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 二名──いや四名の視線を受けながら、黎珠はゆっくりと口を開いた。


「いえ、ご心配には及びません、黒影殿」


〈なっ⁉〉

「はあ⁉ お前、今なんつった⁉」


 黒影と夏月が同時に驚きの声を発する。

 黎珠はもはや半泣きで夏月の外套がいとうすがり付いた。


「ですよね! そうでございますよね‼ でも、何故か黒影殿の声が聞こえます……ど、どうしましょう北嶽様⁉︎」


 西嶽も驚愕のまなざしで黎珠を見つめると、手元の白亜に話しかけた。


「ば、莫迦ばかな‼ 白亜、お前も何か言ってみろ!」

〈わ、わしはどうじゃ⁉ わしの声も聞こえるんか、お嬢ちゃんや⁉〉


 ばっちり聞こえている。空耳ではない。

 そろそろと黎珠は頷き返した。


「はい。聞こえております、白亜殿」

〈なんと!〉

「まさか……信じられん……」


 西嶽すら棒立ちで立ちすくむ中、いち早く復帰したのは夏月だった。

 腕を組み、宙に視線を向けながらぼそりと自問する。


「ちょっと待てよ。てことは、黎珠こいつ東嶽とうがくか、南嶽なんがくってことか?」

「ならば『シセイの槍』か、『カイシュの指輪』を所持しているはずだ」


 すかさず西嶽が異を唱える。

 この『シセイの槍』と『カイシュの指輪』が、東嶽と南嶽の宝貝ほうばいのようだ。


〈はて? どちらかがおれば、わしらに声くらいかけそうなもんじゃがの〉


 白亜が疑問をていすると、西嶽は口許くちもとに指を添え、いぶかしむように言った。


「封印をほどこされれば、宝貝おまえたちは声を出せなくなる。シセイの槍は東嶽殺害の際に持ち去られ、行方不明だ。カイシュも朱州ししゅうに保管されたものが偽物である可能性はある。真偽は聞耳を持つ、私か北嶽しか判別ができんからな。理論上は可能だが……」


 とは言え、口にした西嶽ですら疑問を拭いきれない様子だ。

 西嶽の言葉を受けて、さらに黒影が続けた。


〈シセイはともかく、朱州にゆかりもない彼女が、厳重に保管されたカイシュを手に入れることは不可能では? 朱州で何者かがすり替え、それと知らずに拾ったとでも言うなら納得できるが……そのような偶然、あるだろうか〉


 まったくもってその通りだ。

 カイシュは現実的ではない。

 しかし、黎珠はシセイにも心当たりがない。

 話を聞いた夏月は、割って入るように黎珠を指差して言った。


「そもそもこいつ、宝貝ほうばいなんか持ってねぇだろ。それとも、おれが知らねぇだけで心当たりあんのか、お前? 聞いての通り『シセイの槍』が東嶽とうがく宝貝ほうばいで、『カイシュの指輪』が南嶽なんがくの宝貝だ」


