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 夕餉ゆうげを終えて最終確認を済ませると、黎珠は夏月に一礼した。


「では、よろしくお願いいたします。北嶽様」

「ああ、行ってこい」


 夏月に見送られて黎珠がへやを出ると、何かがぽすっと腹に当たる。目線を下げると、見慣れた李の頭が見えた。

 意識していなかったが、緊張で彼の気配を見逃したようだ。


「すみません、李君。前方不注意でした」


 黎珠はすぐに謝ったが、李はこちらを見るなり瞳を輝かせ、背後の夏月へと駆けて行く。何事かと眼で追うと、李は手にした小箱を夏月に渡し、指で黎珠を示した。

 漆塗りの小箱を受け取った夏月は、「あ」と何か思い出したように声を上げ、黎珠を呼んだ。


「そっか忘れてた。黎珠、ちょっとこっちこい」

「はい。いかがなさいましたか?」

「ほれ」


 夏月は言うと、小箱から美しい頸飾くびかざりを取り出し、黎珠に手渡した。

 しゃら、という独特な音色と、先端に吊り下げられた豪奢な黄金きんの飾りは、忘れもしない──黎宝珠の頸飾くびかざりだ。


「北嶽様、これは……」

「前に庭で莫迦ばか騒ぎしてた兵から、おれが没収したやつだ。それ、お前のなんだろ?」

「はい……はい、そうです。良かった……もう、見つからないかと思っていました。ありがとうございます、北嶽様。なんと御礼申し上げれば良いか……」


 黎宝珠を胸に抱き、眼に涙をためて礼を口にする。

 そんな黎珠を見て、夏月は満足げな表情を浮かべ、かぶりを振った。


「礼なんかいい。でも、よっぽど大切なもんだったんだな、それ。親の形見かなんかか?」

「いえ。これは、前のあるじが大事にしていたもので……あとで必ずお返しせねばと思っていました。彼、この頸飾くびかざりを、とても大切にしていたんです」

「……へーえ」

「本当に、本当に良かった……」


 そう言い、黎珠が両手で頸飾りを抱きしめていると、そでをくいっと下に引かれた。見れば、李が横を指差している。指し示す方角を視線でたどると、最後に夏月の仏頂面に到達した。


 これは……駄目なアレだ。見ればわかる。

 また、何かやってしまったらしい。

 身構える黎珠をにらみつつ、夏月は不機嫌な低い声を発した。


「前の主って、お前を騙してた偽者にせもんだろ。なんで、まだ執心してんだよ?」

「いえ、その。それでも彼が、わたしに良くしてくれたのは事実なので……」

「お前の、今の、あるじは、誰だ?」


 一言づつ、強調して区切りながら夏月は問う。

 黎珠はぴんと背筋を伸ばし、即答した。


「無論、北嶽様でございます!」

「そうだ。お前は今、おれのなんだからな。そこんとこ忘れんなよ」

「はい! 肝に銘じます!」


 こくこく黎珠が頷くと、ようやく夏月の機嫌は上昇したらしい。

 腕を組み、仁王立ちで黎珠を送り出した。


「よし。じゃあ行ってこい」

「はい。行ってまいります」


 黎宝珠の頸飾りをふところに隠し、黎珠は西嶽の宮へ向かった。





ね。北嶽公の官奴婢かんぬひと言えど、かような状況で我が公を会わすわけにはゆかん」


 そうして西嶽の謁見に訪れた黎珠は、けんもほろろに追い返されていた。

 雲翔がおらず、白州官に取次を頼んだのがまずかったようだが、ここで引き返すわけにもいかない。

 黎珠は再度頭を下げ、白州官に喰い下がった。


「しかし、これは西嶽公直々のお達しで──」

「ならぬ。公には身共みどもから事情をご説明する。今宵は立ち去るがよい」


 言い終える前に断られてしまう。

 これは想定外だ。どうしたものかと黎珠が途方に暮れていると、奥の回廊から大柄な影が現れ、白州官に割って入った。


「ここにいたか、娘」

「雲将軍!」

「若様!」


 白州官と黎珠、呼びかけが見事に重なる。

 雲翔は地べたにひざまずく黎珠を一瞥いちべつすると、白州官に静かな声で告げた。


「構わん、通せ。この娘の来訪は私も公に聞いている」


 普段、真っ先に反対する雲翔が、承諾するとは思わなかったのだろう。

 驚きつつも、白州官は雲翔に詰め寄って言った。


「しかし若様。このようなよいに、改心したとは言え、若様に傷を負わせた無法者を謁見させるなど……日を改めてはいかがですか?」

「明日以降は、白州の帰還まで予定が詰まっている。武器を所持していないことは確認したのだろう?」

「それは無論、確認いたしましたが……」


 雲翔の指摘にも、白州官は難色を示す。

 どうやら、西嶽の滞在日数は残り少ないようだ。玄州で立て続けに事件があり不穏な中、白州をからにしておくのは得策ではない。玄州には西嶽だけでなく、嫡子の雲翔もいる。白州官としては一刻も早く帰りたいに違いない。


