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「さてっと。立ち話もなんだ、さっさと茶会を始めようじゃないか!」


 明るい声で西嶽は言い、仕切り直しとばかりに白州官らと広間に入室する。気だるげに後頭部を掻くと、北嶽も黎珠を見下ろして息を吐いた。


「じゃ、お前もついてこい」

「その件ですが北嶽様、諸官を差し置いてわたしが上座に着けば、北嶽様にさわりがございます。西嶽公がおっしゃった手前、白州官は良いでしょうが、玄州官からは不満が出るでしょう。いらぬ反感は、極力買わぬが懸命かと」


 黎珠の進言に、北嶽は眼を丸くして見返した。

 存外、まともなことを言ったので驚いたのだろう。思い返せば、黎珠は北嶽に対して失言続きだ。やっと官奴婢らしい振る舞いができて本当に良かった。

 黎珠の申し出には丞相も同意し、唾を飛ばして北嶽に具申した。


「左様! このような下民を上げては、北嶽様のご威光に傷が付きますぞ!」

〈────────────────。──────────────────────────〉


 丞相に耳を傾けていた北嶽ははっと眼を見開き、腰に視線を落とした。その先には、帯剣された黒影が下がっている。

 北嶽の行動を見て、黎珠はようやく得心がいった。先ほどの不自然な間も、黒影が何らかの助言をしてくれたに違いない。


「……。こいつは毒見だよ、毒見役。そうでなきゃ、誰がこんなちんちくりん連れて行くか」


 北嶽のげんを聞き、黎珠は素直に頭を下げた。

 黒影の真意はわからないが、とりあえず話には乗った方が良いだろう。


「なるほど、そのような次第しだいでしたか。これは考えが及ばず、失礼いたしました」


 同意する黎珠に対し丞相はいまだ納得いかない様子で、もごもごと口を動かした。


「毒見とは言え、このような下賤の者を……せめて誰ぞ、別の者に変えてはいかがですか?」

「へーえ。じゃ、お前がやるか、丞相? おれと上座に来るんだから、立場的にはお前じゃねぇと座りが悪いだろ。ほかにやりたい奴もいないっぽいしな」


 北嶽が広間の玄州官を見やると、皆一斉に視線を逸らす。北嶽には過去、毒殺されかかった経緯があり、昨夜の襲撃もある。命を危険にさらしてまで毒見を買って出ようという者はいないようだ。

 それは丞相も同じだったようで、大仰に手とくびを振り、北嶽の提案を辞退した。


「いっ、いえ、それは──。そこまで北嶽様がこの奴婢を信用されておられるなら、この丞相、これ以上は口出し致しませぬ! ささっ、北嶽様もお席へ」


「ふん、腰抜けが。行くぞ、ちんちくりん」

「は、はい!」


 北嶽の後に続いて黎珠も入室し、他官を追い抜いて上座近くに着席する。黎珠の左が丞相、右に北嶽、その隣に西嶽、雲翔、以降は各州官が続く、といった並びだ。

 黎珠は隣の北嶽に気を配るとともに、西嶽の動向にも注意を払った。


「北嶽、貴公がこういう集いに参加するなんて珍しいじゃないか。どんな心境の変化だい?」

「なんだよ、なんべんも出てるだろ」

「ま、酒席にはね」


 そんな西嶽と北嶽の会話を聞いていると、鳳炬が再び広間に現れた。淑やかな足取りで入室し、玄白両官を見渡した鳳炬は、北嶽の隣に着席する黎珠を見つけ、大きく眼をみはった。

 それに黎珠は苦笑を返すほかない。成り行きと言うやつだ。

 鳳炬は一瞬表情を曇らせたが、すぐに表情を引き締めた。広間によく通る声で、おごそかに告げる。


「西嶽公、ならびに白州諸官の方々、遠路はるばるご足労いただき、恐れ入ります。昨夜の賊の一件もあり、此度はこのような茶会の席とさせていただきました。どうぞ、ごゆるりとお楽しみくださいませ」


