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色々と後回しになっていたが、ここで流れを時系列で整理してみよう。
一、黎珠が消えたあと、武邑を治めていた夏楠が北嶽だと判明する。
二、孝燕が豹変し、夏楠を国賊に貶め、殺害する。
三、武邑が洛邑に、層雲宮が斜陽宮に、名称変更される。
四、夏月が生まれ、その後、夏月の母も孝燕に殺害される。
五、夏月が仇討ちをし、新たな北嶽になる。黒影が代替わりする。
六、南嶽が病死し、東嶽が暗殺され、宝貝が持ち去られる。
七、西嶽が夏月の毒殺に失敗する。
八、西嶽が玄州を訪れ、視察の際に黎珠と遭遇する。
こんなところだろうか。
それにしても、凄まじい違和感があるのが孝燕だ。李の話を聞く限り、その非道ぶりは想像以上である。いったい何が彼をそこまで変え、駆り立てたのだろうか。
それに、ほかにも細かな疑問がある。
例えば、黒影。夏楠は黎珠の前で普通に黒影と話し、表面上は孝燕との仲も良好だった。聞耳を証明していたにもかかわらず、あの時点で夏楠が北嶽でなかったことは不思議だ。しかしこれは、そもそも黒影と会話できることが北嶽の証であると知らなかった可能性はある。
次に、夏楠と昔、恋仲だったという『黎珠』。彼女が何者かもわかっていない。黎珠の母と思しき黎峯が『黎珠』であればしっくりくるのだが、名が違う。それに『黎珠』は混血だ。公主である黎峯は、混血ではないだろう。ここも謎が多い。
さらに、夏楠が言っていた『天命を覆し、玄州を滅ぼす』云々も詳細は不明だ。結果的に孝燕の殺害によって阻止されたようだが、ここに孝燕を突き動かした理由があるのだろうか。この点についてはむしろ、孝燕は夏楠を容認するような発言を黎珠にしていたが……。
いずれにしろ、黎珠がもとの時代に戻り、過去を変えられれば、すべての悲劇を回避できるかもしれない。
そうすれば夏月は身売りすることもなく、李も悲惨な思いをせずに済む。夏月は雲翔のように夏楠に愛されて育ち、李は父親である孝燕に虐げられることのない、幸せな未来に転じることができるかもしれないのだ。
唯一、夏月の毒騒動が未解決なのが気がかりだが──そろそろ、もとの時代に戻る方法を探すべきだろう。そのためには、夏月と西嶽に黎宝珠の能力を打ち明けなければならないが、残念なことに現在、黎珠は両名と引き離されていた。
調印の決裂後、玄白の衆議が立て続けに入り、それに西嶽も夏月も忙殺されているのだ。当初、黎珠は夏月に随行する予定だったが、「大事な衆議に得体の知れない奴婢を参加させられない」と玄州官たちの猛反対を受け、退去させられていた。
確かに、玄州の今後を決定づける重要な会合に、奴婢の小娘を参加させようと言う方がおかしい。今までは茶席や、印を押すだけの調印の儀だったため、ぎりぎり夏月の我儘が通ったのだ。
本格的に衆議が始まると、黎珠は玄州官の手により、夏月との接触を禁じられるようになった。どうも毒騒動で目立ち過ぎたらしい。その後の西嶽との直談判も、勝手な行動として問題視されたに違いない。これ以上、黎珠を夏月の側に置くのは危険だと判断されたのだろう。
本来であれば、北嶽である夏月が命じれば、諸官はそれに従わざるを得ない。だが、夏月は実権を持たない、お飾りの北嶽だ。その権限には限界がある。
黎珠がこっそり西嶽の宮へ行くだけなら、どうにかなりそうだが……なんの前触れもなく訪れても、門前払いされるだろう。今は衆議がある。以前のように、西嶽や雲翔に取りなしてもらえるとは限らない。
もたもたしていると、西嶽が白州へ帰還してしまう。
できれば早々に話を進めたいのだが──さて、どうしたものか。
「黎珠? 大丈夫? ぼうっとして」