 たずねる夏月に、黎珠はふるふるとくびを左右に振る。


「まったくもって心当たりございません! シセイ殿とカイシュ殿も、初耳です」

「だよな。お前、指輪しねぇし。その服じゃ、どう考えても槍なんか隠せねぇだろうし」


 そう、黎珠は一度、夏月が指輪を下賜かししようとしたのを断っている。槍など隠そうものなら、低身長の黎珠では服からはみ出すだろう。


 本当に、意味がわからない。

 これには、さしもの西嶽も混乱した様子で呟いた。


「いったい、どういうことだ? 何故、宝貝も持たん人の娘に、聞耳が……」

「神サマの手違いなんじゃねぇの?」

〈なわけあるか! けが!〉


 夏月がけろりとした顔で言い、黒影が高速で突っ込む。

 その光景を微笑ましく思いつつ、事態に戸惑(とまど)っていると、夏月は黎珠に話を振った。


今朝(けさ)はお前、声聞こえなかったよな? 聞こえたの今さっきだろ?」

「はい。朝は聞こえておりませんでした」

「おれたちは、宝貝ほうばいと引き離されると聞耳ききみみの力を失う。朝はなくて、今あるものとかねぇか?」

「朝はなく、今あるもの──」


 そう言われると、心当たりは一つあった。

 西嶽との対決直前、「兵から没収した」と言って、夏月が黎珠に返してくれたものだ。


「こ、こちらでしょうか?」


 ふところから黎宝珠の頸飾くびかざりを引き出すと、黎珠はその場の全員に見えるようにかかげ持った。


 ──しゃらん、と。

 黎宝珠の独特な、すずやかな音色が室内に響く。


「なっ──それは、黎宝珠‼」


 西嶽が、驚愕の声を上げる。

 黒影と白亜も、同時に息を呑む音が耳に届いた。

 ただ一名、夏月だけが、のんびりとした口調で頭を掻いた。


「あー、それな。確かにさっき、おれがやったやつだ」

「北嶽っ! お前、これをどこで手に入れた⁉」


 突然の西嶽の剣幕に身を仰け反らせつつ、夏月は答えた。


「いや、これはそもそも黎珠のもんで……兵に取り上げられたのを、おれが返してやっただけだ」

「レイジュ?」

「こいつの名前。前の主の趣味で、玉音で名付けたんだと」


 黎珠をあごで示し、かいつまんで説明する。

 それを聞き、はっと何かに気づいたように黒影が声を震わせた。


〈そうか、レイジュ──なんということだ、失念していた! 西嶽公、彼女はレイ公主様の御子みこでは⁉〉

「レーコーシュ?」


 棒読みで繰り返す夏月を無視し、西嶽はずかずかと黎珠に近づくと、両手で挟み込むようにほほを挟んだ。そのままぐっと黎珠に顔を近づける。

 至近距離で見る西嶽の端正な顔立ちに、黎珠は思わず赤面した。


「はえ⁉」

「おい!」


 怒気を放つ夏月に見向きもせず、西嶽は早口でこう告げた。


「私は眼が悪い。すまんが、よく顔を見せてくれ」


 眼鏡をかけても、この距離でないとえないということは、相当眼が悪いらしい。

 鼻息がかからないように細く呼吸していると、やがて納得したのか、西嶽は身体からだを離しながら言った。


「……似ている。確かに面影おもかげがある。だが、その瞳の色は──」

〈公主様は、に下ることを余儀なくされておられた。その折に、と考えれば説明が付くのでは? 西嶽公〉

「確かに」


 黒影が言葉を継ぎ、それに西嶽が深くうなずく。

 改めて黎珠を見ると、西嶽は静かにたずねた。


「レイジュのレイは、黎明の黎。違うか?」

「いえ、おっしゃる通りでございます。黎明の黎に宝珠の珠で、黎珠と申します」


 何故わかったのか不思議に思いながらも、黎珠は肯定する。

 すると、白亜が呆然とした様子で声を漏らした。


〈なんということじゃ……そういうことであったか……〉

「なんだなんだ? 何があったんだ?」


 割って入るように夏月が疑問を口にする。

 黎珠と夏月だけが、事情を飲み込めていないようだ。

 しかし、周囲の見る眼が明らかに変わったことは、肌に感じている。

 なんとはなしに怖いものを感じながら──黎珠は、おずおずと問いかけた。


「あのう……黎宝珠の頸飾くびかざりは、宝貝ほうばいだったのでしょうか……?」


 すると、西嶽は口調を正して黎珠に語りかけた。


「黎宝珠は、ただの宝貝ではございません。神の御物みぶつ、『天宝貝てんほうばい』です。これは口をきません」

天宝貝てんほうばい……」


 憶えがある。

 あれは確か、川辺で西嶽に堯国のことを教えてもらったとき、聞いた単語だ。あのとき、彼は黎珠になんと言ったか。


 ──我が国の皇帝陛下は、『天宝貝てんほうばい』という特殊な宝貝をお持ちだ。玉座は天宝貝とともに、世襲によって継承される。


 ()()()()

