39
壺焼きとは言え、屋外で火を扱うなら水の用意は必須だ。
離れに行く途中、黎珠は最寄りの井戸に寄った。荷物が多くなるが、ここで水を汲んでいけば手間が省ける。
紅甘藷の籠を置き、空の桶に持ち替えたところで、黎珠は動きを止めた。
「こんにちは、桃さん」
振り向きざまに声をかける。
当の桃は驚きもせず、「うん」と小さな返事を返した。先日会ったときと変わらない、淡い透明感のある瞳が黎珠に向けられる。
「……あいつ、また死にかけたんだってね。たまが助けたんでしょ?」
「そんな大層なことしてませんよ。むしろ、毒見役としては大失態で──」
「なんで助けたの?」
語尾を奪うように桃が訊ねた。
誤魔化しを許さない物言いには、彼女のまっすぐな性根がうかがえる。
桃の疑問に、黎珠は素直に笑って答えた。
「北嶽様に、生きていて欲しかったからです」
「なんで生きてほしいって思うの? なんであいつの側にいるの? ……このままだと、たぶん、たまは死ぬよ?」
「桃さんは何故、わたしを気にかけてくれるんですか?」
畳みかけるような問いに、あえて問い返す。
桃は少し考えるように俯き、ぽつぽつと単語を拾い上げるように語った。
「……桃にも、よくわかんない。でも、気持ちが悪い。すごく、とっても。だから……答えをきいて、すっきりしたいの。今すっきりしておかないと……もう治せなくなるかも、だから」
「そうですか」
──もう、治せなくなるかもしれない。
その理由は、黎珠にもおおよその見当がついている。それでもまったく嫌な気がしないのは、きっと話す相手が桃だからだ。
薄く微笑んで、黎珠は視線を遠くへ投げた。
「そうですね、わたしが北嶽様から離れられないのは結局のところ、北嶽様がわたしに似ているからだと思います」
「たまと? どこが?」
あからさまに顔を顰めた桃に、黎珠は苦笑する。
感情の起伏が乏しい彼女でも、こんな表情をすることがあるのだ。
「北嶽様は、昔のわたしと似ているんです、本当に。だからわたしは北嶽様に共感してしまうし、だからこそ救いたい。助けになりたいんです。これで答えになるでしょうか?」
「んー……やっぱりまだ、気持ち悪い」
「では、もっと単純な理由を」
ごく自然に、息を吐くように、黎珠は桃に告げた。
「わたしは、北嶽様のことが好きなんです。桃さんが、桃さんの主様を慕うのと同じくらいに」
答えを聞くと、桃は小童のように幾度も眼を瞬かせた。
憑き物が落ちたような顔で、ぽろりと声を落とす。
「……そっか。そうなの」
「すっきりしました?」
「した」
こくこくと可愛らしい動作で頷く桃に、自然と笑みが浮かぶ。
黎珠は籠に盛られた紅甘藷を数本抜き取ると、桃に問いかけた。
「桃さん、紅甘藷は好きですか?」
「おいも? すき」
「では、良かったらこれをどうぞ」
黎珠が手渡すと、桃は顔を近づけて手の中の紅甘藷を検分した。
「桃、これ知ってるよ。里で育ててた。乾いた土でも育つの。もらう」
「ぜひ召し上がってください」
桃は黎珠にうっすら笑いかけると、直後に身をひるがえした。こちらに背を向けたまま、声だけで別れの言葉を口にする。
「じゃあね、たま」
「はい。さよなら桃さん」
短く、互いに言葉を交わす。
軽やかなやり取りのあと、桃は静かに言葉を添えた。
「……たまとあえて、よかった」
囁きを残して、桃は音もなく回廊を走り去った。以前のように塀を走らないのは、龍兵の見回りが厳しくなったからだろう。
桃の消えた方角を見つめたまま、黎珠はひっそりと呟いた。
「わたしもです、桃さん」
口にして少し、泣きたい気分になった。
*
気を取り直して、紅甘藷を焼くための材料を集めると、黎珠は居所のある離れに戻った。
官奴婢である黎珠には、斜陽宮の奥まった場所に寝起きする小屋が与えられている。もとは物置小屋だったのだろう。埃だらけの室内はまめに掃除を繰り返した結果、今では快適な空間に仕上がっている。隙間風が吹き込むのが難だが、李の計らいで綿入りの蒲団と、火鉢を設置済みだ。里の暮らしと比べれば豪華なものである。
通常、奴婢にこのような住居は与えられないらしい。大抵はどこか一か所に集められ、雑魚寝が基本だそうだ。
にもかかわらず、黎珠に小さいながらも小屋が与えられたのは、ひとえに北嶽付きの官奴婢だったからだろう。あるいは黎珠が元龍討師ということもあり、なるべく中央から離したかったのかもしれない。ちなみに、近習である李は立派な室付きである。
黎珠は地面に集めた壺、炭袋、使い古した金網、水桶を並べた。腰まで高さのある大きな壺は、李の予想通りかなり邪魔だったらしく、すぐに譲ってもらえた。
さっそく壺の底に炭を敷き、点火してから中ほどに金網を設置する。しばらく待って熱が落ち着いたら、素のまま紅甘藷を網に乗せ、蓋をしてひたすら待てば完成だ。
ここからが長いのだが、手違いで火事になっては大変だ。火から眼は離さない。壺から発せられる熱にあたりながら、膝を抱えて黎珠は紅甘藷が焼けるのを待った。
「李君、遅いですね……」
いっこうに訪れる気配のない李に、黎珠は独り言を漏らした。
空を見ると、少し日が傾いている。紅甘藷はそろそろ頃合いだが、すぐ終わるだろうと言った李はまだ現れない。
何か別件が発生したのだろうか。本当は焼きたてを食べてもらいたかったが、焦げてしまっては元も子もない。取り出して李の分は取り分けておこう。
黎珠は蓋を開け、顔に蒸気を浴びながら布巾ごしに甘藷を掴む。取り出して試しに一本割ると、いかにも美味しそうな湯気が立ち上った。
「ふおおお、なんと完璧な焼き甘藷! この断面! 鳳炬様ありがとうございます! ではいざ、いただきますー!」
おもむろに齧りつこうとした瞬間、しかし黎珠は口を開けた状態でぴたりと静止した。
後方から、何者かの気配が近づいてくる。
背後を振り返ると、藪の中から音を立てて現れたのは──。
「お前、何喰ってんだよ?」
場にそぐわぬ見目麗しい容貌で、北嶽は黎珠を見下ろした。




