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 ――そして物語は、新たなかたへ。






 間一髪のところで駆けつけ、鳳炬ホウキョ大刀だいとうを払う。


「無事か⁉ 黎珠!」


 名を呼ぶと、黎珠は泣きそうな笑顔を浮かべて、こちらを見た。

 勝手な行動について文句を言おうと思っていたのに、こんな顔を見せられてしまうと、言葉が消えてしまう。

 ほだされてるなと思いつつ駆け寄ると、腕にぐったりとした李をかかえ、黎珠は声を上げた。


「北嶽様!」

「危なかったな。李は大丈夫か?」

「ご安心を。気を失っているだけです」


 床にへたり込んだ黎珠に問うと、表情と裏腹にしっかりした回答が返ってくる。

 黎珠自身にも、特に怪我はないようだ。


 ほっと胸を撫で下ろしてから、視線を鳳炬へと移す。

 すると、手元で黒影が愕然がくぜんとした呟きを漏らした。


〈あれは、獅青シセイの槍……何故、鳳炬が……〉

「槍? あれは大刀だいとうだろ?」


 たずねると、黒影はけわしい声で獅青について語った。


宝具ほうばいは持ち主に合わせ、多少変化するのだ。獅青の槍ならば、長柄武器ながえぶきの枠内で変わる。先の東嶽は、大刀のつかい手だったからな〉

「獅青がだんまりってことは、あの、あからさまにに書かれてるやつが西嶽が言ってた封印か?」

〈恐らくは〉


 黒影の応答を聞きながら、大刀にべっとりとあかく記された文字を凝視する。


 あれで獅青を黙らせ所持しているということは、毒事件だけでなく、東嶽殺しもこの女で確定だろう。東嶽を殺害したあと、理由は不明だが己を殺そうと毒を盛り、西嶽の手に見せかけ、最後は李に罪を着せようとしたのだ。


 鳳炬は、汚物でも見るような眼をこちらに向けると、吐き捨てるように言った。


「ちっ、死に損ないが」


 並々ならぬ怨念を感じるが、この女とは、さして面識がない。

 過去に手酷く振ったことでもあればわかるが、鳳炬とは特に接点もなく、関係を持ったこともない。どこで殺されるほどの恨みを買ったか不明だ。


 単に自分が憶えてないだけかもしれないが、李や黎珠に危害を加えようとした時点で、もはや厳罰対象である。


「黙れ、牛乳女うしちちおんな。てめえがすべての元凶か」


 黒影を構え、鳳炬に負けじとさげすみを込めて告げると、当てつけのような溜息ためいき寄越よこされた。


「相も変わらず、下品な小僧だこと。育て親の程度が知れるわね」

「んだと、このアマッ!」


 身を乗り出しかけたところを、後ろから黎珠に制される。

 冷静な様子で、黎珠は静かに鳳炬を見つめたまま口を開いた。


「いけません、北嶽様。ここはご辛抱ください」


 経験上、こういった場面では圧倒的に黎珠の言うことが正しい。

 と言うか、今までさんざっぱら助言を聞かずに下手を打ってきている。短気にまかせて、鳳炬の挑発に乗るべきではないだろう。

 仕方なく黎珠に従って身を引き、対峙する鳳炬を睨みつけた。


「ちッ。鳳炬、お前は玄州の法にかけて裁く。よっぽど上手い言い訳でもなけりゃ極刑だ。覚悟しておけ、あばずれ女」

「ふん、身のほども知らぬ小童こわっぱが。お飾りの北嶽の癖に、大層な口を叩くこと」


 唇に尊大な笑みを刻むと、鳳炬はどこか陶酔したように瞳を伏せた。


「ああ、本当に。お前は存在からして害虫以下ね。何故、こんなものがこの世にあるのかしら? ああ、そうだわぁ。獅青もあることだし、お前、今ここで死んで頂戴な? わたくしが手伝ってあげる」