 さあっと頭から血の気が引いてゆく。

 絶句したまま黎珠が凍り付いていると、西嶽はうやうやしく頭を下げて、こう続けた。


「黎珠様、いや、黎公主れいこうしゅ様。御身おんみは堯国皇家直系の血を引く、最後の御一方おひとかたでございます」


 そして西嶽のげんを引き継ぐように、白亜が告げる。


〈左様。公主様は先の謀反むほんの折、行方知れずとなっていらした御母君──黎明のみねと書いて、『黎峯れいほう様』の御子みこであらせられる。恐らくは玄州の何処いずかにひそみ、人の男と結ばれ、公主様をお産みあそばしたのでしょう〉


 最後は黒影が、話を締めくくった。


〈そして迫る追手から幼い公主様を逃がすため、手放さざるを得なかったのでは、と愚考いたします〉


 だから、黎珠の瞳はあかい。

 父の血を引くので、龍脈がえた。

 母の血も引くので、人一倍健康で、宝貝ほうばいの声も聞こえた。

 だからこそ、黎珠は獄法山で、夏楠カナンに救い出されたのだ。


 それを裏付けるように、西嶽が夏楠についての推察を口にした。


「推測ですが、例の偽者はなんらかの手段で黎宝珠を手に入れ、公主様の出自を知ったのでしょう。だからこそ獄法山へおもむき、公主様をお救い申し上げた。そして、黎宝珠をいずれお返ししようと保持していた──そう考えれば、筋が通ります」


 そこまで言うと、がらりと口調を平素のものに戻し、苦笑した。


「いやあ、おかしいとは思っていたんだ。十年以上白罌粟(しらげし)に毒されていた人間が、短期間でこれほどの思考力を得られるはずないからね。だが、混血ならその限りではない。ほぼ、龍と同じ頑健さを得られるからな」


 ずっと無言を通してきた夏月は、この衝撃の事実にも顔色を変えることはなかった。

 へえ、と。まるで明日の天気でもくように、


「てことは、つまり、黎珠が主上しゅじょうってことか?」


 夏月のとどめの一撃を受け、黎珠は恐怖の雄叫おたけびを上げた。


「ひいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ‼」


 音を立てて後ずさり、壁に背中を打ち付けて、黎珠は必死の抵抗を試みた。


「う、う、嘘です嘘です嘘です! そその、何かの間違いではあありませんか⁉」

「でも、現に宝貝こいつらの声が聞こえてっからな。シセイもカイシュも持ってねぇし、こりゃ確定だろ」


 さらりと夏月は答えると、途中で何かに思い当たったように、黒影にたずねた。


「ん? てことは、黎珠が話したっつってた黒影は、お前じゃなくて糞親父くそおやじが持ってた先代の方なんじゃねぇ?」

「先代?」


 黎珠が呟くと、黒影は「やれやれ」といった調子で夏月に告げた。


〈阿呆ぬかせ。先代との代替わりは二十年前のことだぞ? その頃、公主様は生まれておらん。いても赤子だ。としが合わんだろうが〉

「それもそうか。じゃ、やっぱ黎珠が聞いたやつは黒影おまえ偽物にせもんだな」

「そ、そういうことでしたか……」


 床に両手と膝をつき、黎珠はがっくりと項垂れる。

 黎珠が話したのは『夏楠の黒影』だ。『夏月の黒影』は、黎珠を知る由もない。相手は得体の知れない龍討師なのだから、静観せいかんして当然である。むしろ、積極的に排除を進言しなかったことに感謝すべきだろう。


