
「最初に応対した美少年です」
やっぱり、同業か。
会ったときからそんな予感はしていたが、やはりあの少年も奴の愛娼だったようだ。
多分、夏楠を商売敵だとでも思ったのだろう。
「いやぁ、周君より綺麗な同性なんて僕、初めて見ましたよ! ぜひ素顔を拝見したいもんです」
「実は口が裂けてるかもしれないぞ?」
「ご謙遜を」
子墨は言って、くるりと身体を反転させる。そのまま後ろ歩きで、夏楠と向き合いながら回廊を闊歩した。
「でも残念だなぁ。銀河さんが女の子だったら、僕も絶対お願いしたのに!」
「そりゃ良かった。幻滅させずに済んで」
「またまたご謙遜をー」
飄々《ひょうひょう》と、実に楽しげに子墨は語る。
かと思うと、急に真顔で、
「実は晒を巻いた、ちょっぴり声の低いお姉さんだったなんてオチ、ありません?」
「ねぇよ、殺すぞ?」
「ですよねぇー⁉ あの伯父さんの趣味じゃそうですよねー⁉ 残念無念っ‼」
よよよよ、と手巾を歯で引っ張りながら嘘泣きする子墨を見て、夏楠は視線を孝燕に移した。どことなく疲れた様子の孝燕に、眼だけで声援を送った。
──安心しろ、孝燕。おれももう帰りたい。でも踏ん張れ。
「あ。ここですよ、ここ。着きました」
ひときわ豪勢な大広間に出ると、子墨は中央に設えられた大きな扉を指して言った。
この扉の先に、件の『伯父さん』がいるのだろう。
「伯父さーん。銀河さんお連れしましたよー」
躊躇もへったくれもなく、子墨はおもむろに扉を開けると、ご近所さんでも訪れたかのような軽い口調で中に足を踏み入れた。
「──ああ、ようやく来てくれたね、銀河。逢いたかったよ」
対して糖蜜のように甘く、蕩けるような声音で、瑞雲閣の主──孫子豪は告げた。




