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 今にも心臓を穿たんとしていたやいばが、くうを裂く。

 それは無音のままに、どこまでも流麗な軌跡きせきによって、退しりぞけられた。

 会心の一撃をかわされ、鳳炬ホウキョ愕然がくぜんとした視線が注がれる。


「な……お前、その剣捌けんさばきは──ッ!」


 とは言え、こちらは呆気あっけにとられたままだ。

 事態がつかめぬまま、驚愕と憎悪に顔を歪ませた鳳炬を眺めていた。


(なんだ、あれ?)


 今しがた起きたことを思い起こす。

 意識もせずに、身体からだが勝手に動いた。

 自分にはとても真似できない、洗練された動作で、攻撃をしのいだ。

 それは例えば、良い師に恵まれ、決して努力を怠らず、幾年も剣技を磨き続けたかのように。

 そう、まるで──()()()()()()()()()()()()()()()()


「認めない、何かの間違いよ! お前ごときに、そんな動きができるものかッ!」


 叫びを上げ、鳳炬は獅青を片手に疾走する。

 一撃必殺の再来。

 ほうけていて、完全に反応が遅れた。

 受けることも避けることも、到底叶わぬような刺突が眼前に迫る。


 終わった、と。

 今度こそ本当に、死を覚悟する。

 しかし心に反するように、身体からだは別の意思をまとい、動き出した。


 ──成る程、次はそう来るか、と。


 はなからすべてを知り、見透かした初動が始まる。

 己の動きを視認することはできないが、それはきっと──。

 極限まで無駄がなく、自然で、たいそう美しいものだったに違いない。


 半歩、右足を進める。

  手にした刀剣は流水のごとく。

   あらがわず、ただ白刃に添えるように。

    水平に、静かに薙ぐ──いいや、凪ぐ。


「く……ッ!」


 鳳炬から、初めて小さな苦悶を聞いた。

 軌道を逸れた大刀が大きくかしぐ。

 追撃はない。

 歩数は、たったの一歩。

 そのわずかな動きで、鳳炬を制してしまった。


 何故だ、と出血で鈍った頭を叱咤しったする。

 片膝を付き、憤怒の形相でこちらを睨む鳳炬を見て、ようやく理解が追い付いた。


「黒影、か……?」


 呟くような問いかけに、普段よりも明瞭な黒影の声が耳に響いた。


〈どうだ、身体からだちそうか?〉

「気ィ抜くと、意識が飛びそうになるけどな。……黒影、今のは──」

〈うむ。少しばかりお前の肉体からだを拝借した。我が身には、あるじとなった歴代北嶽の技能が蓄積されているからな〉


 それで、あんな芸当ができたわけか。

 いまだに魂が侵食されるような嫌悪感は続いているが、それで鳳炬を倒せるなら安いものである。


「へー。便利なもんだな……」


 頭が回らないので、とりあえず適当な相槌を打つ。

 すると、黒影は声をかげらせてこちらに念を押した。


〈だが、お前は圧倒的に修練が足りんからな。長くは憑依ひょういできぬ上、つかえるのは直近の、ごく限られた動きのみだ。無論、大技もつかえん〉

「直近って、なんだよ?」


 そうたずねると、黒影はしばし間を置いてから答えた。


〈──お前の、父の動きだ〉


 軽い驚きに眼をまたたかせる。

 対して鳳炬は、がりがりと頭をむしると、ひび割れた声で絶叫した。


「嘘だ。嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ! わたくしは認めない! あれは兄様の薙ぎだ! 兄様だけの──兄様だけに許された動きだッ!!」