鳳炬に話しかけられ、黎珠は慌てて意識を現実に引き戻した。
いけない。自分は今、蓮池にある鳳炬の室で、甜点を広げて談笑していたのだった。
「す、すみません! どこまで話したのでしたっけ?」
「あとは北嶽公の命を狙った者が捕まればいいわね~、ってとこよ」
そうだった、そうだった。
黎珠は神妙な面持ちで、鳳炬に首肯して言った。
「そうですね。毒を盛った者が誰かは、依然として不明なままです」
「あら。その前の、黎珠たちを襲った賊だってまだじゃない。もしかしたら同一犯かもしれないわね」
「いえ、それはないかと……勘ですが」
断言しては怪しまれる。
仕方ないので、それとなく推理を訂正してみると、鳳炬はあっけらかんとした顔で月餅を齧った。
「えー、そお? わたくしの勘では首謀者は同一犯で、すっごい黒幕がいると思うわね。うふふ、小説の読み過ぎかしら」
「あの、鳳炬様。少しお訊きしてもいいですか?」
「ええ、もちろん。なあに?」
快く承知して、鳳炬は品良く茶を啜る。もう、以前のような見張りの兵は室内にいないので、多少は込み入った会話も可能だ。
鳳炬の好意に甘えて、黎珠は前から気になっていたことを質問した。
「仮に北嶽様が亡くなった場合、具体的にこの玄州はどうなるでしょうか?」
「そうね。次代の北嶽が定まるまで、諸官が仮朝を開いてやりくりしていくんじゃないかしら」
「残る四嶽は、西嶽公お一方となりますよね」
黎珠が言葉を継ぐと、鳳炬は真剣な表情で頷いた。
「ええ。主上がおらず、ほかの四嶽がすべて不在となれば、この国の実権を手にするのは西嶽公に──」
「その西嶽公も亡き者とされれば、どうなりますか?」
重ねて黎珠が問うと、鳳炬は虚を衝かれたように瞳を瞬かせて言った。
「え? ええっと、そうね。すぐに次の四嶽が決まればいいけど、そうでなかったら……今の政治体制では、国家を運営していくのは厳しいんじゃないかしら。富める州と病める州が混在する堯国では、統率者が消えれば、不満を抱えた民衆を押さえきれないと思うわ」
「それでは……」
「ええ。力の天秤は崩れ、国家が破綻する。最悪、堯は滅びるかもしれないわ」
「やはり、そうなりますか」
もしやと思っていたが、嫌な予想が的中してしまったかもしれない。
主上と南嶽の不在に、東嶽の暗殺、北嶽の殺害未遂と続けば、どうしても恣意的なものを感じずにはいられない。だが、そのようなことをして、誰になんの得があるだろう。どう考えても不利益しかないように思える。
もんもんと悩んでいると、黎珠が黙り込んだのを見かねてか、鳳炬は明るい声を上げた。
「で、でもね! これ、ほんとに最悪な場合の想定よ? 実際は、ここまで大変なことにはならないと思うわ。あくまで仮定、お伽噺みたいなもんよ。だってこんなことしたって、なんの意味もないじゃない?」
「はい。そうですよね」
鳳炬の気遣いに、黎珠は笑みを浮かべて返す。
しかし言葉と裏腹に、胸中ではどこか不穏なものを感じていた。
鳳炬は意味がないと否定するが、本当にそう言えるだろうか。
この世を、この国を憎悪する者など存在しないと、断言できるだろうか。
夏月の過酷な過去、李の親子の確執、孝燕の暴虐を知った今では、安易に同意することができない。黎珠の考え過ぎかもしれないが、主上や南嶽、東嶽の不在は、すべてを排除するための布石のように思えてならないのだ。
「鳳炬様、もう一つだけ聞かせてください。東嶽公は、槍の名手とうかがっています。そのような方が殺害されるのですから、これもやはり龍討師の仕業だと思いますか?」
黎珠が訊ねると、鳳炬は考えるように顎に手を添え、それに答えた。