 優雅に一礼し、それを機に盆を手にした女官がするすると入室する。季節の果実や甜点かし玻璃ガラスの茶杯などが次々と運ばれる。


「今日のお茶は何を用意してくれたのかな?」


 たずねる西嶽に、鳳炬は優美な所作で答えた。


「良い氷が手に入りましたので、本日は冷茶をご用意いたしました。本来はもう少し、気候が暖かくなってからお出しすべきなのですが……」

「いや、僕は猫舌なんでむしろ助かるよ。白州で手に入る氷は高い上にマズいから、噂に名高い玄州の氷を是非とも味わってみたい」

「うふふ。そう言っていただけると幸いですわ」


 西嶽を前にしても物怖じすることなく、鳳炬は品良く応対する。位は高そうだと思っていたが、彼女は黎珠が思った以上に高位の龍なのかもしれない。


 からん、と耳に心地よい清音が室内に響く。女官の手元を見ると、玻璃ガラスの水差しから黄金色こがねいろの液体が注がれている。茶杯の中でくるくると氷が回り、光を弾くさまには既視感があった。層雲宮でよく眼にした光景だ。恐らく水出しの冷茶だろう、と黎珠はあたりを付けた。

 冷茶を口にした西嶽は、眼をまたたかせて北嶽に顔を向けた。


「ん! 美味しいねぇ! これなんて銘柄なの、北嶽?」

「おれが知るかよ」

「んじゃ奴婢の娘、お前は知ってる?」

「西嶽公! 下賤な奴婢に、茶の話などされましても──」


 すぐさま丞相が話に割って入る。

 話を振られた黎珠は、一口茶を口に含んでから答えた。


「『蜜蘭香みつらんこう』でございます、西嶽公」


 その回答に、当の西嶽はおろか、隣の北嶽、丞相、向かいの雲翔までもが驚きの視線を黎珠に注ぐ。卑しい奴婢が聞茶ききちゃ──茶の飲み分けをやってのければ、それは驚くだろう。


 だが黎珠としては、失態をさらさないように内心必死だ。かろうじて顔面は涼しさを維持しているが、問われた茶が違うものだったら危なかった。

 今回はたまたま、最も飲み慣れた茶──夏楠お気に入りの蜜蘭香みつらんこうだったため、即答できたに過ぎない。


「これは驚いた! 玄州の奴婢は、聞茶ききちゃの教養なんて身に付けてるわけ? 凄いなぁ、ねぇもっと教えてよ!」


 無邪気にせがむ西嶽に、黎珠はにっこりと微笑み返した。

 心中では「ひいぃ!」と泣きそうになっていたが、根性で抑え込む。

 主である北嶽に恥をかかせるわけにはいかない。これはもう、やるしかないだろう。奴婢は度胸だ、度胸で切り抜けるのだ。


蜜蘭香みつらんこうは、茘枝ライチに似た爽やかな香りから、この名がついたと聞き及んでおります。それに──こちらは恐らく、水出しの冷茶ですね。同じ茶葉でも、淹れ方が水出しとなると贅沢品です。水の状態から抽出するので時間と手間がかかる上、茶葉を大量に消費いたします。しかしその分、濃厚な香りと甘味が引き出されますので、味は格別でございますよ。北嶽様も毒見は済みましたので、是非ご賞味ください」


 淀みなく黎珠が告げると、室内には小さな感嘆の声が漏れた。

 黎珠は内心、大きくこぶしを握る。


(よし! なんとか噛まずに言えました!)