 龍は、情が深いがゆえに、執着心が強く、苛烈に狂う。

 その典型とも言える鳳炬をの当たりにしながら、両手に黒影を構えた。

 少しでも鳳炬から平静さを奪えるなら、願ったり叶ったりだ。


「利用できるもんなら……なんだって利用してやるさ……」

〈うむ、その意気だ〉


 黒影の声援を受け、気合で剣を握り締める。

 鳳炬はぎろりと目玉を回すと、羅刹のような殺気をいて、大刀を振り上げた。


「おのれ、駄作の分際で! 兄様の真似事をするなど、万年早いわッ!」


 高らかにえ、獰猛どうもうけものさながらに鳳炬は息の根を止めに来る。

 幾重いくえにも技巧を凝らし、力を込めた、当代最高の斬撃が降り注ぐ。

 そのことごとくを、黒影はかわし、逸らし、受け流す。

 攻撃の合間を突き、いったん鳳炬から距離を取ると、途端とたんにがくりと片足が折れた。


「はあッ、はあ……けほッ。畜生……血が足りねぇ…………」


 まずい、と本能的な焦りが込み上げてくる。

 黒影ではなく、自分自身に対して。

 くやしいが、父の動きは神業だ。

 それに引き換え、己の動作のなんと無駄が多かったことか。

 だが、ここで過去をやんでも仕方がない。


 今は、鳳炬だ。

 鳳炬を打倒せねば。

 ぜいぜいと肩で息をする。

 意思と無関係に視界がかすみ、手足が震える。


 いかに最小の動きで圧倒しようとも、力の天秤は変わらない。

 勝敗は確実に鳳炬へと傾きつつある。

 受け流すだけでは意味がない。

 決定打に欠けるのだ。


 せめて止血する時間さえあれば、と唇を噛む。

 いや、そんな仮定の話など考えるな。

 鳳炬を倒すことだけを考えろ。

 早く。早く。早く。

 見かねた黎珠が飛び出して、串刺しにされる前に──。


「ッ⁉」


 それは、思案した一瞬の隙を突いてのことだった。

 ぐいっと頭を後ろに引かれ、上体が大きくってしまう。

 編んでいた髪をつかまれた──と認識する前に、黒影が自身の刃でそれを断ち切る。

 自由を得た身で半転し、後方に跳ぶと、際どいところで大刀が咽喉のどをかすめていった。


 手に残された髪を、鳳炬はつまらなそうに床に放る。

 こちらは体勢を立て直すため、敵と充分に距離を取りながら、肩で息を繰り返す。

 斬られた髪がほおに落ちて、鬱陶うっとうしい。

 これはいよいよまずいと思い始めたところで、黒影がささやくように言った。


〈──おい〉


 静かな、それでいて、どこか鬼気迫る呼びかけ。

 珍しく、このときはそれだけですべてを察した。

 そして、即答した。


「やる。どうすればいい?」


 すると、驚いたのか黒影が息を呑む音がする。

 それに少し気分を良くして、さらに追い討ちをかけた。

 頭の悪い自分にだって、無茶をしなければ鳳炬に勝てないことぐらいわかる。


「あんだろ、一つくらい。なんか……一発逆転の秘策が」

〈しくじれば即死だが〉

「いい、やる。……どのみちこのままじゃ死ぬ」


 それに、もたもたしていると、黎珠が割り込みかねない。

 やるなら、少しでも体力が残っているうちにするべきだ。

 想いが通じたのか、黒影はすべて心得たように淡々と告げた。


〈鳳炬は強い。付け焼刃の技など、まず防がれる。そして相手が獅青である以上、大刀の破壊も不可能だ。であれば──……〉


 そうして黒影の話を聞き終わると、鳳炬があざけるように問いかけてきた。


「ふふっ、相談は終わったかしら?」


 どうやら、こちらの体勢が整うのを待っていたらしい。

 冷静さが戻り、自身の優位と勝利を確信したのだろう。

 鳳炬の問いには答えず、了承の意味で手元の黒影にうなずき返し、告げた。


「わかった。それで行く」

〈いいか、肝要なのは『機』だ。機を決して失するな〉

「ああ」


 黒影の忠告を胸に、剣尖けんさきを持ち上げる。