「あー、それねぇ。わたくしも南嶽の家の出だから葬儀には出席したけど、確かにその噂はあったわ。あの方、天武兄様と互角の腕だもの。宝貝もあっただろうし、わたくしも『龍討師でないと東嶽公には勝てない』っていうのは、同意見」
夏楠と互角。それは凄まじい強さだ。
確かに龍討師でもないと、勝機はないだろう。
語り終えると、鳳炬は何かを思い出したのか、瞳を翳らせてこう呟いた。
「……あのとき、天武兄様が黒影を持っていれば。あるいは、シセイの槍さえなければ。兄様も、東嶽に勝つことができたかもしれないのにね」
「夏──天武様は、東嶽公に負けたのですか?」
黎珠が問うと、鳳炬は力なく笑ってそれを肯定した。
「そうよ。ほら、兄様は国賊として追われてたでしょう? 東嶽がそれを追って、直接対決したらしいの。それで大怪我を負って、なんとか命は助かったけど、兄様はそれが原因で、昔ほど身体を動かせなくなってしまったの。それで孝燕に──」
そう言い、金の双眸をうるませる鳳炬を見て、黎珠はすぐさま頭を下げた。
「申し訳ありません、鳳炬様!」
「ううん、平気! 気を遣わせちゃってごめんなさいね。ほかに聞きたいことはある、黎珠?」
「それでは、シセイの槍と、カイシュの指輪の字を教えていただいても?」
「お安い御用よ」
黎珠の願いに、鳳炬は片眼を瞑って応えた。
紙と筆、墨と硯を用意すると、女性らしい柔らかな文字を綴り、黎珠に見せる。
「シセイはね、こう。『獅青の槍』ね。ちなみに、宝貝の能力は幻夢。あと『戒朱の指輪』。こっちは再起ね」
「幻夢と、再起ですか」
「そう。わたくしも詳しい能力は知らないけど、そう言われてるわ。ついでに西嶽公の白亜の鏡は真理、北嶽公の黒影の剣は死絶ね。北嶽と南嶽、西嶽と東嶽で、能力は対になってるそうよ。確かに字面はそんな感じよね」
西嶽の真偽を見抜く能力に対して、東嶽は幻夢。心を偽ったり、惑わすものだろうか。そうであれば、戦闘では大いに役に立つ。あの夏楠が負けるのだから、やはり東嶽は龍討師に殺されたと考えて良さそうだ。
「ちなみに、南嶽公はご病気で間違いないのですよね? その、例えば北嶽様のように毒を守られた可能性は──」
鳳炬は朱州の公主だ。このあたりの事情は詳しいはず。
黎珠が期待して訊ねると、予想通り、鳳炬からは明確な答えが返ってきた。
「ああ、それは大丈夫。実際お会いしたことあるけど、南嶽公はもともとお身体が弱かったの。余命も宣告されてて、亡くなった時期もそれと合致してるから、そこに何かの陰謀はないと思うわよ」
では、それが引き金だったのかもしれない。
東嶽公は、その葬儀の帰りで何者かに暗殺されたのだ。
すべて黎珠の憶測でしかないが、そう疑い、用心しておくに越したことはないだろう。
「ねえ、黎珠。わたくしに何か隠し事してない?」
出し抜けに鳳炬にそう言われ、黎珠は内心どきりとしながら頭を振った。
「そ、そんなことは……ただ、少し心配で」
「心配って?」
「わたしの前の主は、天命を覆すと言っていたのです。そのためには、玄州が滅ぶのも辞さないと。少し、今回の件と関連があるような気がして」
苦し紛れの言い訳だったが、実際に口にしてみると、不気味な符合があるようにも思える。
この時代ではすでに死んでしまっている夏楠に、一連の事件を引き起こすことは不可能だが──心に重く、のしかかるものはあった。
「そう。そんなことがあったの」
沈痛な面持ちで告げた鳳炬に、黎珠は努めて明るく笑いかけた。
「でも、考えてばかりでは何も始まりません。まずは、自分のできることから一つずつ進めてみようと思います」
「ええ。応援するわ、黎珠」
互いに笑みを交わし、その後は他愛ない会話を楽しんでから、黎珠は日暮れ前に自室に戻った。
事態が急展開を迎えたのは、その夜のことだった。




