表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/81

59

「が……ッ、く……はッ!」


 唇から苦悶くもんれる。

 正確無比な、心臓狙いの一撃。

 咄嗟とっさに致命傷は避けたものの左肩を突かれ、左腕はつかい物にならなくなった。


「お返しさせていただいたわ。 どう? わたくしの一撃は?」


 あざける声に応じることもできず、床に両膝りょうひざをつく。


 ──やられた。完全に油断した。


 後悔と苦痛で顔が歪む。

 身体からだに穴が開けられたように左肩が痛い。

 衝撃で黒影を取り落とさなかったのは僥倖ぎょうこうだ。

 吹き出す真紅を吸い切れず、外套がいとうを伝い、ぼたぼたと血が床に滴り落ちる。


 からくも、即死はまぬがれた。

 まさに、そんな状況だった。


「げほッ、けは……ッ!」


 嫌な音の咳がする。

 口に手を当てると、わずかに血が滲んでいた。

 ……まずい。どうやら、肺も少し傷付けたらしい。


莫迦ばかな。致命傷のはずでは……〉


 愕然がくぜんとした様子で黒影が呟く。

 すると、打てば響くような軽やかな返事が、()()()()返された。


「ええ、とても痛かったわ。でも、わたくしが負けるはずないじゃない。だって、わたくしは天に選ばれたのよ?」

〈なッ⁉ お前、声が──〉


 黒影の驚きを受け、なんとか視線を持ち上げて鳳炬を見る。

 鳳炬は、くびから大きく袈裟懸けさがけに裂傷を負いつつも、平然と立っていた。

 ややあって、足元の血溜まりが音を立てて舞い上がる。それは時間ときを巻き戻すような、実に気味の悪い再生だった。


 まるで意志を持ったかのように、床に落ちた血液が傷口に吸い込まれ、跡形もなく消え去ってしまう。あとに残るのは、斬り裂かれた服と、傷一つない鳳炬の真っ白な柔肌やわはだのみだ。

 これは、この異常な治癒力は、()()()()()()()()()()()


 確信を持って、前方の敵を見据える。

 それに、鳳炬は化け物じみた邪悪な笑みでこたえた。


「姓は母にたまいしカク。名は鳳炬。我は、郭鳳炬カクホウキョ。南方朱州をにないし、南嶽なり!」

〈再起を司る戒朱カイシュの指輪か! しかし、あれは朱州ししゅうに安置されているはず〉


 黒影の指摘に、鳳炬は動じることなく微笑ほほえみかけた。


「ああ、あれは硝子玉がらすだまよ。先代南嶽の葬儀のときに、差し替えさせてもらったわ。折よく宝貝ほうばいが変化したから、手元にあった指輪と差し替えたの」

「お前……指輪なんか……ッ、して、ないじゃ……」


 今、鳳炬の両手に指輪は見当たらない。

 息も絶え絶えに言うと、鳳炬は小頸こくびかしげてこちらに眼を向けた。


「あの程度の大きさの指輪なら、飲み込むのはさして難しくなかったわね」

「はッ……そりゃ、気の毒に……出すとき地獄だな、戒朱……」

「本当に下品な男だこと、お前は。今すぐその口、二度と利けなくしてやるわ」


 笑みを消し、殺意を撒き散らしながら、鳳炬は足を踏み出す。

 しかし、それを遮るようにして小柄な人影が立ちはだかった。

 ──黎珠だ。


「させません!」

「ば……ッ」


 莫迦ばか、と声にならない息を吐く。

 とてもではないが、黎珠に勝てる相手ではない。

 普段は賢いくせに、ときおり恐ろしく莫迦ばかになるこの娘は、一歩も引くことなく鳳炬に宣言した。


「これ以上、北嶽様を傷付けると言うなら、今度はわたしがお相手をします!」

「あら、黎珠じゃ無理よ。多少はできるみたいだけど、あなたまだ、自分の手を汚したことないでしょう?」

「では、鳳炬様が最初になるやもしれませんね。わたしは龍討師です。龍である鳳炬様に、勝ち目はありませんよ?」

「嘘が下手ねぇ、黎珠」


 黎珠の虚勢に、鳳炬はいくらか狂気のやわらいだ表情で苦笑してみせた。


「そう、確かにあなたは龍討師なのかもしれない。でもどっちにしたって、あなたには無理よ。討師は陰陽の関係で、()()()()()()()()()()──でしょ? わたくしも一応、南嶽の直系なの。そのくらいの知識は持ち合わせていてよ?」