 鳳炬はにたりとわらうと、獅青を高くかかげて言った。


「行くぞ。宝具ほうばいに頼らねば、まともに戦うこともできぬ小僧」

「来やがれ、妄執に取り憑かれた発狂イカレ女」

「ふん。いいだろう。我が死刀、存分にその身に刻むがいい」


 直後、空気ががらりと変わる。

 つかを握る手を持ち替えると、鳳炬は半身はんみに開き、大刀を上段に構えた。


 違和感から眉を寄せ、眼をすがめてその姿を凝視する。

 腹部ががら空きで、隙の多い構えだ。

 鳳炬らしくない。


〈あの構えは──いかん! 下がるぞ!〉


 突然、黒影の焦った声が飛ぶ。

 それを問いただす間もなく、その死突しとつうなりを上げた。


「死ね、小僧」


 一足飛びで間合いが詰められ、凄まじい速度の打突が大気を切り裂く。

 近い──速い。

 黒影でもかわしきれない。

 突きが、合わせて、一、二──三。


「がはッ!!」


 命からがら逃げ切ると、負荷のかかった身体からだが悲鳴を上げた。

 唾液とともに、ごぽりと血の塊が吐き出される。

 それを見て、今まで静観していた黎珠がこちらに駆け寄ろうとした。


「北嶽様!」

「来るな! 来たらぶっ飛ばすぞッ!!」


 怒鳴りつけると、黎珠はぼろぼろ涙をこぼし、足を止める。

 それを見た鳳炬は大刀を肩にかつぎ、芝居がかった口調でこちらを責め立てた。


「あらあら、女の子を泣かすなんて。つくづく最低な男ねぇ、お前は?」

「げほッ……かは……ッ。ぬかせ、糞女くそおんなが……ッ」

「存外、しぶとい」


 言い返すと、鳳炬はつまらなそうな呟きを落とす。

 それと前後して、焦った声で黒影がびを口にした。


〈すまん! お前をいたわる余裕がなかった! まさか『連獅子れんじし』を会得していようとは〉

「いい……お前が動かさなきゃ、死んでた……ッ」


 レンジシ──連獅子れんじし。連なる獅子。

 響きだけでも、なんとなくわかる。

 眉間・喉・心臓と、すべて急所を狙った三段突き。

 厄介なのはそれが恐ろしく速く、回避も受け流しも困難なところだ。

 眼の良い黎珠でも、三段すべての攻撃はえなかったのではないだろうか。


 傷が開き、ぼたぼたと流れる血を視界の隅に捉えつつ、呼気を整える。

 脳天から血の気が引く感覚を味わいながら、小さくぼやいた。


「やべ……次喰らったら終わるな、これ」

〈あれは致命傷は避けられても、勢いは殺せん。次撃で終わらせねばなるまい。幸い、あれは──〉

「ああ。連獅子は……突きだ。だから……()()()()()


 復習を兼ねて黒影に言うと、力強い応答が返ってきた。


〈うむ、その通りだ。切っ先は視えるな?〉

「眼には自信がある。……夜目はかねぇけどな」


 細く息を吐き、鳳炬を見据える。

 対峙した鳳炬は舞うように獅青を回転させると、再び連獅子の構えを取った。


「安心なさい、小童こわっぱ。次で確実に終わらせてあげる」


 そして一呼吸の間ののち、床を蹴り上げた。


「喰らえッ!!」


 再度、必殺の刺突が放たれる。


 ──初撃が生死の分かれ目だ。


 先ほどの黒影のげんが、鮮やかによみがえった。


 ──途中までは、肉体からだを運んでやれる。


 半歩、足を動かす。

 半身はんみに構える。


 ──だが、あとの動きはけてやれん。


 連獅子はもはや、回避不可能だ。

 立ち止まれば、横薙ぎの第二波で仕留められる。

 かと言って、今の自分にこの技を受け流すことはできない。

 黒影で獅青は壊せない。付け焼き刃の技もはばまれる。八方塞がりだ。


 だから、あえて──()()()()()()


 黒剣が大刀に弾かれ、宙を舞う。

 鳳炬がいびつな笑みでわらいかける。

 確定した勝利に、酔いしれているのがわかる。

 ここに至りようやく鳳炬が見せた、ごくごくわずかな隙。


 ()()()()()()()()