「うわ。駄目だ、黎珠。こいつ完全に頭がイッてる」


 正直な感想が口をついて出た。

 明らかに挙動のおかしい鳳炬にどん引きする。かたわらを見ると、根の優しい黎珠はかなしげに眉尻を下げ、視線を床に落とした。


 しかし、それでも鳳炬の恨みごとは止まらない。


「ああ、どうしてお前のような愚物ぐぶつが存在するのかしら。美しいのは見てくれだけ。中身は犬畜生にも劣る」

〈鳳炬……〉


 同情からか、黒影がいたたまれない様子で呟く。

 が、当然向こうに変化はない。


 この手合いの女は厄介なんだよな、と内心げんなりしつつ、横に立つ黎珠に話しかけた。


「あー……なんか、あいつと話すの疲れてきた。黎珠、外出て誰か適当に呼んでくれ。ここにいること、まだ誰にも言ってねぇんだよ」


 その要請に黎珠が応えるよりも、耳障りな声で鳳炬が喋る方が早かった。


 これからの戦闘に備えてだろう。自身の長袍ちょうほうすそを裂き、白い太腿ふとももあらわにして、鳳炬は朗々と告げた。


「さあ。剣を抜きなさい、北嶽。わたくしと殺し合いましょう?」

「やなこった。誰がお前みたいな気狂きちがい女と──」

「お前にも『母親と同じ末路』を辿たどらせてやるわ」


 こちらをさえぎった鳳炬の台詞に、思考が止まった。

 その意味を推察すると同時に、心臓が凍てつくような感覚におちいる。


 ──いま、この女は、なんと言った?


「お前、今なんつった?」

「母親と同じ末路、と言ったのよ?」


 鳳炬は平然と言ってのける。

 脳裏で、過去のとある光景が明滅した。

 幼い自分が必死の形相で、雪林をひた走る姿だ。


 確信となりつつある予感に、呼吸が乱れる。

 どくどくと鼓動が速まっていく。

 耳鳴りがうるさい。

 狭まる視界の中、かろうじて絞り出した声で、鳳炬にたずねた。


「お前は、母さんを知ってるのか? おれの母親が、どんな死に方をしたか――」

「ええ、勿論。天武兄様をたぶらかした売女ばいたの顔を、わたくしが忘れると思って?」

売女ばいただと……?」


 にいっ、と鳳炬は醜悪にわらいかける。

 こちらの問いには答えず、ただ、過去を回想するようにその女は語った。


「この世の者とは思えぬほど、美しい女だったわ。はらわたが煮えくり返るほど、見てくれだけは完璧な女だった。お前は本当に、あの女と瓜二つだこと。……兄様の、面影すらない」


 ──母さん、と声を張り上げながら。

 凍傷寸前の真っ赤な手足で、雪の降り積もった林を駆ける少年。

 貧しく、いつも腹を空かせて、棒切れのように細った体躯たいく

 あの頃の──自分。


「ねえ、わたくしがどれほどあの女が憎かったかわかる? どれほどあの女がねたましかったか、わかる? あの女は、わたくしが咽喉のどから手が出るほど欲しかったものを、なんの苦労もなく全部をさらっていったのよ?」


 ──ほう? それがどうした?


「『考えよう』って、言ってくれたの。何年も何年も焦がれて、想い続けて、ようやく。次、武邑に戻ったら、真剣に考えてくれるって。なのにあの女は、あとから出てきて、一瞬でわたくしから兄様を奪った。わたくしには、兄様しかいなかったのに! 兄様がわたくしのすべてだったのに‼」


 ――へえ? それで?