 とは言え今回、調印が白紙に戻ったことで、それにともなう話し合いをある程度進めておきたいのも事実だろう。帰還後、使者を介したやり取りでは時間がかかる。あとの予定が詰まってしまうのも頷けた。


「ご心配なら手足を拘束したままでも、ひたいに銃口を突きつけた状態でも構いません。どうかお目通し願います」


 黎珠がそう言うと、白州官は怪訝けげんな顔をこちらに向けた。


「ジュウコウ?」


 龍官が銃を知らないとは意外だった。

 しかし、銃は高級品だ。里でも正討師にごく少数しか配布されなかったものである。馴染みがない者も多いだろう。

 すると、白州官とのやり取りを見ていた雲翔が口を開いた。


「では謁見まで私が同行し、この娘には手枷をかける。——娘、お前もそれで良いな?」

「はい。お願いいたします」


 雲翔の申し出に、黎珠は叩頭こうとうして承諾する。

 白州官も、渋々ながら雲翔の譲歩案に同意したようだ。黎珠に手枷がかけられると、それ以上は強く言わない。しかし控えめながら、彼は最後まで雲翔の身を案じた。


「若様、念のため武官を随行させてはいかがですか?」

「さすがの私も、手枷をした人の娘に遅れを取るほど落ちぶれてはいないぞ? 安心しろ、この宮にも兵は大勢いるだろう。何かあれば、即座に声をかける」

「承知いたしました」


 そこまで言われてようやく白州官は下がり、道をけた。

 雲翔とともに回廊を進みつつ、白州官の姿が見えなくなったところで、黎珠はそっと声をかけた。


「お口添えいただき、ありがとうございました」

「構わん。公から話はうかがっている。だが、おかしな素振りをちらとでも見せれば、即斬る。心しておけ」

「心得ております」


 軽く微笑し、黎珠は応じた。

 やはり雲翔は誠実だ。身分に分け隔てなく耳を傾け、自分を律しながら公平な対応を模索する姿は好感が持てる。西嶽が常々自慢する気持ちもわからなくはない。


 つらつらとそのようなことを考えていた黎珠は、不意に夜風を受けて身を震わせた。暖かい地域とは言え、玄州の夜は冷え込む。あとで夏月の寝所に戻ったら、火鉢に炭を足した方が良いだろう。もちろん、無事戻れればの話だが。


 そうしてとどこおりなく西嶽のへやの前に着くと、雲翔は足を止めて黎珠を振り返った。


「ここだ。くれぐれも、おかしな気は起こさぬように」


 そう念を押す雲翔に、黎珠は首肯した。


「はい」

「それから」


 雲翔は、着ていた白の羽織はおりを突然脱ぐと、黎珠の肩にばさりと落とした。

 目を白黒させる黎珠に素っ気ない口調で、


「今日は夜風が冷える。羽織っておけ」

「お、お心遣い痛み入ります。ありがとうございます」


 動揺を隠しきれないまま、黎珠は雲翔に一礼した。

 ……これは、すごい。

 北嶽付きとは言え、ただの官奴婢かんぬひに、なんという心配りだ。西嶽はあれで、実は凄まじい子育て上手なのかもしれない。


 感服しきりの黎珠だったが、驚くべきことに、雲翔はさらにその上をゆく発言を口にした。

 いわく。


「改めてお前の言動を振り返ったが、私の所感では──お前は、善良な娘なのだろうと思っている。最初の戦闘でも、極力私を傷付けまいとする配慮が見て取れた」


 そして肩入れし過ぎたと思ったのか、ぽつりと付け加えた。


「無論、決して信用したわけではないが」

「先のお言葉だけで、充分でございます。ありがとうございます、雲将軍」


 感嘆を通り越し、もはや敗北感を味わいながら黎珠は頭を下げた。

 意識せず、これだけのことができるのである。これは男女問わず、たいそう好かれているに違いない。


 あの白州官も、心の底から雲翔を心配していたのだろう。もうほとんど回復しているようだが、大切な若君に怪我をさせ、悪いことをしてしまった。


 内心で反省する黎珠だったが、それが雲翔に伝わるわけもない。

 黎珠のこたえを聞くと、雲翔は一度(うなず)いて扉を開けた。


「よし。では行け」


 力強い雲翔の声を背に、黎珠は室内へ足を踏み入れた。


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