 突き出された白刃。

 勢いは殺さず。

 さりとて伸び切っては意味がない。

 目指すは常に中庸。

 烈火のごとく迅速に、氷雪のごとく繊細に。

 穏やかに両手を獅青のつかに添え、そして──引き抜く。


「な──ッ⁉」


 刺し出される──差し出される。

 それを受け取り、引き寄せる。

 最後まで勢いは殺さない。

 鳳炬の手を離れた獅青を手に、半円を描く。

 決して逆らうことなく、たおやかに流れる水のごとく。

 三日月のような軌跡を描き、白刃はあるじの元へとかえってゆく。


 ──流水をもって月と為す。ゆえに、その名を『水月すいげつ』。


 武器を壊せず、技が通じないなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 絵空事のような言葉は、それでも奇跡的に現実のものとなった。


 肉が絶たれ、落ちる音。

 集中のあまり無音だった世界に、音が戻る。

 床には獅青に斬り伏せられ、左半身が胴と分離しかかっている鳳炬がいた。


 びくびくと痙攣けいれんする鳳炬を見下ろし、獅青を遠くへ投げ捨てる。

 くびは落としていないが、もうこれで充分だろう。


 その場で両膝りょうひざをついた。

 ぜえぜえと己の呼吸がうるさい。

 それでも、生きていると実感できる。

 やったと思う間もなく、黒影の急かす声が飛んだ。


〈早く、黎珠殿とともに逃げろ!〉


 一息つく間もない。

 ずたぼろの身体からだむちを打ち、黎珠を振り返った。


「ああ……黎珠……悪ぃ、手貸してくれ……」

「はい。北嶽様!」


 泣きながら駆けてくる黎珠を眺める。

 充足感で瞳を閉じたとき──。


〈なッ⁉〉


 床に転がる黒影の戦慄が、耳を打った。


「まだだッ!!」


 千切れかけた腕で床を引っ掻き、なおも鳳炬は起き上がろうとする。

 その身が、唐突にぼこりと膨れ上がった。

 身にまとう衣服がはち切れ、膨張した皮膚にめきめきと深紅のうろこが生える。

 真昼だった外の景色が急速に陰り、夜のとばりの中、稲光いなびかりが変貌した鳳炬を照らした。


 鋭い爪と、獣のような牙。無数のうろこ

 鹿のようなつのに、へびのような肢体。

 とぐろを巻くその身が閃光を放つ。


 突如、広間に突風が吹き荒れ、慌てて黎珠とともに身を伏せた。

 まるで竜巻でも起きたかのような轟音が鳴り響き、風がある程度収まったところで身体からだを起こす。

 そして天を見上げ、絶句した。


 天井が屋根ごと綺麗に消え去り、暗雲が立ち込める空が見える。

 ときおり走る閃光に照らされ、まるで神話を思い起こさせるような、巨大な赤龍せきりゅうが上空に出現していた。


「これが、顕現けんげん……」


 横で同じように空を仰いだ黎珠が、かすれた声を漏らす。

 龍が、その莫大ばくだいな寿命を代償として為す、最後の切り札。

 中でも直系の血族があらわす龍は別格で、天候すら自在に操るという。


 赤龍は、よく見ればその身の半ばがもげ、はみ出た内臓が見えていた。

 腕は不自然に曲がり、硬い鱗で覆われた肌も無残に傷ついて、満身創痍だ。


 戒朱の指輪の能力ちからで生き延びているのだろうが、顕現けんげんの影響で四肢に相当な負荷がかかっていることが、ひと目でわかる。

 しかし、それでもなお、赤龍から吹き出す憎悪に際限はなかった。


『──ス……殺ス! 決シテ、ゆるシハ、シナイ!』


 赤龍の咆哮ほうこうと同時にいかずちが落ち、周囲が火炎に包まれる。

 四方を燃え盛る炎に囲まれ、恐怖で全身の血が凍り付いた。

 凄まじい、妄念──執念。

 もはや、この世のものではない、その見目みめ


 逃げねば、と頭のどこかで思うが、なまりのように手足が重く、動かない。

 胃に冷たいものが走る。

 絶望的な気持ちで歯を食いしばる。


 ついに己の死を悟ったとき、それを退けるように、決然と黎珠が立ち上がった。


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