「お前を初めて見たときの、わたくしの衝撃がわかる? 子を産めぬ身体からだの、わたくしの眼の前に――お前が現れたときのわたくしの憎悪が、わかるかしら?」


 ――知るか、そんなこと。問題はそこじゃない。


「じゃあ、お前は……おれの母さんの最期さいごを、知っているか?」


 その、問いに。

 不愉快にも、鳳炬は実にたのしげに頷いてみせた。


「ええ、死に様すら絵になる美しさだったわ。わたくしが殺すはずだったのに、コウエンに先を越されてしまったの。だから――」


 息を継ぎ、言葉を切る。

 愉悦のにじ艶笑えんしょうとともに、女は、言った。


「だから、あの美しいかんばせを、二目と見れない顔にしてやったわッ‼」

「お前かぁぁぁぁぁぁぁッ‼」


 咆哮ほうこうは、昔、母の亡骸(なきがら)を眼にしたときの絶叫と重なった。


 絶句する黒影と黎珠を置いて、床を蹴り上げる。

 鳳炬の脳天に振り下ろした黒影の剣は、獅青のつかによってはばまれた。


「殺すッ! 殺してやる! お前も母さんと同じ目に遭わせてやるッ‼」

「両眼を潰して、鼻を砕いて、眼鼻の判別もできないほど? およそ、人の顔とは思えぬほど醜悪にッ」

「貴ッ様ぁぁぁぁぁぁぁッ‼」


 わらいながら告げる鳳炬に、爆発的な殺意がほとばしる。

 つかを持つ手に力を込めた矢先、黒影の声が耳に届いた。


〈いかん! 怒りを鎮めろ。このままでは――〉

「死ねぇぇぇぇぇぇぇッ‼」


 黒影に構わず、渾身の力で押し切る。

 その意図を察したように、鳳炬は獅青のつか(かたむ)けた。

 黒影の剣身けんしんが滑り、絡め取られると同時に、つかによる打撃が右肩を襲う。


「痛ぅッ!」


 反射的に後退し、威力を減退させたが、攻撃はこれで終わりではない。

 見計らったように獅青の片刃がきらめき、追撃が鼻先に迫る。

 斬撃は刹那せつなの差で、刃が頸筋くびすじをかすめて、宙を斬った。


 さらに背後に跳躍し、獅青の槍の間合いを離脱する。

 そこで、ようやく先ほどの死の恐怖が胸に去来した。

 烈火の怒りが、つかの間消え去るほどに、鳳炬の斬撃はきわどかった。


〈鳳炬の得手は大刀だいとうだ。剣のお前は分が悪い。その上、あれは宝具ほうばいだ〉


 すぐさま黒影が忠言する。

 大刀と剣では、攻撃範囲が違う。

 間合いの長さは、そのまま有利不利の差に繋がる。

 呼応するように、鳳炬はその視線を黒影に注いだ。


「すべてをち、すべてを滅す、黒影の剣。武器形状の宝具ほうばいを持ってて良かったわぁ。ほかのじゃ、槍ごと分断されかねないもの」

〈獅青の能力ちからつかえんのが、せめてもの救いか〉


 黒影は呟くが、知ったことではない。


「御託はいい! おれはあいつを殺す! ぶっ殺してやる‼」


 今度は油断しない。

 確実に仕留めてみせる。

 再び黒影を構え直すと、その腕を横から黎珠がつかんだ。


「落ち着いてください、北嶽様。このままでは、北嶽様まで憎しみの連鎖に呑まれてしまいます」

うるさい! お前は黙ってろ! 親も知らない奴が、口出しすんな!」


 乱暴に黎珠の手を振り払うと、黒影が非難の声を上げた。


〈お前! その言葉はあまりにも――〉

「あらあら、内輪もめ? いいわねぇ、はたで見ていて、無様で最高」


 節操もなく毒を吐き続ける鳳炬には、同じく毒の応酬で返した。


「心配すんな。すぐにお前も無様な格好にしてやるよ。あの世で糞親父くそおやじに顔合わせらんねぇくらいにな!」

「まあ、大きく出たこと。技量も経験もおつむも足りないお前に、兄様仕込みのわたくしの刃をさばけると思って?」

「へぇ、そりゃ安心だ! あの糞親父くそおやじの手ほどきなら、どーせ大したことねぇだろうからよ!」

「天武兄様を侮辱するなッ!」


 突如、声色こわいろを変えて鳳炬は怒鳴る。

 そして一分の隙もなく獅青を構えると、低く宣言し、地を蹴った。


「行くぞ、小童こわっぱ


 瞬間、先ほどとは比べものにならぬ速度で、間合いが詰められる。

 反応しきれぬまま、疾風と呼ぶに相応しい打突が繰り出された。

 この間合いでは、かわし切れない。


 ──避けられないなら、弾くまでだ。


 閃光のような決断は、もはや本能に近い。

 疾風を凌駕し、神速と呼べる速さで剣を振るう。

 確かな手応えとともに、獅青は逸れる。

 目論もくろみ通りだ。


 ──よし、防いだ。


 口角を上げた瞬間、()()は唸りを上げた。

 防いだはずの打突は横薙ぎの払いへと変化し、第二撃が迫る。

 またもや完全には避けきれず、衝撃を腹に受け、背後の壁に激突した。


「かはッ!」

「北嶽様!」


 黎珠がこちらに駆け寄り、ずり落ちた身体からだを起こそうとする。

 それを、鳳炬は聞くに堪えぬ高笑いとともに睥睨へいげいした。


「あははははははははははッ! ざまあないわね、惰弱な餓鬼が! 努力を怠り、天から授かった才に胡坐あぐらをかいた結果が、これよ」

はやるな、落ち着け! 大刀の真価が発揮されるのは、突きではない。『払い』にこそあるのだ。強く弾けば、返す刃で腹を裂かれかねんぞ?〉


 黎珠に助け起こされる間も、黒影はくどくどと説教を垂れる。

 それをね退けるように、血の滲んだ唾液を吐いて言った。


「うっせえッ!」


 そして、改めて鳳炬をめつける。

 払いについては、今、身をもって知った。

 あと、わずかでも反転が遅れれば、黒影の言う通り腹を裂かれていただろう。忌々しい。


「怪力女が! くそッ! あばらが何本かイった」

〈鳳炬を女とあなどるな。単純な力量は、お前を凌ぐぞ。あの娘は千年に一度と言われた、長器の申し子だ。その技巧は他の追随を許さん。大刀の名手、今は亡き東嶽ですら、その多彩な槍術には手を焼いたほどだ〉

