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さて、甘藷と言えば焚火である。
籠を抱えて黎珠は周囲を見渡したが、掃き掃除は早朝に終わらせる決まりだ。道には枯葉一枚見当たらない。
この厳戒態勢でうろつけば、いらぬ疑いをかけられかねない。ここは先達である李に訊くべきだろう。それに以前、洛邑の関門を通るとき、彼は切干甘藷を持っていた。鳳炬にもらった紅甘藷も食べてくれるかもしれない。
ひとまず、離れに戻ろう。今は大量の甘藷を抱えているので、回廊を歩くのは避けたい。丞相あたりとすれ違えば、見苦しいと一喝されかねない。
下働きの者が通る細い道を歩いていると、幸運なことに反対側から李が来るのが見えた。どこかへ行く途中のようだが、急いでいる風ではない。しかも付近に龍兵の姿はなかった。
──しめた。
この機に、毒事件について話を聞いてしまおう。
黎珠は小走りで距離を詰めると、開口一番、李に訊ねた。
「李君、突然すみませんが、昨日の毒騒動について少しうかがってもいいですか?」
『構いませんけど、ぼくはその場にいなかったし、お役に立てないんじゃ?』
筆を持ったまま、ことりと李は頸を傾げる。
それに黎珠はかぶりを振り、ぐっと顔を近づけて言った。
「そんなことはありません! あの、昨日の茶席で氷入りの冷茶が出たのですが、これは不自然ではないでしょうか? 状況的に冷茶を用意した鳳炬様が疑われていないか、心配で……」
聡い李は、それですぐに黎珠の不安を解したようだ。さらさらと帳面に文字を書くと、ひっくり返して黎珠に見せる。
『それは大丈夫だと思います。だって、茶席には白州の方が同席してましたから』
「そういえば、冷茶と聞いて西嶽公が喜んでおられたような」
白州龍が同席すると、冷茶を出す決まりでもあるのだろうか。
黎珠の呟きに答えるように、李は続けて書き連ねた。
『白州は土地が渇いているせいか、水がとても不味いらしいんです。だから水をそのまま飲まないし、お茶も香辛料や砂糖を入れたものが好まれます。あと雪が降らない州なので、氷がとても珍しいんです』
「そうなのですか」
玄州では毎年、文字通り死ぬほど積雪がある。白州で雪が降らないということは、それだけ暖かいのだろう。冬に凍死する者は少ないはずだ。雪が降るたび、ばたばた人が死ぬ玄州からすると、夢のような州に思える。
『だから白州龍をおもてなしする場合、多少寒くても氷入りの冷茶を出して、あとから温茶をふるまうのが普通なんです。玄州の透明度の高い氷は、あっちではすごく有名ですから。真冬でも所望される方が多いと聞きます。相手の身分が高ければ、ほぼ確実に出されると言っていいかと』
なるほど。そういうことであれば、鳳炬の疑いもだいぶ薄まる。それに彼女は、先々代南嶽の娘だ。確たる証拠がない限り、罰せられることはないだろう。
黎珠はほっとして浅く息を吐いた。
「理解しました。西嶽公が出席する時点で、氷入りの冷茶が出されることは周知の事実。よって白州龍の来訪を知る者であれば、誰でも事前に毒氷を用意することは可能だった、ということですね?」
『はい。なのでむしろ、だれがどこで毒を盛ったかが争点になると思います。でも、話を聞くと疑わしい者はたくさんいて、調べるのが大変だって言ってました』
それはそうだろう。可能性は低いものの、黎珠は河豚毒のかけ合わせについても示してしまったので、足し上げれば数は膨大だ。
話が落ち着いたところで、視界の隅に巡回の龍兵が映った。下道も一定間隔で見回りしているらしい。ぼんくらな玄州龍でも、州公が狙われれば重い腰を上げざるを得ないのだろう。
毒の件を切り上げ、黎珠は腕の中の本題について李に問いかけた。
「話は変わりますが、李君は紅甘藷は食べられますか?」
『はい。最初は苦手だったんですけど、北──今は大好きです』
途中、書き損じたのか文字を訂正して李は答える。
少し引っかかったが、特に触れずに黎珠は会話を続けた。
「では、一緒にこの紅甘藷をいただきませんか?」
『はい。ぼくはこのあと西嶽公に呼ばれているので、それが終わったらぜひ』
「西嶽公にお呼ばれを?」