 はったりが不発に終わり、黎珠は唇を噛む。

 鳳炬はにっこりと極めて親しげに笑い、黎珠に話しかけた。


「でも、黎珠。あなたはわたくしのお友達ですもの。そこの莫迦ばかとは違って、賢くて優しい、心の綺麗な子。だから、あなたは殺さないわ。見なかったことにしてあげる。今すぐ、ここから立ち去って頂戴」

〈黎珠殿! どうか我らには構わず!〉


 鳳炬に続き、黒影も撤退を後押しする。

 その意見に完全に同意しながらも、絶望的な気持ちで、黎珠の後ろ姿を見上げた。


 ──ああ、それでも。こいつは莫迦ばかだから、きっと。


「いいえ! わたしは引きません!」


 黎珠の決然とした声が、だだっ広い広間に響く。

 その返答を聞き、決死の思いで崩れそうになるひざに力を込めた。

 床をにらみ、少しでも痛みがまぎれるように、心中で盛大に悪態をつく。


 ──畜生。なんだってお前は、そんなに頑固なんだよ。


 それでも、黎珠は止まらない。


「それにわたしは、犯罪者の友を持った憶えなどありません! 勘違いをしないでください!」


 ──あおるな、阿呆あほうが。逃げろ。一目散に逃げろ。


「どうしても、考えは変わらない?」

「変わりません!」


 鳳炬の問いかけにも、黎珠は即答する。

 それを聞き、鳳炬は沈んだ声で、最後にもう一度(たず)ねた。


「そう。これは、わたくしの最大の譲歩だったのだけど……やっぱり、黎珠は駄目なのね?」

「譲歩? それはわたしの台詞せりふです。今すぐ己の罪を認め、武器を捨てなさい! それがわたしの最大の譲歩です!」


 ──命令形かよ、大莫迦おおばかが。お前がそんなだから、気絶もできねぇだろうが。


「せっかくお友達に慣れたと思ったのに、とても残念だわ。……さようなら、黎珠」


 すべてを見限ったように、鳳炬が告げる声がする。

 最大限の気力を振り絞り、床からひざを持ち上げる。


 立ち上がる前に、鳳炬の殺気が高まった。

 気配で、獅青の槍が黎珠に向けられたことがわかる。

 大刀がうなりを上げ、両手を広げて立ち止まったままの黎珠を襲う。


 ──もう、誰も。お前を、死なせはしない。


 渾身の力で、地を蹴った。

 技術も、何もない。

 無様に血を撒いて、黒影を横に薙ぐ。

 ただそれだけ。

 ただそれだけのことに、気が遠くなるほどの精神力を要した。


 がん、と鈍い金属音が響く。

 手に重みが伝わる。

 止まるな。

 振り抜け。

 気合で放った横薙ぎが、獅青を押し戻す。

 鳳炬が瞠目どうもくし、素早く後ろに跳び退くのが見えた。


「かは……ッ……痛ぇ…………」


 たまらず、黒影をつえ代わりに片膝を付く。

 肩で息をしていると、背後から抱擁ほうようするように黎珠が上体を支えた。


「北嶽様! こんなに血が……お下がりください。ここはわたしに──」

「逃げてくれるか? おれを置いて?」


 語尾を奪うように問う。

 黎珠は唇を結び、何も答えない。

 押し黙った黎珠に、笑いながら言ってやった。


「逃げねぇだろ……お前は」


 そうだ、黎珠は逃げない。

 ならばもう、やることは一つしかない。


「なら、おれが……戦う」

「そのお身体からだでは無理です! 北嶽様が死んでしまいます!」

「もう、嫌なんだよ……目の前で、大切な誰かが──死ぬのを、見るのは」

「北嶽様……」


 取りすがる黎珠を押しのけ、鳳炬を凝視する。

 視線は外さず、声だけで黒影にたずねた。


「黒影……戒朱の能力は、なんだ?」

〈『再起』だ。見ての通り、何度でも蘇る〉

「なんだよ、その反則技ッ……それ、くびを落としても死なねぇのか……?」

〈恐らくは。だが、そこまでできれば再生は容易よういではない。黎珠殿とともに逃げる時間ときを稼げるはずだ〉

「わかった……」


 黒影は簡単に言うが、この傷では相当な離れ業だ。

 ──が、やるしかない。

 奮起して立ち上がると、鳳炬はあからさまなあさけりを込め、あごを逸らした。


「あらあら。少しは色が付いて、ましな男になったかしら? まさか、その身体からだでわたくしと張り合う気?」