「は! それがどうした? おれは万年に一度って言われたぜ?」


 軽口を叩くと、黒影は叱り飛ばすように声を荒げた。


〈たわけ! 己を過信するでないわ! 良いか? お前にあるのは、その化け物じみた身体能力のみ、天賦てんぷの才のみだ! そして、努力のともなわぬ才は、真の強者の前で必ず敗北する。……お前、このままでは鳳炬に勝てんぞ?〉

「ねえ、そろそろ再開してもいいかしら?」


 黒影の話を断つように、鳳炬が問いかける。

 それに、身体からだを支えようと寄り添う黎珠を押しのけて、言い返した。


「言われなくてもやってやるよ、怪力婆かいりきばばあ!」

「冥府に堕ちろ、愚物ぐぶつが」


 鳳炬に応じず、今度はこちらから間合いを詰める。

 大刀は槍と同じく、射程が長い。

 当然、迎撃が来る。


 避けるか、弾くか、いなすか。

 どれも却下だ。

 心臓を突かれるか、くびを落とされるか。

 予測は付かないが、とにかくそれでは死亡が確定する。


 引いてはいけない。

 ここは、()()()()()()()


 鳳炬の攻撃は、またしても刺突だ。

 突きは所詮、点の動きでしかない。

 かわすのは容易たやすいが、横に動いては薙ぎでられる。

 そうは言っても、防げば先ほどの二の舞となるのも事実。


 ならば、前へ進むのみ。

 左頬を、獅青の刃がかすめる。

 耳に逆巻く風の音を聞いた気がする。

 左肩の上を大刀が突き抜け、そして――黒影による渾身の斬撃が、鳳炬のくびから胴を切り裂いた。


 くびの血管を斬ったからだろう。

 鮮血が勢いよく吹き出し、(ほほ)に生ぬるい感触が伝わる。

 無様に床に転がった鳳炬を見下ろすと、会心の笑みで勝鬨かちどきを上げた。


「……ははッ。あははははははははははははッ! ざまあみろ、くずが!」


 蒼白となった黎珠が手で口元を覆い、その亡骸から眼を逸らす。

 でも、自分は逸らさない。

 視線を鳳炬に固定したまま、畳み掛けるように続けた。


「あの世でせいぜい悔やみやがれ! お前は、墓にだって入れねぇからな! 糞親父くそおやじと同じところへ行けると思うなよ、あばずれが‼」


 そう言って、血まみれの鳳炬を足蹴にする。

 それでも、気は治まらない。

 憎しみは消えない。

 まだ、復讐が足りないのだろうか?


 ──ああ、そうか。


 ふと思い付いて、黒影を持ち直した。

 己もまた同じことをしないと、怒りは鎮まらないだろう。

 剣先を下に向けると、意味を悟った黒影が、恐怖と怯えの混じった声を上げた。


〈よ、よせ! それだけ止めてくれ!〉

「いけません、北嶽様! それだけは、決してなりません!」


 黎珠が腕に取り付き、必死で行動を阻止しようとする。

 振ってもがんとして離れないため、ひじで叩きつけるように黎珠を振りほどいた。


「黙れ! お前におれの気持ちがわかってたまるか!」

「あぅ!」


 黎珠は苦悶の声を発し、血の広がり始めた床に身体からだを打ち付ける。

 それを無感動に見下ろし、命じるようにこう告げた。


「お前はそこで大人しくしてろ。口出しすんな」

「いいえ、口出しします! いかに、わたしに親がなかろうと、北嶽様に嫌われようとも!」


 黎珠は、なおも喰い下がってくる。

 その双眸そうぼうに強い決意を灯して、黎珠は声を張り上げた。


「亡骸をおとしめるなど、あってはならないことです! それでは、北嶽様は鳳炬様と同じです!」


 それは──その発言は、聞き捨てならない。

 ゆっくりと振り返りると、再度、黎珠にき返した。


「お前、今なんつった……?」

〈いかん! 逃げろ、黎珠殿! こやつは今、正気では――〉


 黒影が何か言いかけるが、黎珠は微動だにせず、こちらを見据えた。

 よく通る、清らかで凛とした声音こわねで、


「『鳳炬様と同じだ』と申し上げました! どう取りつくろおうとも、北嶽様がなさろうとしていることは、間違っています!」

「お前――ッ」


 かっとして黎珠に一歩踏み出したとき、黎珠の顔色がさっと変わった。

 その視線が向く先は、自分ではない。


「北嶽様!」


 その呼びかけに、反応するよりも早く──左肩を、激痛とともに衝撃が貫いた。


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