 黒影との会話が落ち着くと、西嶽はその場でひざまずき、黎珠にこうべを垂れた。


「本日に至るまでの数々のご無礼、誠に申し訳ございません。ひらにご容赦くださいませ、黎公主様。……北嶽!」

「あ?」


 西嶽に呼ばれ、夏月は立ったまま問い返す。

 すると西嶽が何か言う前に、黒影が声を発した。


が高い。あたまを下げんか〉


 厳しい口調でたしなめられる。

 普段なら、ここでいさかいの一つも起こりそうな状況だ。

 しかし、驚くことに夏月は反抗もせずに、すんなりと黎珠の前でひざを折った。


「色々、すいませんでした」

「ひぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」


 もう恐怖、恐怖だ。恐怖でしかない。

 黎珠は床に突っ伏すように這いつくばると、ひざまずいた北西嶽に懇願した。


「やめてくださいやめてくださいッ‼ お二方とも顔! 顔をお上げになって、立ち上がってください! わわわたしは、そのように頭を下げていただくような者ではございませんーッ‼」


 涙声で訴えるも、西嶽は晴れやかな笑顔でこう言った。


「何をおっしゃいますか、黎公主様。先ほどの詰問きつもん、この西嶽めを完膚なきまでに下されたではございませんか」

「あれはまぐれです!」

「ご謙遜を」


 一方、夏月は頭を起こすと、床に両膝りょうひざをついたまま、ぼそりと呟いた。


「おれ、これから黎珠には敬語なんだよな? 敬語ってあんま使ったことねぇからわかんねぇんだよなー。妓楼ぎろうじゃ無口で通してたし」

〈黎公主様と呼ばんか! 黎公主様と!〉


 叱り飛ばす黒影に、黎珠は即座に告げた。


「いえ! ぜひとも普通に! 黎珠でお願いします‼」


 この上、夏月にまで公主扱いされたら、気がれてしまう。

 決死の形相で頼み込んでいると、西嶽は表情を曇らせて黎珠に話しかけた。


「その件なのですが、公主様。この上、大変申し上げにくいことなのですが……今しばらく官奴婢かんぬひのまま、ご辛抱いただけないでしょうか?」

「ぜひともその方向で‼」


 即答した黎珠を見て微笑ほほえむ西嶽とは対称的に、夏月は不満げな声を上げた。


「なんでだよ? 黎珠は次の主上だろ? だったらさっさと公表して、もっと主上っぽい暮らしをするもんじゃねぇのかよ?」

〈せめて黎珠様と言わんか! たわけが!〉


 それぞれ主張する夏月と黒影に、黎珠は冷や汗を垂らして呼びかけた。


「い、いえ北嶽様、黒影殿。お気持ちはありがたいのですが、わたしは奴婢ぬひのままで構いませんので。どうかそのままで、ここは一つ」


 しかし、黎珠の発言は無視されたまま、西嶽は夏月に答えた。


「私とてそうしたいのは山々だが、今、名乗りを上げるのは危険だ。公主様のお命が危うくなる」

「なんだって?」


 訊き返す夏月には、白亜が理由を語った。


〈そもそも、母君の黎峯様が追われる身となったのは、『おなごが次代の主上に選ばれた』ことが発端だったんじゃよ。それ故、黎峯様は兄君と対立することになってしまわれたのじゃ〉


 黎珠に視線を戻すと、白亜に続けて西嶽は告げた。


「白亜の言った通り、恥ずかしながら我が国は男尊女卑の傾向が強く、女帝を受け入れるだけの寛容かんようさがございません。ましてや、公主様は人の血も引いておられる。現状では頭の固い保守派の連中に、お命を狙われかねません」

〈状況が落ち着くまでは、北嶽の奴婢ぬひのままが良うございましょう〉


 白亜の言葉を聞き、夏月は小さく声を漏らした。


「じゃあ、黎珠は──」

「今まで通り、北嶽様にお仕えできるのですね?」


 嬉しさに声を弾ませて、黎珠が問う。

 瞠目どうもくする夏月とご満悦の黎珠を見て、西嶽は可笑おかしそうに笑った。


「それは表向きのこと。これよりは、北嶽が公主様にお仕えするのです」


 言ってから「ああ、いや」と前言を撤回する。


「しかし玄州は今、情勢が不安定だ。ここは一つ、公主様は我が白州にいらしてはいかがでしょうか? 何一つ不自由のない、快適な暮らしをお約束いたします。そうだ、息子のお付きということではいかがでしょう?」