「おれは、まだやれる」


 虚勢を張った。

 本当は今にも倒れこんでしまいそうだ。

 左肩に受けた傷が、脈打つように事態の深刻さを告げる。


 だが、それでも──そうでも言わねば、制止も聞かずに黎珠が前へ出ることが、わかっていた。

 下手に鳳炬に攻撃を仕掛ければ、返す刃で切り裂かれかねない。

 駄目だ。それだけは、絶対に避けなければならない。


 あれだけ助けられて。何度も救われて。

 自分がやらずに、誰がやるのだ。

 誰が、黎珠をまもるのだ。


 あれだけ心を占めていた憎悪が消え、かつてない決意が思考を占拠する。

 それに呼応したように、高らかに黒影が告げた。


〈我は黒影の剣。万物を死へと至らしめる宝貝ほうばいだ。今こそ全霊をもって、お前の力となろう〉

「黒影……お前、なんかあいつ倒せる必殺技とか、ないか?」


 わらにもすがる思いで問う。

 それ対する黒影の返事は、明快だった。


〈今のお前に扱えるものは、ない〉


 まあ、そうだろう。本当に何もしてこなかったのだから、仕方ない。

 諦めた矢先に、だが、と黒影は否定の言葉を続けた。


〈だが、鳳炬の技はすべて知っている。少しこちらへ、心を開けるか?〉

「心を……開く?」


 鸚鵡おうむ返しにく。

 すると説明の時間が惜しいのか、黒影は端的な指示だけを早口でまくし立てた。


〈こちらに意識を集中させろ。何も考えるな。最初は違和感があるだろうが、耐え抜け。拒むな。そのまま受け入れろ〉

「おい、意味が全然……」


 黒影に物申す間もなく、それまで静観していた鳳炬が先に動いた。


「いつまで話しているつもり? そっちが動かないなら、わたくしから行くわよ」


 言うやいなや、初手から必殺の一撃が放たれる。

 眼は迫る刃をとらえているが、いかんせん身体からだが追い付かない。

 全快なら手の打ちようもあっただろうが、今は無理だ。


 ──くそッ、どうにでもなりやがれ! 死んだら化けて祟ってやる!


 なかばやけっぱちで、黒影の指示通り、頭をからにする。

 傷が酷くて、考えるのも億劫だったところだ。丁度いい。

 まぶたを閉じ、黒影を握る手に意識を集中する。

 拒むなと言われたので、ついでに肩の力も抜いてみる。

 すると唐突に、()()は訪れた。


 ぞわり、と腕を這い上がる悪寒。

 冷たいような、温かいような未知の感触に、戦慄する。

 誰に教わるともなく、『これ』が異物であると認識する。

 抵抗せず身をゆだねれば、すべてを持って行かれると理解する。


 すべて──己の、すべて。

 当たり前のように自分のものだったものが、自分でなくなる感覚。

 眼も、耳も、鼻も、口も、手足も、一切合切が。

 爪先から髪の一筋に至るまで、さらには意識までも、自分を構成するすべてが奪われてしまう。


〈──受け入れよ〉


 唐突に黒影の声がした。

 本能的に嫌だと、心が悲鳴を上げる。

 今すぐにでも振り払いたいと切望する。

 決して黒影に対する嫌悪ではない。

 これは命ある者の本能として、生命に組み込まれた恐怖だ。

 あらががたいそれは、死の恐怖に近いものがあるだろう。

 だがおごそかに、黒影は重ねて問いかけた。


〈黎珠殿を、救いたくはないのか?〉


 静かだが、それはいかずちのような衝撃をもたらす言葉だった。

 本能を理性が制するのに、充分な言葉だった。


 ──ああ、そうだった。


 おれが、黎珠を助けねぇと。

 おれ以外の誰が、あのお人好しを護るんだ。

 母さんは助けられなかった。

 だから今度は──今度こそ必ず、黎珠をまもる。

 護って、みせる。


 ──よし。来やがれ、黒影。

 ──自分おれの一つや二つ、てめえにくれてやる。


 軽口を叩く余裕すら生まれる。

 永遠のような、刹那せつなとき

 どこかとても近いところで、黒影が笑う声がした。


〈心得た、我が主よ〉


 機は熟した。

 いざ、怨敵おんてきを討ち滅ぼさん。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