 すべて孝燕の受け売りだが、うまく切り返せたので良しとしよう。問題はこれ以上深く突っ込まれると、化けの皮が剥がれてしまうことだが……。


 幸い、西嶽がそれ以上何かたずねてくることはなかった。その代わり、やや引き攣った笑みを給仕していた鳳炬に向け、ぎこちなく問いかける。


「今ので、合ってる?」

「はい、それはもう。北嶽様の奴婢は本当に博識でいらっしゃいます。わたくしの出番がなくなってしまいました」


 肩をすくめて鳳炬は答える。

 持ち上げてくれるのは嬉しいが、黎珠の知識など薄っぺらにもほどがある。いつ襤褸ぼろが出てしまわないか、こちらは気が気でない。


「へぇー。これは素晴らしい奴婢をお持ちだ、北嶽公は」


 官吏たちの手前、手放しで称賛する西嶽に、黎珠は小さく「恐縮です」と答えた。

 雲翔と丞相は、眼を白黒させて黎珠を凝視し続けている。その他の官吏に至っては、怖くて顔を見ることができない。


「おい。お前なんで茶っ葉の銘柄なんか知ってんだよ?」


 針のむしろの黎珠に、小声で北嶽がたずねてきた。


「前の主が、たまたま蜜蘭香みつらんこうが好きだったもので……」

莫迦ばかか、そいつ⁉ お前にゃ、もっと先に教え込むことが山ほどあんだろうが。常識はどこいった」

「それはもう、度し難い莫迦ばかだったのだと思います……」


 そうとしか言いようがない。

 この点に関しては、黎珠も北嶽とまったくの同意見である。何故、字や算術以前の大問題を正さなかったのだ、あの龍たちは。


「あーくそ! もういい。お前は甜点かしでも適当につまんでろ」

「かしこまりました。甜点かしのほかに果実は召し上がりますか、北嶽様?」


 黎珠の問いに、北嶽はきょとんとした顔を向ける。その反応に黎珠がくびかしげると、北嶽は何かを思いついたように、にいっと口を釣り上げた。

 悪意は薄い、しかし邪悪な笑顔で、


「そうだな、気が変わった。果実も甜点かしも全部食う。だからお前、全種制覇しろ」

「え……これを、全部でございますか……?」


 北嶽の指示を受け、黎珠は卓に山と盛られた果実、ずらりと奥まで並ぶ甜点かしを見下ろした。一口ずつの毒見としても、これはかなりの量である。


「甘いもんでもたらふく食って、少しは胸に肉を付けろ。胸に」

「胸より腹に肉が付きそうですが──承知しました! 全力でつとめさせていただきます!」


 言って黎珠は腕捲うでまくりし、両手で果実の大皿を引き寄せた。林檎だけでも三種あるが、まずは手前の赤林檎からだ。

 勢い込む黎珠を尻目に、北嶽は毒見の済んだ冷茶に手を伸ばした。頬杖をついて黎珠を眺め、のどかに蜜蘭香みつらんこうを啜る。


〈──────〉

「ふん。これ、確かに美味いな」


 親子だからか、北嶽もこの茶を気に入ったようだ。「ミツランコウか」と呪文のように茶葉の名を唱え、再び杯に口を付ける。


「おや。酒と女以外に北嶽が興味を示すなんて、珍しいじゃないか」

「西嶽公ッ!」


 軽口を叩く西嶽を、口を開きかけた丞相より先に雲翔がたしなめた。今までのやり取りで、さすがに黙っていられなくなったのだろう。

 西嶽は蜜蘭香みつらんこうのおかわりをもらいつつ、小童こどものように口を尖らせた。


「えー、だって本当のことじゃんかー」

「何が『えー』です! わらべですかあなたは!?」

「いや、立派な一児の父だけど?」

「自覚があるなら、相応の言動をなさってください!」

「雲よ。西嶽たる者、たまには童心に帰ることも必要なのだ」

「どこが『たまには』ですか! 常時でしょう常時ッ! 大体あなたは毎度──……北嶽公?」


 急に真剣な表情で、雲翔が呼びかける。

 西嶽の行動にばかり気を取られていた黎珠は、慌てて北嶽に視線を戻した。


「か……ぁ――――ッ」


 どう、と。

 椅子ごと北嶽が後ろに転倒する。

 給仕していた女官の甲高い悲鳴が、室内に響き渡った。


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