〈左様、左様! 公主様、是非とも我が白州に!〉


 白亜が西嶽と合わせて歓迎する。

 確かに雲翔付きの奴婢ぬひとなれば、快適な暮らしは間違いないだろう。雲翔はきっと良いあるじになるし、将来は良い西嶽になる。

 しかしだからこそ、彼に黎珠は不要だ。


「そうですね。わたしは北嶽様にご迷惑ばかりかけてきましたから、白州へ行った方が良いのかもしれません。雲将軍なら、良くしてくださるでしょうし」


 けれど、と否定の語尾を繋げようとした黎珠は、


「駄目だ‼」


 物凄い速さで割り込んだ夏月に、言葉を遮られた。

 それに芝居がかった仕草でくびかしげ、西嶽は問う。


「何故だ? 玄州より白州が安全なのは、火を見るよりも明らかだろう?」

「駄目なもんは駄目なんだよ!」


 押し通す夏月に溜息ためいきをつき、黒影は黎珠にたずねた。


〈論理もへったくれもない物言いだな。かように、どこぞの莫迦ばかは駄々をこねておりますが。公主様、いかがなさいますか?〉

「わたしは、北嶽様がお嫌でなければ、玄州に──」


 黎珠が言い終わる前に夏月は立ち上がると、黎珠の手を取ってきびすを返した。


「よし、玄州だな‼ じゃあ帰るぞ、黎珠! あばよ西嶽!」

「せ、西嶽公! それでは失礼いたします!」


 夏月に引きずられるようにして西嶽に退室を告げると、扉を開いた先には雲翔が廊下に座して待っていた。黎珠たちに気づいて立ち上がると、雲翔は横に置いた大ぶりのかごを手に取った。


「今夜は冷えますので、温かい茶と夜食をご用意しました。娘、これを」


 格下の雲翔が、夏月に直接、物を渡すわけにはいかない。

 そのため、黎珠にかごを手渡そうとしたわけだが──その雲翔の手を、夏月はぴしゃりと払い除けた。


「いらねぇよ!」

「左様でございましたか。差し出がましいことをし、申し訳ありません」


 気分を害したふうもなく謝罪する雲翔を見て、黒影はくぐもった声を発した。


〈み、見苦しい……もはや、格の違いは歴然だな……〉

「黙ってろ!」

「はい」


 雲翔に、宝貝ほうばいである黒影の声は聞こえない。

 不条理な夏月の台詞せりふにも、雲翔は身を低くして一歩下がった。


「ま、待ってください、北嶽様!」


 言いながら夏月の手をくと、黎珠は肩にかかった白い羽織を取り、雲翔に差し出した。


「雲将軍、羽織をお返しいたします」

「いや、それは持っていって構わない。帰りが冷えるだろう」

「でしたら、後日洗濯してお返し──ッ?」


 言いかけたところで、夏月に羽織を取り上げられる。

 手にしたそれを雲翔の胸に押し付けるようにして、夏月は羽織を返却した。


「返すッ‼」

「は、はい……」


 夏月の様子にたじろぎながら、雲翔は羽織を受け取る。

 夏月は勢いをつけて黎珠に振り返ると、自身の着ていた黒の羽織を脱ぎ、ばさりと頭からかぶせた。


「お前は! おれの着てろッ!」

「あ、ありがとうございます……」


 よくわからないが、夏月はいたくご機嫌斜めのようだ。

 そうでなくとも今日は色々あったので、疲れが出たのかもしれない。多少、苛々(いらいら)してしまっても仕方ないだろう。


〈ああ、痛々しい。あまりの痛々しさに、涙が出そうだ……〉

「だ・か・ら、お前は黙ってろー‼」


 ──その夜。

 黒影に放った夏月の怒声は、かみなりのように宮中に響き渡ったらしい。耳にした者は、いったい何事かと空を仰いだそうな。


「ちえ。雲とくっつけようと思ったのにー」

〈馬に蹴り殺されても知らんぞ?〉


 西嶽と白亜やり取りが、聞こえたような、聞こえなかったような。


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