あんな騒動のあとに、西嶽公が李を呼びつける理由がわからない。
不審に思っていると、李はぱっと表情を変えて筆を走らせた。
『これは前からの約束だったんです。昨日のことがあるので、今回はちょっとおしゃべりして終わりだと思いますけど。西嶽公には、ときどきお呼びいただくんです。その、白州に来ないかって。このまま玄州にいても、せっかくの才能をつぶすだけだって』
「李君は、白州に行きたいですか?」
そっと訊いてみる。
北嶽は粗暴で短絡的かもしれないが、悪辣ではない。多分、根は優しいのだ。それを今朝、黎珠は確信した。
だが、李はどうだろう? 本心ではどう思っているのだろう。
黎珠が訊ねると、李は酷く大人びた表情で微笑し、視線を落とした。
『白州には、いつか遊びに行ってみたいとは思います。でも、北嶽さまと玄州を捨ててまで行きたいとは思いません。今までつらいことはたくさんあったけど、ぼくは北嶽さまのお側にいたい。北嶽さま、ああ見えてぼくにはお優しいんですよ? 本当だったら、殺したいほどぼくを憎んで当然なのに』
「殺したいほど? それは──」
黎珠の呟きを読み取ると、李ははっとして筆を握り直した。帳面を引き寄せ、殴り書きに近い速さで文字を綴る。
『ごめんなさい。紅甘藷の話でしたよね。今、焚火をすると怒られるかもしれませんから、壺焼きにしたらどうでしょう?』
不自然な話題転換だったが、黎珠はそれについては触れずに頷いた。
誰しも話したくないことはある。李が嫌がっているのだから、これ以上踏み込むべきではない。
「はい。ぜひお願いします」
『壺は使ってないものが厨房にあったので、そこでもらえると思います。大きくて邪魔だって言っていたので。炭は減ると厨房の方に嫌がられると思うので、北嶽さまの火鉢の炭を使っちゃいましょう』
「それは、北嶽様にお叱りを受けませんか?」
『理由を話せば大丈夫です。だって、紅甘藷ですし。炭も、朝見たときは二五袋ありました』
二五袋。思いのほか正確な数字を示される。
そういえば、李はいつも酒瓶や茶壺の数を正確に把握している。毎日すべての在庫を調べ上げ、管理しているのだろうか。だとすれば相当まめだ。
「李君は毎日炭を数えて管理しているんですか?」
『管理というか、ただ視ただけです』
視ただけ、とはどういう意味だろう。
黎珠が意味を掴みかねていると、李は慌てて筆を動かした。
『ぼくの唯一の長所なんです。耳が悪いぶん、眼だけはよくて。一度視たものはそのまま、忘れることなく記憶することができるんです。史書を一回読んで全部おぼえたり、数を意識せずぱっと数えられたり』
「では、この籠の紅甘藷は何本見えますか?」
黎珠が問い終わると、ほぼ同時に李は書き始めた。
『ぼくから視える範囲では、一二本です』
「これは、すごい能力ではないですか!」
一瞬で回答した李に、黎珠は興奮して声を上げる。
李自身は難聴であることを引け目に感じているようだが、とんでもない。史書を一読し、すべて憶えるなど、もはや神童だ。西嶽が李を欲しがるのも道理だ。
『でも、ぼくは欠子ですし』
「そんなの、些末な問題です! 李君はほかの龍にも引けを取らない、素晴らしい才能をたくさん持っています。もっと自信を持ってください。ね?」
『ありがとうございます』
いつもように頬を染め、李は俯く。
愛らしいその様子を眺めていると、李は再び筆を取り、黎珠の背後を見ながら帳面の上で滑らせた。
『じゃあ、そろそろぼく、行かないと』
「はい。引き止めてしまってすみません。甘藷は目立たぬよう、離れの裏で焼いています。終わったらぜひ、離れに食べに来てください」
『わかりました。あの、紅甘藷を焼いたら、ぼくのぶん以外にもいただけますか? できれば、きれいに焼けたものを』
李には、ほかにも食べさせたい者がいるらしい。これだけ出来の良い紅甘藷だ、なるべく大勢に食してもらいたい。
黎珠は頷きながら即答した。
「勿論です。たくさんあるので、欲しい方がいればあげてください」
『ありがとうございます。では、失礼します』
ぺこりと可愛いお辞儀をし、李は黎珠が来た道を歩いて行く。その小さな背中を見送ってから、黎珠は離れの方角に足を向けた。




